昭和14(1939)年
明治憲法に於て信教の自由が認められてい乍ら独り基督教に対しては徳川以来の偏見尚上下国民の間から抜けきれないものが多かった。明治三十二年以来三度宗教法案が制定制定されようとして成らなかったが、昨年から宗教団体法として審議されていたものが、貴衆両院を通過し基督教に対する取扱と神社の地位が明確にされた事は一進歩であった。
その第一条に於て「本法に於て宗教団体法とは神道教派、仏教宗派及基督教其の他の教団並に寺院教会をいう」とあって、神社は宗教に非ずとして内務省神社局の所管となった。当時神道十三派千七百六十七万の信徒、仏教は五十六派四千二百二十五万の檀信徒を擁していたのに対し、基督教徒は僅か三十二万であるのに同等に教団として取扱われる様になったと一部の人々は喜び、或は責任重大なりといった。
今年は又プロテスタント基督教が最初の宣教師を日本に送った安政六年から八十年になるので、十一月三日東京青山学院に於て全国信徒大会が行われた。