「完全なる経営」
A.H.マズロー著、金井壽宏監訳、大川修二訳、日本経済新聞社
A.H.マズロー著、金井壽宏監訳、大川修二訳、日本経済新聞社
マズローが唯一経営についてまとめた著書「完全なる経営」(MASLOW ON MANAGEMENT)ですが、500ページ以上の難解な書で、なかなか読めるような代物ではありません。この本の監訳者である金井壽宏先生の解説が、この本をとても分かりやすくまとめてありますので、ここでは、さらにその中のエッセンスをご紹介します。
自己実現だけは、本人以外のひとが「これがお前の自己実現だ」と外からは定義できない。
他の欲求(生理的、安全などの欲求)については、ある程度の答えがあるが、自己実現だけはない。
マズローの自己実現の定義「自分がなしうる最大限の事をしていること」そして、している(doing)よりも自分の存在にかかわっている(being)にかかわるという点で、全面的に自分らしくなっている状態を指す。
ユングの言う“個性化”、“自己実現”とは、自分の好きなことをするかのように誤解されることが多く、『自分の存在の中から湧き上がってくることを実現するのですから、、』
現代の学生は(マズローの言う下位の基本的欲求は)そうとう満たされているために、ユングの言うように青年期から恐ろしい自己実現の動きが潜在的に動き出している。そして、それにつかまると何もできなくなる。『単位?なんのため?』『就職?何ですか?』。。。つまり、普通の学生が目標にしていることが、全部(人生の)目的でないことが分かってしまう。そうなると無気力になってしまう。
マズローが1954年に出版するまでは、心理学の二大勢力とは、アメリカ生まれの行動主義と、フロイトがヨーロッパで始めた精神分析であった。
マズローも当初は、行動主義心理学の影響を強く受け、人間も動物の一種であると考える立場から、イヌやサルの研究からスタートした。1934年にウィスコンシン大学でPh.D.取得。
1930年代後半ニューヨークに戻り、ブルックリン・カレッジで教授となる。当時30~40代の時期にナチスが台頭したためヨーロッパから多数の学者がニューヨークに集まり刺激を受けた。文化人類学者のルース・ベネディクト(『菊と刀』の著者)、アルフレッド・アドラーなど。
その後、新フロイト主義の発想をフロムから学び、マズローは心の問題を実際には扱わない行動主義(心理学の第一勢力)から離れていく。無意識を含む心の問題を深くとらえたフロイト派の精神分析とも異なるアプローチは、カール・ロジャースとともに、「心理学第三勢力」「人間主義的心理学」とも呼ばれるようになった。
マズローは人間の問題を要素還元的な見方を排し、全体論的(ホーリスティック)、有機体論的に捉える。つまり、問題を細切れにして原因を追究するような考え方をやめて、人間を置かれている環境も含めて、あるがままに全体的に見る立場で研究を行った。
マズローは、健全な人間の発達の問題を、健全な社会の発展と結び付けて論じることを目指した。全体論的に個人の存在を受け止めることから、その存在を囲む社会の中で捉えるところまで発展した。そのため、心理学だから個人にとどまるという線引きをしていない。「いい人間とは何かを問うなら、あわせて、いい社会とは何かを問いたい」
この考え方から、社会と人間との関係性を、よりミクロな社会としての組織、つまり会社と人間の関係性と捉えることとなり、マズローの心理学は経営学に接近することになる。
「いいひととは、自己実現して精神的に健康なひとであり、いい社会とは、精神的に健康なひとが育ちやすい成長の場」であるとの立場なので、社会全体は研究対象としては大きすぎるため、社会の具体的な一つの形としての会社(経営)が研究の対象になった。
仕事とは「社会と通じる窓」であり、会社とは、そこで働くひとが成長・発達する場でありうる。大半の社会人が会社という組織で多くの時間を費やしていることを考えれば、「いい社会とは何か」という問いを、より具体的に進めて「いい組織体(会社)の特徴とは何か」という経営学の問いにたどり着く。
一方、経営学からもマズローを発見している。経営学は有名なX理論、Y理論のマグレガーがマズローを発見している。そして両者が出会い、この「完全なる経営」でも何度もマグレガーの理論が引用されている。
マズロー自身も、進歩的な経営者にマズローの考え方が影響を与えていることに気づき、経営学の発見だけではなく、経営という現象も研究の対象になった。