「人間性の心理学」
改訂新版
A.H.マズロー著、小口忠彦訳、産業能率大学出版部
A.H.マズロー著、小口忠彦訳、産業能率大学出版部
マズローと言えば、ピラミッドの欲求階層説を思い出す方も多いと思います。(マズローは明確に5段階に分けた訳ではありませんので、『欲求五段階説』ではなく、『欲求階層説』が正しいです。)
ここでは、マズローの中では最も新しい(最後の)著書『人間性の心理学』[改訂新版]から、マズローの欲求階層説に関する記述についてまとめたいと思います。
つまり、個人の一部だけが動機づけられることはない。例えば、空腹は胃の欲求ではなく、性衝動が生殖器だけの欲求ではないという点である。また、満足するのも個人の一部ではなく、個人全体である。
あらゆる動機づけ状態の範例として飢えを取り上げるのは賢明ではない。飢えの動因がかなり特殊なケースだからである。
我々が意識する願望は、衣服、自動車、友情、称賛、名声などであるが、これらは二次的、あるいは文化的動因と呼ばれ、「れっきとした」一次的動因すなわち生理的欲求とは異なるレベルのものとみなされる。
飢えを除く大部分の動因、欲求、願望というものは、けっして身体の一部分にだけ生じているのではなく、その人全体の欲求なのである。
(この当時の心理学は、飢えも他の欲求も同様に考えることが多く、マズローは欲求の次元の違い、そして特に人間全体を見ることの重要性を繰り返し訴えている。)
日常生活における平均的な願望について注意深く調べた結果、一つの重要な特性が分かった。すなわち、願望は通常それ自体が目的なのではなく、むしろ目的に至る手段なのである。
例「自動車が欲しい」
=>「お金が欲しい」=>「友人が持っていて劣等感を感じたくない」=>「自尊心を保ちたい」=>「人に愛され尊敬されたい」
というように、自動車が欲しいという欲求は本当の目的、動機ではない点に注意が必要。
性的行動や意識される性的願望は、その裏にある無意識の目的との関係で非常に複雑である。ある人にとっては、男らしさを確認する願望であり、ある人にとっては親密性、友好性、安全、愛情などに対する願望、またはそれらの組み合わせを求めているかも知れない。
意識の上では性的願望はみな同じなので、ひとは皆、単に性的願望だけを求めていると誤解しがちである。しかし、これは正しくないのであって、個人個人を理解するには意識されたものよりも、無意識のうちでこの性的願望や行動がいったい何を表しているのかを知ることが大切なのである。
(同じような欲求に見えても、実は動機づけは人によって様々です。人間はそう簡単な存在ではないですよね。)
ある意味で、有機体のどんな状態をとりあげてみても、それ自体、常に動機づけの状態にあると言える。
例えば、「ある人から拒否される」と感じている状態は、どうであろうか?拒否されると、身体的・心理的の両面でいろいろな反応を引き起こす。たとえば緊張、無理な努力、不幸感などがそうである。そしてまた多くの反応が引き起こされ、例えば愛情を取り戻そうとする脅迫的願望を持ったり、防衛的な努力をしたり、敵意を積み重ねたりなどするようになる。つまり、「ある人から拒否されていると感じている」こと自体、動機づけられている状態なのである。
健全な動機づけ理論では、動機づけとは、常に存在し決して尽きることなく変動し続ける複雑な存在であり、有機体のどんな状態の中にも実在する普遍的なものなのである。
(一部私の推論を含みますが、当時『拒否される』というのは受動的な行動であり、その拒否されているひとには動機がないと考えられていた。それに対してマズローは『拒否される』状態であっても、そう感じている以上、心の奥底では様々な動機づけが起こっていると考えているようである。)
人間というものは、常に何かを欲している動物であり、ほんの短時間を除いて、完全な満足の状態に到達することはほとんどない。全生涯を通じて、実際、常に何かを欲し続けるのが人間の特徴であるといえる。そこで、すべての動機づけ間の関係を学ぶ必要が出てくるのであり、それらを別々に分離して扱うことはやめなければならない。
動機や願望の現れ方は、実際にはいつも、有機体がもっている他のすべての動機づけがどの程度充足されたか、あるいはされなかったかにかかっている。すなわち、そのような願望や他の優勢な願望の相対的満足に左右されるのである。
動機づけ理論の事実
*人間というものは、相対的にあるいは一段階ずつ段階を踏んでしか満足しない。
*いろいろな欲求間には、一種の優先序列の階層が存在する。
(世間で知られる『欲求階層説』理論の土台です。ここまでを理解していると、飢えのような生理的欲求を除けば、他の欲求の順序や充足の程度はひとによって異なると理解できると思います。)
我々は、動因あるいは欲求について、原子論的リストを作ることはきっぱり諦めならない。そのようなリストを作ることは理論的に健全であるとはいえない。その理由として、以下の3つを挙げています。
*様々な動因の強さ、現れる確率を均一なものと扱ってしまう。
*リスト化することは、それぞれの動因が互いに他から分離していることを意味してしまう。
*このような動因のリストは、通常行動をもとにつくられるが、意識と無意識の違い、ある願望が他の願望と関わっているなどの事実を無視することになる。
(マズローは、ひとを全体的な有機体として考えているので、動因、欲求を一つ一つ分解することに反対しています。この章の冒頭の考えの通りです。)
人間の動機づけが、周囲の状況や他の人々と無関係に行動となって現れることはめったにない。そこで、動機づけに関する理論はすべて、環境においても、有機体そのものにおいても、文化の持つ規定的役割を考慮し、この事実を説明せねばならない。
(マズローは、心理学といえども、人を取り巻く環境、社会は無視できないと考えていました。そこで人と社会とのかかわり、そして、人が多くの時間を費やす会社にも目を向けるようになったのです。こういう点で、非常に現実的で役に立つ考えを持つ、心理学だと私は思います。)
明らかに、有機体がもっとも統合された状態であるのは、幸運にも大きな喜びとか、創造的瞬間に遭遇している時、あるいは逆に、重大な問題、脅威、危機に直面している時である。しかし、その脅威が圧倒的であったり、有機体がそれを処理するには弱すぎたり無力すぎる場合には、その統合は崩壊に向かう。
全般的に、生活が容易でうまくいっている場合には、有機体は同時に多くのことがこなせるし、いろいろな方向に目を向けることも出来るのである。
ほとんどの心理学者が、全ての行動とか反応が、いわゆる欲求の満足を求めているというかたち、欠乏しているものを求めているという形で動機づけられていると考えているが、そうとは限らない。
成熟、表出、成長といった現象あるいは自己実現などはすべて、欠乏しているものを求めるという一般になされている動機づけの法則がはみ出しており、対処というよりむしろ内的心理過程の表出と考えた方が良いからである。
(マズローは、『欠乏を満たす欲求』が全てという考え方を否定している。つまり、自己実現のような高次な欲求は、何かしらの『欠乏』によるものではなく、そのひとの内側から湧きあがる欲求であり、何が足りないから出てくる欲求ではない、という考えからです。『内的心理過程の表出』とはそういうことを言っています。)
生理的欲求は、あらゆる欲求の中で最も優勢なものである。ただし、生理的欲求が比較的独立したものであると言っても、完全に孤立したものではない。空腹を感じている人は、実際にはビタミンやたんぱく質を求めているよりも、慰めや依存を求めているのかもしれないからだ。
特に極端なまでに生活のあらゆるものを失った人間では、生理的欲求が他のどんな欲求よりも最も主要な動機づけとなるようである。あらゆる欲求が満たされない場合、「飢え」を満たすためだけにあらゆる能力を使うようになる。極度の飢えの場合には、食べ物以外には何の関心もなくなってしまう。食物を夢み、食物を思い出し、食物にだけ知覚し欲するのである。人生イコール食べることとなり、それ以外は何も重要でないと考えてしまう。有機体に慢性的な飢餓や渇きを感じさせることは、明らかに高次の動機づけをぼかし、人間の能力や人間性について片寄った見解をもたせるにはうまい方法である。
ただしこのような慢性的な飢えは、アメリカのような国では一般的なことではない。平均的なアメリカ人が「私は空腹である」という時、『飢え』ではなく『食欲がある』という状態である。
人間がパンのみによって生きるということは、パンがない時には真実である。しかし、パンが豊富にあり、いつもお腹いっぱいの時には、人間の願望はいったいどうなるのであろうか? 直ちに、他の(より高次な)欲求が出現し、それが生理的飢餓に代わって優位に立つようになる。そして、それが満たされると、順に再び新しい(さらに高次の)欲求が出現してくるといった具合である。これが我々のいう、“人間の基本的欲求はその相対的優勢さによりその階層を構成している”、という事なのである。
(生理的欲求として、マズローが挙げているのは、飢え(食欲)です。これに加えて、ホメオスタシス(身体の自動調節的機能)としての生理的欲求に簡単に触れています。つまり、人間が生きるために必要な血液中の水分、塩分、糖分、蛋白質、ビタミンなど、人が考えて欲する欲求というレベルよりも、身体機能として無意識に欲するレベルまで考えています。そして、このように細胞レベルまで掘り下げて考えていけることも含めると『生理的欲求についてリストをつくることは、無益であると同時に不可能でもあるように思われる』と述べています。いくらでも望むだけのリストが作れてしまうからです。)
生理的欲求が比較的よく満足されると、次いで、新しい一組の欲求が出現することになる。大まかに安全の欲求と範疇化できるものである。(安全、安定、依存、保護、恐怖・不安・混乱からの自由、構造・秩序・法・制限を求める欲求、保護の強固さなど)
有機体は、この欲求によって生理的欲求と同じくらいに支配される。飢餓状態にある人の場合と同様、安全を求める欲求が、世界観や哲学を決定する強い力になるばかりではなく、未来に対する考え方や価値に対しても強力な決定因となっているのである。実際、安全と保護以外に重要なものは何もないように思われるのである。
我々の文化(50、60年代前後のアメリカ)における健全で幸運な大人は、安全の欲求に関して満足を得ている場合が多い。平和で円滑に物事が運ぶ安定した良い社会では通常、そのメンバーは危険な野獣、気温の両極端、違法な襲撃、殺人、無秩序、暴政などを経験せず、充分安全を感じている。したがって、真の意味での安全欲求は、実際の動機づけとしては存在しないのである。
安全欲求をはっきりと見たい場合には、神経症かそれに近い人、経済的社会的劣敗者、または社会的無秩序、革命、社会的権威や法律の崩壊などを観察する必要がある。
こういった両極端の中間では、安定した仕事の確保、貯蓄や保険に対する願望などの現象だけに安全欲求の現れを認めることができる。また、世の中での安全性や安定性を求める様子から、宗教や世界観、また科学や哲学も部分的には安全欲求により動機づけられているものとしてあげられる。
より高い欲求から安全欲求の方を求めて逆行する場合もある。戦争や暴動などにより安全が脅かされたである。この際には、多くのひとが危険に対して反応し自らの防衛に備え、簡単に独裁者や軍部の支配を受け入れてしまう。
生理的欲求と安全の欲求の両方が十分に満たされると、愛と愛情そして所属の欲求が現れてくる。飢餓状態であった時には、愛などは非現実的で不必要で取るに足らぬことと軽蔑していたことさえ忘れて、孤独、追放、拒否、寄る辺のないこと、根なし草であることなどの痛恨をひどく感じることになる。
人間社会で、この欲求が妨害されることが、不適応やさらに重度の病理の最も一般的な原因となっている。愛と愛情は、その性的表現と同じように、一般に両価性(愛と反対の憎しみ)を持つとみなされ、多くの制限や禁止で束縛されている。
注意しなければならない点は、愛とは性とは同義語ではないということである。性は純粋に生理的欲求として研究される。通常、性的行動は色々な要因により決定されるのであり、すなわち性的欲求だけではなく、他の欲求によっても決定され、その主なものが愛と愛情の欲求である。
また、愛の欲求は、受ける愛と与える愛の両方を含むという事実も見落としてはならない。
我々の社会では、全ての人々が安定したしっかりした根拠を持つ自己に対する高い評価、自己尊厳、あるいは自尊心、他者からの承認などに対する欲求・願望をもっている。
これらの欲求は、二分することが出来る。
第一に、強さ、達成、適切さ、熟達と能力、世の中を前にしての自信、独立と自由などに対する願望がある。
第二に、(他者から受ける尊敬とか承認を意味する)評判とか信望、地位、名声と栄光、優越、承認、注意、重視、威信、評価などに対する願望と呼べるものがある。
自尊心の欲求を充足することは、自信、有用性、強さ、能力、適切さなどの感情や、世の中で役に立ち必要とされるなどの感情をもたらす。
しかし逆にこれらの欲求が妨害されると、劣等感、弱さ、無力感などの感情が生じる。これらの感情は、根底的失望か、さもなければ補償的・神経症的傾向を引き起こすことになる。重症の外傷神経症の研究を見れば、基本的自信が如何に必要であるか、それを持たない人間がいかに無力か、容易に理解することが出来るのである。
上述の欲求すべてがみたされたとしても、人は、自分に適していることをしていない限り、すぐに(いつもではないにしても)新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる。自分自身、最高に平穏であろうとするなら、音楽家は音楽をつくり、美術家は絵を描き、詩人は詩を書いていなければならない。
人は、自分がなりうるものにならなければならない。人は、自分の本性に忠実でなければならない。この欲求を自己実現の欲求と呼ぶことが出来るであろう。
この欲求は通常、生理的欲求、安全欲求、愛の欲求、承認の欲求が先だって満足された場合に、それを基礎にしてはっきりと出現するのである。
これは、マズロー以前の心理学が不健康なひとを対象に研究しており、健康な人のためには役に立たない。いい社会、イイ人を目指すマズローにとっては、自己実現者の研究が欠かせないと考えたようです。
転職成功のために、最も大切なことは自己アピールです。
この講座では、転職成功のために自己アピールにフォーカスした、今までのところ唯一の講座だと思います。
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