たぶちむすびの
「キリスト教学」
その3
その3
第二十五回 初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いて 福音書の記事の流れ
前回で最初の三つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、共観福音書)が、イエスの出来事を同じ時間の流れで記している、とご紹介しましたが、ではどんな流れなのでしょうか。そのことを考えるにあたって、一つ注意しなければならないのは、福音書はイエスの伝記ではない、ということです。つまりイエスが生まれてから死ぬまで、その人生の各段階を追うというものではないのです。確かに福音書の記事を大まかに考えると、(1)イエスの誕生、(2)イエスの宗教(伝道)活動、(3)イエスの死と復活 という三つの部分からなっていますが、三福音書がすべて同じというわけではなく、文字通り三者三様、それぞれかなり異なっています。最初に福音書というものを記したマルコは、実は(1)については記してはいません。(2)、(3)のみです。じゃあマタイとルカは(1)から始まりますが、それぞれその内容は全く異なっています。クリスマスになるとキリスト教の幼稚園や学校などではイエスの誕生のお芝居(ページェント)をしますが、それは(a) イエスの誕生の預言(天使ガブリエルがイエスの母となるマリアのもとにきてイエスの受胎を告げる=受胎告知)、(b) ヨセフとマリアのベツレヘムへの旅、(c) 馬小屋(という言葉は聖書にはありません)でのイエスの誕生(赤ちゃんイエスが飼葉おけに寝かされたから、その場所は馬小屋だろうということですね)、(d) 荒野で野宿している羊飼いたちに天使がイエスの誕生を伝える、(e) 羊飼いたちの礼拝、(f) 星に導かれて東から来た三人(という数字は聖書にはありません)がエルサレムのヘロデ王のもとに来て、新しいユダヤ人の王の誕生について尋ねる、(g) それがベツレヘムであるということを知らされて博士たちはイエスのもとを訪れ、黄金、乳香、没薬という贈り物をする(三つの贈り物を一人が一つずつ持ってきたと考えられて、博士たちは三人だと考えられ、それぞれアフリカ、アジア、ヨーロッパから来たという伝説やそれぞれの名前(メルキオール、バルタザール、カスパール)まで伝説として伝えられています)、(h) 博士たちはヘロデのもとにイエスのことを報告しないで帰国してしまう、(i) ヘロデがイエスの生まれたベツレヘム周辺の三歳以下の男児を虐殺する、(j) その危険を察知したイエスの父ヨセフ、母マリア、そしてイエス自身はエジプトに逃れる、という内容になりますが、さすがにクリスマスはお祝いのときですから(i) (j)の部分はカットされています。ちなみに(またか!) あの幻想交響曲を作曲したベルリオーズというフランスの作曲家が、このイエスの誕生ものがたりを題材として「宗教的三部作 キリストの幼児」という作品を書いていますが、そこには(i) (j)もきちんと含まれています。私が関西学院大学文学の礼拝でその作品を紹介し、(i)の部分の音楽を流したら、同僚のアメリカ人宣教師の女性がチャペル室から出て行ってしまいました。こんな曲はクリスマスにふさわしくない、聴いていられない、ということだったのでしょう)。いつものように(?)お話がどんどんそれてしまいましたが、今の問題はマタイ、マルコ、ルカの三つのf福音書は「共観」と言われるけれど、実は三者三様だということなのですが、このクリスマス物語で言うと、マルコにはそもそもイエスの誕生物語はない、マタイは(f)から(j)までを、ルカは(a)から(e)までしか記していません、ということは例のクリスマスページェントはマタイとルカのイエスの誕生物語を無理やりくっつけたもの、ということなのです。では何が「共観」なのかというと、(2)、(3)の部分の展開が基本的に同じということなのです。一つ興味深いのはマタイによる福音書の3章1節の書き出しが「そのころ」となっていますが、この「その」がさしている時代は直前の2章23節のころではなく、それから30年以上たってからのことです。つまり2章と3章の間には30年以上の時間が経過しているのです。なぜ30年という数字が出て来るのかというと、イエスが彼の宗教的な活動を行ったのは30歳になってから、十字架上で殺されたのが33歳ぐらいと「推定」されているからです。ということはイエスがどのような青少年期を過ごしたかについては、まったくその資料などはほとんど存在せず(古代においてはそれに関する史料が存在していたといわれますが)、ということで福音書はイエスの伝記にはならない、最後の3年間ぐらいの活動の記録でしかないのです。その3年間のイエスの宗教活動、この時代を「公生涯」と呼びますが、の活動の大まかな動きが、三つの福音書に共通しています。まずヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受ける(遠藤周作氏の推論では、イエスはこの儀式によってヨハネ(ヨハネ福音書のヨハネとは別人)の教団の一員、弟子となったとされています)、その後荒野で悪魔の誘惑を受ける、そして独自の宣教活動を開始、まず北部のガリラヤ地方を中心とするのですが、イエス自身が「ナザレのイエス」(ヨハネによる福音書18章5節、使徒言行録10章38節)と呼ばれるように、彼の出身地と思われるナザレという町がガリラヤにあり、まずは彼のホームグランドで活動を始めたようですね。その地方のガリラヤ湖で漁師をしていたペトロ、ヤコブ、ヨハネたちを弟子にする。細かく書くときりがないので詳しくは福音書をお読みください。そのガリラヤ湖上や湖の反対側で奇跡を起こしたりします。そのガリラヤでの活動の時期(この時期を「ガリラヤの春」とも言われています)の終わりごろ、キリスト教にとって決定的な意味を持つ事件が起こります。それはイエスと弟子たちがガリラヤよりさらに北にあるフィリポ・カイザリアという場所に来た時に、イエスは弟子たちに(先にも紹介した)「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(マタイによる福音書16章15節)と尋ねますが、それにこたえてペトロという弟子が「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイによる福音書16章16節)と答えるのですが、1954年に出版された口語訳聖書の翻訳では「あなたこそ生ける神の子キリストです」となっており(なぜか新共同訳という聖書はギリシャ語のキリストという言葉をメシヤと訳しているのです)、まさにあなた(イエス)こそキリストだ、という信仰告白がここでなされる、つまりキリスト教の基本的な信仰告白がここでなされ、キリスト教信仰の萌芽がここに見られるのです。その後イエスはガリラヤを去って南のユダヤ地域に移り、エルサレムを目指して歩み始めます。こちらでも奇跡をおこなったりしながらやがてエルサレムに入城、その後エルサレム神殿周辺でユダヤ教の指導者たちと議論をしなりしながら、やがて物語は(3)に移ります。つまりイエスの十字架への歩みです。その記事についてはまた後でご紹介することにして、イエスはユダヤ人総督ピラトから死刑の判決を受け、処刑されてしまいます。ところが実はヨハネによる福音書も含めて(4)の物語が続きます、イエスの復活です。そんなことがあるのかどうか、という議論もまた改めてお話しますが、このような福音書の物語の展開をみていると、おそらく福音書記者というか最初期のキリスト教会にとっては(4)の物語が一番重要だったようで、それに関連して(3)が語られ、さらに(2)も記録されていたのですが、どうも(1)つまりイエスの誕生物語はそれほど重要な意味を持たなかったのかもしれません。キリスト教の歴史から見ると、イエスの誕生というかクリスマスの祝祭が行われるようになったのは、しかも今のように12月25日を中心として、というのは紀元後4世紀ごろからのようで、キリスト教がローマ帝国の国教にされていくなかで、ちょうどローマで祝われていた冬至の祭り(義の太陽の祭り)と重ねて祝われるようになったと言われます。それよりもイエスの復活が信仰の核心だったのです。このようなイエスの公生涯の活動の枠組みのなかに、マタイやルカはそれぞれ自分のデータを配列して(例えばマタイなら山上の説教:マタイによる福音書5~7章、平地の説教:ルカによる福音書6章17節~49節)それぞれの特徴的な福音書を仕上げていったのです。今回のお話は、少しごちゃごちゃしてしまいましたね、すみません。
第二十六回 イエスの教えの基本 神の国は近づいた
どうも私のお話は、例えば福音書にしてもその形や作りに興味があって、その内容についてなかなか触れてこなかったようです。そんなお話の仕方をするのは、何よりもみなさんがご自身で福音書を読んで、知っていただきたいからですが(やや無責任ですね?)、もうひとつはその一つ一つをここで説明しだすと、お話が終わらないというところがあるからです。そこでイエスの教えの全体を要約すればどうなるか、というやや無謀な説明をここでするのですが、ここでもやはり最初に福音書をまとめたマルコ先生に助けていただくことにします。何よりもイエスの教えを「福音」という一つの言葉で言い表したのもマルコ先生だったからです。マルコによる福音書の第一章でマルコは「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた」(14~15節)。前にイエスがヨハネから洗礼を受けたことについて、遠藤周作先生の解釈でイエスはヨハネの弟子になったのではと記しましたが、そのヨハネが逮捕されてしまったので(その理由はマルコによる福音書6章をご覧ください、その物語はオスカー・ワイルドがサロメという小説を残し、リヒャルト・シュトラウスという作曲家がオペラにもしていますね)それでイエスは自分で独立して自分で宗教活動を開始したのでしょうか。で、その内容がここでコンパクトにまとめられていますが、それは「時は満ち、神の国は近づいた」と「悔い改めて福音を信じなさい」いう二つのフレーズで要約されているのです。時が満ちる、制限時間いっぱい!ということでしょうか。私たちに遺された時間はほとんど残っていない、それは当時のユダヤ人教の考え方を反映したものでしょう。つまりユダヤ教の教えのなかには、やがてメシヤ(救済者)が登場するときに今までの世界の終焉が訪れ、そこで義しい人とそうでない人が審かれる(例えばマタイによる福音書25章21~46節、マタイによる福音書ではこの物語がイエスの最後の教えとなっています)という考えかたがあります。イエスは人々に、今まさにその時間が来ている! つまり神の国がまじかに迫っているというのです。ただし神の国という言い方をマタイは「天の国」と言い換えていますから、つい仏教的な発想での極楽のような世界が実現するように考えられますが、それはかなり違います。ここでいう国という言葉はギリシャ語でバシレイア、王様という単語が使われているのですが、その本来の意味は「支配」という意味です。つまり神様が支配される時代がくるということなのです。わかりにくいですか? でも私たちは今、人間の支配する社会に生きていますよね。人間が作った法律、政治のかたち、そして常識や考え方に従って生きていますよね。でもそんな世界ではなく神様が支配される社会が迫っているのです。だから「悔い改めて福音を信じなさい」、つまり今までの人間の支配する社会の生き方ではなく、神様の支配する社会での生き方に「転換(悔い改め:以前預言者のところで悔い改め:シューブという言葉の意味をご紹介しましたね、正しい方向に向き直るということです)」が求められているのです。人間的な価値観から神様の価値観への転換、その時が今来ているからこそ「悔い改めて福音を信じなさい」悔い改めて福音を信じなさい」ていることを語られるのです。人間の支配と神様の支配、それはどう違うのか、端的に言うと人間の評価にちがいでしょうか。マルコによる福音書を読んでいくと、最初イエスは何かを教えるということよりも病気の人や障がいを持つ人たちを癒すという奇跡を次々に行います。先ほどの遠藤周作氏(氏は西宮夙川のカトリック教会で受洗されたカトリックのクリスチャンですが、氏のイエスの理解は「イエスの生涯」という作品で紹介されています)は、イエスは奇跡など起こせなかったと一貫して語られています。そのときイエスは自分がその病気の人を治せないという無力さ(無力なイエス像)に悲しみ、その病人の傍らで涙するというものです。さてこの遠藤氏の主張は正しいのでしょうか。イエスは奇跡など起こせない無力な存在だったのでしょうか。私はイエスが病気を治せたかどうかはともかく、奇跡を行えなかったとは思えないのです。そして遠藤氏の主張によれば、イエスの時代、病気にかかった人はマルコによる福音書の表現によれば「汚れた霊に取りつかれた」(マルコによる福音書1章23節)と言われていますが、正常な健康な人からは避けられ、遠ざけられ、差別されていたのです。その人とイエスは向き合い、その人の抱える問題を解決する、汚れた霊を追い出したのです。マルコによる福音書5章ではガリラヤ湖の反対側のゲラサというところで悪霊に取りつかれた人、その地の人々によって「墓場をすまいとし、鎖にぬながれ、足枷をはめられていた」(マルコによる福音書5章3~4節)と出会います。そのときイエスはその人に対して「名は何というのか」(8節)と尋ねます。What is your name? 普通の人と同じ会話を始めるのです。つまりその地の人々から警戒され、避けられていたその人を、普通の人として出会うのです。神様の前ではすべての人は同じ一人の、神様に愛されるべきひとりなのだ、ということを示すのです。人間の価値観では差別され疎外されるべきその人も、神様の価値観からすれば同じ神様に造られたひとりなのですね。それが奇跡です。人々から避けられる人の隣に座る、その人と向き合う、普通の人には誰もそんなことができない、そのことをイエスは実践したのですし、それこそが奇跡です。だから病気であるとか障がい(身体的にも、精神的にも)であるかで評価するということではなく、神様がその人を愛しておられることを受け入れるかどうか、それこそ私たちにはできない奇跡であり、遠藤氏はそのイエスを無力であると同時に同伴者と記されます。それこそが神の国(支配)の現実なのです。私たちにそんなことができるのでしょうか。そしてできない自分に気づくとき、どこかでその生き方を転換すべきこと(悔い改め)が求められるんですね。
もうひとつ興味深いイエスの譬話をご紹介します。それはマタイによる福音書20章のブドウ園の労働者のたとえですが、これこそ人間の支配と神様の支配のちがいがはっきり分かる者だと思えます。イエスの譬話は、きっとそれを聞いているh人たちの身近な出来事によってそのメッセージを伝えるものとなっていて、決して「高度な神学議論」を展開するものではありません。さてそのお話ですが、ブドウの収穫の時期になってブドウ園では猫の手も借りたい状態、朝の日の出の時間に労働者の募集に出かけます(寄せ場のようなところでしょうか)。そこで一日一デナリという賃金の約束をしてブドウ園に来てもらいます。でもまったくたりないので朝9時にも人を集め、12時にも、3時にもということで、とにかく人を集めてついにもう日没も近い午後5時にも最後の募集をします。そして仕事が終わってその日の賃金を支払うときに、最後に来て一時間ぐらいしか働かなかった人も、朝から12時間ずっと働いた人も同じ一でなりが支払われたというのです。しかもその支払い方は最後に来た人から順番でしたから(8節)、一日働いたひとはもっともらえると期待したのですが、やはり最初の約束通りでした。その主人も「不当なことはしていない」(13節)と弁明します。当然不満がでます。なんで同じなんだ(11,12節)!と。ある意味それが契約というものの厳しさでしょう。雇い主は最初の約束をきちんと守ったのです。でもそんなことをしていたら、明日から労働者は集まらなくなるかもしれませんね。これが現在の学生さんたちのアルバイト先だったら、ネットにさらされて大炎上ということになって、その雇い主の個人情報も晒されて・・・えらいことになるかもしれません。こんな話が実話であったかどうか、イエスはそんな状況があったらどう思うか、と私たちに問いかけ、そこで神様の支配とはどんなものかを教えるのです。午後5時に寄せ場にきた主人は、そこに残っているひとに「なぜ何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねます。その人はそれに「だれも雇ってくれないのです」(7節)と答えます。そう、そのひとは見るからに仕事に向かない、激しい労働には向かないと思わるような状態だったのでしょう。病気であるのか、障がいがあるのか、とにかくそんな忙しい季節でさえ雇われなかったのです。そしてそこで支払われた一デナリという賃金ですが、新共同訳聖書の巻末の解説表によると銀4.3グラムの銀貨とされています。最近の相場では一グラム240円ぐらいなので一デナリは1000円というところでしょうか。もちろん今の貨幣価値感覚ではとんでもない安さ、時給でも安いというところですが(ちなみに2024年の世界の最低労働賃金 時給換算では 日本では1000円、アメリカワシントン州で2442円、ドイツ1800円、オーストラリアで2200円だそうです)、イエス様の時代の一デナリは労働者が一日家族を養うことのできる金額のようです。つまり私たちは一日生きるだけの費用がかかりますが、朝いちばんに最初から雇ってもらえた人はその心配などないわけです。しかし最後まで残された人はそれが与えられず、まさに生活が行き詰る瀬戸際に置かれてしまうのです。そんなことは当たり前、というのが人間の常識が支配する社会です。しかし神様の常識(支配)では、その人も同じように毎日を生きるべき存在だということですから、たとえ一時間しか働かなくても、いや働けなくとも一日働いたひとと同じだけの賃金が必要だし、支払われるべきだということになるのです。みなさんは、どう思います。
滋賀県近江八幡市に、近江兄弟社という会社があります。其の創立者はウィリアム・メレル・ヴォーリズというアメリカ人で、この会社を通じて日本中にメンソレータムを販売したその人です。彼についてはまたどこかで詳しく紹介しなければと思いますが、最初彼が兄弟社を創立した時、社員の給料は全員一律の額だったと言われます。地位や働きの内容など関係なく、ところがそのやり方が第二次大戦後占領軍などから「共産主義的」と批判されもしたことがあります。ただし当時のソビエト連邦という国は共産主義の前段階である社会主義共和国を標ぼうしていたのですが、其の憲法には「働かざる者食うべからず」と記されており、その報酬は能力に応じて支払われるべきということですから、このイエスの譬はソビエト以上に徹底したものだったのでしょう。
第二十七回 イエスの教え 群衆はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく
前にマタイによる福音書の特色として、当時のユダヤ教に親しんでいる読者たちに向けて書かれているのではとお話をしました。ということでマタイはイエスに、その読者たちにおなじみの仕方でメッセージを語らせているようです。それは理宇法学者のスタイルです。イエスの時代、安息日に人々はユダヤ教の礼拝所シナゴーグに集まってラビ(ユダヤ教指導者)の教えを聞いていましたし、イエスもラビのひとりとして認められていたようです。そしてそのラビと同じように律法学者という人たちも登場します。この人たちはユダヤ教の聖書(私たちでいう旧約)の率法の部分(創世記~申命記)を基本として、その掟に従って毎日をどのように暮らすべきかを教えていたのです。もいひとつファリサイ派の人々という存在も福音書にはたびたび登場しますが、そのラビや律法学者の教えを忠実に、彼ら自身の思いのなかでは完全に実行していることを誇るというか自慢にしている人たちです。ということは当然に、それを完全にできない人々見下し、差別するという傲慢さも見られたのです。マタイによる福音書のなかで5章から7章までに、山上の説教というイエスの教えがまとめて記されています。それは5章の最初にでイエスが「山に上り・・・教えられた」と記され8章1節には「イエスが山を下りられると」と記されていることから、この箇所がそう呼ばれているのです。そのなかで「あなたがたも聞いているとおり・・・・と江命じられている。しかしわたしは言っておく・・・」(5章21節ほか)という形で語られているところがあります。あなたがた、つまり読者たちですが、誰からそれを聞かされているのでしょう? それはラビや律法学者たちからですね。それに対して「しかしわたしは・・・」とイエスがご自身の独自な解説、メッセージをそこで語られる、つまり率法学者たちのようにではない教えがここで語られるのです。ところがそのイエスのメッセージは、実は非常に極端なものになっています。「火の地獄に投げ入れられる」(22節)「全身が地獄に落ちない方が」(30節)「一切誓ってはならない」(34節)。おそらく当時の律法学者たちはそんな極端な解釈ではなく、なんとか人たちが律法を守れるように、コンプロマイズした(妥協的な)教えをしていたのでしょうし、その教えはまさに現実的なものだったのでしょう。しかしイエスはそん妥協をかたったりしませんでした。ほかのところでイエスは多くの財産を持っている若者にそれの財産をを捨てて自分に従うことを求めます(マタイ19章21節)。すると青年は「悲しみながら立ち去った」のです。多くの財産を捨てられなかったのですね。ちなみにルカによる福音書での同じような記事では「すべてを捨てる」ことが求められています(ルカによる福音書22節)。そして「金持ちが神の国に入るのよりも、らくがが針の穴を通る方がまだ易しい」(マタイ19章24節)と語るのです。ラクダを針の穴を通す? そんなこと無理に決まっているでしょう。でもイエスはそれを求める、極端な要求を突き付けているのです。律法学者たちはそうしませんし、実はファリサイ派の人たちも、律法をまもるとき、かなりハードルを上げているにしても自分たちが守れるレベルでそれを解釈するのです。なぜイエスはそんな厳しく極端な要求をするのでしょうか。つまり神様から与えられた律法を神様が求められるレベルで守ることなど人間にはできない、ということを示すためなのです。それなのに自分には神様の律法が守れると主張する人たち、律法学者やラビたちは実は偽善者、本来できるはずのないことをできているように思いこむ、自慢しているにすぎないのだ、ということを明らかにしているのです。マタイによる福音書のなかには、そのようなファリサイ主義に対するイエスの厳しい批判が繰り返し記されており、彼らを「白く塗った墓・・・外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている」(マタイ23章27節)「蛇よ蝮(まむし9の子らと)(マタイ23章33節)と痛罵します。ではイエスはそんな人間にはできなことをなぜ要求し続けるのでしょうか。つまり人間はいくら自分の能力を誇っても、自分の才能をひけらかしても、そんなものは神様の前にはまったく無力で、何の誇りにもならない、だから私たちは神様の前に自分のありのままの姿を受け入れ謙虚に、へりくだって生きるべきことを教えているのです。
山上の説教のなかで、イエスは「だから、こう祈りなさい」(マタイ6章9節)と、いわゆる主の祈りをそこで教えられます。この祈りは全世界のキリスト教会で今も祈り続けられている、キリスト教の祈りの原点とでもいえる者でしょう。その祈りの中に「私たちの負い目を赦してください」「私たちを誘惑にあわせず、悪い者から救ってください」(6章10,11節)という表現があります。負い目、文字どおりは借金のことですが、キリスト教の礼拝では「罪」と訳されています。そいて誘惑は「試み」、悪い者は「悪」となっていますね。それこそまさに、イエスが語る、自己欺瞞、偽善そのもののことのように思えるのです。負い目、借金、それは自分の持つことできるもの(お金)を持つこと、本来自分のものではないものを自分のものにしてしまうことなのでしょう。もちろんこれから時間をかけてそれを返していくのですが、その間は自分のできること以上のことをし続けることになるのですね。試み、それは自分がそうだと思い込んでいるけれど、決してそうではない。自分の勝手な思い込みのという落とし穴のなかに落ちてしまうことですね。興味深いのは、試みというのは最初からそれが試みだ、誘惑だと思えずにそれを選んでしまうことなのです。いずれにしても、本当の自分自身ではないものに依存して生きる生き方、それこそが偽善であり、欺瞞であることをイエスは、私たちにとってとても極端な仕方で教えようとするのです。そしてその祈りに続いて「野野百合、空の鳥」とよばれる一節がおかれています。そこでは「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩うな。・・・あなたがたの天の父はこれらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」のだから「何よりもまず、神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ6章32、33節)と勧められるのです。私たちが本当は神様の前には自分で誇るべきものも何ももたない、無力な存在、裸なのだだということを認めることは、とても不安ですし、勇気のいることです。デンマークの神学者というより本来は牧師さんでしたが、キルケゴールさんが、この箇所についての説教(メッセージ)を記していますが、私たちが神様に何かを求める、願う、無力さをなんとかし、裸を隠すための何かをくださいとお祈りするときに、「何よりもまず」という言葉が私たちに響いている。それらのものを願う前に祈るべきことがある、では何を、というと人間の側から何かを求めるのではなく、神様からの働きかけ、つながり 彼はそこでCommunication (かつて関西学院の院長理事長そされた久山康先生は「交通」と訳されていますが)が与えられるのを待つことこそ、私たちの祈りの姿勢だと語ります。私たちが、神様の前にこれだけのことをしましたから、これだけ頑張っていますから、ということは全くなく、私たちが全く無力な一人であることを知っているから、その私たちに神様の側から必要なものを与えてくださる、ということを信じること、そこにイエスのメッセージの核心があるのでしょう。
イエスの譬え、教えについてはここで書ききれないほどいろんなものがありますし、大事なものもここでは省略してしまっていますので、そのひとつひとつについてはまた教会などでお話を聞かれるか(私の教会も皆さんを大歓迎します)、少し大きめの本屋さんやアマゾンなどのネットショップで、聖書についての解説書(注解書)などをお読みください。というところですが、この欄でぜひ取り上げておきたいマタイ福音書の記事をここでご紹介しておきます。それはマタイによる福音書25章ですが、そこに三つの譬え話が集められています。最初は十人のおとめの譬え(1~13節)、二つ目がタラントンの譬え(14~30節)、最後は羊を右に山羊を左にという譬え(31~46節)で、いずれもかなり読み応えのあるものです。その三つのお話に共通するのは、自分の今までの行動がチェック(審査、評価)されるということです。最初の十人の女性は、その日の夜結婚をするということになっていましたが、花婿の到着が遅れたのです。十人のうち五人はそんなこともあるかも、とあらかじめ自分のランプのオイルを多めに買っていました。ところがほかの5人はそんなことも考えずにいたので、花婿がようやくやってきたときには自分のランプのオイルがなくなってしまっていて、出迎えることができなかったというものです。この物語は、音楽の父バッハがこの聖書の物語に基づいてドイツで歌われていた讃美歌(コラール)のメロディーをテーマにした教会音楽(カンタータ)を書いており、その第一曲はパイプオルガンの独奏曲としてもアレンジされて、クラシックのおすきの方にはおなじみですね。その曲の題は「目覚めよと呼ばわる者の声がする」というもので、その声を耳にした女性たちが花婿を出迎えるために歩んでいくリズム正しい足音も再現されています。ところでこの物語、十人の花嫁が花婿を待っているのですが、英語の聖書のテキストをみるとやってくる花婿はthe bridegroomと単数形、一人なのです。単数で複数を表す集合名詞としても考えられなくはありませんが、素直に読むとひとりです。誰のことでしょう、それはイエスしかありませんね。福音書について最初にお話をしたとき、マルコ福音書に「時は満ちた」という言葉があることをご紹介しました。そうです、もう花嫁たちの待つ時間は終わったのです。つまり私たちの毎日の生活がどこかで終末を迎える、という時間の考え方がイエスのなかに、いや当時のユダヤ教を信じる人々のなかにあり、そのような考え方を終末論と呼んでいます。その時がきたら、その時点ですべてのことがチェック(審判、評価)されるのだから、その時になって慌ててやり直したりすることはできない、ということになります。この十人の女性の物語は、まさにイエスの到着によって神の国(支配)が始まるということを語っていますが、恐ろしい?ことにそのための準備ができていない人はそこに迎えられないということが同時に宣言されるのです。だからイエスは神の国は「近づいた」といって人々に警告を与え、悔い改めて福音を信じるように、つまりイエスの到着を迎えることのできる準備をするように、福音書の一番最初で語っていたのです。二つ目のお話はタラントンの譬えと言われますが、前に当時のお金の単位としてデナリについてお話をしました。これは労働者が一日働いて得られる賃金ということで現在の価格で1000円ぐらいとなるのでしょうか。タラントンというのは桁が違います。こちらはなんと6000デナリオンという額です。現在の価値で600万円ですが、当時の価値からすればもっと莫大な額だったことでしょう。さてある主人が旅に出るにあたって、自分の財産をある僕には5タラントン、もう一人には二タラントン、三人目の僕には一タラントを預けます。その違いはそれぞれの能力に応じて、ということだったようです(15節)。そこで5タラントン、2タラントン預かった僕はそれを元手にして商売をし、なんとそれぞれ倍の利益をあげます。ところが三人目はなぜかその一タラントを土に埋めておいたのです。そうすれば盗まれることもないだろうということでしょうね。さてやがて主人が帰ってきて、自分の預けたお金について精算をします。つまりチェックされたのですね。最初の二人は、倍の利益が上がったことを伝えそれぞれ十タラントン、四タラントンを主人に返します。そして三人目の僕は埋めておいたタラントを取り出し、そのまま返します。主人はその結果を見て、最初の二人を大いにほめその全額を褒美として与えます。ところが一タラントのままの僕は「怠け者の悪い僕」(26節)「訳立たない僕」(30節)と痛切に叱責し、追い出してしまったのです。ただし、私の個人的な感想からすれば預かったお金で商売なんかして失敗して元も子もなくなってしまうようりは、それをなくさないようにしっかり「保管」しておく方がいいようにも思えるのですが、私自身も追い出されてしまうようです。でもそのタラントンという言葉は実はタレントという言葉の言語なのですが、能力とか才能を意味します。とすると私たちが神様から与えられている才能を磨くこともなく、伸ばすこともなく、何もしないでいるだけだと、私たちに与えられたタレントなど無意味ですよね。商売もひとつの才能ですが、私たちにはそれぞれにいろんな才能が、それぞれの能力に応じて与えられているのです。それを本当に生かしているかどうかが評価される、チェックされるとき、それまでの私たちそれぞれの人生の意味の大きさが示されるのですね。ドイツ文学者の小塩節さんという方がモーツァルトという作曲家の生涯についてこんなことを書いておられました。私はそこまでモーツァルトに詳しくはないのですが、小塩先生によると、彼が最初期に作曲をした音楽のモチーフが晩年の作品にも使われているそうです。つまり彼は晩年に彼の出発点に帰ってきたのですが、それまでにどれだけ大きな軌跡、足跡をしめしただろうか、ということです。その足跡によって囲まれる広がりこそが彼の偉大さをしめしており、音楽家としての最初に与えられたモチーフを、その生涯を通じて展開しつづけ、出発点にもどったのか、その軌跡こをまさにアマデウス(デウス=神に、アモー愛された)人物の生涯だったとされています。自分の人生がさて、どんな意味をもっていたのかがチェック(審判、評価)されるとき、その人生をやり直すことなどとてもできないのですから。そして最後の物語はまさに最後の審判を描くものです。私は残念ながら訪れたことはないのですが、バチカンのシスティナ礼拝堂の祭壇画としてミケランジェロが描く光景は、まさにこの物語です。最後の審判の場面で、人々は羊と山羊を分けるように分けられるのです。それは天国に入るべき人たちと、地獄の苦しみへと落とされていくひとたちです。そのチェック(審判、評価)の場面です。その基準は何でしょう。それはイエスご自身が逆境のなかにあったときに、それを助けたか助けなかったか、ということです。ところが天国に招かれたひとたちは自分がそんなことをした覚えはなく、地獄行きの人たちには自分たちがそれをしなかったという覚えがないのです。ではいったい逆境にあったイエスとは誰なんでしょう。そのイエスを助けるということはどんなことなんでしょうか。そのヒントは「この最も小さいもののひとりにする」(40節)という言葉でしょう。これこそがイエスの語る神の国、支配の中の生き方、「最もちいさい人」つまり無力な人を含めたすべての人が神様によって造られたひとりであると受け止めて接してきたのか、それとも何か特別な身分や地位にある人たちだけに気を使ってきたのか、ということの違いだったようです。トルストイというロシアの小説家の「靴屋のマルチン」という作品をぜひお読みください。まさにこの物語が下敷きとなっています。
自分の人生の歩みが、(必ず)チェック(審判、評価)されるときがある。聖書的にいうとそれは神様によってなされるのですが、私たち自身がふと自分の今までを振り返る時もあるのかもしれません。私たちは自分に甘くなりますから、自分のチェックなどはそんなに深刻にとらえないかもしれません。でもどこかで、とても冷静に、客観的に、忖度なしにそれが行われるとき、コンプロマイズ(妥協)をいっさい排除されるイエス様によってそれがなされたとき、私たちはそれに耐えられるのでしょうか。自分をごまかすことに慣れきってしまっていると、そんなことはどうでもいいのでしょうが、そうやってごまかしがきかなくなる瞬間、私たちの今までがすべて否定されてしまうような経験に私たちが向き合うことになったら、神様のチェックという表現で、聖書は私たちの人生においてそのような瞬間が必ず訪れるであろうことを語っているのでしょう。そのとき、私たちはそれまでの人生にキャンセルボタンを押して、やり直しなどできるのでしょうか。
第二十八回 ヨハネによる福音書 初めに言があった。
いままで福音書についてお話をしてきましたが、それは主としてマルコ、マタイ、ルカの三つ、いわゆる共観福音書と呼ばれるものを中心としてのお話でした。ところが新約には四つ目の福音書 ヨハネによる福音書というものがありますが、それは最初の三つと違って独自な存在として扱われています。すでに書きましたように、その内容はイエスの行動を記すだけではなく、その行動の意味をいろいろと説明しています。また私個人の思い出からお話をして申し訳ないのですが、私は神学部4年生のときに札幌の北星学園女子中学高等学校というところで教育実習をさせていただきました。聖書科、いや正式には宗教科という科目の教員免許状の取得のためです(まいどおなじみ、ちなみにのお話ですが、私は神学部の学生でしたからキリスト教を中心にその免許状取得を目指していましたが、実はその免許があれば日本のどんな宗教宗派立の学校でもその科目を教えることができます、仏教、神道、いわゆる新興宗教扱いされる天理教やPL教団などでも、ひょっとしたら幸福の科学の学校でもOKかもしれません。もちろんその学校が認めてくれればですが、でも文部科学省的には何も問題はありません)。北星学園女子中高での実習というのは、当時私が神学生をしていた関西学院教会に当時の聖和大学のキリスト教学科におられた小林さんという方が北海道のご出身で、北星のキリスト教教育のことについてお話をしてくださって、特にキャンプなども積極的に取り入れて展開されているといおうところにとても興味を覚えさせられて、ぜひそこで実習を思い立ったわけです。ところが私にとってはなんのつながりもない学校、しかもその学校での実習は卒業生に限るという厳しい条件でした。そこで何度も学校に手紙を書き、数回断られながら、ついにお許しをいただいた、というわけです。もうひとつ当時私の叔父が札幌に住んでいたので、住むところも問題なかったし、教育実習は大体6月、梅雨のない北海道の6月というのも魅力的でした。さてその時にお世話になった聖書科の先生が柴田勝先生、近江兄弟社学園の御出身ということで関西人どうしとても気さくにお付き合いをいただき、本来ならもっと緊張すべき実習を楽しく過ごさせていただきました。その先生の授業でヨハネによる福音書9章の内容を取り上げておられたのです(やっと聖書のお話に戻ってきました。この実習での経験についてもっともっと書きたいこともあるのですが)。そしてこのヨハネ福音書9章というのはとても長い記事なのです。ただし最初のところは共観福音書でもよく見られる、目の見えない人の目をイエスが見えるようにする、というものです(例えばマルコによる福音書8章22~25節、10章49~52、マタイによる福音書9章27~31節、20章29~34節、ルカによる福音書18章35~43節など)。これらの共観福音書の記事では、イエスがそこで奇跡を起こした、ということで終わっているのですが、ヨハネ福音書はその奇跡が起こったことが記事の始まりで、なぜそんな奇跡が起こったのかという議論がユダヤ人たち、ファリサイ派の人々の間で起こります。まず事実関係、本人の聞き取り、また家族からの聴取などもあり、議論が進んで結局、この目が見えるようになった本人の主張を無視して社会から追放してしまう、というような展開で、北星の授業ではそれをドラマ仕立てにして演じてみるという、とても面白いものでした。ヨハネ福音書9章では最後に、その事実を認めなかったファリサイ派の人々にイエスが「罪は残る」と宣言して終わります(41節)。最初に在る事件が起こる、それが人々(ユダヤ人たち)の間に議論を巻き起こす、それを通じてイエスが最後にメッセージを語るという展開は、ヨハネ福音書では4章でサマリアの女との出会いの物語、5章でエルサレムのベトサダという池で病人を癒す、6章で5000人にパンを配る奇跡、11章でラザロという青年の復活の物語などで見られますが、そこで注目すべきは、その事件をめぐる議論の展開のなかで、徐々にイエスとは誰、何者なのかということが明らかに、浮き彫りにされていくことです。例えば9章では、最初は「預言者」(17節)と言われます。かなり議論が進むと「神のもとから来られた」と語ります、そして最後に信ずるべき「人の子」とその人が告白のことばを口にすることで、イエスがメシアであることが証言されるのです(35節)。そのことは4章のサマリアの女との出会いでもそうです。こうして見てくると、ヨハネによる福音書の関心は、人々の語る、そしてイエスの語る言葉にあるようです。もちろんここでもイエスは奇跡などを人々の前に示すのですが、それが一つの事件で終わってしまわないで、その事件の持つ意味をいろんな議論、つまり言葉によって人々に理解させようとするのです。でもそこで交わされるいろいろな言葉には、特にユダヤ人たちの自己(自分の宗教的思い(込み)を正当化するためだけの内容の薄いもの、そして実際のイエスに出会った人たちの体験からくる証言(キリスト教的に言うと証しとでも言えるでしょうか)、それだけその人の体験と実感に裏打ちされた重みのある言葉、そしてイエスご自身によって宣言される神の言葉、真実の言葉があります。ヨハネ福音書がこのような議論、あるいは論争をいろいろと記述する中で、私たち自身がどれほどの重みのある言葉を用いているのかを問いかけ続けているのです。そしてそこでのイエスの本質を伝えるのです。つまり神様そのものの言葉としてのイエスの発言でありイエス自身の存在なのです。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 」 (ヨハネによる福音書1章1節) この冒頭の「ことば」それはギリシャ語でロゴスという単語ですが、それは単なる私たちが会話や文章で用いる言葉以上のもの、それを語る人、それを伝え用とする人の確信、信念、信仰、思いのこもった力に満ちたものなのです。日本語として最初に聖書を翻訳したのはギュツラフというオランダ人で、かれは日本に来ることはなかったのですが漂流してシンガポールに流れ着いた漁師から日本語を教わり、将来日本での伝道活動を行うために、聖書の日本語訳を行いました。その最初の一冊がヨハネによる福音書(『約翰福音之傳』 1837年)でしたが、彼の翻訳では「ハジマリニ カシコイモノ ゴザル」でした。カシコイモノ その言葉こそ実はロゴスという言葉の本来の意味をとてもよく示しているようにも思えるのです。この福音書で、イエスは十字架煮付けられる前に、14章から17章まで長大な「告別説教」を残します。そこで語られている言葉の一つ一つを通じて、イエスに従おうとする人たちへの励ましが語られるのですが、その中で注目されるのが15章で多用される「つながる」(ギリシャ語でメイノー)という言葉です。ここではぶどうの木の枝は幹につながっていることによって豊かにその実を結ぶことができるという形で用いられていますが、この動詞は本来「留まる」という意味を持っています。キリスト教が成立する中で、その信仰をめぐって様々な困難、緊張、迫害などが起こってきます(ヨハネによる福音書は、おそらくユダヤ人社会からキリスト教に加えられた圧迫を背景としていたのでしょう)。そのなかでイエスの教えにつながる、イエスをキリストだと信じる人々の群れのなかにとどまるということこそ、その状況を耐え抜く唯一の、そして現実的なあり方だったのです。そしてそのイエスを信じる人々の群れにとって中心的な関心は、イエスとは誰かということだったのです。
実はヨハネによる福音書の全体を通じて、イエスとは誰かというもうひとつの主張が貫かれています。この福音書でもイエスの活動の前にバプテスマのヨハネが登場しますが、ここでの彼の役割は、遠藤周作氏が言うようなある種のユダヤ教のグループのリーダーではなく、「イエスについて証しするため」(1章5節)の存在だったのです。そしてその証し(つまり何らかの人物や事柄の真実性を弁明する)の言葉こそ「「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」という言葉で、これはユダヤ人たちの間で毎年行われる過ぎ越しの祭りのときに犠牲にされる小羊を指すものです。この犠牲の小羊についてはすでに出エジプト記のところでご説明をしましたが、この小羊が犠牲になることでイスラエルの人々は自らが受けるべき災いを免れることができた、ということはこの小羊が自分たちの身代わりになってくれたということなのですね。そのような考え方は、捕囚後のユダヤ人のなかで「主の僕」という考え方につながり、ヨハネ福音書でイエスに当てはめられて、イエスの存在の意味がこのことによって説明されるのです。つまりイエスは世の人の罪を一身に負って十字架にかかられた、代贖とか贖罪といいます。そしてこのテーマがイエスの十字架の死の場面でも繰り返されます。と言っても一度読んですぐわかるような仕方で書かれてはいないのですが。それはイエスが」十字架上で息を引き取ったあと、十字架からその遺体を下ろすときに「その足は折らなかった」(ヨハネによる福音書19章33節)という言葉です。一体なんのことという言葉ですが骨を折ってはならない(出エジプト12章46節)と規定されており、まさにイエスがその犠牲の小羊であったことをここでも示しているようです。この代贖という考え方はヨハネによる福音書のなかでは、別の多様な表現でも示されており、例えば10章11節では「わたしは良い羊飼いである、良い羊飼いは羊のために命を捨てる」、12章24節「一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ」、そして15章13節「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」という表現などが、その文脈としても語られているのですね。もうひとつ、私の愛誦聖句というのもヨハネによる福音書にあります。復活したイエスが弟子のペトロと話をしているとき、そこにもうひとりの弟子がそこに居たので、ペトロは「この人はどうなるのでしょう」と質問します。それに答えてイエスは「私の来る時まで彼が生きていることを私が臨んだとしても、あなたには何の関係があるか。あなたは、私に従いなさい」と言われたのですが(ヨハネに寄る福音書21章22節)。この言葉、私に突き刺さる言葉です。周囲がどうあろうと、「あなたは私に従いなさい」、さて私にできるのでしょうか。
第二十九回 イエスの受難、十字架の死、そして・・・
ちょっと気取って今回のタイトルを付けましたが、十字架の死という言葉の後を「。」にするか「、」にするか、その意味の違いは大きいと気づかされました。新約聖書の福音書は、共観福音書もヨハネ福音書も、最後はイエスの死について記しますが、それで終わり(ピリオド)ではないので。それからまだ物語が続く、というかそこからまた新しい物語が始まるということなのです。続くとかんがえるならば「、」ですし。そこから新しい物語のスタートなら「。」でもいいのかなと思います。いったんそこでお話はおしまい。でもね・・・ということなのでしょうか。これは神学的にはとても重要な議論です。つまり生前のイエスの活動と復活後のイエスの働きは連続したものなのか、それとも断絶しているのでしょうか。そのことの結論はわたし如きが出してどうなるというものでもないのですが、キリスト教の伝統的な考え方によると、イエスは「まことの神にしてまことの人」と言われます。まことの神、という言い方をするならば神様の存在は天地創造のときから未来永遠にということですから、それはずと連続しているものでしょう。ところがまことの人とすると、十字架上で人間イエスの一生は閉じられたのでしょう。イエスは死なれたのです。そのことは実はクリスマスをどうとらえるかということに大きくかかわってきます。ちょうどこの文章を書いているのが11月の中旬ということで、そろそろクリスマスの準備をと考えさせられているときなので、こんな話題につながってしまいました。さてクリスマスって何でしょう。そんなのイエスの誕生日に決まってるでしょ。12月25日! ただしその日にイエスがその日に生まれたという歴史的根拠はありません。キリスト教の歴史のなかで、その日に落ち着いたということは前にお話をしました。そしてもうひとつのイエスの誕生日、ですが。もちろんイエスは母マリアから生まれたのですから、イエスの誕生ということなのですが、これも神学的に言うと誕生というよりも受肉という言い方をする方がいいようにも思えます。つまりまことの神が人間の「肉をまとって」地上に現れたということですね。ただしそこが微妙で、決してマリアから生まれた男の子の身体を借りてということでもなく、その幼子つまり人間としてまことの神が私たちのもとに来られた、ということなのです。クリスマスの古い讃美歌、宗教改革者ルター先生の作詞作曲になるという”Vom Himmel hoch, da komm ich her”という曲があります。日本語の讃美歌では「いずこの家にも」でしたが最近の讃美歌では「天のかなたから」とドイツ語に近い訳となっています。そこでお話したいのはメロディのことなんですが、この曲はハ長調で高いドから始まります、そしてドシラシソラシドという旋律で、最後にドシラソファミレドと、音階を一オクターブ降って低いドで終わります。こうしてこの曲は高いドが天を、低いドが地上を表しているように思えます。そう、イエスは天から来られたのです。だからドイツ語の歌詞は、高い(hoch)天(Himmel)からわたし(Ich =イエス)は来た(komm)となるのです。つまりマリアの子としての男の子の意味をこの讃美歌は歌っています。なんだかややこしい神学論争を語ってしまいましたが、キリスト教でイエスとはだれか、ということの議論は、それがキリスト教の信仰の核心に触れるところで、なかなか簡単に公なんです、と説明できないところがあるのです。
さてそのイエスの生涯の最後、イエスが十字架の死を迎えるまでの物語を「受難物語」と読び ヨーロッパ語ではPassionという言葉で表されます。最も有名なのはJ.S.Bachたちキリスト教音楽家の作曲した受難曲というジャンルの作品もまたPassionと呼ばれています。もともと情熱という言葉ですが、その言葉について宮城学院女子大学の礼拝で語られたメッセージがネットでこう紹介されていました「それにしても一体なぜこの“パッション”は、<情熱>と<受難>という、正反対ともいえる二つの意味を持つことになったのでしょうか。この問いに答えるには、パッションという言葉がパッシブ、つまり受動という言葉と同じ語源を持つことを知る必要があります。“パッション”という言葉の根っこには「自分ではどうにもならないこと」、「自分がまったくの受け身となるしかない出来事」という<受け身>の語感があります。そしてそこから転じて、「降りかかる苦難としての受難」、そして「突き動かされる情動としての情熱」という二つの意味が生まれてきたのです。宮城学院女子大学ホームページ 「【大学礼拝説教】受難と情熱――ふたつのパッション」(https://news.mgu.ac.jp/message/7488.html) この受難物語のなかでイエスは「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」と祈ります。イエスの受難と死は、かれが選び取ったものではなく神様から「与えられた」もの、つまりイエスから見ればまさに「受け身」の事件で、イエスは神様の意思に徹底して服従した、という、まさにパッションの物語なのです。
この受難物語ですがマルコによる福音書では以下の順番で描かれます(共観福音書も大体この順序です)(1)べたニアでの油注ぎ (2)過ぎ越しの食事(いわゆる最後の晩餐) (3)ゲッセマネの園での祈り (4)イエスの逮捕 (5)大祭司による裁判 (6)ペトロの否認 (7)ローマ総督ピラトの裁判 死刑判決 (8)ゴルゴだへの道行 (9)磔刑 (10)埋葬となります。そこでまず注目したいのが(1)の物語です。ひとりの女性が食事をしていたイエスの頭に「非常に高価なナルドの香油」を注ぎかけたのです。イエスの弟子たちはそれをみて驚き、、無駄遣いだと言って「子の香油は三百デナリオン以上に売って貧しい人々に施すことができ」る(マルコによる福音書14章3~5節)とその女性を非難します。ところがイエスは彼らをたしなめて、この女性の行為がイエスの「埋葬の準備」(8節)だと諭し、さらにこの女性の行為こそ世界中に「語り伝えられる」とさえ告げるのです(9節)。この物語が受難物語の最初に置かれていることに注目させられます。というのもイエスの十字架の死というのは、当時のユダヤ人たちにとってはむしろあまり口にしたくない事件だったからです。というのも旧約の申命記という掟のなかに「木にかけられた死体は、神に呪われたもの」(申命記21章23節)とされており、その死体はその日のうちに埋葬されるべきことも同じ個所で求められているところから、この受難物語の(10)の記事も、急いで行われたのでしょう。ということでイエスの死は呪われた結果、その宗教的な働きも無駄に終わったのでは、というユダヤ人たちの思いに応える意味で、受難物語の最初に置かれているようです。というのも、もうすでに私のお話を聞き続けてくださった方にはお判りでしょうが。福音書という書物はイエスの伝記ではなく、イエスとは何者かを伝えるために書かれています。そしてそのなかでマルコは福音書の最初の言葉で「イエス・キリスト」という言葉を記しています。何よりもマルコはイエスはキリストだったということを宣言し、そのことを福音書全体を通じて訴えますし、まさにこの物語もそうなのです。キリストという言葉は旧約のヘブル語でメシヤという言葉のギリシャ語訳だった、しかもその言葉のもともとの意味は「油注がれた者」ということだったということは、ずっと前にサムエル記でサウルが油を注がれて王となるというところでお話をしました。こうして旧約に登場した最初のメシヤは、軍事力によってイスラエルを救うという意味での救済者でしたが、やがてイスラエル王国が滅亡し、ユダヤ人たちが捕囚以後の苦難の生活を続ける中で、あの最初のイザヤの預言にある神様から遣わされるべき理想的な新しい支配者のイメージと重なりあいながら、自分たちの民族全体を救うメシヤ、まさに神的なメシヤのイメージが造られました。そして福音書ではイエスの弟子たちが、このイエスこそ自分たちを救う神の子、イエス・メシヤ、つまりキリストであるという確信を抱いたのです。その主張のなかでマルコが福音書をまとめるにあたって、受難物語の最初に、ひとりの女性がイエスの頭に香油を注ぐという物語を置くことによって、このイエスこそ私たちを救うべきメシヤ=キリストであることを証言したのです。イエスは決して神に呪われた存在ではなくメシアそのものだったという主張がここに強く籠められています。なおヨハネ福音書にはこれとほとんど同じ物語として、ラザロの姉妹のマリアという女性がイエスの足に香油を注ぎ、自分の髪の毛でそれをぬぐったとされています(ヨハネによる福音書12章1~8節)
この物語から始まる受難物語は、一方でイエスが神の子であることを否定しようとする動き、あるいはイエスに期待した人たちの失望と、そのような人々にむかってイエスが神の子、メシアである訴える主張とがぶつかり合っていきます。そのイエス否定派というか失望派の一番の存在はなんとイエスの弟子達でした。なによりも彼らはあの女性が油を注いだということの意味を全く理解できなかったのですね。そういえばマルコによる福音書のひとつの大きなモチーフとして「弟子の無理解」というものがあり、彼らはイエスについて実は理解できないままであった、ということのようです。そしてその弟子たちのうちの一人、イスカリオテのユダがイエスを裏切り、その所在情報をお金で売り渡します(マルコ福音書14章10~11節)。そしてゲッセマネというオリブ園でイエスが祈っておられた時に弟子たちは眠り込んでしまい(14章32~42節)。そしていよいよイエスがユダヤ人たちに逮捕されるそのとき、弟子たちはイエスを見捨てて逃げ去ります(50節)。またイエスが大祭司によって尋問されているとき、弟子ペトロがイエスの仲間であることを疑われたとき、「知らない」と三度否定します。ちなみに(毎度おなじみ)バッハの作曲したマタイ受難曲でのこの場面はひとつのクライマックスで、その出来事が伝えられたのち、ヴァイオリン独奏を伴うアルトのソロ ”Erbarme dich, mein Gott””(神よ汝を憐れみ給え)とイエスを拒まざるを得なかったペトロ(実は私たちひとりひとり)を神様が憐れんで下さるようにという祈りを切々と歌います。ぜひお聞きください。こうして弟子たちはイエスの十字架の死の場面にも立ち会うこともなく、十字架から降ろされたイエスの遺体を引き取ることもしませんでした。そして受難物語では、イエスを何とか死刑にというユダヤ人たちの叫び、大祭司による裁判などが続きますが、イエスは多くを語ることなく、自分の死にむかって進んでゆかれるのです。そこで登場するユダヤ人総督ピラトは、イエスの処刑に最初それほど積極的でもなかったですが、裁判を見守る群衆の圧力に屈して十字架刑を宣告します。そしてイエスは処刑場となるゴルゴダまで、自分が架かることになる十字架を負わされて連れ行かれますが、その間にも兵士たちにも侮辱をされる中、キレネ人シモンが途中でイエスに代わってその十字架を負うという場面(マルコによる福音書15章21節)もあります。いよいよイエスが十字架につけられたときに、それを取り巻く群衆がイエスに「今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」(15章32節)とさけびつづけるのです。先程のバッハのマタイ受難曲では、この群衆の叫びを歌う合唱は、最後はユニゾンで歌われ、全員がひとつになって同じメロディでイエスへの罵りの言葉を歌い続けます。そしてイエスはついに息を引き取るのですが、それを見ていたローマ兵の部隊長(百人隊長)は「本当にこの人は神の子だった」と語ります(15章39節)。しかしこれもイエスを否定し続けたひとたちの勢いに圧倒されてしまったようでした。
さてそのイエスは、息を引き取る直前に「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と大声で叫ばれた(15章33節、これはアラム語の言い方で、マタイによる福音書ではヘブル語で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」となっています。マタイによる福音書27章46節) マルコによる福音書には「これは『わが神、わが神、」なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」(15章34節)と翻訳されています。これがイエスの最後の言葉であるということで、実はイエスもまた神に見捨てられた、という絶望感をもって死を迎えた、つまりイエスを否定する声のまえに敗れ去った、のでしょうか。これも様々に議論されているのですが、もっともわかりやすい説明としては、イエスはそのとき旧約の詩篇22編を暗唱していたというものです。その詩篇は「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。」(1節)という言葉で始まるのですが、やがて「主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。」(24節)と、その訴えを神様が必ず聞かれるという確信へと内容が展開していくので、イエスもまたその詩篇の言葉通りに神様への信頼を最後まで失わなかったとする考えがあります。」この考え方に説得力を感じるのが、イエスが十字架につけられる時に、その来ていた衣服を兵士たちがくじ引きで分け合ったという記術(マルコによる福音甫15章24節)ですが、まさに詩編22編に「19わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く。」という言葉もあり、イエスの十字架の物語との関連性を思わされるのですが、逆に言うと福音書はイエスの十字架の死を、詩編22編の言葉に従ってまとめあげたとも考えられもしますね。私としては、イエスはその言葉通りの思いを言葉にし息を引き取ったのでは、と思えます。神様に見捨てられたのだと。そんなことがあっていいのか、と思われた方、すみません。でもイエスの受難がパッション、つまり「自分がまったくの受け身となるしかない出来事」であるのなら、それがどのような神様の思し召しであってもイエスはそれに従いぬかれた、ということをマルコは示したかったのではト゚も思われるからです。事実後でお話をする使徒パウロも「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 9このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました 」(フィリピの信徒への手紙2章6~9節)。ということで、その死に至るまでの従順を徹底された、と考え宅思えるのです。こうしてイエスは、まことの人としての徹底的な絶望のなかで死を迎えたということになります。弟子たちにも見捨てられたのですが、最後までイエスにつき従ってきたのは三人の女性たちでした。そしてアリマタヤのヨセフという人物がイエスの遺体を墓に納め、受難物語は終わります。
第三十回 そして・・・「主はよみがえられた」・・・そして
さて私たちの教会では毎週の礼拝で「使徒信条」というキリスト教の歴史を通じて告白され続けてきた私たちの教会での信仰内容を白する文章を全員で朗誦しています。キリスト教では、歴史的に順次信仰内容が整理されていくにつれていろいろな信条(信仰告白文)が作られており、一番よく知られているのはカトリック教会のミサで告白されるニケア・コンスタンチノープル信条(4世紀)で、その最初がラテン語でクレド(我は信ず)という言葉で始まることから「クレド」と呼ばれています。私たちの教会ではそれよりも古く、紀元2世紀ごろに成立した使徒信条を告白していますが、それは「神を信ず」「キリストを信ず」「聖霊を信ず」という三位一体の信仰を基本とし、キリストの項ではその生涯について「主は聖霊によりてやどり、処女(をとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇のぼり、全能の父なる神の右に坐(ざ)したまへり」(日本基督教団信仰告白)とされています。このことについてもいろんんば説明が必要かもしれませんが、特に注目したいのはイエスの死と復活の間に陰府降下と言われる「陰府にくだり」という一文が挿入されていることです。ところが福音書の記事にはそんなことはまったく記されていません。しかも歴史的にみると一番古い使徒信条にはこの言葉は含まれていなかったともいわれています。そしてこの言葉が信条に含まれるようになったのは、最初期のキリスト教会での神学を反映しているようですし、もちろんそれを示唆する聖書の言葉も想定されています。ペテロの手紙一 3章19節「そして霊においてキリストは捕らえられていた霊のところへ行って宣教されました」4章6節「死んだ者にも福音が告げ知らされたのは・・・」、エフェソの信徒への手紙4章9節「「『昇った』というのですから、低い所に、地上に降りておられたのではないでしょうか」、などという記事が引用されますが、もうひとつもしヘンデルのオラトリオ「メサイア」をご存じの方には第二部後半でのアリア “But Thou didst not leave His soul in hell”つまり詩編16編10節の「あなたは私の魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず」という言葉を思い出される方も多いでしょう。いずれにしても、イエスの復活がすべての人間の復活のさきがけとなるということが、この陰府降下の言葉で強調されたのでしょう。
ところでキリスト教に3つの大きなお祭りがありますが、なんと言っても世界的にはクリスマスが一番よく知られているでしょう。日本でも年末の雰囲気を盛り上げる絶好のイベントですね。他の2つのお祭り、イースターとペンテコステ、それらはクリスマスほどには「盛り上がらない」ようです。それでもイースターは少しずつ知られてきていますが、ペンテコステはまだまだです。そのイースターというのは、イエスの復活を祝うもので、十字架の死が金曜日出会ったその日から三日目の朝、イエスが埋葬された墓を訪れた女性たちが、もはやその墓にはイエスの遺体はなく、白い衣を着た若者が「あの方は復活なさって、ここにはおおられない」(マルコによる福音書16章6節)と彼女たちに告げたのです。(マタイによる福音書ではその若者は「主の天使」とされています。マタイによる福音書28章2節)。イエスが十字架上で徹底的な絶望を味わわれて三日目に、よみがえった、それがキリスト教信仰の大きな核なのです。なぜキリスト教の習慣では毎週日曜日がおやすみ、そして礼拝の日なのでしょうか。もちろん出エジプト記20章の「十戒」の掟にしたがって、一週間のうち6日は働き、1日は安息日とすることがユダヤ教での決まりでした。でもキリスト教がその一日を日曜日にしたのは、日曜日がイエスのよみがえりの日だからです。もちろん毎年イースターというお祭り、その日の決め方は、キリスト教の伝統では春分の日のあとの最初の満月のあとの日曜日とされて、毎年一度の行事なのですが、実は毎週日曜日、キリスト教はイエスの復活を一年を通じて記念しつづけている、それぐらいキリスト教にとって復活の出来事は大きな意味を持っています。
ただし復活のお話をするときには、かならず復活など本当にあったのかどうかということが繰り返し問題になります。事実マルコによる福音書には、復活したイエスが二人の弟子と出会われたので、この二人はほかの弟子たちにそのことを伝えますが「彼らは二人のいうことを信じなかった」(マルコによる福音書16章13節)と記され、マタイによる福音書でも復活のイエスによってガリラヤに集められた弟子たちについて「疑う者もいた」(マタイによる福音書28章18節)。ルカによる福音書では、墓に出かけた女性たちが弟子たちのところに帰ってイエスの復活を伝えると「この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」(ルカによる福音書24章11節)とされています。そして極めつけ?はヨハネによる福音書では弟子のトマスが、ほかの弟子たちが復活したイエスに出会ったことを彼に伝えると、トマスはイエスが十字架上でうけた傷跡をみなければ「わたしは決して信じない」(ヨハネによる福音書20章25節)。もちろんここにも弟子の無理解ということもありますが、実際に復活のイエスに出会った仲間からの話も信じない弟子たちがいたということからみても、復活は本当なのかという議論はキリスト教の初期からあったようにも思えます。私としては復活は本当かということは本当だと思っていますが、それはある意味ブラックボックス的な意味で、です。もちろん疑う人たちもいたことも含めてそう考えます。ただし動物学的に、科学的にそれを説明することなどできないでしょう。科学的には死者の復活など説明きないでしょう。私がブラックボックスというのは、ある物質を中がどうなっているか全くわからない箱(ブラックボックス)の中に入れて、改めて取り出すと全く違った物質に変わっている、ということです。つまり復活のメカニズム、というかその理由などは全くわからないのです。でも例えば復活前のイエスの弟子たちと、復活後のイエスの弟子たち、それはまったく別人のように変えられています。つまり福音書のなかではイエスを理解することができず、受難物語ではイエスを裏切り、彼を見捨てて逃げ去った弟子達ですが、イエスの復活の後、かれらは弟子という立場から使徒というステータスを得てキリスト教を全世界に広める、宣教・伝道活動に邁進するようになるのです(そのことは使徒言行録のところでお話ししましょう)。なぜ彼らがそんなに変革されたのか、それがイエスの復活を体験した、信じた結果だと思えるのです。
ではその科学が、キリスト教がイエスの復活を信仰の核に2000年の歴史を送ってきたことなど説明できるのでしょうか。むしろイエスの復活は、ある時死者が生き返ったという事件では終わらないということ、その事件によってその復活がもたらしたことが、まさにその周囲の人々を変革、転換させるような事柄だったのです。そしてこの復活の物語はこれも後でお話する使徒パウロにとっても決定的な意味をもつ出来事だったのです。いずれにしても復活がなければキリスト教はないというところだと思いますし、なぜイエスという存在がキリストと確信されるようになったか、それもこの復活なくしては論じられません。イエスが奇跡をおこなった、他のひとにはなしえないような教えを語った、人を愛した、ということも重要なモメントとなるでしょう。でもそれは必要条件ではあるにしても十分条件とは言えないのです。もうひとつ復活の意味をかんがえさせられる私の経験をお話ししましょう。大学時代の私の一年上の先輩は、専門は古代日本史でしたが、教会そして学校のチャペルのオルガニストとしても活躍されていました。彼の前で私がオルガンを弾いていると、君は初見でも練習しても一緒やな、といわれたことを懐かしく思い出します。それは私の初見!能力が高いということではなく、練習の成果が上がらないということだったのですが。その彼はやがて山口県のキリスト教大学の教員として赴任していきました。お連れ合いも教会音楽の専門家ということで、毎年クリスマスになるとお二人の、そしてのちには二人のお嬢さんたちも含めてクリスマス音楽のアレンジ、演奏を録音したカセット・テープのメッセージを送ってくださいました。それを毎年楽しみにしていたのですが、ある年それが届きませんでした。そしていろいろ事情を聴いてみるとどうも彼が癌で入院された、ということでした。その後ついに彼は亡くなられたのですが。その直前に家族でお見舞いに行きました。ところがなんと声をかけていいのか悩んでしまって、なかなかお家に着けませんでした(そのときはもう回復の見込みがないということで病院からお家に帰っておられたのです)。で、病床の彼と話をしていて、彼がそのときにイエス様の復活を信じるということを語ってくれたことがわたしにとっても大きな慰めであり、励ましをもらった思いでした。確かに彼はやがて若くして人生を終えることになったのですが、復活を信じながらその時を迎えるか、そのような希望もなく死んでいくのか、そこにはその本人にとって、そしてご家族をはじめ周囲の人たちにとってとても大きな違いがあるのです。パウロはイエスの復活をめぐって「主イエスを復活させた神が、イエスと共に私たちをも復活させ」という確信を語りますが、復活という思いによって、私たちにとって死という現実が終着点ではなく通過点でしかなくなっていることを教えられるのです。もちろんこれは気休めといえばそうですね。そんなこと言っても死んだら終わり、でしょう。でもその死の瞬間に私たちがどんな思い、恐怖と挫折、失望で終わってしまうのかどうか、それを私は考えておきたいと思うのです。実は復活などない、と考えている方が幸せなのかもしれません。それは自分の死ということもまた考えないでい続けられるということです。でもその時は確実に、いつか必ず、誰にでも訪れます。その時にイエスの復活の物語を知っているか、そんなことまったくどうでもいいと思っているのか、やはり私は最後まで人間としての尊厳を持ちつつその時を迎えたく願っているのです。
福音書の記事を追っていくと、イエスは復活したのち、地上での活動を続け、様々な人々との出会いを重ねるのです。その一番最初はヨハネ福音書に記されるように墓でマグダラのマリアと出会います(20章11節以下)。その後弟子達との出会い(19節以下)、ヨハネによる福音書で弟子たちと復活を疑ったトマスと(24節以下)、ガリラヤ湖でのシモン・ペトロたちとの出会い(21章4節以下)、そして最後にペトロとイエスの愛された弟子(15節以下)と続きます。ルカによる福音書ではエマオという場所に向かっていた二人の弟子たちとの出会い(ルカによる福音書24章13節以下 なおこの記事に基づいてイギリスで有名な讃美歌”Abide with me”日本基督教団1954年版での39番「日暮れて四方は暗く」)が作られています。これらのことについてはパウロがイエス・キリストの復活について「キリストが・・・、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました」(コリントの信徒への手紙一15章3節~6節)というように、日本聖書協会口語訳や新共同訳聖書では復活のイエスとの出会いを「現れ」と訳されていますが、ギリシャ語原文では「見られる」という意味の言葉が使われていますが、復活ということは、よみがえったイエスを目撃する、出会うという体験に基づき、その人たちの証言のなかで確証されていったのです。そのイエスの復活後の地上での活動は、福音書に続く使徒言行録の冒頭に「四十日にわたって・・・現れ」と記されており(使徒言行録1章3節)、その後弟子たちの前で「天に上げられた」(9節)と記されます。先ほどの使徒信条の言葉もこの記事に基づくものでしょう。ただし「神の右に坐し」ということはなく、おそらくこれも旧約詩編110編1節「わが主に賜った主の御言葉『わたしの右の座につくがよい』」という表現がイエスの時代によく知られており、おそらくパウロもその詩編を受けて「復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちを執り成してくださる」と記していることに基づいているのです。ということで、イエスの死後から以後の事柄は、歴史的(物語的)な聖書の記事に基づくというよりも、やや神学的というか信仰内容的な記事によるものとなっていきます。こうして復活をも含めてイエスの地上での働きは終わるのです。では地上からイエスという存在がいなくなってしまった後、キリスト教的に言うと、本来のキリスト教の時代が始まるということができるでしょう。そのことについては次回お話をします。