昭和4(1929)年
元旦礼拝には八十余名が大いなる上よりの力を与えられ、六日には芦屋平田町に日曜学校分校を始め、更に十日長坂氏の婦人講演会、十三日松浦菊池両博士による禁酒講演会など年頭から活気にみちたすべり出しであった。二月には恒例の賀川氏伝道集会、三月には錦郡貞夫氏にとる宗教講演会と息つくひまもない有様であった。長谷川牧師又台湾を初め全国に福音宣教の旅をつづけられた。年間の統計によると四二ヶ所二四三回、伝道日数一一二日を数えている。真に「伝道」という標語に相応しい一年であった。
路傍伝道の為牧羊会(少年会)は志村卯三郎氏の指導で大太鼓を献げて街頭へ進出し、女子青年会は音楽会を催して現在使用のオルガンを献げた。これらは礼拝伝道に内容と力を増し加えた。盲人哲学者ライトハウス館長岩橋武夫しを始めて迎えたのもこの頃である。七月には組合教会本部から初音夫人に対して正式に伝道准允があった。
SSの教勢も亦盛んで在籍二三三名、平均出席一七五名となっている。