「人間性の心理学」
改訂新版
A.H.マズロー著、小口忠彦訳、産業能率大学出版部
A.H.マズロー著、小口忠彦訳、産業能率大学出版部
世間で「自己実現」の言葉を知らない人はいないくらい有名ですが、自己実現している人がどのようなひとなのか、理解している方は多くないと思います。
ここでは、マズローの中では最も新しい(最後の)著書『人間性の心理学』[改訂新版]から、マズローの考えた自己実現者の特徴について、まとめたいと思います。
自己実現者の特徴の前に、その特徴をどのようにまとめたかという研究の方法論について、少し触れます。
マズローは、自己実現者を「大まかに、才能や能力、潜在能力などを十分に用い、また開拓していること」として被験者を選別しました。また、「安全や所属、愛、尊敬、自己尊重など基本的な欲求と、知識や理解を求める認知的な欲求が満たされていること、あるいはこのような欲求が克服されていること」も条件として、被験者を選んでいます。
「自己実現者の研究の被験者として適切かどうかは「反復法」を用いて選別を繰り返した。一般的な定義によって被験者を選別して臨床的に研究し、この経験的研究に基づいて定義を訂正する。その訂正された定義を用いて、再度被験者を選別し臨床研究を行い、訂正され洗練していき、より科学的なものとした」と述べています。300名の大学生のうち使える被験者は1名しか残らなかったそうです。
そのようにして、可能な限り科学的な態度を保ちながら、マズロー当時の人物で14名(部分的症例5名を含む)。それ以外には歴史上の人物なども加えるなどして「自己実現」について研究をまとめました。
それでも、マズローはこの研究は「方法論的には欠けるところがある」と認めており、多少の間違いを含んでいたとしても、間違いは訂正することを期待して、この研究を発表することが心理学に有用である、という勇気ある態度で述べています。
(反ユダヤ主義が台頭する時代に、ユダヤ人の名前から米国人風に改名するように、何度も言われたそうですが、頑として断り、自分のユダヤ人としての誇りを守った人です。勇気のある人物ですね。)
本著はマズローの代表作ですが、これすらを読まずに「マズローの欲求5段階説は間違っている。不十分だ。多すぎる。科学的ではない。。」等々の批判を多く見ます。またYouTube動画などで話されている人たちも、私の見た限り、ほぼ読んでおらず、もしくはかなり浅い理解です。マズローは欲求が五段階だとも言っていませんし、科学的に研究をしようと努力はしていても、方法論的に十分でないことも認め、誤りの訂正を望んでいます。
多くの人が知っている「自己実現」ですが、だからこそ、このように誤った情報が広がる残念な状況になったとも言えるかも知れませんが。。。
最も重視する特徴が「無邪気な目」を持った人です。他人を正しく判断する能力で、不正などを即座に見抜く能力です。
隠れた混乱した実体を他の人々より素早く、しかも正確に読み取ることができる。
未知なもの、神秘的なものにおびえたりせず、あるがままに受け止めることができる。
「無邪気な目」(ハーバート・リード)を持つ
普通の人であれば、混乱した訳の分からない状況や物事はパニックになるかも知れませんが、「健康なひと」(自己実現者)にとっては、楽しく刺激的な挑戦に思えるようです。
どんな人もあるがままに自然体で受け容れることができます。
自身の欠点を認め、理想の姿とは食い違っていることを承知しながらも、あるがままを受け入れることができる。
子供が無邪気な目で、自然を自然のままに無条件に受け入れるのと同じ精神で受け入れることができる。
現実をあるがままに見るので、そうあって欲しい、というような姿としては見ない。
低次のレベルの欲求はもちろん、愛、安全、所属、自尊心などすべてのレベルで自分自身を受容することが出来る。
自分の欠点とさえ快適に共存して生きていける。
一般の人ならば、「こうだったら良いのに。。」「こんなことは恥ずかしい」「勉強していないのがバレる」など、自分の「今の姿」と「理想の姿」のギャップに、防衛、見せかけ、攻撃、恥じる、罪の意識などを感じてしまう。しかし、自己実現者は、あるがままを受け入れる器があるのです。
因襲にとらわれずに、本質的なことに対して、自然に、自発的に動くことが出来ます。
単純さや自然さに特徴があり、気取りや何らかの効果を狙って緊張することがない。
因襲にとらわれないのは、本質的あるいは内面的なので、表面的に周囲のために慣習に合わせることができる。
その慣習の尊重は、軽く肩にかけられたマントのようなもの。直ぐに投げ捨てられる。
慣習ではなく真の倫理的な行動を取るため、時として外国のスパイか異邦人のように思われることもある。
非自己実現者は欠乏動機によって動くが、自己実現者は自らがより一層完全に発展しようとする。
自己実現者にとって、何かをする動機づけとは、人格の成長、性格の表現、成熟、発展であるとされています。周囲や欠乏による動機づけではなく、心の底から湧き上がるような“為すべきことを成す”状態の人のことです。
何をすべきかという課題に集中します。ドラッカーの言う「自身のミッション」を理解し、それに従って生きる人です。
自分自身以外の問題に強く心を集中させる。
自分のことで気をもんだりしない
人生において何らかの使命や、達成すべき任務、自身の問題ではない課題をもっていて、多くのエネルギーをそれに注いでいる。
好きで選んだ「したいと思う」仕事ではなく、自分の責任、義務、責務と感じている「なさねばならない」仕事であったりする。
自己本位のものでなく、人類一般、国家一般の利益、家族の人々のために働く。
準拠枠が大きく、ちっぽけでないこと、けちくさくない。
目先の些末なことにとらわれず、大きな視点で物事に取り組む人なので、交際する全ての人にとっても過ごしやすい人であるという特徴があります。
孤独を好む人が多いようです。それ故、時として誤解を生むこともあるようです。
独りで居ても傷ついたり不安になることはない
孤独やプライバシーを好む
不運に見舞われても、心穏やかに超然としていられる。
課題中心的であるので、考えれないくらいの集中力を持つ。その副産物として、外部環境の事を忘れたり、ぼんやりすることもある。
重大な責任を負っている時でも、熟睡でき、食欲を乱されず、笑いを保つことが出来る。
超越性を持つ人は、普通の意味での他者、友人を必要としないので、社会生活では面倒を引き起こすことがある。
超越性は、平均的な人々にはたやすく受け入れられない。
自己実現者には、周囲のことや人々、慣習などに影響を受けずに、「自由な意思」で行動するという特徴があります。
周囲の環境の影響を受けにくい人。自分の内面の成長を重視しています。
物理的環境や社会環境から独立している。
成長によって動機づけられているため、満足や良き生活を決めるものは、内なる個人であり、他者や社会的なものではない。
他の人々が与えてくれる名誉、地位、報酬、人気、名声、愛などは、それほど重要ではない。
自律性として、このような特徴を示しますが、そこに至るまでには、自己実現以外の低次の欲求を満たした経験があるという点は見過ごせません。一足飛びにこのような自己実現者のレベルには到達できないようです。
一般の人々以上に、新鮮さ、驚きを感じられる心を持っています。
人生の基本的なものごとについて、何度も新鮮に、純真に、畏敬や喜び、驚きや恍惚感さえもって認識したり味わったりすることが出来る。
日常の平凡な一瞬一瞬の暮らしのための仕事でさえも、ワクワクする、面白くてたまらない、我を忘れさせるもの。
しかし、これらはいつもというよりは、時折のことで、渡し船で10回川を渡った人が、11回目に初めて乗った時のような感情、美的印象、興奮が再現するのを感じることもある。
主観的経験が非常に豊かである。
ものごとを新鮮にありのままに認識できるため、一般の人によくある「失ってはじめてその大切さに気付く」ということがないのだろう。大切なものは、何十年経っていても大切なものと認識できるからです。
自己実現者は、「至高経験」Peak Experienceを多くの場合経験している。至高経験とは、宗教とは無関係で、例えば最も幸福な瞬間、恍惚、歓喜、至福や最高の喜びの経験を総括したものです。
神秘的経験、至高体験は、ほとんどの自己実現者が経験している。
至高経験を、性的オルガズムによる表現「力強く、同時に無力の感じで、偉大なる恍惚感と驚きと畏敬の感じ」等で表現する人が多かった。
超越した至高体験のある自己実現者は、詩人、音楽家、哲学者、宗教家であることが多い。
超自然的なことや宗教から切り離して科学的に考えると、量の差があるものの、ほとんどの自己実現者は至高体験をしているのが特徴です。
心理学者アルフレッド・アドラーが指摘した「共同社会感情」を強く持つ。全体の一部であり、全体とともに生きている実感を持ちます。
自己実現者が人類についての感じ方の唯一の表現。
人類一般に対して、いらだったり、嫌気がさしたりするにもかかわらず、同一視したり愛情を持っている。
兄弟姉妹がどんな人であろうとも、愛情に満ちたものであると同じように、人類に対して愛情や同一感を思える。
平均的な一般人は、自己実現者にとっては厄介なものであっても、家族のように身内意識を感じるのが特徴です。
少数ですが深い人間関係を築きます。
他のどんな大人よりも心の広い深い対人関係を持っている。
他者にとけこむことができ、愛し、完全に同一視し、自我の境界を取り去ることが出来る。
自分のような自己実現に近いものしか対象としていないため、対象は少数に限られる。
少数に限られた深い結びつきを持つのが特徴ですが、それ以外の人とのかかわりでも、親切で感じの良く、優雅に避けて通ることが出来るようです。
階級、教育、政治信念、人種にかかわらず、誰とでも親しくできる。
マズローの被験者(自己実現者)は例外なく最も深遠な意味で民主的な人々である。
階級、教育程度、政治信念、人種や肌の色などに関係なく親しく出来る。
自分の持っていない技術や知識を持っている人に対して、どんな人であろうとも尊敬する。
マズローは権威主義者と民主的性格構造の分析を行い、民主的性格についてはかなり調べた結果として、自己実現者が「例外なく最も深遠な意味で民主的な人々」と述べており、全員が持つ特徴のようです。
正邪、善悪を区別する倫理観を持ち、手段と目的を区別して目的を重視します。
非常に倫理的で、はっきりとした道徳基準を持っていて、正しいことを行い、間違ったことはしない。
手段よりも目的の方に引き付けられる。
しかし、目的地に到着することと同様に、その過程そのものを楽しむことが出来る。
目的志向であるが、同時に過程も楽しめる。しかも単純作業の中にも、遊びや楽しみを見つけられるそうです。
世間でよくある優越感や権威に対するユーモアではなく、諺や寓話のような蘊蓄のあるユーモアのセンスを持ちます。
マズローの被験者全てに該当する特徴だった。
思慮深く、哲学に類似する「真の意味のユーモア」。
人間がばかげている時、宇宙における自分の位置を忘れている時、実際にはちっぽけなくせに偉そうにふるまおうとする時に、それをからかおうとする。
ここで言うユーモアは、人を傷つけることなく、心地よい形の教育のようなものです。
マズローが重視したのが創造性です。自己実現者は例外なく特殊な創造性、独創性を持つとのこと。子供の時に創造性を持っていても、社会化される中で失われるのが普通です。これを持ち続けるのか、もしくはその能力を回復させるのが自己実現者。回復して獲得した場合には「第二の純真さ」(サンタヤナ)と呼びました。
マズローの被験者全てに該当する特徴だった。
独特の性質を持つ特殊な創造性、独創性、発明の才を持つ。
歪んでいない健康な子供の天真爛漫で普遍的な創造性と同類。
詩や本を書くとか、作曲する、芸術作品を作る、という普通の形の創造性ではない。
普通より自発的で自然で人間的であり、結果として他の人々にとっては創造的と思える。
マズローは「自己実現者」「健康なひと」の研究が目的なので、天才と言えるような創造的な人物は研究対象外にしています。天才は、生まれながらにして人並外れた才能を持つ人だから、低次の欲求から満たして自己実現に至る人物の研究としてはふさわしくないと考えたようです。
マズローは、創造性と自己実現はほぼ同じ意味と考えていたようです。
自己実現者は、社会の法則ではなく、自身の法則に支配されている点で超越的です。
住んでいる文化に(否定的な意味で)適応せずに、ある種の内面的な超越を保持している。
文化に適応していないが、主要な関心事ではないので大部分を寛大に受け入れている。
社会の慣習に従うことがやっかいだったり、高価なものにつく場合には、あっさりとマントのように脱ぎ捨てる。
知的で世界を良くするために大切なことをしているので、(反ナチ地下組織のような)無謀な効果のない戦いには反対する。
文化を拒否して外側から戦うよりも、内側から文化を良くするために、受容的で穏やかで気さくに日々努力することを選ぶ。
文化から超越しているので、見慣れたものや慣習的なものを必要とする度合いが平均より少ない。
自己実現者は、自律的であって社会の規則から超越し、自分自身の性格の法則というものによって支配される。
アメリカに居てアメリカ文化の影響を受けながらも、内的自律性と外的受容性を複雑に組み合わせて、なんとか健康(自己実現的)であり続けている。これは、アメリカが、その文化と同一化せずにいるひとを受け入れる寛容さがある点も、同時に指摘しています。
自己実現者というと完璧な人間のように思う人がほとんどだと思いますが、マズローは、そのようなひとでも欠点もある人だし、かんしゃくを起こすこともあると述べています。
小説家や詩人が、よい(健康=自己実現者や近い人)人々を描写する際に、欠点もなく、世俗的な欲望も持たないように、美化しすぎると指摘しています。
実際には、そのような健康なひとたちも、ちょっとした欠点を持っているそうです。
このような人々でも、罪悪感、不安、悲しみ、自己を責めること、内的闘争、葛藤などは避けて通ることが出来ない。「完全な人間など存在しないのである!」とマズローは強調して書いています。同時に、そのような人たちの人間性(人間くささ)に幻滅することがないように、幻想を捨てるように、とも警告しています。
絶望的な人間と心理的に健康な人間では、その主義や価値観が、少なくともいくつかの点で異なっています。
*基本的に何かの欠けている人にとっては、世界は危険なところ。価値体系は、欠乏欲求からのものであり、低次の欲求によって支配されている。
*健康な人にとっては、彼らの欲求と満足を当然のものと考え、より高次の欲求の満足に向けて没頭することが出来る。
自己実現者の価値体系の頂上に位置するものは、全く唯一無比で、得意な性格構造を表す。それは自己実現は、自己を実現することであるから、二人の自己が全く同一であることはあり得ないことからも分かるでしょう。
自己実現者の研究から導かれる非常に重要な理論的結論の一般化として、「両極性、対立性、二分性などと考えられてきたことが、実は不健康なひとについてのみそうなのである」と結論されたと述べています。
その理由は、すべてが調和状態にあるからです。自己実現の中で目指すのは、自己の実現ですが、それは利己的なことではなく、目指すのは人類全体や社会全体に対してより良くしようとすることです。
つまり、あらゆる行為が利己的であり、同時に利己的ではなく二分性は消失している。そして、義務が喜びであり、仕事が遊びになる。
「健康な人々は、程度においても種類においても平均的な人とは非常に異なっているので、全く異質な二種類の心理学を醸しだす。自己実現者の研究は、よりいっそう普遍的な心理学の科学の基礎とならなければならない。」
これは、マズロー以前の心理学が不健康なひとを対象に研究しており、健康な人のためには役に立たない。いい社会、イイ人を目指すマズローにとっては、自己実現者の研究が欠かせないと考えたようです。
転職成功のために、最も大切なことは自己アピールです。
この講座では、転職成功のために自己アピールにフォーカスした、今までのところ唯一の講座だと思います。
あなたのお役に立てるよう考えて作りましたので、是非ご覧ください。
力動(りきどう)とは、正しくは精神力動(せいしんりきどう / psychodynamics)といい、心の営みが生み出す力と力が織りなしていく動きのことをいいます。どのような人でも、葛藤や否認など、いくつもの心の動きを何重にもかさねながら、精神力動連続性の原理という法則にしたがって、毎日の生活を精神的に生きています。
たとえば、あなたが、あまりにもいろいろなことを考えなければならなくて、頭がいっぱいになり、身動きが取れなくなっているとしましょう。まず一歩を踏み出そうと思っても、どこへ向かって歩き始めればわからない、ひきこもりのような状態です。そのとき、外からあなたを見ている人は、あなたをひきこもっているばかりで動かない暇な人だと考えるかもしれませんが、あなたは頭の中、すなわち心の中は忙しく回転しています。CPU稼働率100%で画面がフリーズしているパソコンのような状態です。
このような状態は、たとえば「社会的には忙しくないかもしれないが、力動的には忙しい」と表現できます。
力動は、もともとはフロイトが提唱した精神分析の考え方から出てきた概念ですが、ユングを経て、のちに力動を注目して、これを発展させた力動精神医学で、もっと深く研究されるようになりました。
引用元)JUST「力動」とは https://www.just.or.jp/
心的事象を原因と結果の連鎖とみなし,原因に重点をおきながら全体を力動的にとらえ,体系的に解明しようとする心理学の総称。
一般的に,心的事象をその意識内容や要素に分解することを主張する精神静力学 psychostaticsに対して,心的事象をその発生原因とその変容過程としてとらえ,しかもその本質を動的平衡の維持という観点から理解しようとする立場を精神動力学 psychodynamicsというが,この分類に従えば力動的心理学は後者に属する。
このように広義に解すれば機能心理学やゲシュタルト心理学,場理論などもこれに含まれるが,狭義には動機づけを理論の中核とする心理学をさし,よく知られている心理学派として S.フロイトに始る精神分析学,W.マクドゥーガルのホルメ心理学,R.S.ウッドワースの動的心理学などが含まれる。
出典)ブリタニカ国際大百科事典 https://kotobank.jp/dictionary/britannica/