昭和3(1928)年
われ之が為にわが衷に能力をもて働き給うものの活動に従い、力を尽して労するなり(コロサイ書1章29)をテキストとし「活動」を標語にかかげて第三年に突入した。本年最初のそして最大の集会は山室軍平氏を1月9日迎えて開いた大講演会である。救世軍以外の教会に山室中将(当時少将で日本司令官になられた時)を迎える事は困難とされていた。平易にして福音的な講演は満堂二四七名の聴衆の心を強く捕らえずにはおかなかった。その席上献金はこれを救世軍へ贈った。
引きつづき堀貞一氏を迎え、五月には又々賀川豊彦先生を招いて十回の連続集会をもった。八月には一日ー二十日にわたり夏季夜間聖書研究会を開催した。これは広く外部へも働きかけ五十余名の会員を得、三十五名の皆出席者があった。この時の講師として松田明三郎教授が旧約聖書を、原野駿雄教授が新約を担当された。
初音牧師が芦屋伝道開始と共に抱いて居られた今一つの念願は基督教主義女学校設立であった。様々の条令や様々な関係でその実現には時間がかかるので取敢ず芦屋学園を教会堂を用いて開設す事とし、趣味講座から始める事になった。科目は、聖書讃美歌、国文習字、英語、西洋画、和洋裁、和洋料理、花、ピアノ、オルガン等多方面に及んでいる。大東亜戦争まで続いて遂に自然消滅となったが、これは責任者が神戸女学院教師と牧会と学園経営の三本立の多忙さから充分目的を果たし得なかったことによると思う。長年の労苦が報いられなかったにせよ、多くの子女に教会の門をくぐらせ伝道の助けとなった隠れた功績は忘れられてはならない。