大正14(1925)年2月25日、東芦屋の今井安太郎氏邸に於て芦屋教会設立委員会を開き、長谷川敞氏を主任者とし、之を扶ける十名の委員を選んだ。
組合教会本部 西尾幸太郎氏、高木貞衛氏
兵庫部会 森山寅之助氏、原田確次郎氏
大阪部会 芹野与太郎氏、幸川源十氏
芦屋在住教師 木村清松氏
芦屋在住信徒 今井安太郎氏、船橋福松氏、岡巍氏 (木村氏の外全部故人)
山に上り、木をたずさえきて殿をたてよ
さすれば我れ、これを喜び又
栄光をうけん エホバこれを言う。 ハガイ書1章8節
あげられた十名の創立委員が協議した第一の事はどこで伝道を初めようかではなく、どこにどうして会堂をたてようかという事であった。長谷川牧師の持論は全委員を動かし、五名の会堂建築委員(委員長西尾幸太郎氏、委員は長谷川牧師と今井、船橋、岡の三氏)をまずあげる事になった。が、第一回委員会を開いて一ヶ月もたたぬ間に基礎工事に着手する様になったは奇蹟に近いことである。
3月18日 精道村芦屋山角1,106番地161坪を地主猿丸氏より借受ける。
3月21日 地ならし工事着手
設計 糸崎周一氏
施工 浜口組 浜口勇吉氏
4月11日 定礎式
4月29日 棟上式
6月30日 着工
7月30日 献堂式
工事は極めて順調に進み、僅か八十一日を以て完了したが、建築費の募金は決して容易ではなかった。一人の信徒もない所から発足したのであるからら他に凡てを仰がねばならない。全く神目あての冒険事業である。
最初の三分の一は創立委員諸氏が卒先献げ、更に三分の二は委員一同で募金しようというのであるから、委員諸氏の犠牲と労苦を想う時に、その熱心は壮とするも並大抵のことではなかった。が実際には長谷川牧師が外部募金に独力奔走され、個人的に応援教会席上献金等を集められた。その時の献金には、募る者、献げる者両方に我らの献金精神を奮いたたしめる尊い美談佳話が幾つも生み出された事をきいている。
献堂式当日委員岡巍氏の報告によると、
個人献金 123口 9,287円
団体献金 10口 291円
席上献金 11口 292円
売上益金その他 209円
合計 10,079円
支出合計 11,594円
収支差引一千五百余円を不足しているが、これは更に募金活動を続け、傍ら音楽会、バザー等によって皆済したい希望であると附言してある。何れにしても募金の進捗の度の奇蹟的に早いのに驚かざるを得ない。
献堂式は大正14年7月30日午後9時執行された。一人の信徒もいない時に二百名を容るる会堂が建った。感謝であり感激である。主よ一日も早くこの堂を救わるべき魂を以て満し給えとの祈りが次に続く祈りであった。当日の来会者は一九二名と報告されたが、その出発から恵まれ祝福された門出であった。芦屋開拓伝道の幻と抱負とが献堂報告書の後にかかげてあるが、郊外伝道への決意が見えている。