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はじめに
私は長くキリスト教主義大学で「キリスト教学」を教えてきましたが、いつも心に留めていることは、私の知っていることはキリスト教全体からしたらほんの一部にすぎない、ということです。例えばキリスト教には大きく分けて(これも欧米から見ての考え方ですが)3つのグループがあります。そのうち私の属しているのはプロテスタントという言い方でひとまとめされるグループで、もう一つはローマ・バチカンに中心をもつ(ローマ)カトリック教会、さらにこれも大きくまとめて正教会と言われる教会です。でも私の知っているのはプロテスタントがメインで、しかも後で詳しく説明しますが、プロテスタントという名前そのものが組織のまとまりへの抵抗を意味する言葉ですからとてもまとまりなどなく、結局私が慣れ親しんで来ている教派を中心とするものだけなのです。それで「キリスト教学」を講じるなんて、本当に無謀なことですが。
ではお前はキリスト教のことなど、本当は何もわかっていないのだろう、と決めつけられると、「そうですね、でも」と言わざるを得ません。その理由の説明のために少し自己紹介をさせていただくと、私の名前は 田淵 結(たぶち むすび)といいますが、二人兄弟の弟で兄は創(はじめ)。その名前は聖書冒頭の創世記という書物に由来しているということなのですが、そう両親はクリスチャン、父は牧師。母は両親ともに牧師である夫婦の長女、で牧師の娘であり、妻であり、母となりました。その母方の私にとっての祖父は明治生まれの牧師でしたが、最近私が牧師を仰せつかっている教会が創立100周年を迎えるということでいろいろ歴史を調べてみると、その祖父は横須賀の出身で、その親父、私のひいじいさん(曽祖父)もクリスチャンだったということが判明。ということは私は四代目のクリスチャンということか。よく三代目はなんとやら、ということで自分のこれまでの牧師あるいはクリスチャンとしての歩みの至らなさを悔やむところが多かったのだけれど、四代目ならそれほどでもないのか、いやもっと悲惨なのか、さらにいろいろ考えさせられるてしまいます。そのひいじいさんについては少しこれから調べて見ようと思います。もうひとつ私の母方の祖母は、日本組合教会という同志社系のプロテスタント教会最初の女性牧師だったようで、「男勝り」などというと祖母から叱られそうだしフェミニストのみなさんから糾弾を覚悟しなければならないが、男性社会のなかで生き抜いた女性。ただしその姿勢はいつも挑戦的、対抗的というよりもむしろユーモアを効かせて状況を受け止めるという、ある意味余裕派。その彼女が私が生まれたとき、兄が「はじめ」なら弟は「むすび」ではと冗談めかして口にしたことを、真面目な父がそのまま私の名前にしてしまったということのようだ。次が生まれたら? それなら「むすんでひらいて、ひらく、かな」なんて会話があったかどうか知らないが、とにかく私は祖母の一言で名前をつけられた。まあ聖書的に言うと「私はアルファであり、オメガである」(ヨハネの黙示録21章6節)ということもあって、これでもいいかと今までこの名前とお付き合いをしてきている。普通にちゃんとよんでもらえないのはともかく(極めつけは 病院の診察申込みで名前を漢字で横書きをしたら、「たぶち いときち」さんと呼ばれたこともあるし、ハワイでもこの名前はとても有名?)。で何が言いたいかというと、お前はキリスト教のことなどほんの少ししかわかってないじゃないか、と言われても、そうですね、というのは事実だけれど、私がこれまで75年間そのなかで生きてきたキリスト教というものは私のなかに染み込んでいるというよりも、私自身そのものになっている。といって私が経験ですごい信仰者であるなどとはとても言えない。キリスト教がなにかということを、私の人生を通じて向き合ってきたからこそ、さっきの三代目ではないが、私はあかんと思わされてきているのも事実。でもじゃあお前の知っていることなど意味はない、ということなど言われたくもない。それはお前の人生なんて意味はないと言われているのと変わらないから。ということで、私のお話の常として何が言いたいかよくわからないような前置きが長々と続いてきたが、私も今年から後期高齢者となると、やはり自分なりに自分にとってのキリスト教って何だったんだろうということをどこかでまとめておきたいと思って、このキーを叩いています。どなたに読んでいただきたいとかではなく、そんなふうにキリスト教を私が見てきたという小さな足跡を残しておきたいと思うだけ。だから内容も組織神学のような系統的な内容でもありません。その日に思いつくことを散文(まさに文を散らしながら、書いていきます)さてその足跡にもう一人の足跡が伴っていてくださるのか、それを信じたいがそうあってくださいと祈るだけですが。
第一回
日本社会にしっかりと根付いているキリスト教、教会などいかなくてもあなたは立派なクリスチャン!
私が担当していたキリスト教学というのは、キリスト教主義大学としての必修科目であり、その単位を取らなければ卒業はできない。だから私は一応学部生すべてを教えて来たし、学部生すべてに色んな意味で知られている。その学生諸君の大半は私の授業で人生初めて聖書を買わされ、開かせられ、読まされる。そんなの信仰の強制ではないか、と言われたらではなぜあなたはこの大学に入学したいのか? あなたが入学のときに提出した入学宣誓書に「本学の見学の精神を尊重する」と署名捺印までして約束したことはなんだったのか、と私は思っている。長い経験のなかからすると、私の授業内容への批判は、実はクリスチャン(しかも熱心な)学生からのほうが多かった。一般に公開されっる学生による授業評価で「(私の教える)文学部のキリスト教学は、もっとちゃんとしたクリスチャン教員に単相させろ!」とコメントを寄せられたこともあるし、私の授業中にこれ以上聞いてられないと教室から出いった学生さんもあった(しかしなぜか、その後彼女は私の専門ゼミの数少ないゼミ生となってくれた)。そんな批判を受けるのは、私の授業は教会の信仰を前提とするような内容ではなく、現在の日本社会においてキリスト教ってどんな意味があるかを考えさせるものだからだ。ただし、私の期末試験の問題は「イエス・キリストについて説明しなさい」という一問を繰り返し出題してきたが。そして最初に語ることが、このなかで初めてキリスト教について触れる人、初めて聖書を読む人、どれだけいますかという質問。多くの学生が手を上げるが、そのとき、みなさんはキリスト教にあまりにもどっぷり浸かりすぎていることに気が付かないんですね、とやり返すことにしている。そこで以下の10の質問にイエスかノーかで答えてください。(1)いままで小学校からずっと日曜は学校がお休みだった。(2)12月23日と24日、24日のほうが楽しみ。(3)次の言葉をしっている、あるいはせめて聞いたことがある 目からうろこ (4)砂上の楼閣 (5)ゴスペル (6)エヴァンゲリオン (7)西暦を使うことに抵抗はない (8)クロス(十字架型)のデザイン、アクセサリーを身につけることに抵抗はない。(9)蛍の光を歌える (10)バレンタイン、ハロウィンを楽しんでいる。 まあいくつかはけっこうこじつけですが。みなさんはどうですか。このすべてがキリスト教によるものですし、中にはキリスト教の核心につながるものもあり、それを皆さんはまったく抵抗なく、いや気づかずに当然のこととして自分の生活に受け入れているのです。
例えば日曜日、これは日本の法律でも官公庁の休日として定められていますが、それは明治維新の際に欧米のカレンダーをときの政府が無批判に受け入れた結果です。そして欧米が日曜日を休みにしているのはキリスト教の伝統によるものですし、キリスト教が日曜日は「聖なる日」とするのは、伝統的にイエスが十字架上で殺されたのが金曜日(13日ではありません)、それから三日目に復活した、つまりイエスの復活の日として重んじているからですね。その前提としてユダヤ教に根拠となる旧約(聖書)では、安息日規定があって一週間のうち一日は決して労働をしてはいけない、という掟があります(出エジプト記20章8節)。つまり日本社会もこの旧約の掟にしたがって一週間のうち一日を休日とし、さらにキリスト教の信仰によって日曜日を休みにしているのです。そんな背景はまったく理解しないままに。
もしあなたがネットでイスラム圏外の友人がいて、12月冬休みの時期に日本にやってくるので、空港まで迎えに行った。その友人は感激して、忙しいのにありがとう、というと今日は日曜で休みだから大丈夫とあなたは答え、早速とクリスマスのイルミネーションが美しい街を案内し、今日ゴスペルのコンサートがあるんだけれど行こうよ!なんて言ったら、その友人はきっとあなたを、そして日本をキリスト教社会だと思うことでしょう。ちなみに私がキリスト教学を教えていた頃は12月23日は天皇誕生日の祝日でした。それでも24日のほうが楽しみという学生さんが圧倒的でしたね。
そうなんです、キリスト教は、今までそんなものに触れたことなどない、教会など行ったこともない、という人たちの日常生活のなかにすでに浸透しているのです。私はそこにとても興味があります。つまりこうやってキリスト教を考えること、それは現在の日本社会のあり方を見直すとてもよいきっかけになるからです。これだけキリスト教に囲まれていて、なぜ私達はキリスト教に気づかないのでしょう。なぜキリスト教を「敬遠」してしまうのでしょう。そんな目でキリスト教を考えるということは、実は私達の社会そのものを考えるとても大きなヒントとなるように思うのです。
第二回 日本のキリスト教 その1
前回で日本社会はキリスト教にどっぷり浸っていることを指摘しましたが、では日本のキリスト教人口ってどれぐらいなのだろうか。こういう宗教人口調査というのは実はほとんど実態がないと言ってもいいようなものだと私は思っています。みなさんは世界の三大宗教ってなんだと思いますか。学校などではキリスト教、イスラム教、仏教と教えられるのでしょうが、仏教よりもヒンドゥー教のほうが信者数は大きいとされています。仏教は全世界の5%ぐらいのようです(ヒンドゥー教は15%)。ただしこれはまったくアバウトな計算です。別にその人たちにアンケートをしたわけではなく、インド人の人口数をそのままヒンドゥー教徒として計算た結果です。イスラム教も、キリスト教も似たようなもので、だいたいそれを信じているだろうと思われる国の人口、そのなかでの信者数の合計を出したにすぎません。日本の場合も、例えばキリスト教の場合、私達の教会も宗教法人という組織ですから、年に一度その認可権限をもつ県から信者数動向調査があり、それに答えます。おそらく他の仏教であれ、神道であれ、新興宗教であれ、同じような調査によって信者数が計算されると思いますが、キリスト教の場合、信者になるのは結構面倒臭いというとまた叱られそうですが、厳格な規定があって教会に通い、洗礼という儀式を通じて信仰を公に告白し、教会を支える責任を表明し、教会員として登録されるのですが、宗教、宗派によっては信者の定義をそこまで細かくしないで、一度でも行事に参加した人とか、その地域に住んでいれば氏子登録にされるとか、結構アバウトですから、日本の宗教人口は、実際の人口に1.5倍近くあるとさえ言われます(文化庁宗教統計調査)。さてその厳密?な日本のキリスト教人口ですが、だいたい全人口の1%以下とされています。しかもそこにはキリスト教を名乗るあらゆる団体(つまり宗教法人への調査でキリスト教として登録されている団体すべて)が含まれますから、カトリック教会もあれば、私どもの教会もあるし、私達から見れば新興宗教的というか非正統的と思われる団体もすべて含まれます。あまり実名を出すのもはばかられますが、よく各家庭を訪ねて聖書のお話をしませんか、という団体など、私達からすればそれもキリスト教?と思わされる団体も含まれますし、その団体がどのように信者数をカウントしているのかはよくわかりません。自己申告ですから。その調査でキリスト教が1%以下というのですから、日本ではキリスト教は少数派です。でも日曜日やクリスマスを当たり前に受け入れている社会は決してキリスト教とは無縁ではないのですし、そこに宗教の面白さというかややこしさがあるのです。どうも宗教を信仰するということは、そのご本人の強い自覚とか意識によるものとされるのが普通だとされています。だから教会に行ったり、洗礼を受けたりしないとクリスチャンではないという理解が一般的だし、キリスト教自体がそう受け止めています、でも日曜休日という生活スタイルがキリスト教的なのだとしたら日本人全体はクリスチャン的に生きているということのはずなので、私はこの文化庁の宗教調査が当てにならないとずっと思っています。これはあくまでも宗教法人という組織に対する調査であって、神道が地域のみなさんを氏子として考える(私自身もおそらくそのひとりに数えられているでしょう)ほうが自然かもしれません。イスラム教世界で、毎日の生活の中でイスラム的な生活をする人はすべてイスラム教徒と考えられて当然なのです。ただそんなお話を繰り返していても、議論はまとまりませんので問題を「自覚的な」クリスチャンに焦点をあてて少し考えてみましょう。
その点から考えるとクリスチャンは日本では少数者でしかありませんし、なんとなく民主主義は多数決と思い込まれてしまっている社会からすれば、無力な存在でしかありません。ちょっとした比較ですが、お隣の韓国での(自覚的)クリスチャン人口は国民の三割以上と言われています。ソウルや釜山などの街を歩くと、やたら大きな教会が目に付きますし、ちょうど日本でお寺や神社を目にするのと同じようなものですね。同じ儒教的文化を持つアジア文化圏のななでなぜ韓国(30%)と日本(1%)と、それだけの差があるのでしょうか。それは大きなキリスト教が大きな政治権力とともに需要されたからだと私は思っています。韓国だけではなくフィリピン、そして中南米やアフリカのキリスト教は植民地主義とともにキリスト教を押し付けられた、受け入れさせられたのです。もちろんそこには宣教師の方々の自主的な布教・伝道活動もあったことでしょうが、それだけでは日本と同じような結果にしかならなかったでしょう。むしろ国家がキリスト教によって国民を支配するという形をとってこそ、それだけの浸透力が発揮されるのです。そしてその歴史が数十年から数百年となるともはや民衆の側にはキリスト教以外のものを受け止める状況はなくなっていたはずです。韓国の場合は特に第二次対戦以後の宗教はアヘンだとする共産主義との対立のなかで、アメリカを中心とする西側諸国の影響はとても強く、歴代大統領にもクリスチャンが多かったこと、そして実は韓国のキリスト教が実はとても儒教的感覚で理解されたこともあって、社会的な支持を受け続けたのでしょう。ところが日本ではまさに江戸時代の鎖国、キリシタン禁令政策、明治以後の国家神道政策の徹底のなかでキリスト教は、敵性宗教化され、例えば公教育の場所から排除される形となってしまいました。つまり日本の政治権力者たちは、キリスト教のうち利用できる部分はそれがキリスト教であることを見せずに採用し(カレンダーなど)、キリスト教信仰そのもののあり方を否定、排除し続けてきたというところでしょうか。ですから明治維新以後150年以上がたち、キリスト教が明治以後改めて日本に入ってきてもいつまでたってもキリスト教は決して日本人の宗教として認められることはないのです。
若干お話はそれますが、皇室の宗教ってなんだと思いますか? 伊勢神宮、天照大御神の皇統を考えると当然神道ということになりますが、幕末まで天皇家は徹底して仏教信仰に基づいていました。奈良の大仏を建立した聖武天皇のことを持ち出すまでもなく、明治以後の国策の中で天皇家は神道の主宰者とされていったのです。幕末まで、いや今もでしょうか、天皇家の菩提寺は京都の泉涌寺というお寺、とても静かな境内は京都観光?の穴場ですし、その場所をあるカナダ人の方に紹介したところ、とても感激されました。国家神道としての歴史は明治期のキリスト教と長さ的には変わりませんし、明治神宮、平安神宮、湊川神社、すべて明治以後の建物です。でも方や舶来のバタ臭い(なんていいかたはもう通じないでしょうか)宗教、かたや日本古来の伝統として一般的に受け止められているのも不思議といえば不思議ですね。また仏教もインド発祥、中国韓国経由でやってきた外来宗教ですから、あと1000年ぐらいするとキリスト教も日本の宗教となっているのでしょうか。
第三回 日本のキリスト教 その2
日本の社会はキリスト教に対して、とても素直でない関係をもちつづけているようで、一方で生活習慣としてその多くを受け入れながら、その習慣を支える考え方はかたくなに拒んでいる、というところが私の観察です。またお話が最初から横にそれていきそうですが、私もクラシック音楽が好きでよく聴いていますが、演奏会などでもキリスト教音楽がたびたび取り上げられます。クリスマス前にはヘンデルのメサイア、季節を問わずモーツァルトのレクイエム、あるいはフォーレやヴェルディのものも。そしてイースター時期を中心にバッハのマタイやヨハネの受難曲。でもそれを聴いている方々は決してご自身はクリスチャンの信仰をお持ちとは限らないのですね。音楽家の方にとっては、それがある意味(本当に失礼な言い方ですみません)「飯のタネ」なのでしょうか。ただし一番そうなっているのは牧師自身でしょうかなどと言ったらますます私は居場所がなくなってしまいます。こんなクラシックの名曲がコンサートプログラムに上るのは素晴らしいことですが、だからと言ってやはりクリスチャン人口が増えるとか、キリスト教への一般的理解が深まることになかなかつながらないのがなぜだろうと思わされるだけなのですが。
さてそれはさておき、自覚的なクリスチャンが日本人の1%未満ということ、ということで日本社会がキリスト教という意味において世界的に無力で意味のない存在のように思われてしまうかもしれないのですが、私は1%未満だからこそキリスト教として世界的に大きな意味を持っていると考えているところもあります。ある意味負け惜しみ的にせよ。新約福音書のなかでも有名なイエスのたとえ話のなかに100匹の羊のうち1匹がいなくなるというものがあります(マタイによる福音書10章10~14節、ルカによる福音書15章3~7節)。イエスはその失われた一匹を探し求めるということに注目しますが、まさに日本の(自覚的)クリスチャンの姿を私はこの物語にいつも重ね合わせています。福音書というか聖書そのものは、本来多数派の宗教ではなかったのです。旧約の申命記を読んでいても、イスラエルが神様に愛されたのは「あなたたちがほかのどの民族りも貧弱であった」からだとされています(申命記7章7節)。その小ささ、貧弱さを神が愛されたというのが基本となっているはずのものが、聖書のそしてキリスト教の歴史のなかでいつのころからか宗教的な勢力が増大し、教会組織が巨大となり、地上の権力との結びつきのなかで世界を支配するというような形になってしまったのですね。そうなると小さきもの、少数者、差別されている人たちへの関心も薄れ、成功者、有力者の宗教となってしまうという歴史が生まれてゆくのです。ただしそれだけの地上の権力を手にしたから、キリスト教は世界中に広まることができたのですから、皮肉と言えば皮肉、そんな歴史が誤りかとも決めつけられない矛盾をキリスト教は引き込んでしまったのです。そうなると世界的なキリスト教と日本のキリスト教の意味は大きく違ってくることになります。世界的なキリスト教はその規模を誇り、世界宗教としての存在の大きさを示すものとなるのですが、日本のキリスト教は貧弱さ、弱小さ、小ささのなかで自分の存在の意味を(否が応でも)考えざるを得なくなっているのです。日本の教会のなかで大教会と呼ばれる規模は数百人、多くて千人ぐらいでしょうか。韓国の教会は一万人単位ですから、規模が違いすぎますね。その貧弱な、そして弱小な教会の果たすべき役割とは何でしょう。1匹の羊としての存在の意味です。つまり多数のなかで無視されてしまう、忘れられてしまう、小さな存在こそが、大多数の集団の持っている問題性をとても強く実感することができるのです。政治的に考えると、民主主義が多数決というのは確かに民衆(デモス)の力(権力 クラトス)を行使することでしょうが、もっと大事なことはその集団、社会を構成する一人一人の思いをお互いにしっかりと受け止める、少数者の尊重ということがあるのです。「みんなで渡れば怖くない」なっていっている状況が一番怖いのです。多数者の横暴、誤りを指摘できるのはその集団に属さない存在、少数者だからこそです。そして自分は多数者の一人だと安心している人が、その集団のなかで自分の独自な主張を行おうとすると、実は少数者として無視されてしまうのです。イエスが1匹の羊に注目するように語るのは、99匹という集団も、それぞれ個性的な一匹が99匹集まっているということなのですね。おそらく日本のキリスト教が担う役割とは、もともとキリスト教が少数者、弱い立場に置かれている人たちへの福音であったということを一番強く感じることでしょうし、実は私の教会も創立100周年を記念して建設しようとする新しい礼拝堂も、まさにそんなおひとりひとりがともに集う、小さな群れのための建物でありたいと願っているのです。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの天の父は喜んで神の国をくださる」(ルカによる福音書9章32節)、それがイエスの綿差したちへの約束なのですね。
第四回 世界のキリスト教 その1
今回お話すべきことは、もうすでに書いてしまったことの繰り返しのようになりますが、世界的なキリスト教の存在は、ここでもあらゆる教派をふくめて世界最大の宗教ということになっており、その教派のなかでもローマ・バチカンを中心とするカトリック教会は現在11億人の信徒を擁しています。でも本来、現在のパレスチナ、イスラエル共和国の片隅、ガリラヤ地域で生まれた本当に小さな信仰団体が、しかもその最初の中心人物が十字架によって処刑されるという、本当に不名誉な事件を引き起こしながらも、その300年後には地中海世界を支配するローマ帝国の国教となっていったその理由は、実はあまりよくわかってはいません。まさに神様の果たされた奇跡ということでしょう。それ以後、キリスト教は地中海ヨーロッパを中心に勢力を拡大し、十字軍などによってイスラム世界にも勢力を広め、やがてヨーロッパ諸国の世界制覇のうごきのなかで、それに伴う形で世界(を支配する)宗教となっていったのですね。もちろんヨーロッパ社会の中では地上の政治的権力者との緊張、軋轢のなかで様々な事件もありましたが、結果としてこの地上の権力(経済力、軍事力などなど)と結びついたキリスト教は絶対的な地位を占めました。カトリック教会の考え方に破門というものがあります。これはやや中世の時代の考え方かもしれませんが、人は破門されるということで死後天国に入る可能性を閉ざされるということになります。なぜなら新約聖書福音書のなかでイエスが弟子ペトロ(ペテロ)を基礎として教会を建て、彼に天国の鍵を預けるという記事があります(マタイ福音書16章14~19節)。カトリック教会はこの記事に基づいて、最初の教皇(法王)こそこのペトロであり、彼の権威の上に自分たちの教会は建てられている。そしてそのペトロの後継者となる歴代教皇だけが地上で天国の鍵を持ち続け、誰が天国に入れるのかを定める権能をゆだねられているという信仰を生み出しました。だからこそバチカンの礼拝堂はサンピエトロ寺院(聖ペテロの寺院)と呼ばれ、彼の墓の上にそれが建っているということになっています(もし興味があれば、ダン・ブラウンによる小説『天使と悪魔』をどうぞ。私はローマに行ったことはないのですが、この小説はローマ、バチカンのガイドブックとしても面白そうですね)。そのような伝統を振りかざしてカトリック教会はその信者でなければ天国に入ることはできないということを根拠に、近代以前のころまで人々の思いを支配し続けることができたのです。そしてその教会を破門されるということは、もう天国に入ることもできない輩ということで、そんな人は「生かしておくのもゆるされない」ということで生命の保障なども奪われてしまったのです。異端審問とか魔女裁判とか、まさにそういう形で多くの人々がカトリック教会によって抹殺されるという暗い歴史もありましたが(これはあくまでも中世のお話です)、そのように破門された一人のカトリックの修道僧、それが16世紀に生きたマルチン・ルターというドイツ人でした。彼はもともと熱心にカトリックの信仰を守っていましたが、自分の魂の平安をカトリック教会において熱心にもとめようとすればするほど、それが得られないというジレンマを感じていたのです。そこで思い余ってというか、真正直に教皇に対して信仰上の質問書を公開で提出します。ところが教皇は、天国の鍵をさえ預かる地上におけるイエスの代理人ということで、その教えは無誤謬、つまりまったく誤りがなく、疑問を持つことさえ、ましてそれを公開で問いただすことなど決してゆるされないことでした。そこでマルチン君はカトリック教会から破門されてしまうのです。しかし彼がドイツ人であったというところが幸いして、ドイツとローマとは少し離れたところにあり、またドイツの領主たちもローマカトリックの言うなりにはならなかったので、彼をかくまい、結局マルチンのカトリック教会に対する最初は質問から始まり、やがてその姿勢への抗議活動(つまりプロテスト運動)となっていく動きを支持し、そこでマルチンを中心としてカトリックに属さない新しいキリスト教の考え方を提唱していった、つまり宗教改革運動(抗議=プロテストする人たちの集団=プロテスタント)が生まれていったのです。やがて細かい考え方は別として絶対の権威者と考えられていたローマ教皇への抗議、批判活動が許されるというその影響は他のヨーロッパ諸国にも影響し、イギリスではヘンリー八世という王様がイギリス独のキリスト教の教会(アングリカン・チャーチ=英国国教会)を、スイスではカルヴィンが独自の教派を、フランスではユグノーとよばれる人たちがプロテスタントとして生まれていきました。ただし、ルターにしてもヘンリー八世にしても、そこで生まれた新しいキリスト教もやはりそれを政治的な背景、支持者によって成り立っており、結局カトリック教会と同じように、地上の権力との連携のなかで自分たちの存在を主張していったのはある意味ヨーロッパ社会においては自然なことだったのでしょう。
ということで歴史的にみるとヨーロッパ的なキリスト教は政治的な権力との連携のなかで発展していったからこそ、それだけの存在感があり、多大な影響を十字軍、植民地主義などでより広く地球全体にも及ぼしていったのです。それが歴史の動きですし、キリスト教的に言うと神様の導きだったのでしょう。というのも、そのような地上での権威をもちえたからこそ、キリスト教はさまざまな芸術家を通じ多くの歴史的作品を世に残すことができたのですし、そのような芸術(音楽、美術、建築、その他さまざま)を今の多くの人たちが称賛しています。それだけ人間の文化性も発揮されたのでしょうし、日本社会のなかでもそのような作品は高く評価されているのは、先に少し述べたとおりです。ということで大学のキリスト教学の授業では、キリスト教のことを知っていいると例えば美術鑑賞などにとても「役に立つぞ」と学生諸君に話したりもします。例えば西欧の宗教絵画の大きなテーマのひとつに、処女であるはずのマリアに天使がイエスを身ごもっていることを伝えるというシーンがあります。ルカによる福音書1章の物語で受胎告知と言われます。さてその絵画を鑑賞するときに、その画面のなかのマリアの位置と天使の位置、どちらが上位に置かれているか、などということが実はとても重要な意味を持っています。つまりマリアとはだれかということを画家は描きださなければならなかったのですし、それはその画家の時代のキリスト教の考え方を反映しているのです。中世の神学論争に、マリアはイエス・キリストの母か、神の母か、というものがあります。そんなの当然イエスの母だと答えると、もしかすると異端審問で破門されるかもしれません。なぜならイエス・キリストは「真の人にして真の神」、三位一体の一つの位格としてのキリスト教の「正統」信仰では神様ですから、正解はマリアはそのキリストを生んだ神の母ということになります。ですから当然天使(神様のお使い)よりも高い位置に描かれなければなりません。ところがプロテスタントの考え方では、マリアはナザレという場所に生まれた貧しい一女性でしかないので、天使の方が高い地位に置かれがちです。そんなことを知っていて何になるというような議論ですが、でももしヨーロッパの美術館などで本物の歴史的絵画をみるときに、これはこうなっているのか、と知っていることは、その体験をより深いものにしてくれるでしょう。だからキリスト教学を学んでいると、ちょっとはええこともあるぞ、ということもお話します。いつものことで私のお話の流れはとても分かりにくくなりましたが、ここで言いたかったのは、ヨーロッパ中心のキリスト教は時の政治権力と連携することによって存在感を発揮してきたということですし、それがもたらした弊害(十字軍や植民地主義、そして神の名を掲げての「聖戦」とされる戦争)もあるものの、それも含めて神様の導きの中にあったのだろうということです。だからキリスト教は世界中に拡大していけたのですし、フランシスコ・ザビエル氏が日本にキリスト教を伝えたのも、そのおかげだったでしょう。
第五回 世界のキリスト教 その2
さて、ヨーロッパ中心に発展したキリスト教は、17,8世紀に大きな変化を遂げていきます。その一つの理由は宗教改革でしたが、それは中世的カトリック教会の教皇中心主義に抵抗するもので、それまで絶対の権威者とされてきた教皇にさえ抵抗することがゆるされるということを世界に示す結果だったのです。そこで初めて「抵抗権」が意識されてきたのですが、この抵抗権ほどまた手に負えないものはなかったようです。というのもマルチン・ルター君は自らローマ教皇への抵抗を行ったのですが、それは同時に自分に対する抵抗をも認めることを認めなければならなかったのです。もしそれを認めないとすると、自分がただ教皇に代わって絶対的な権威者となることに終わり、宗教改革の意義を根本的に否定することなってしまうからです。ということでプロテスタント的な教会が成立すると、すぐにプロテスタント内部でさまざまな抵抗運動が繰り返され、プロテスタントはまったくまとまりのないキリスト教信仰集団となってしまったのです。sこでおびただしいキリスト教プロテスタント教派が生まれて生きました。ルターとカルヴァンのことは前回に触れましたが、ドイツでのルターの宗教改革運動は、それまで教会を経済的にも支配していたカトリック的修道院や領主たちとの闘い、破壊運動にまで至ると、ルターは暴力行為を禁止しようとしましたが、そのルターの姿勢こそ中途半端で生ぬるいと批判され、より急進的な運動も生まれ、スイスのツヴィングリなどがルターと袂を分かっていったのです。またイギリスではアングリカンチャーチが支配的になりましたが(時々カトリックへの揺り戻しも経験しながら)、その教えに従いたくない人々ーディセントたちーに対する宗教的迫害が行われた結果、その人々はいわゆる新大陸(アメリカ大陸)に移住し、そこで自分たちの独自のプロテスタント信仰を展開しました。その人たちを中心にしたアメリカ建国物語などが生まれましたが、その時の建国者たち(ピルグリムファーザーズ)は、政治権力とキリスト教との連携に慎重であり、決してキリスト教をアメリカの国教としようとはしませんでした。ただしアメリカ人の生活行動の当然の規範・基盤としてプロテスタント的キリスト教の信仰理解が前提となっており、その意味ではアメリカのキリスト教は、間接的に政治的な動きともつながっていたとも言えるでしょう。以後アメリカでは、1960年代のケネディ大統領まですべてプロテスタントのクリスチャンが大統領を務めています。そして、幕末の鎖国を打ち破ったペリーがアメリカ人であったことに象徴されるように、その時から日本にやってきたプロテスタント宣教師は主にアメリカ人が中心だったことも興味深いものがあります。アメリカ的プロテスタントキリスト教の特徴は、健全な市民感覚というものでしょうか。王様や皇帝という存在による国家ではなく、自分たちが良心に基づいて理想的な国づくりをする、ということで知性的、道徳性、健全さなどが強調されていたようです。さらにヨーロッパのように長い歴史的伝統によって守られたキリスト教ではなく、自分たちの努力と責任においてキリスト教もまた維持されていくものとなり、非常に意識的に教会生活の正しい在り方なども強調されています。ローラ・インガルスの記した懐かしい小説『大草原の小さな家』シリーズの中に描かれる家族はまさにそのようなキリスト教を背景としており、教会の礼拝にいかなければならない日曜日がいかに退屈な日であるかということを子どもの視線で描いているところなど、私自身妙に共感した記憶があります。しかし例えば奴隷制について、アメリカの教会の理解は決してまとまっておらず、南部の教会はそれを肯定し、北部の教会が反対するという図式は、政治権力としてよりも政治の動きにのなかにキリスト教が深くかかわっていたことも事実ですし、そのように南部北部で異なったキリスト教理解が生まれ、同じ教派、例えばメソジスト教会やバプテスト教会なども南北で分裂していったというのもプロテスタント的なのでしょう。と同時にその奴隷制度をめぐっては白人内部での意見・主張の対立に加えて、奴隷身分に置かれていた黒人たちのキリスト教信仰の理解も重要で、その苦しみからの解放を信仰に求める中で、マルチン・ルサー・キング牧師のような公民権運動の指導者が登場するのもまたアメリカのキリスト教の独自の動きでしょうし、そこにプロテスタント的抵抗権の新しい展開を読み取ることができます。