◆人生儀礼とご祈願

◆人生儀礼とご祈願について◆

日々の営みの中で、互いの無事を願い、喜びを分かち合う人生節々のまつりは、私たちに改めて、親子の絆と生命のつながりを実感させてくれます。

・着帯のお祝いと安産祈願

→「着帯のお祝い」とは、胎児の健全な発育を願い、妊婦が白布の腹帯(赤ちゃんが岩のように丈夫に育ちますようにとの意味のこめられた岩田帯)を締めるお祝いです。懐妊5ヶ月目の戌の日を選ぶのは、犬のお産が軽い(安産)ということにあやかりたいという願いからだといわれています。

そして「安産祈願」とは、子宝に恵まれたことを神様に感謝し、母体の安全と無事に赤ちゃんが生まれることを願って神様にお祈りする儀礼ですが、この祈願を、着帯のお祝いの日に合わせて行うことが多いようです。

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・お七夜と命名

→生まれてきた子供に名前を付けることを「名付け」また「命名」といいます。名付けを行う日は、時代や地方によって違いがありますが、一般的にはお七夜(出生後7日目に、子供の名前を親戚や知人に披露する儀式)の日に行われます。現在の民法では、出生後14日以内に出生届を出すことになっていますので、最近ではその日に間に合うように行われているようです。

相応しい名前が決まったら、奉書紙や半紙などの白い紙に名前を書き、神棚にお供えしたり、床の間に貼ったりします。

そして、なぜ7日目なのか、それについては諸説がありますが、1つには7日が妊婦の忌みの晴れる第一段階であり、この日に産児が初めて外出をして家の神々にお参りする地方があることや、また、昔は生後すぐの死亡率が高かったため、生まれたばかりは、産着も着せず、名前もつけずに7日目まで見守り続け、赤ちゃんに何事もないことを確かめた上で名付けをしてもらい、ようやく1人の人間として家族に迎えられた時代の名残りが、赤ちゃんの誕生を喜び、祝う行事となったようです。

・初宮詣

→「初宮詣」とは、親子ともども出産という大事を、神様のご加護によって無事に終えたことへの奉告と、子供の健康と成長、そして今後のご加護をお願いするために神社へ参詣する人生儀礼の一つです。 地方により多少違いがあるようですが、一般的には男児が生後32日目(または31日目)、女児が33日目に参詣します。初宮詣には、子供に祝い着を着せ、夫の母(姑)が抱くのが習慣になっています。祝い着は、男児が黒地の紋付で、女児は友禅の晴れ着が伝統的ですが、最近ではベビードレスも多いようです。かつては、祝い着を妻の実家が調達していましたが、最近ではそういった古い慣習にこだわらない人も増えてきました。

初宮詣は、赤ちゃんを産土(氏神・鎮守)様の産子として認めていただく意味がありますので、わざとつねって泣かせ、ご挨拶に来たことを印象づけたり、お参りの帰りに、会う人ごとに赤ちゃんを見てもらって、赤ちゃんがその土地の一員になったことを認めてもらうような風習も残っています。

また何日目というのも1つの基準であって、どうしてもこの日にしなければならないというものでもありません。まず赤ちゃんとお母さんの健康を第一に考え、ご家族の都合の良い日を選び、皆様でこの佳き日をお祝いするのがいいでしょう。

・お食い初め

→一生食べ物に不自由しないようにとの願いを込め、誕生した子供に初めて食べ物を与える(真似をする)儀式を「お食い初め」といいます。

地方により多少違いがあるようですが、生後100日目、または120日目に行います。この頃になると早い子には歯が生え始めることから、離乳食を与える際の古来の儀式であり、その成長を祝う意味もあるのです。

この日には、新しい茶碗や汁碗、そして皿などを用意し、そこに赤飯と尾頭付きの魚、そして歯が石のように丈夫で堅くなるようにとの願いから、小石が添えられることもあります。この小石は「福石」とも呼ばれ、お宮参りの際に氏神様の境内で拾ったりします。

・初節句

→節句(節供)には「節日の供御」という意味があります。「節日」とは、季節の変わり目などに行う祝いの日を、「供御」とは神様へのお供え物をいいます。つまり、節日には神様へお供え物を捧げ、それをお下げして人々が共に食事をしたという習慣があったのです。いまは節句と書きますが、古くは節供と書きました。節句は5つあり、それらを総称して「五節句」といいます。■1月7日の人日(春の七草の入った粥を食べ、無病息災を祈ります。)

■3月3日の上巳(女児の節句で、雛人形を飾り、白酒・雛あられ・菱餅を供え、親しい人を招いて祝います。)

■5月5日の端午(男児の節句で、鯉のぼり・菖蒲・武者人形などを飾り、粽・柏餅を供えて祝います。)

■7月7日の七夕(織女祭とも星祭ともいわれ、子供たちの読み書き、手芸などの上達を七夕様に願います。)

■9月9日の重陽(菊を浮かべた酒を飲むことから菊の節句ともいいます。陽は「生」を意味し、陽(奇数)の最大級の9が2つ重なることから、不老長寿を願う風習があります。)

「初節句」とは、生後に初めて迎える節句のことで、これからも健やかなる成長と良縁に恵まれるよう両親、祖父母と一緒に祈り、祝う年中行事です。男の子には端午の節句の時に、鯉のぼりや武者人形、鎧兜などが、女の子には上巳の節句(桃の節句・雛の節句)の時に、雛人形が贈られます。それらは、子供の厄除けとなるお守りでもあるので、毎年飾って子供の健やかなる成長を祈りましょう。

・七五三

→七五三の祝いを、古くは「髪置き」「袴着」「帯解き(紐解き)」の祝いといっていました。髪置きは3歳の男女児の祝いで、もう赤ん坊ではないという意味から、今まで剃っていた髪をこの日から伸ばし始める儀式です。袴着は5歳の男児の祝いで、初めて袴を着ける儀式、帯解き(紐解き)は7歳の女児の祝いで、着物の付け紐を取り去り、帯に替える儀式です。 昔は医療・衛生的に未発達で乳幼児の死亡率が高く、成長する子供は幸運とされていました。そのため「7歳までは神のうち」といわれ、7歳未満の子はまだ神に属するものとされ、神がその運命を決めると考えられていました。そこで人々は数々の儀礼を行うことで、子供の無事な成長を祈ったのです。そして7歳の祝いは、その不安定な時期を乗り越えた節目の儀礼であったため、特に7歳の祝いを重視する地方は多かったようです。

現在では、その年齢にあたる子供に晴れ着を着せて、11月15日に神社へ参詣し、子供たちの成長と健康を感謝すると共に、今後の成長と更なる健康を祈願する儀礼となりました。なお、本来は数え年で祝いますが、最近では満年齢で祝う割合が高くなり、また参拝の日取りも11月15日にこだわらず、その前後の都合の良い日に参拝する傾向が強くなってきました。

・十三参り

→数えで13歳になった少年少女が神社にお参りするものです。昔は男女ともに13歳が、正式な成人式を迎える前段階の重要な年と考えられていました。関西地方では盛んに行われています。

・入学・卒業・就職の奉告

→成長に合わせた人生儀礼の他に、入学・卒業・就職など生活環境が変わる時も、人生の大きな節目です。 神様のご加護をいただき、無事に過ごせるようお願いしましょう。

・成人式

→満20歳になると、法律上でも責任ある一人前の成人として扱われます。この成人に達した人達を祝う儀式が「成人式」です。 現在では国民の祝日として、1月15日に「成人の日」が定められていますが、この日には各地で成人に達した人達を祝う式典が催されたり、神社でも成人祭が行われ、神様に成人となったことを奉告する姿が見受けられます。

このように、成人となったことを社会から公認されるわけですが、日本には古来から「元服」という、現在の成人式に該当する儀式がありました。元服とは、男子が成人となった証として、成人の装束を着て髪を結い、冠をかぶる儀式です。12~16歳までの間に行われ、このときに幼名を廃して烏帽子をつけます。また、貴人の子息の場合は、この際に位を授けられました。室町中期以降になると、身分の高い人の他は前髪を剃ったり、袖を短くするなど、様々な形式の儀式が行われていました。

・神前結婚式

→結婚は数ある人生儀礼の中でも最も晴れやかな節目です。神様のおはからい(御神縁)によって結ばれた2人が、神様の前で、苦楽を共にして明るく楽しい家庭を築き、子孫の繁栄をはかることを誓い合います。 神前結婚式というと、多くの人は三三九度を、女性ならば白無垢・綿帽子・角隠しを思い浮かべることと思います。神に仕える衣装は、清浄感に満ち溢れた白が使われてきたことから、神様の前で結婚式をあげる時にも、白い衣装が用いられるようになったようです。

また、綿帽子や角隠しは、神職がかぶる冠や烏帽子と同じように、神様の前に出る時のかぶりものなのです。

何といっても、共同体の最小単位は家庭です。素晴らしい家庭があってこそ、国の繁栄や世界の平和がもたらされるのではないでしょうか。

・厄年と厄祓

→日本には古来から、人生の節目を「厄年」として忌み慎む習わしがあります。厄年とは、人間の一生のうち、何らかの厄難に遭遇する恐れの多い年齢をいい、医学の発達した現代においてもなお、万事に慎むべき年齢として、人々に意識されています。

厄年とする年齢は、数え年で男性は25歳・42歳・61歳で、女性は19歳・33歳・37歳とされ、中でも男性の42歳と女性の33歳は「大厄」といい、その前後の年齢も「前厄」「後厄」として、特に忌むべき年齢といわれています。

厄年というのは、現代の生活にもあてはまる人生の節目・転換期にあたり、肉体的にも精神的にも調子を崩しやすい年齢といえますので、神様からのご加護をいただいて災厄が身に降りかからないよう、神社にお参りして厄祓いをします。

また、古くから42歳・61歳という年齢は、社会における重要な年回りとされ、神事においても重要な立場に当りました。そのため、厄年の「やく」とは、神祭りを行う神役の「役」のことでもあるともいわれます。その役を行うにあたって神様に失礼のないように、飲食や行為を慎み心身を清浄にするためにご祈祷を受けたのが始まりであるとも考えられています。

平成25年度厄年表・方位除表はこちらへ

・年祝い(賀の祝い)

→両親や祖父母をはじめ、一家のものが長寿であることほどおめでたいことはありません。還暦の祝いをはじめ、ある一定の年齢に達すると、一家そろって長寿のお祝いをします。■還暦(61歳)…十干と十二支の組み合わせは六十通りあり、自分の生まれた年と同じ干支がまわってくるのはちょうど61年後になります。干支が一巡して元に戻るので、生まれ直すという意味から、赤い頭巾やチャンチャンコが贈られます。

■古希(70歳)…中国詩人杜甫(とほ)の詩「人生七十古来稀なり」という言葉からつけられました。

■喜寿(77歳)…喜の略字が、七・十・七と分解されることからつけられました。

■傘寿(80歳)…傘の略字「仐」が、八・十に分解されることからつけられました。

■半寿(81歳)…半という字が、八・十・一に分解されることからつけられました。また将棋盤の目が81あることから、半寿は盤寿ともいわれます。

■米寿(88歳)…米という字が、八・十・八に分解されることからつけられました。

■卒寿(90歳)…卒の俗字「卆」という字が、九・十に分解されることからつけられました。

■白寿(99歳)…百の字から一をとると白という字になることからつけられました。

■上寿(100歳)…60歳の下寿、80歳の中寿に対するもの。

■茶寿(108歳)…茶の字は十が二つと八十八とに分解され、合計が百八になることからつけられました。

■皇寿(111歳)…皇の字が白と王に分解され、白が九十九、王が十二ということで、合計が百十一となることからつけられました。

・結婚記念日

→夫婦共々に健康で仲睦まじく過ごせたことを神様に感謝し、心新たに、これからも2人で力を合わせて良い家庭を築いていくことを誓い、お祝いする機会です。夫婦が日頃お世話になっている人や大切な人を招いて、感謝の気持ちを表すのもいいでしょう。

■紙婚式(満1年)

■木婚式(満5年)

■錫婚式(満10年)

■水晶婚式(満15年)

■陶器婚式(満20年)

■銀婚式(満25年)

■金婚式(満30年)

■金剛石婚式(75年)

上記の記念日は最も古く、一般的なもので、この他に真珠婚式(30年)、珊瑚婚式(35年)、紅玉婚式(40年)などもあります。