昭和十三(1938)年
上半期の諸集会成績は概して良好であったが、七月数回に亘って襲った阪神間の大洪水による被害は、十余年後まで惨状をとどめた程のものであったので後半期はやや低下した。幸い会堂は前年改修の際土地を三尺ほど高く地上げをしておいた為、水による被害は少なかったが、数日間は浮城の様に孤立していたK。地上げを計画してこの様な時の為に備をされた方々に感謝を献げたい。
会員の被害状態は、破壊流失二、床上浸水一四、床面浸水九、居住不能四となっており、庭先まで水を見たのは全部であった。
支那事変は段々拡大して、会員中にも召集される者があった。慰問袋を一七五個送ったり、志村卯三郎牧師が現地招聘慰問に行かれるのをねぎらったり、戦時色は教会の中にも色々な形で反映している。