はじめに
私は長くキリスト教主義大学で「キリスト教学」を教えてきましたが、いつも心に留めていることは、私の知っていることはキリスト教全体からしたらほんの一部にすぎない、ということです。例えばキリスト教には大きく分けて(これも欧米から見ての考え方ですが)3つのグループがあります。そのうち私の属しているのはプロテスタントという言い方でひとまとめされるグループで、もう一つはローマ・バチカンに中心をもつ(ローマ)カトリック教会、さらにこれも大きくまとめて正教会と言われる教会です。でも私の知っているのはプロテスタントがメインで、しかも後で詳しく説明しますが、プロテスタントという名前そのものが組織のまとまりへの抵抗を意味する言葉ですからとてもまとまりなどなく、結局私が慣れ親しんで来ている教派を中心とするものだけなのです。それで「キリスト教学」を講じるなんて、本当に無謀なことですが。
ではお前はキリスト教のことなど、本当は何もわかっていないのだろう、と決めつけられると、「そうですね、でも」と言わざるを得ません。その理由の説明のために少し自己紹介をさせていただくと、私の名前は 田淵 結(たぶち むすび)といいますが、二人兄弟の弟で兄は創(はじめ)。その名前は聖書冒頭の創世記という書物に由来しているということなのですが、そう両親はクリスチャン、父は牧師。母は両親ともに牧師である夫婦の長女、で牧師の娘であり、妻であり、母となりました。その母方の私にとっての祖父は明治生まれの牧師でしたが、最近私が牧師を仰せつかっている教会が創立100周年を迎えるということでいろいろ歴史を調べてみると、その祖父は横須賀の出身で、その親父、私のひいじいさん(曽祖父)もクリスチャンだったということが判明。ということは私は四代目のクリスチャンということか。よく三代目はなんとやら、ということで自分のこれまでの牧師あるいはクリスチャンとしての歩みの至らなさを悔やむところが多かったのですが、四代目ならそれほどでもないのか、いやもっと悲惨なのか、さらにいろいろ考えさせられるてしまいます。そのひいじいさんについては少しこれから調べて見ようと思います。もうひとつ私の母方の祖母は、日本組合教会という同志社系のプロテスタント教会最初の女性牧師だったようで、「男勝り」などというと祖母から叱られそうだしフェミニストのみなさんから糾弾を覚悟しなければならないのですが、男性社会のなかで生き抜いた女性。ただしその姿勢はいつも挑戦的、対抗的というよりもむしろユーモアを効かせて状況を受け止めるという、ある意味余裕派。その彼女が私が生まれたとき、兄が「はじめ」なら弟は「むすび」ではと冗談めかして口にしたことを、真面目な父がそのまま私の名前にしてしまったということのようです。次が生まれたら? それなら「むすんでひらいて、ひらく、かな」なんて会話があったかどうか、とにかく私は祖母の一言で名前をつけられました。まあ聖書的に言うと「私はアルファであり、オメガである」(ヨハネの黙示録21章6節)ということもあって、これでもいいかと今までこの名前とお付き合いをしてきています。この名前普通にちゃんとよんでもらえないのはともかく(極めつけは 病院の診察申込みで名前を漢字で横書きをしたら、「たぶち いときち」さんと呼ばれたこともあるし、ハワイでもこの名前はとても有名?)。で何が言いたいかというと、お前はキリスト教のことなどほんの少ししかわかってないじゃないか、と言われても、そうですね、というのは事実だけれど、私がこれまで75年間そのなかで生きてきたキリスト教というものは私のなかに染み込んでいるというよりも、私自身そのものになっているとういうことです。といって私が敬虔ですごい信仰者であるなどとはとても言えない。キリスト教がなにかということを、私の人生を通じて向き合ってきたからこそ、さっきの三代目ではないが、私はあかんと思わされてきているのも事実。でもじゃあお前の知っていることなど意味はない、ということなど言われたくもない。それはお前の人生なんて意味はないと言われているのと変わらないから。ということで、私のお話の常として何が言いたいかよくわからないような前置きが長々と続けましたが、私も今年から後期高齢者となると、やはり自分なりに自分にとってのキリスト教って何だったんだろうということをどこかでまとめておきたいと思って、このキーを叩いています。どなたかに読んでいただきたいとかではなく、そんなふうにキリスト教を私が見てきたという小さな足跡を残しておきたいと思うだけ。だから内容も組織神学のような系統的な内容でもありません。その日に思いつくことを散文(まさに文を散らしながら、書いていきます)さてその足跡にもう一人の足跡が伴っていてくださるのか、それを信じたいがそうあってくださいと祈るだけなのです。
第一回
日本社会にしっかりと根付いているキリスト教、教会などいかなくてもあなたは立派なクリスチャン!
私が担当していたキリスト教学というのは、キリスト教主義大学としての必修科目であり、その単位を取らなければ卒業はできない。だから私は一応学部生すべてを教えて来たし、学部生すべてに色んな意味で知られている。その学生諸君の大半は私の授業で人生初めて聖書を買わされ、開かせられ、読まされる。そんなの信仰の強制ではないか、と言われたらではなぜあなたはこの大学に入学したいのか? あなたが入学のときに提出した入学宣誓書に「本学の見学の精神を尊重する」と署名捺印までして約束したことはなんだったのか、と私は思っています。長い経験のなかからすると、私の授業内容への批判は、実はクリスチャン(しかも熱心な)学生からのほうが多かった。一般に公開される学生による授業評価で「(私の教える)文学部のキリスト教学は、もっとちゃんとしたクリスチャン教員に担当させろ!」とコメントを寄せられたこともあるし、私の授業中にこれ以上聞いてられないと教室から出いった学生さんもあおられました(しかしなぜか、その後彼女は私の専門ゼミの数少ないゼミ生となってくれたのですが)。さらにはあなたには信仰がない!とまで決めつけられたりしましたね。そんな批判を受けるのは、私の授業は教会の信仰を前提とするような内容ではなく、現在の日本社会においてキリスト教ってどんな意味があるかを考えさせるものだからだ。ただし、私の期末試験の問題は「イエス・キリストについて説明しなさい」という一問を繰り返し出題してきたが。そして最初に語ることが、このなかで初めてキリスト教について触れる人、初めて聖書を読む人、どれだけいますかという質問。多くの学生が手を上げるが、そのとき、みなさんはキリスト教にあまりにもどっぷり浸かりすぎていることに気が付かないんですね、とやり返すことにしている。そこで以下の10の質問にイエスかノーかで答えてください。(1)いままで小学校からずっと日曜は学校がお休みだった。(2)12月23日と24日、24日のほうが楽しみ。(3)次の言葉をしっている、あるいはせめて聞いたことがある 目からうろこ (4)砂上の楼閣 (5)ゴスペル (6)エヴァンゲリオン (7)西暦を使うことに抵抗はない (8)クロス(十字架型)のデザイン、アクセサリーを身につけることに抵抗はない。(9)蛍の光を歌える (10)バレンタイン、ハロウィンを楽しんでいる。 まあいくつかはけっこうこじつけですが。みなさんはどうですか。このすべてがキリスト教によるものですし、中にはキリスト教の核心につながるものもあり、それを皆さんはまったく抵抗なく、いや気づかずに当然のこととして自分の生活に受け入れているのです。
例えば日曜日、これは日本の法律でも官公庁の休日として定められていますが、それは明治維新の際に欧米のカレンダーをときの政府が無批判に受け入れた結果です。そして欧米が日曜日を休みにしているのはキリスト教の伝統によるものですし、キリスト教が日曜日は「聖なる日」とするのは、伝統的にイエスが十字架上で殺されたのが金曜日(13日ではありません)、それから三日目に復活した、つまりイエスの復活の日として重んじているからですね。その前提としてユダヤ教に根拠となる旧約(聖書)では、安息日規定があって一週間のうち一日は決して労働をしてはいけない、という掟があります(出エジプト記20章8節)。つまり日本社会もこの旧約の掟にしたがって一週間のうち一日を休日とし、さらにキリスト教の信仰によって日曜日を休みにしているのです。そんな背景はまったく理解しないままに。
もしあなたがネットでイスラム圏外の友人がいて、12月冬休みの時期に日本にやってくるので、空港まで迎えに行った。その友人は感激して、忙しいのにありがとう、というと今日は日曜で休みだから大丈夫とあなたは答え、早速とクリスマスのイルミネーションが美しい街を案内し、今日ゴスペルのコンサートがあるんだけれど行こうよ!なんて言ったら、その友人はきっとあなたを、そして日本をキリスト教社会だと思うことでしょう。ちなみに私がキリスト教学を教えていた頃は12月23日は天皇誕生日の祝日でした。それでも24日のほうが楽しみという学生さんが圧倒的でしたね。
ここに上げた言葉はみんな聖書の言葉ですし、結構キリスト教信仰の核心に触れる言葉です。目からうろこ(のようなもの)が落ちると何が見えたのでしょうか(新約聖書使徒言行録9章)。このことばがキリスト教を、そして世界の歴史を変えるだけの意味をもっていたのです。そのことはまたお話します。
そうなんです、キリスト教は、今までそんなものに触れたことなどない、教会など行ったこともない、という人たちの日常生活のなかにすでに浸透しているのです。私はそこにとても興味があります。つまりこうやってキリスト教を考えること、それは現在の日本社会のあり方を見直すとてもよいきっかけになるからです。これだけキリスト教に囲まれていて、なぜ私達はキリスト教に気づかないのでしょう。なぜキリスト教を「敬遠」してしまうのでしょう。そんな目でキリスト教を考えるということは、実は私達の社会そのものを考えるとても大きなヒントとなるように思うのです。
第二回 日本のキリスト教 その1
前回で日本社会はキリスト教にどっぷり浸っていることを指摘しましたが、では日本のキリスト教人口ってどれぐらいなのだろうか。こういう宗教人口調査というのは実はほとんど実態がないと言ってもいいようなものだと私は思っています。みなさんは世界の三大宗教ってなんだと思いますか。学校などではキリスト教、イスラム教、仏教と教えられるのでしょうが、仏教よりもヒンドゥー教のほうが信者数は大きいとされています。仏教は全世界の5%ぐらいのようです(ヒンドゥー教は15%)。ただしこれはまったくアバウトな計算です。別にその人たちにアンケートをしたわけではなく、インド人の人口数をそのままヒンドゥー教徒として計算た結果です。イスラム教も、キリスト教も似たようなもので、だいたいそれを信じているだろうと思われる国の人口、そのなかでの信者数の合計を出したにすぎません。日本の場合も、例えばキリスト教の場合、私達の教会も宗教法人という組織ですから、年に一度その認可権限をもつ県から信者数動向調査があり、それに答えます。おそらく他の仏教であれ、神道であれ、新興宗教であれ、同じような調査によって信者数が計算されると思いますが、キリスト教の場合、信者になるのは結構面倒臭いというとまた叱られそうですが、厳格な規定があって教会に通い、洗礼という儀式を通じて信仰を公に告白し、教会を支える責任を表明し、教会員として登録されるのですが、宗教、宗派によっては信者の定義をそこまで細かくしないで、一度でも行事に参加した人とか、その地域に住んでいれば氏子登録にされるとか、結構アバウトですから、日本の宗教人口は、実際の人口に1.5倍近くあるとさえ言われます(文化庁宗教統計調査)。さてその厳密?な日本のキリスト教人口ですが、だいたい全人口の1%以下とされています。しかもそこにはキリスト教を名乗るあらゆる団体(つまり宗教法人への調査でキリスト教として登録されている団体すべて)が含まれますから、カトリック教会もあれば、私どもの教会もあるし、私達から見れば新興宗教的というか非正統的と思われる団体もすべて含まれます。あまり実名を出すのもはばかられますが、よく各家庭を訪ねて聖書のお話をしませんか、という団体など、私達からすればそれもキリスト教?と思わされる団体も含まれますし、その団体がどのように信者数をカウントしているのかはよくわかりません。自己申告ですから。その調査でキリスト教が1%以下というのですから、日本ではキリスト教は少数派です。でも日曜日やクリスマスを当たり前に受け入れている社会は決してキリスト教とは無縁ではないのですし、そこに宗教の面白さというかややこしさがあるのです。どうも宗教を信仰するということは、そのご本人の強い自覚とか意識によるものとされるのが普通だとされています。だから教会に行ったり、洗礼を受けたりしないとクリスチャンではないという理解が一般的だし、キリスト教自体がそう受け止めています、でも日曜休日という生活スタイルがキリスト教的なのだとしたら日本人全体はクリスチャン的に生きているということのはずなので、私はこの文化庁の宗教調査が当てにならないとずっと思っています。これはあくまでも宗教法人という組織に対する調査であって、神道が地域のみなさんを氏子として考える(私自身もおそらくそのひとりに数えられているでしょう)ほうが自然かもしれません。イスラム教世界で、毎日の生活の中でイスラム的な生活をする人はすべてイスラム教徒と考えられて当然なのです。ただそんなお話を繰り返していても、議論はまとまりませんので問題を「自覚的な」クリスチャンに焦点をあてて少し考えてみましょう。
その点から考えるとクリスチャンは日本では少数者でしかありませんし、なんとなく民主主義は多数決と思い込まれてしまっている社会からすれば、無力な存在でしかありません。ちょっとした比較ですが、お隣の韓国での(自覚的)クリスチャン人口は国民の三割以上と言われています。ソウル(ここは何度か尋ねました)や釜山(は私は言ったことがないので、聞いた話です)などの街を歩くと、やたら大きな教会が目に付きますし、ちょうど日本でお寺や神社を目にするのと同じようなものですね。同じ儒教的文化を持つアジア文化圏のななでなぜ韓国(30%)と日本(1%)と、それだけの差があるのでしょうか。それは大きなキリスト教が大きな政治権力とともに需要されたからだと私は思っています。韓国だけではなくフィリピン、そして中南米やアフリカのキリスト教は植民地主義とともにキリスト教を押し付けられた、受け入れさせられたのです。もちろんそこには宣教師の方々の自主的な布教・伝道活動もあったことでしょうが、それだけでは日本と同じような結果にしかならなかったでしょう。むしろ国家がキリスト教によって国民を支配するという形をとってこそ、それだけの浸透力が発揮されるのです。そしてその歴史が数十年から数百年となるともはや民衆の側にはキリスト教以外のものを受け止める状況はなくなっていたはずです。韓国の場合は特に第二次対戦以後の宗教はアヘンだとする共産主義との対立のなかで、アメリカを中心とする西側諸国の影響はとても強く、歴代大統領にもクリスチャンが多かったこと、そして実は韓国のキリスト教が実はとても儒教的感覚で理解されたこともあって、社会的な支持を受け続けたのでしょう。ところが日本ではまさに江戸時代の鎖国、キリシタン禁令政策、明治以後の国家神道政策の徹底のなかでキリスト教は、敵性宗教化され、例えば公教育の場所から排除される形となってしまいました。つまり日本の政治権力者たちは、キリスト教のうち利用できる部分はそれがキリスト教であることを見せずに採用し(カレンダーなど)、キリスト教信仰そのもののあり方を否定、排除し続けてきたというところでしょうか。ですから明治維新以後150年以上がたち、キリスト教が明治以後改めて日本に入ってきてもいつまでたってもキリスト教は決して日本人の宗教として認められることはないのです。
若干お話はそれますが、皇室の宗教ってなんだと思いますか? 伊勢神宮、天照大御神の皇統を考えると当然神道ということになりますが、幕末まで天皇家は徹底して仏教信仰に基づいていました。奈良の大仏を建立した聖武天皇のことを持ち出すまでもなく、明治以後の国策の中で天皇家は神道の主宰者とされていったのです。幕末まで、いや今もでしょうか、天皇家の菩提寺は京都の泉涌寺というお寺、とても静かな境内は京都観光?の穴場ですし、その場所をあるカナダ人の方に紹介したところ、とても感激されました。国家神道としての歴史は明治期のキリスト教と長さ的には変わりませんし、明治神宮、平安神宮、湊川神社、すべて明治以後の建物です。でもかたや舶来のバタ臭い(なんていいかたはもう通じないでしょうか)宗教、かたや日本古来の伝統として一般的に受け止められているのも不思議といえば不思議ですね。また仏教もインド発祥、中国韓国経由でやってきた外来宗教ですから、あと1000年ぐらいするとキリスト教も日本の宗教となっているのでしょうか。
第三回 日本のキリスト教 その2
日本の社会はキリスト教に対して、とても素直でない関係をもちつづけているようで、一方で生活習慣としてその多くを受け入れながら、その習慣を支える考え方はかたくなに拒んでいる、というところが私の観察です。またお話が最初から横にそれていきそうですが、私もクラシック音楽が好きでよく聴いていますが、演奏会などでもキリスト教音楽がたびたび取り上げられます。クリスマス前にはヘンデルのメサイア、季節を問わずモーツァルトのレクイエム、あるいはフォーレやヴェルディのものも。そしてイースター時期を中心にバッハのマタイやヨハネの受難曲。でもそれを聴いている方々は決してご自身はクリスチャンの信仰をお持ちとは限らないのですね。音楽家の方にとっては、それがある意味(本当に失礼な言い方ですみません)「飯のタネ」なのでしょうか。一番そうなっているのは牧師自身でしょうかなどと言ったらますます私は居場所がなくなってしまいます。こんなクラシックの名曲がコンサートプログラムに上るのは素晴らしいことですが、だからと言ってやはりクリスチャン人口が増えるとか、キリスト教への一般的理解が深まることになかなかつながらないのがなぜだろうと思わされるだけなのですが。
さてそれはさておき、自覚的なクリスチャンが日本人の1%未満ということ、ということで日本社会がキリスト教という意味において世界的に無力で意味のない存在のように思われてしまうかもしれないのですが、私は1%未満だからこそキリスト教として世界的に大きな意味を持っていると考えているところもあります。ある意味負け惜しみ的にせよ。新約福音書のなかでも有名なイエスのたとえ話のなかに100匹の羊のうち1匹がいなくなるというものがあります(マタイによる福音書10章10~14節、ルカによる福音書15章3~7節)。イエスはその失われた一匹を探し求めるということに注目しますが、まさに日本の(自覚的)クリスチャンの姿を私はこの物語にいつも重ね合わせています。福音書というか聖書そのものは、本来多数派の宗教ではなかったのです。旧約の申命記を読んでいても、イスラエルが神様に愛されたのは「あなたたちがほかのどの民族りも貧弱であった」からだとされています(申命記7章7節)。その小ささ、貧弱さを神が愛されたというのが基本となっているはずのものが、聖書のそしてキリスト教の歴史のなかでいつのころからか宗教的な勢力が増大し、教会組織が巨大となり、地上の権力との結びつきのなかで世界を支配するというような形になってしまったのですね。そうなると小さきもの、少数者、差別されている人たちへの関心も薄れ、成功者、有力者の宗教となってしまうという歴史が生まれてゆくのです。ただしそれだけの地上の権力を手にしたから、キリスト教は世界中に広まることができたのですから、皮肉と言えば皮肉、そんな歴史が誤りかとも決めつけられない矛盾をキリスト教は引き込んでしまったのです。そうなると世界的なキリスト教と日本のキリスト教の意味は大きく違ってくることになります。世界的なキリスト教はその規模を誇り、世界宗教としての存在の大きさを示すものとなるのですが、日本のキリスト教は貧弱さ、弱小さ、小ささのなかで自分の存在の意味を(否が応でも)考えざるを得なくなっているのです。日本の教会のなかで大教会と呼ばれる規模は数百人、多くて千人ぐらいでしょうか。韓国の教会は一万人単位ですから、規模が違いすぎますね。その貧弱な、そして弱小な教会の果たすべき役割とは何でしょう。1匹の羊としての存在の意味です。つまり多数のなかで無視されてしまう、忘れられてしまう、小さな存在こそが、大多数の集団の持っている問題性をとても強く実感することができるのです。政治的に考えると、民主主義が多数決というのは確かに民衆(デモス)の力(権力 クラトス)を行使することでしょうが、もっと大事なことはその集団、社会を構成する一人一人の思いをお互いにしっかりと受け止める、少数者の尊重ということがあるのです。「みんなで渡れば怖くない」なっていっている状況が一番怖いのです。多数者の横暴、誤りを指摘できるのはその集団に属さない存在、少数者だからこそです。そして自分は多数者の一人だと安心している人が、その集団のなかで自分の独自な主張を行おうとすると、実は少数者として無視されてしまうのです。イエスが1匹の羊に注目するように語るのは、99匹という集団も、それぞれ個性的な一匹が99匹集まっているということなのですね。おそらく日本のキリスト教が担う役割とは、もともとキリスト教が少数者、弱い立場に置かれている人たちへの福音であったということを一番強く感じることでしょうし、実は私の教会も創立100周年を記念して建設しようとする新しい礼拝堂も、まさにそんなおひとりひとりがともに集う、小さな群れのための建物でありたいと願っているのです。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの天の父は喜んで神の国をくださる」(ルカによる福音書9章32節)、それがイエスの綿差したちへの約束なのですね。
第四回 世界のキリスト教 その1
今回お話すべきことは、もうすでに書いてしまったことの繰り返しのようになりますが、世界的なキリスト教の存在は、ここでもあらゆる教派をふくめて世界最大の宗教ということになっており、その教派のなかでもローマ・バチカンを中心とするカトリック教会は現在11億人の信徒を擁しています。でも本来、現在のパレスチナ、イスラエル共和国の片隅、ガリラヤ地域で生まれた本当に小さな信仰団体が、しかもその最初の中心人物が十字架によって処刑されるという、本当に不名誉な事件を引き起こしながらも、その300年後には地中海世界を支配するローマ帝国の国教となっていったその理由は、実はあまりよくわかってはいません。まさに神様の果たされた奇跡ということでしょう。それ以後、キリスト教は地中海ヨーロッパを中心に勢力を拡大し、十字軍などによってイスラム世界にも勢力を広め、やがてヨーロッパ諸国の世界制覇のうごきのなかで、それに伴う形で世界(を支配する)宗教となっていったのですね。もちろんヨーロッパ社会の中では地上の政治的権力者との緊張、軋轢のなかで様々な事件もありましたが、結果としてこの地上の権力(経済力、軍事力などなど)と結びついたキリスト教は絶対的な地位を占めました。カトリック教会の考え方に破門というものがあります。これはやや中世の時代の考え方かもしれませんが、人は破門されるということで死後天国に入る可能性を閉ざされるということになります。なぜなら新約聖書福音書のなかでイエスが弟子ペトロ(ペテロ)を基礎として教会を建て、彼に天国の鍵を預けるという記事があります(マタイ福音書16章14~19節)。カトリック教会はこの記事に基づいて、最初の教皇(法王)こそこのペトロであり、彼の権威の上に自分たちの教会は建てられている。そしてそのペトロの後継者となる歴代教皇だけが地上で天国の鍵を持ち続け、誰が天国に入れるのかを定める権能をゆだねられているという信仰を生み出しました。だからこそバチカンの礼拝堂はサンピエトロ寺院(聖ペテロの寺院)と呼ばれ、彼の墓の上にそれが建っているということになっています(もし興味があれば、ダン・ブラウンによる小説『天使と悪魔』をどうぞ。私はローマに行ったことはないのですが、この小説はローマ、バチカンのガイドブックとしても面白そうですね)。そのような伝統を振りかざしてカトリック教会はその信者でなければ天国に入ることはできないということを根拠に、近代以前のころまで人々の思いを支配し続けることができたのです。そしてその教会を破門されるということは、もう天国に入ることもできない輩ということで、そんな人は「生かせておくのもゆるされない」ということで生命の保障なども奪われてしまったのです。異端審問とか魔女裁判とか、まさにそういう形で多くの人々がカトリック教会によって抹殺されるという暗い歴史もありましたが(これはあくまでも中世のお話です)、そのように破門された一人のカトリックの修道僧、それが16世紀に生きたマルチン・ルターというドイツ人でした。彼はもともと熱心にカトリックの信仰を守っていましたが、自分の魂の平安をカトリック教会において熱心にもとめようとすればするほど、それが得られないというジレンマを感じていたのです。そこで思い余ってというか、真正直に教皇に対して信仰上の質問書を公開で提出します。ところが教皇は、天国の鍵をさえ預かる地上におけるイエスの代理人ということで、その教えは無誤謬、つまりまったく誤りがなく、疑問を持つことさえ、ましてそれを公開で問いただすことなど決してゆるされないことでした。そこでマルチン君はカトリック教会から破門されてしまうのです。しかし彼がドイツ人であったというところが幸いして、ドイツとローマとは少し離れたところにあり、またドイツの領主たちもローマカトリックの言うなりにはならなかったので、彼をかくまい、結局マルチンのカトリック教会に対する最初は質問から始まり、やがてその姿勢への抗議活動(つまりプロテスト運動)となっていく動きを支持し、そこでマルチンを中心としてカトリックに属さない新しいキリスト教の考え方を提唱していった、つまり宗教改革運動(抗議=プロテストする人たちの集団=プロテスタント)が生まれていったのです。やがて細かい考え方は別として絶対の権威者と考えられていたローマ教皇への抗議、批判活動が許されるというその影響は他のヨーロッパ諸国にも影響し、イギリスではヘンリー八世という王様がイギリス独のキリスト教の教会(アングリカン・チャーチ=英国国教会)を、スイスではカルヴィンが独自の教派を、フランスではユグノーとよばれる人たちがプロテスタントとして生まれていきました。ただし、ルターにしてもヘンリー八世にしても、そこで生まれた新しいキリスト教もやはりそれを政治的な背景、支持者によって成り立っており、結局カトリック教会と同じように、地上の権力との連携のなかで自分たちの存在を主張していったのはある意味ヨーロッパ社会においては自然なことだったのでしょう。
ということで歴史的にみるとヨーロッパ的なキリスト教は政治的な権力との連携のなかで発展していったからこそ、それだけの存在感があり、多大な影響を十字軍、植民地主義などでより広く地球全体にも及ぼしていったのです。それが歴史の動きですし、キリスト教的に言うと神様の導きだったのでしょう。というのも、そのような地上での権威をもちえたからこそ、キリスト教はさまざまな芸術家を通じ多くの歴史的作品を世に残すことができたのですし、そのような芸術(音楽、美術、建築、その他さまざま)を今の多くの人たちが称賛しています。それだけ人間の文化性も発揮されたのでしょうし、日本社会のなかでもそのような作品は高く評価されているのは、先に少し述べたとおりです。ということで大学のキリスト教学の授業では、キリスト教のことを知っていいると例えば美術鑑賞などにとても「役に立つぞ」と学生諸君に話したりもします。例えば西欧の宗教絵画の大きなテーマのひとつに、処女であるはずのマリアに天使がイエスを身ごもっていることを伝えるというシーンがあります。ルカによる福音書1章の物語で受胎告知と言われます。さてその絵画を鑑賞するときに、その画面のなかのマリアの位置と天使の位置、どちらが上位に置かれているか、などということが実はとても重要な意味を持っています。つまりマリアとはだれかということを画家は描きださなければならなかったのですし、それはその画家の時代のキリスト教の考え方を反映しているのです。中世の神学論争に、マリアはイエス・キリストの母か、神の母か、というものがあります。そんなの当然イエスの母だと答えると、もしかすると異端審問で破門されるかもしれません。なぜならイエス・キリストは「真の人にして真の神」、三位一体の一つの位格としてのキリスト教の「正統」信仰では神様ですから、正解はマリアはそのキリストを生んだ神の母ということになります。ですから当然天使(神様のお使い)よりも高い位置に描かれなければなりません。ところがプロテスタントの考え方では、マリアはナザレという場所に生まれた貧しい一女性でしかないので、天使の方が高い地位に置かれがちです。そんなことを知っていて何になるというような議論ですが、でももしヨーロッパの美術館などで本物の歴史的絵画をみるときに、これはこうなっているのか、と知っていることは、その体験をより深いものにしてくれるでしょう。だからキリスト教学を学んでいると、ちょっとはええこともあるぞ、ということもお話します。いつものことで私のお話の流れはとても分かりにくくなりましたが、ここで言いたかったのは、ヨーロッパ中心のキリスト教は時の政治権力と連携することによって存在感を発揮してきたということですし、それがもたらした弊害(十字軍や植民地主義、そして神の名を掲げての「聖戦」とされる戦争)もあるものの、それも含めて神様の導きの中にあったのだろうということです。だからキリスト教は世界中に拡大していけたのですし、フランシスコ・ザビエル氏が日本にキリスト教を伝えたのも、そのおかげだったでしょう。
第五回 世界のキリスト教 その2
さて、ヨーロッパ中心に発展したキリスト教は、17,8世紀に大きな変化を遂げていきます。その一つの理由は宗教改革でしたが、それは中世的カトリック教会の教皇中心主義に抵抗するもので、それまで絶対の権威者とされてきた教皇にさえ抵抗することがゆるされるということを世界に示す結果だったのです。そこで初めて「抵抗権」が意識されてきたのですが、この抵抗権ほどまた手に負えないものはなかったようです。というのもマルチン・ルター君は自らローマ教皇への抵抗を行ったのですが、それは同時に自分に対する抵抗をも認めることを認めなければならなかったのです。もしそれを認めないとすると、自分がただ教皇に代わって絶対的な権威者となることに終わり、宗教改革の意義を根本的に否定することなってしまうからです。ということでプロテスタント的な教会が成立すると、すぐにプロテスタント内部でさまざまな抵抗運動が繰り返され、プロテスタントはまったくまとまりのないキリスト教信仰集団となってしまったのです。そこでおびただしいキリスト教プロテスタント教派が生まれて生きました。ルターとカルヴァンのことは前回に触れましたが、ドイツでのルターの宗教改革運動は、それまで教会を経済的にも支配していたカトリック的修道院や領主たちとの闘い、破壊運動にまで至ると、ルターは暴力行為を禁止しようとしましたが、そのルターの姿勢こそ中途半端で生ぬるいと批判され、より急進的な運動も生まれ、スイスのツヴィングリなどがルターと袂を分かっていったのです。またイギリスではアングリカンチャーチが支配的になりましたが(時々カトリックへの揺り戻しも経験しながら)、その教えに従いたくない人々ーディセントたちーに対する宗教的迫害が行われた結果、その人々はいわゆる新大陸(アメリカ大陸)に移住し、そこで自分たちの独自のプロテスタント信仰を展開しました。その人たちを中心にしたアメリカ建国物語などが生まれましたが、その時の建国者たち(ピルグリムファーザーズ)は、政治権力とキリスト教との連携に慎重であり、決してキリスト教をアメリカの国教としようとはしませんでした。ただしアメリカ人の生活行動の当然の規範・基盤としてプロテスタント的キリスト教の信仰理解が前提となっており、その意味ではアメリカのキリスト教は、間接的に政治的な動きともつながっていたとも言えるでしょう。以後アメリカでは、1960年代のケネディ大統領まですべてプロテスタントのクリスチャンが大統領を務めています。そして、幕末の鎖国を打ち破ったペリーがアメリカ人であったことに象徴されるように、その時から日本にやってきたプロテスタント宣教師は主にアメリカ人が中心だったことも興味深いものがあります。アメリカ的プロテスタントキリスト教の特徴は、健全な市民感覚というものでしょうか。王様や皇帝という存在による国家ではなく、自分たちが良心に基づいて理想的な国づくりをする、ということで知性的、道徳性、健全さなどが強調されていたようです。さらにヨーロッパのように長い歴史的伝統によって守られたキリスト教ではなく、自分たちの努力と責任においてキリスト教もまた維持されていくものとなり、非常に意識的に教会生活の正しい在り方なども強調されています。ローラ・インガルスの記した懐かしい小説『大草原の小さな家』シリーズの中に描かれる家族はまさにそのようなキリスト教を背景としており、教会の礼拝にいかなければならない日曜日がいかに退屈な日であるかということを子どもの視線で描いているところなど、私自身妙に共感した記憶があります。しかし例えば奴隷制について、アメリカの教会の理解は決してまとまっておらず、南部の教会はそれを肯定し、北部の教会が反対するという図式は、政治権力としてよりも政治の動きにのなかにキリスト教が深くかかわっていたことも事実ですし、そのように南部北部で異なったキリスト教理解が生まれ、同じ教派、例えばメソジスト教会やバプテスト教会なども南北で分裂していったというのもプロテスタント的なのでしょう。と同時にその奴隷制度をめぐっては白人内部での意見・主張の対立に加えて、奴隷身分に置かれていた黒人たちのキリスト教信仰の理解も重要で、その苦しみからの解放を信仰に求める中で、マルチン・ルサー・キング牧師のような公民権運動の指導者が登場するのもまたアメリカのキリスト教の独自の動きでしょうし、そこにプロテスタント的抵抗権の新しい展開を読み取ることができます。
20世紀のアメリカ社会で特徴的なキリスト教プロテスタント教会の動きが盛んになりましt。いわゆるメガチャーチの展開です。巨大教会とでも訳すのでしょうか。それこそ数万人の信者を集めての礼拝は、日本社会では考えられない「現象」でした。その特徴は、伝統的(ヨーロッパ的)な教派主義をとらないで、漠然とした「福音主義」という言い方で自らのキリスト教的な立場を主張することです。宗教改革が生み出した抵抗権によって、プロテスタント教会はまとまりのない運動になりましたが、そのなかでも例えばイギリス国教会への批判からジョン・ウェスレーという人がメソジスト教会を組織しましたし、ルターの系統をひくルター派、カルヴィンの主張を継承する長老派、改革派、一般の信徒の主体的な組織から成長した会衆派(日本では最初組合教会と呼ばれました)、さらにキリスト教入信の儀式となる洗礼のありかたに独自の主張をもつバプテスト派など、いくつかのメインライン(主流)教派が生まれ、プロテスタントといえばそのような教派のどこかに属することを意味していました。明治維新前後の日本へのキリスト教布教(伝道)はそのような教派からおくられた宣教師によってなされたので、日本のプロテスタントキリスト教もアメリカ的教派性に分かれてしまいました。一番わかりやすいのはそのような教派が設立した学校(キリスト教主義大学)で、明治学院は長老派(あのヘボン式ローマ字のヘボンさんもその宣教師でした)、同志社や神戸女学院は会衆派(新島襄さんは、幕末に日本からアメリカに密航しアメリカの会衆派教会の宣教師として帰国しています)、青山学院や関西学院はメソジスト派、立教学院、桃山学院などは英国国教会、西南学院はバプテスト派などを考えるとわかりやすいでしょう。ところがそのような教派性をもつキリスト教は、キリスト教全体のメッセージを語ることよりもそれぞれの教派の主張を訴えがちとなり、キリスト教として大きなまとまりを損なうことになっていきました。そんな教派性にとらわれないで、本来のキリスト教、聖書の主張を自由にかつ大胆に語るということで、そんな教派に属さないフリーチャーチ運動がアメリカで盛んになっていきます。その特徴は、まず教派という「狭い」信仰理解にとらわれない訴え、その指導者としてカリスマ的伝道者の存在、そして伝統的な教派のスタイルにとらわれないで自由に(というべきか、かなり感情的、情緒的に)キリスト教信仰体験を表現する礼拝スタイル、というものが積極的に導入されていきました。それに加えて、アメリカ的というべきか、真の愛国者的確信がキリスト教信仰に重ねて訴えられていきました。そのような信仰の在り方の全体をおおまかに「福音主義」という言い方でまとめることもできますが、従来の教派的メインラインチャーチの持つスタイルとは大きく異なるものでした。例えば礼拝の音楽も、古くから伝わる讃美歌(四声の和声をオルガンの伴奏で歌われるようなスタイル)も、もっとポピュラー音楽のスタイルが積極的に採用され、ドラム、ギター、その他の刺激的あるいは魅力的なバンドが礼拝を彩り、礼拝する人たちの感情にこたえていきました。お祈りのスタイルも、静かに目を閉じて…というようなものではなく、感情の高まりのなかで両手を高くかかげて神様に自分の思い、気持ち、パッション(情熱)を投げかけるというようなものとなり、その会衆に対して説教者は、さらに情緒的興奮をかきたてる(あおる)メッセージとなります。大学の講義のように、たんたんと理屈っぽい神学的議論を冷静に語り続ける「説教」(お話)をする牧師さんの姿は、まさに場違いとなった感もあります。ということでこのようなアメリカのプロテスタント、メガチャーチ運動はアメリカ独自の存在になっています。
キリスト教がどうしても欧米の宗教というイメージが強いので、ついアメリカのプロテスタントの動きにお話が集中してしまいましたが、キリスト教の歴史を大きく見ると、その他の地域に広まったキリスト教の展開などは神学部の授業などでも見過ごされがちです。ひとつはいわゆる「正教」(オーソドックスチャーチ)と呼ばれるもので、有名どころはロシア正教、ギリシャ正教など、さらにウクライナイ正教、セルビア正教などなど、東ヨーロッパ~ロシアの各民族それぞれに正教の教会が組織されているようです。私の教会にもウクライナの戦争を避けて日本にこられた方が、その戦争で亡くなった肉親の追悼礼拝をということの依頼のなかで、初めてウクライナ正教のことを伺いました。もちろん私たちの教会ではプロテスタント的なお祈りしかできませんでしたが。それはほかのキリスト教でも同じことで、先に上げた韓国の教会、あるいはフィリピンの教会、そしてアジア?の有力なキリスト教国であるレバノンなどのキリスト教のスタイルも欧米のものとはかなり違ったものだろうと思います。中南米のキリスト教はもともとヨーロッパ植民地として押し付けられたカトリックのスタイルでしょうが、徐々にその地域の文化との融合のなかで独自な形を生み出しています。そしてアフリカ、こちらはヨーロッパにキリスト教が広まるローマ帝国時代より前、あるいは同時代からキリスト教が伝えられ、コプト(エジプト)教会、エチオピアのキリスト教、などなど私自身にも未知のキリスト教がたくさんあるようですし、そこに近代に改めて欧米からもたらされたキリスト教も活発だそうです。ということは、ここでの結論として、キリスト教はもちろんイエス・キリストという原点があるにせよ、それが伝えられた地域ごとにその文化や習慣との融和が生じ、その地域独自のスタイルが生み出されているということで、アメリカの教会も同じようにアメリカ的キリスト教なのでしょう。最近はクリスチャン・ナショナリズム(キリスト教愛国主義)なるものも盛んに活動しています。それを日本の教会が受け入れられるのでしょうか。あるYouTubeではそのことを主張する日本の教会のプログラムもありました。
第六回 それでキリスト教って 何を信じているの? 聖書を読めばキリスト教がわかる?
いろいろ私なりに考える日本そして世界のキリスト教の状況をお話しましたが、で、キリスト教って何を信じるの、ということについては、実は遠回りをして避けてきました。というのも、今までのお話のように確かにキリスト教は世界的に見て最大の宗教ですが、その中で地域によって、教派によって、またはひとりひとりによって信じているところが大きく、あるいは微妙に違っています。一番?わかりやすい例として、例えば最近のとみに話題になるLGBTQのことなど、全く認められない、ゆるせない、そんなこと考えもしない、あるいは極端に汚らわしいと切って捨ててしまう立場から、イエスはすべての人を愛したのだから、どんな人でも受け入れ、認めるべきという立場まであります。そんなコンテキストで女性の問題を語るのもというところもありますが、カトリック教会は未だに女性の聖職者を認めていませんし、それは新約聖書の中に「婦人たちは教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されてはいません」と使徒パウロが記していることによるのでしょうか。しかし私の祖母は日本組合教会の最初の女性牧師の一人となりました。キリスト教の教えはこうだ、と語ることはなかなかむずかしいのです。もう少しスケールの大きなことになると、さてキリスト教は戦争をどう見ているのか、さ津人は、死刑は、などということもまとまった結論はありません。それでいいのかということですが、正直にいうと仕方がないということでしょうか。というのもキリスト教、特にプロテスタントの立場からすると、そのような問題の判断は聖書に聞くということになります(カトリックの場合は少し違うのですが)。というのも聖書というのは単なる経典や聖典ではなく、「正典」として扱われます。何がちがうのかというと、それはラテン語でカノンという言葉なのですが、基準、規範、ものさしということで、聖書に基づいて判断することが普通です。ところが!です。聖書という文書も、カノンと言いながら内容は決してまとまったものではないのです。まずユダヤ教の中から編集された旧約という部分(ユダヤ教ではこの部分だけが聖書です)、キリスト教によって作られた新約に大きく分けられ、旧約には39、新約には27の文書があります。そのことについては後に詳しく述べますが、例えば旧約の出エジプト記の20章に、イスラエル人の、そしてクリスチャンもですが、行動規範となるべき十戒という掟があります。そのなかに「殺してはならない」と記されていますから、もう答えは決まり、人の命を奪うことはゆるされない、とすればいいものなのですが、同じ旧約のなかのサムエル記という歴史物語の中で、当時の王様のサウルが預言者サムエルから、アマレクという敵と戦うときに相手の皆殺しを命じられます。さすがにサウルもそんなことよりも、そのアマレク人たちを捕虜にしたほうが戦略上得策だと考えたのでしょう、サムエルの命令を実行しませんでした。そこでサムエルは怒り、サウルの王位の剥奪を宣言します。十戒と神の預言者サムエルの命令、さてどちらが重要なのでしょうか。無責任な言い方ですが、どちらも有効、どちらも神様の命令ということです。そういえばイエス・キリストの教えのなかに人を殺すななどということはありません。いずれにしても正典である聖書の内容も決してひとつにまとめられていないとなると、それが本当に判断基準になるかどうかよくわからないのです。だからキリスト教の歴史の中でも異端者への死刑執行、聖戦という言い方のなかで敵国民の殺害など、植民地における原住民への虐待死など、さまざまなことがキリスト教によって聖書に基づいて繰り返されてきたのです。私はそのことをとても残念だとおもいますし、だからといってキリスト教のための弁明をすることもできません。もう起ってしまったのですから。
つまり聖書の文章そのものを読むだけではいろんな問題が起こってしまうという問題性にカトリック教会は早くから気づいていました。そこでなんと初期には信徒たちに聖書を自由に読むことを許さなかったのです。もちろん印刷技術もなく、今のように本屋さんに行けば手に入るようなものではなかった貴重品であったからでもでしょうか。つまり正しい聖書としてラテン語聖書(ヴルガータ訳)というものだけを「公用」とし、それ以外のものを排除したのです。訳というのは聖書はもともと旧約はユダヤ人の言葉であるヘブル語および一部アラム語、新約はギリシャ語で書かれていたのですが、もちろんヨーロッパの人たちはそんな原語など読めませんし、残念ながらラテン語も読める人は少なかったでしょう。ということで聖書は一部の聖職者や学者のみが読むことのできるものであり、一般の人たちはそれに基づいて語られる教会でのお説教、それはローマ教皇による聖書の解釈にしたがって語られるもの、で聖書に基づく教えを理解していたのです。もう一つ聖書の代わりになったのが美術作品で、ステンドグラスや絵画、彫刻などに描かれた物語が教会のお話のなかで開設され、そこでキリスト教の信仰について語られたのです。だからカトリック教会がとても豊かなキリスト教芸術を発展させたことは当然でした。ただし、あくまでも人々は聖書そのものを読むのではなく、カトリック教会によって解釈された聖書を理解していたのです。その代表的な例は、創世記でアダムとエバが口にした果実、それがリンゴだというのはラテン語訳聖書の翻訳がそう読めたからで、へブル語の聖書には「善と悪を知る知識の木(実)」なのです。しかもこの悪というヘブル語の単語がラテン語に翻訳されたときリンゴと似た言葉が使われたために、そうなってしまったのですが、白雪姫の物語で毒リンゴが出てくるのもそんな影響があったのでしょうか。ところがそんなカトリック教会のラテン語訳聖書による信仰の在り方について、深い疑問をもったのがあの宗教改革者マルチン・ルター君でした。というか彼の時代の知識人のなかには例えばエラスムスというカトリックの神学者は、新約聖書の本来の原典であるギリシャ語を読むことの重要性に気づき、ギリシャ語聖書の編集などもしていました。そんな影響のなかでマルチン君は、教会の教えに反して旧約、新約を言語でよみ、教会の教えの誤りを指摘し、教皇に対してそのことの公開質問状を出したのです。そして彼の主張は、聖書はクリスチャンみんなが自分で聖書を読むこと、つまり聖書主義を訴えて、みんなが聖書を読めるように自分の言語に聖書を翻訳するという活動がプロテスタント運動の中で活発となりました。しかもちょうどヨーロッパではグーテンベルグという人が活版印刷技術を開発し、書物が大量に安価で人々の手に渡るようになったので、その運動はますます勢いを増していきました。ちょうど今YouTubeなどが誰にでも使えるようになったというような、まさに最初の情報革命が起こった時だったのです。ドイツではルター、イギリスではティンダール、その他フランスではオリヴィエタンなどによって聖書がどんどんそれぞれの言語に翻訳されていったので、おかげでそれまで各地域で微妙に方言化されていた言葉がその翻訳を通じて統一されていくという、ちょうどNHKの言葉が標準語されるようなことも起こりました。しかし、人々が自由に聖書を読むということは、まさにカトリック教会が早くから気づいていたようにそれぞれが勝手な解釈をするという結果は当然のことで、例の抵抗権を持つプロテスタントは、それぞれが聖書を読むからこそさらに分裂が加速して言った面があります。その対応としてプロテスタント各派では、自分たちの教派の主張(それを信条と言いますが)に即して聖書を読むようにと、聖書の読み方を指導し、注解書を発行しています。ということは結局「正しい」聖書の読み方とは、聖書のテキストそのものを自分で読むのではなく、それぞれの教派の偉い先生の解釈に基づいた解説を聞きながら読むということ、結局カトリック教会の教皇の解釈によって聖書は読むべきということとほぼ同じことになってしまいました。確かにそんな偉い先生の解釈に従うと、少なくとも教派のなかではみんなが同じような聖書理解をし、混乱もないのですが。、しかしその解釈に満足できない人は結局その教会や教派から去っていったのも、歴史は繰り返すということですね。
こんなことを長々書き連ねてくると、聖書を自分で読めば混乱するなら読まない方がいいのでは、ということでお前はどう考えているのかということですが、私はやはり自分で読んだ方がいいと思います。ただし一回読んで、これはこういう意味だなんて決めつけないで、何度も何度も違った場面で同じ聖書の箇所を読み返してみると、聖書はそれぞれちがった場面に対して新しい意味を示してくれると私は信じています。また自分の聖書解釈だけではなく、いろんな人の読み方を聞いてみることも大事でしょう。ただしそのときに、他の人の解釈を批判したり評価したりしないで、そういう解釈、読み方もあるのか、と受け止めて、では私はどう読むか、を常に考え続けることです。なぜ十戒は人を殺してはならないというのか、預言者サムエルはアマレク人を抹殺せよというのか、いやもっとショッキングなのは創世記で、イスラエル人の先祖アブラハムは、その子イサクを犠牲の供え物として殺して神にささげることを求められます(創世記22章)。こんな人い話が聖書にあるなんて、というのがキリスト教学を受講してくれた学生さんたちの反応です。私はこの物語のオチを知っていますから、最後はこうなる、と思ってしまうのですが、この学生さんたちの反応こそ聖書をちゃんと読んでもらえた結果なのでしょう。でこの物語の解釈は、となるわけで、キルケゴール大先生をはじめいろんな方が考えておられますが、もっと大事なのは皆さん一人一人がどう理解されるかですね。それを神の言葉としてどう聞かれるか、単に古代のわけのわからない物語、だから宗教はこわい、ですまされるか。それは皆さん次第です。でもこの物語が語りかけていることは何だろうと問い続け、考えてくださるなかで、きっとみなさんなりに「腑に落ちる」受け止めができることを私は確信しているのです。
第八回 聖書「概論」
先にキリスト教では聖書を正典(カノン=信仰の基準)としてとらえているとお話しました。だからその聖書の内容は、ながく変えられることもありませんでした。と言っても最初、聖書なるものがまとめられていく段階ではいろんな議論があったようですし、宗教改革のときにマルチン君はカトリック的な内容の文書は削除してしまいました。だから現在プロテスタント教会では旧約39文書、新約27文書と「固定」されているのです。ところが私の友人のひとりで、熱心にキリスト教のことにも興味を持っているひとりが「聖書の続きはいつ出るん?」と質問されました。キリスト教の世界にいる一人としては、なんぜそんな「つまらん」こと聞くんや? 聖書の内容は変わらへんのや、と思ってしまうのですが、しかしむしろそんな質問など私自身が思い浮かばないでいるところに、ある意味キリスト教界の狭さがあることに気づかされました。クリスチャンが常識だと思っていること、ことさら疑問に思わないこと、それは決して一般の常識でもなく、むしろキリスト教への理解を妨げているのでは、ということでその彼との会話はそれから延々と続きました。その会話についてはまたどこかでお話することにして、今回はむしろキリスト教界の常識とされている方をお話ししましょう。これももう書きましたが、旧約というのはもともとユダヤ人の宗教であるユダヤ教の聖書として編集されたもので、ヘブル語(一部アラム語)で書かれています。新約はキリスト教のなかで生まれて、すべてギリシャ語で書かれたものです。その二つの書物について、一番おおざっぱな理解は、旧約は預言の書であり、新約はそれが実現したことを語る書物だということがまず言えます。今まで、これもあまり説明もなくイエス・キリストという「人名」を何度も用いてきましたが、イエスはその人物の名前ですが、キリストは彼の姓(苗字)ではないのです。皆さんが名刺を持たれるとして、そこには皆さんの肩書)(社会的な地位や役割)、そしてお名前がしるされますね。それと同じでイエスは名前(固有名詞)なのですが、キリストは彼の社会的な役割、地位を示す言葉です。社会的と言ってもその地位はユダヤ人の宗教的な考え方のなかでのものなのですが。ユダヤ人という人たちは、とにかくしんどい歴史を現代までも歩み続けていますが、旧約の世界でもそうでした。そしてなんとかそんなしんどさから解放されたい、と自分たちの助けてくれるヒーロー、救済者の登場をずっと期待していました。そのヒーローこそ、彼らの言葉であるヘブル語では「メシア」、それをギリシャ語に訳すと「キリスト」となるのです。だから、イエス・キリストというのは、あの十字架につけて殺されたイエスは、自分たちを救ってくれるヒーロー、救済者(救い主だ)という意味の言葉なのです。だからキリスト教は、イエス(だけ)がキリストだと信じる信仰がその中心です(この辺からお話が突然神学的(つまりわけのわからん話)になるのですが)。そこでメシアというのはどんな存在か、本当にメシアなどが登場するのかなどについては旧約聖書を読まないとわからないということでキリスト教の聖書にも旧約が含まれており、旧約はそのメシアが登場することの預言の書とされるのです。新約には最初にマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという四人の人が書いた「福音書」という書物があります。これは簡単に言えばイエスの伝記とでもいえるのですが、正確には彼が十字架につけられ、復活するまでの3年間ぐらいの宗教的活動の記録です。ということで旧約で約束されたメシア(=キリスト)がこうやって登場したのだ、ということで、イエスが私たちの救い主として現れたというGood(良い=福)News(知らせ=音)だからこそ福音書と呼ばれるのです。さらにその福音を表すギリシャ語がエヴァンゲリオン(出ました!)という言葉です、もともとは「戦争に勝利した知らせ」の意味でした。しかし、福音書の最後はイエスが十字架につけて殺される場面となります。え~、あかんやん、そんな奴がどうして私たちを救えるのか、ということはユダヤ人たちの判断で、だからユダヤ教は決してイエスをメシアとは認めないのですが、それを認めたのがキリスト教。ではなぜあの十字架につけられたイエスがメシアか、ということ、新約聖書の福音書のあとの書物、主にパウロという人が書いた「手紙」などで説明するのです。ちなみに「目からうろこ」の目はこのパウロの目のことで、彼がキリスト教の真理に目覚めることによって、キリスト教は世界に広まる道が開かれたのです。これもまたどこかでお話ししましょう。
この旧約と新約ですが、それぞれ39あるいは27の書物の並び方は、どこか共通しています。いや新約聖書がまとめられるときに旧約聖書の構成(ならびかた)をまねたのかもしれませんね。つまりどちらも内容的に三つのジャンルにわけられて、最初に歴史物語がおかれています。その最初は創世記、世界が創造される物語ですね。最初の人間アダムとエバもここに出てきます。そしてイスラエルの先祖となるアブラハムが現れ、その子どもたちからイスラエル民族が形成されます。この民族の歩みもしんどいもので、エジプトで奴隷にされたり、そこを逃げ出したまではよかったけれどその後40年間にわたって荒野をさまよったり。そして今のパレスチナにたどり着き、その土地を占領して(イスラエル的に言うと神様から与えられて)そこに住んだのですが、先住民や外敵に苦しめられ、それに対抗するために強い国になることを求めます。そこでダビデやソロモンという王様が出てきて、イエスはその時代について「栄華を極めた」(マタイによる福音書6章29節)と語っているようにイスラエルの歴史のひとつのピークを迎えます(だから現在のイスラエル共和国の国旗にはこのダビデの紋章「ダビデの星」が使われています)。しかしピークを迎えるということは、それが過ぎると国は衰え、王国は南北に分裂し、そしてアッシリアとかバビロニアという当時の超大国によって結局滅ぼされてしまうのです。イスラエル人たちはその超大国の捕虜となって異国に連れ去れたのちに、何とかそこから故国に帰るのですが、それ以後は異民族の支配のなかで過ごすことになります。というのが旧約に記された歴史のあらましです。旧約の第二の部分は、そんな歴史のなかでイスラエル人たちの間で蓄えられた知恵の言葉、神様を礼拝するときにい歌われた賛美の言葉、さらにはラブレターまで、そんないろんな作品が集められた文学とよばれるジャンルです。そして旧約の最後は預言者と言って、イスラエルが王国として絶頂期を迎えたころから登場する預言者たちの言葉を記したもので、預言者というと予言つまり未来を占うようなイメージですが、旧約の預言者というのは神様から語るべき言葉を預けられて語る存在で、まさに栄華を極めている社会の在り方について、それが本当にイスラエルらしいものなのかという鋭い問いかけを発します。そしてそんな豪華さに目を惑わされているとやがて国の未来は危ないという意味では未来について語っていますぅ。ただしそれはあくまでも彼らの現在の社会が抱える問題を指摘する結果として語るもので、彼らの関心は預言者の住む時代に向けられています。そしてこの預言者たちは当然、時の為政者から嫌われ、迫害され、こちらもまたしんどい生涯を送るのです。またイスラエル王国が滅亡したのち、異郷に連れ去られた人々に、やがて故国に帰れるという希望を語る預言者の言葉も含まれています。この歴史~文学~預言という三部構成は、新約もそれにならっており、歴史としてはイエスの言行およびイエス以後の彼の弟子(使徒)たちの活動の記録としての福音書および使徒言行録、 文学というと少し性格は違いますが、イエスの弟子たちが徐々にキリスト教(教会)を生み出していくときに直面するいろんな問題について、手紙という形式でまとめられた信仰の手引書。そして最後はヨハネ黙示録で、キリスト教が成立し教会が活動をしようとするときに直面させられるさまざまな迫害のなかで、それに耐えることによって輝かしい未来が約束されているという預言の書となっています。
では聖書を読んでみようと思ってくださるのならそれはとてもうれしいことですが、まずは創世記からでもいいのですが、きっと11章ぐらいで「飽きてくる」かもしれません。そこを我慢して12章まで行くとなんとか先に進めますが。そしてがんばって次の書物出エジプト記も読んでいくと20章から後は、まさに物語の内容どおり砂漠を放浪するような内容が続きます。というのも旧約の最初の5つの文書はユダヤ教では「律法(へブル語でトーラー)」と言って、聖書の中心部分で、それは物語だけではなくいろんな掟(戒律)が集められているからで、それを今のクリスチャンが全部守るなんてことはありません。以後旧約は掟、物語が入り混じった内容となりますので、それを読み進めるということは至難の業、ましてその意味は何かとかんがえようとすると、わけがわからなくなると思います(私自身の経験からです)。
じゃあキリスト教の書物として新約聖書からといってマタイによる福音書を広げると、最初からなんじゃこりゃ、というもので、延々とカタカナで人名の羅列が続きます。でもそこに書かれている一人ひとりの人物、それらはすべて旧約に登場する人物で、それらの日とのことを思い浮かべることができると、これはこれで読んでいて楽しいところもありますが、最初はとても分かりませんよね。例題をひとつ「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」(マタイによる福音書1章16節)、ということはソロモンのお母さんは、もともと正式に父親であるダビデと結婚していたのでしょうか? 答えは旧約のサムエル記下11章をご覧ください。そんなスキャンダルめいた記事ばかりをということで顰蹙を買いそうですが、聖書はそんな人間らしい?ドロドロとしたこともきちんと書いているところがあり、つまりきれいごとばかりを記す書物ではないのです。
で、どこから聖書はどこから読んだらいいの? 私としてはマルコによる福音書が最初には読みやすいかなと思います。イエスの宗教的活動のアウトラインが、短くコンパクトにまとめられており、イエスってどんなことをしたのかということのアウトラインを知るにはもってこいですね。それを読んだうえでルカ福音書、マタイ福音書と読まれてもいいですし、そこまでくればあとはご自由に。だけど一回読んだら終わりではなく、ところどころわかりにくいところ、納得できないところなどは何度もゆっくりと読み返してみることもお勧めします。もちろんキリスト教会の集会に参加されるのもひとつですが、私は牧師ですからそんなことをいうのもどうかと思われるかもしれませんが、教会は書物としての聖書の説明をする以上に、そこから信仰的な私たちの生き方へと皆さんを導くことに重点があります。だから単純に聖書という書物を、ある意味文学作品のひとつとして理解したいというときに、教会は実はあまりおすすめできない、むしろNHKなどの講座のなかで語られる聖書入門のようなものの方がとっつきやすいかもしれません。まして聖書についてのいろんな知識をお持ちの方が教会に来られると、牧師の方が戸惑ってしまうこともあります。私のキリスト教学の講義を聞いて、お前には信仰がない!と喝破した学生さんは、そのことを見抜いておられたのでしょうね。そして牧師としては、そのような聖書についての教養を身に着けるよりも、やはり信仰的な理解を深めてほしいと思いがちなところもありますね。といいながらも、次回は少し旧約聖書 創世記の物語について、私なりの説明をしたいと思います。あまり信仰的というわけではないかもしれませんが。
第九回 実際に聖書を読んでみましょう まず創世記、天地創造物語、神様が造られた世界とは?
なんでもそうですが、何事にも始まりがあります。聖書もそうですね。旧約の最初は世界の始まりからです。ただし関西人である私の悪い癖で、なんでも突っ込みをいれてしまうのですが、旧約聖書冒頭は「初めに神は天地を創造された」(創世記1章1節)から始まるのですが、この書き方だと天地が造られる前から神様は存在していたとなると、神様はどうやって登場したのか、それもとても気になりますが、聖書では「大地が、人の世が、生み出される前から 世々とこしえに、あなたは神」(詩編90編1節)ということで、聖書では神様がいつ登場したかということは聞かないお約束になっているようです。でもその大地が造られる前は「混沌」で「闇」に覆われていたところに、神様が天地を造られたのですね。この物語では神様は6日間で世界を造り、七日目はお休みということになっています。だからユダヤ教の週間では一週間は七日でそのうちの一日は安息日(休み)の日になったというように説明されます(出エジプト記20章11節「六日の間に主は天と地を海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれた」)。もちろんこの物語は神話ですよね。そしてむしろ状況は、この物語が書かれたときにはすでに一週間は七日で一日休みという習慣ができており、それを改めて宗教的に説明するためにこの物語が生まれたと考える方が自然ですね。というのも旧約聖書が記されるよりはるか以前のオリエント世界、シュメール人やバビロン人などが七曜制を採用していたことが知られており、ユダヤ人たちも自分たちの王国が滅びてそのバビロンに捕虜として連れていかれてそのような暦を受け入れたとき、その理由は自分たちの信仰として解釈したのでしょう。ということでこの物語は、一週間は七日、六日の労働と一日の休息という枠がきちんとはめられており、まるで日記にように第一日はこう、第二日は、第三日は、ときちんと日を追って物語が続きます。ししして各日の終わりに「夕べがあり、朝があった。第●の日である」という同じ表現でその日が区切られます(5、8、13、19,23,31節)。私たちの感覚と少し違うのは、一日が夕べ(夜)から始まるのも、彼らの習慣によるのでしょう。そして興味深いのは、ここで日を追って造られているものはすべて、その前に造られたものがあるからそのものが造られるということになります。天が造られるから、そこに日や星がおかれますし、やがてそこに鳥が飛び交います。地が造られ、水が一か所に集められて海ができると、そこに魚がおかれます。乾いた大地が生まれると草木が生え、それを食料とする家畜(最初からいたんですね)、そしてそれらのものの最後に人間が造られるということになります。決して神様はそこで気まぐれに、あれやこれやのものを造られたのではなく、きちんとカレンダーに沿って、前後関係をきちんと考えて世界を創造されているのですが、言葉を変えると世界はそのような秩序(時間、自然、動植物、食物連鎖)を持って造られているということですし、毎日神様が、造られたものをみて「良し」(10,13、18,21,25,30節)と言われるのはその秩序がきちんと保たれていることもあるのでしょう。そしてこのことが、その後の創世記、あるいは旧約聖書全体、大きく言えば現代の私たちにもとても大切なことを考えさせるのです。神様はその最後の六日目に人間を造られるのですが、そのとき「神にかたどって」「男と女に」(つまり神様の前では男女は優劣なく同じように)創造された(27節)とされるのですが、神にかたどるというのは人間は神様の形をしている、ということでラテン語でImago Dei つまりImage of Godとしてほかの動物たちとは違う特別な存在と理解されます。だから人間は動植物を切ったり殺したりしてもゆるされるという理屈もこの言葉から説明されることもあります。本当にそうでしょうか。神のかたちというのは確かに外形的な意味もあるでしょうが、人間の働きという意味においても考えられるのではということです。と言ってだから人間は神のようになんでも自由に自然の支配者としてふるまい、それを破壊してきたのだといわれ、それが欧米の産業などによる自然破壊の根源として批判されるところもあります。それに比べ日本は自然のあらゆるもののなかに神を感じ、自然とともに生きてきたやさしい民族だということも。本当にそうでしょうか。日本社会に環境破壊や環境汚染はまったくおこらなかったのでしょうか。私は人間が神のかたちをし、それが神の働きもできるというときに、それは神の働きがなによりも天地を秩序を持つものとして創造したということをきちんと考えるべきではないかと思っています。ということは人間の役割は、神の働きのようにその造られた自然の秩序の管理者、維持者としての責任ですし、それが果たされないと自然そのものが破壊されるということは、創世記6章からのノアの洪水物語で問題とされます。そのとき「人間が心に思うことは悪いことばかりだった」(6章5節)だったので、神は地上に洪水をもたらすのですが、それはまさに環境破壊の結果として「大いなる深淵の源ががことごとく裂け、天の窓が開かれた」(7章11節)。つまり天地が造られたとき、天上、地上の水がそのあるべき場所に集められていた世界の構造(秩序)が壊れてしまった、ということです。このような洪水伝説は決して旧約聖書だけのものではなく、メソポタミアの神話のなかにも記録されていますし、かつて世界の四大文明(黄河、ナイル、インダスそしてチグリス・ユーフラテス)の一つであったメソポタミア地域が現在、完全に砂漠化してしまっているのは、まさにその地域の森林伐採、自然破壊の結果とされています。創世記の最初の天地創造物語は、神様が世界を造ったということのなかに、その造られた世界に住む人間の責任をきちんと示しているのです。もちろん古代人の発想ですから神話的表現となるは当然ですが、問題意識としては現代に通じるものがあります。そして前回にも書きましたが、旧約聖書の冒頭の5つの書物は律法の書、つまり掟の書ですが、なぜ人間が掟を守らなければならないかということは、それを守ることが神様の造られた秩序をしっかりと維持することだからということを意味しているようです。一週間七日のうち一日を休むというのは、そういう休みも取らずに働き続けることが、いかに人間の健康にとって障害となるか、きちんと生活のリズムを守ることの大切さを教えているのです。出エジプト記で興味深いのは、一週間で一日の休みは「あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門のなかに寄留する人々も同様」とされている(20章10節)ところで、家畜も含めてすべての存在にとってこの休みが必要であることを示しているところですね。さて聖書は単なる神話、荒唐無稽なお話なのでしょうか。
第十回 土から造られた人間 創世記2章から
前回の最後に、旧約、創世記の物語は単なる神話、荒唐無稽なお話なのか、というところで終わりましたが、創世記に2章は、もっと神話的じみてきます。なにせ、神様が土をこねて人間を造ったのですから。そこまで聖書を気にして読んでくださる方がおられると、私も脱帽しますし、前に聖書の教養を持った人が教会に来られると牧師が戸惑ってしまう、よいうようなことを書きましたが、創世記の1章から読み始めて、あれ?と気づかれたことをそのままあまり牧師先生に質問しない方がいいかもしれません。それは神様の呼び方が変わってしまうということです。日本語の聖書でもそうですが、最初すべて「神」として神様が描かれます。当たり前ですが。ところが七日間で世界の創造が終わると、2章の4節後半から突然、「神」様は退場しその代わり「主なる神」という呼び方で神様がずっと呼ばれることになります。同じ神様なのになぜ?と思われても、まあそんなものか、と思ってくださればいいのですし、教会のお説教ではそんなことはあまり気にしない、大切なのは信仰に導かれることだ、ということになるでしょうか。またユダヤ教の人々にとっては旧約聖書冒頭の5つの書物はまとめて律法と呼ばれ、それを書いたのは出エジプト記の主人公となるモーセだとされ、モーセ五書とも呼ばれていますし、そんな違いは気にしないでいいということにされているのでしょう。しかし気になる方は気になるでしょう。そしてそのことをとても気にした人がいました、。聖書学者と呼ばれるひとたちで、一生懸命考えた結果、どうやら創世記1章を書いた人と2章からを書いた人は違うらしいということに気づいて、もう一度丁寧に創世記を読んでみると、ただ神様の呼び方が違うだけではなく、その文章の描き方、宗教的な考え方も違っていることに気づき、それを丁寧に分析をしています。興味のある方は専門書をご紹介します。ただここで教えられるのは、2章4節以下の物語は、より物語的、読み物として楽しめる性質を持っています。1章の同じような表現の繰り返し(こういうものを定型文といいますが)などは、やはり飽きてきますし、2章とくらべるとなんだか報告書(レポート)を読まされているような気もしてきます。ということで実は旧約聖書も創世記なら2章から読み始めるのもお勧めかもしれませんね。でも人間が土から造られた? それを文字通り信じるのがキリスト教の信仰なのでしょうか。新約聖書のなかでパウロという人も人間のことを「土の器」(コリントの信徒への手紙二4章7節)とよんでいますので、そうなんでしょう。でもだからそんなのは古代人の空想、おとぎ話で済まされないところも実はあるのです。創世記2章からの物語は、あのアダムとエバを中心としてお話が展開しますが、そのお話は次回に譲ることにして、その二人が神様から食べてはいけないという木の実(リンゴではないのですよ)を食べることによって、神様の言いつけを守らないということで厳しくしかられます。そのなかで神様はアダムに「お前は顔に汗を流してパンを食べる。土に返るときまで、お前がそこからとられた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」と宣言されてしまいます。土に返る、おそらく人間が土から造られたという神話の出発点はむしろ人間が土に返る存在だという理解があったからでしょう。つまり土葬ですね。私の父の実家は鳥取県中国山地に囲まれていましたが、私の叔父などは土葬でした。今は法律的に土葬が認められることはないのでしょうが、その叔父がなくなって数年後叔母もなくなりやはり土葬で葬られたときに(棺は座棺といって桶のようなものにごご遺体を座らせてそのまま埋葬という大掛かりなものでしたし、その埋葬のときにお顔をどちらの方角にむけるべきかで、親戚内で議論があったのを覚えています)。前に葬られた叔父のご遺体がきれいに土に返っているということを実感させられた経験があります。まさに古代のイスラエル人たちも、土葬というよりはイエスの埋葬のことなどを考えると洞穴にご遺体をそのまま安置しておく(マルコによる福音書15章46節)というようなもので、やがてその遺体もやがて塵に朽ちていく、それがこの物語の背景にあるのでしょうし、ということは土から造られた人間、というのは土に返ることを運命づけられた存在、つまり必ず死ぬべき存在だという現実を私たちに突き付けています。旧約聖書はへブル語で書かれていると何度かお話をしましたが、ヘブル語で人間のことをアダムと言います。最初の人間のアダムは固有名詞としての名前と人間という意味とを持っています。そして土のことはアダマーと言います。アダマーからとられたのだからアダムですね。つまりユダヤ人たちは、人間という言葉を口にするたびに、ああ私たちは土に返る、やがては死んでいく存在だな、ということどこかで意識させられていたのでしょう。今どれぐらい人気を保っておられるのかわかりませんが、Glayというグループのヒット曲(だと思います)a boyという曲の歌詞のなかに「時がすぎてもあの笑顔わすれない、たとえ土に還ることが人の宿命(さだめ)だって」というものがあります。その曲を授業で紹介しても学生諸君の反応がいまいちだったのは、彼らにはこの曲はまりおなじみではなかったのでしょうね。ついでのついでですが、大阪という地名はもともと大坂だったといわれます。しかしそれが土に返る(死)を連想させるのはいかがなものあかということで明治5年に現在の大阪に変えられたとAI先生に教えていただきましたが、この感覚は日本人にも通じるものなのでしょうか。あるいはGlayさんたちも聖書に親しんでおられるとか。
人間は必ず死ぬ! アダム、土から造られた人間は常にそんなことを意識させられている、というのが聖書の教えだとすれば、なんとペシミスティック(悲観的)な宗教なのかと思わされますね。そういえば中世キリスト教の修道士の合言葉のようなものにMemento Mori、あなたの死を覚えよ、というものがありそれにちなむ絵画も残されています。ああ、そんなやってられへん、というのが率直な感想でしょうね。私もそう思います。だけどそれが人間の宿命というか現実だということをしっかりと意識するということは、いつ自分の命が尽きるかを不安がって毎日を過ごすということだけではないのです。むしろいつか死を迎えるにしてもそれまでは私は生きている、そうするとその生きている毎日を、時間を、命そのものの大切さ、貴重さをしっかりと受け止めているだろうかという自分への問いかけも生まれてきます。人間は必ず死を迎える、つまり有限な時間の中でしか生きられないということは、その自分に与えられた時間を本当に生かして、大切にして過ごしているか。時間というものは面白いもので、二度と繰り返さないのです。時は金なりと言いますが、お金はなんとかすれば取り戻せるでしょうあ、時は絶対に戻りません。時はお金以上のもの、お金なんかと比較にならないぐらい貴重なものなのです。自分がアダムのひとりだと本当に感じることのできる人は、また自分の時間の大切さを知っている人ということになるでしょうか。今しかできないこと、子どものころにしかできないこと、学生の時だからできること、年老いてはじめてできること、人間にはそれぞれの時がありますから、その時々になすべきことをしる生き方、というのがその人の人生の意味をより深いものとするでしょう。【少し愚痴っぽいお話をしますと、かつて私が勤務していた学院が小学校を開設することになり、その小学校にふさわしい聖書の言葉を考えることになり、私は新約聖書コリントの信徒の手紙一13章、パウロの「愛の賛歌」」と呼ばれる個所から11節の「幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた」を提案したのですが、見事却下され、結局ルカによる福音書2章40節「幼子はたくましく育ち、知恵に道、神の恵みに包まれていた」が採用されました。でも私は今でも、子どものころに子どもらしく生きることの大切さを確信していますし、結局選ばれたルカによる福音書、なんだか模範解答すぎて面白くないなと、今でも思います。昔その学院に努めていた時にそんなことを言うと、えらい目にあったでしょうが。ついでに私の人生の教訓として常に覚えているある先生の私への評があります。「田淵君、君はええことを言う。しかし君が言うから誰も聞かへん」。まさにその先生は私のことをしっかりと見ていてくださったことを、今も感謝しています。愚痴終わり。】 では、創世記2章からの物語でアダムとそのおつれあいのエバは、自分の人生の時間を最大限生かして過ごしていたのでしょうか。
第十一回 アダムとエバって誰?
このアダムとエバのお話は結構ご存じの方が多いと思います。要は神様に食べてはいけいないといわれた木の実(りんごではありません、くどい!)を食べたアダムとエバが、エデンの園という楽園から追放される物語で、キリスト教ではだから人間は神様に対して罪を負っている、原罪を持つ存在だ。そしてそれをイエス・キリストが来られてその罪から私たちを救ってくださった、というのがキリスト教の古典的?な教えとなっています。この物語をそう解釈したのは、そろそろおなじみになってきたでしょうか、パウロという人でローマの信徒への手紙5章12節以下でそのことを説明しています。私は祖父祖母、父、と牧師の家系で育って自分も牧師となりましたが、このアダムとエバの物語を原罪物語として読むことをある意味叩き込まれてきたところもあります。だけど本当にそうなのかともいつも思わされていました。そこで皆さんに質問。さてアダムとエバは、エデンの園を追放されていたとき、どんな格好をしていたでしょうか。創世記2章25節に「二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」と書かれているのがヒントといえばひんとですが、そこで三択の回答を、(1)裸のまま、(2)イチジクの葉を腰にまとっていた (3)皮の衣を着ていた。さて、正解は! そう(3)、正解です。とされた方、まさに牧師先生の前ではあまりこの話をされない方がいいかもしれませんね。アダムとエバが神様の言うことを聞かなかったということで叱られてエデンの園を追放される直前、「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた」のです。つまり楽園を出ていく二人への神様の配慮、そんなものを私は強くこの言葉から感じますし、だからお前たちは罪びとだ! もうお前たちのことは知らん! などと神様が言われたとはとても思えないのです。むしろこの物語、原罪物語というようなキリスト教の教義の中で読むよりも、本来もっと私たちがじぶんのこととして考えなければならないメッセージ、教えがあったように思われるのです。そしてこのような読み方は、私がやがて勤務大学で文学部から教育学部に転籍をしたときに、学生さんたちと聖書を一緒に読みながら気づかされたことでもあるのです。
この物語、特に創世記3章になってからの展開で、アダムとエバは最初から神様の言いつけを聞かなかったわけではないのです。ちゃんとそれを守っていたのですが、そこに蛇が出てきます。神話ですね、そしてこの蛇はしゃべるのです。神様が言ったことは本当か? つまり食べてはいけない木の実を食べると死ぬぞ! そんなことhないやろう(すみません、つい関西弁になりました)。そこでエバ(女が)その木を見ると「いかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなる」ようなものだったので、彼女はそれをついに口にし、アダムにも食べさせたのです。それを知った神様は二人を厳しく叱るという展開ですが、少し整理して考えると、最初神様は、食べてはいけない、と命令をします。二人はその言葉に従順に従います。蛇がでてきて、疑問をなげかけます。二人は改めてその木を確かめ判断し、取って食べるという行動をします。すると神様は二人を楽園から追放するのですが、そのときに先にも紹介したいように「お前は顔に汗を流してパンを得る」つまり今までは楽園で食べる者にも不自由しなかったけれど、これからは自分で自分の面倒をみろ、というのです。つまり追放は追放でしょうが、別の言い方をすると自立しろということになります。ちなみにアダムのおつれあいがエバと呼ばれるのは楽園を出てからのことで、それまでの創世記では彼女は名前がなく、ただ女と呼ばれてきています。さて、命令~従順(服従)~誘惑~判断~行動~自立 というこの物語の展開は何を示しているのでしょうね。ヒントはこの木の実を食べると、二人はお互いを異性として意識するようになる、というところです。「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」(創世記3章7節)のです。キリスト教画家のひとりにラファエロという有名な人がこの二人の絵を描いていますが、そこには「リンゴ」の実は描かれていません。ラファエロはラテン語の聖書だけではなく、ヘブル語の聖書も読んでいたのでしょうか。そしてヘブル語聖書では「善悪の知識の木」(創世記2章17節)とされていて、一体それがどんな実であり木であるのか、画家としてはそれを描くのに結構苦労させられただろうと思います。そしてそれを口にするとお互いの性を意識する、そうです。この物語は二人が子どもから大人へと成長していく段階を描いているのではないでしょうか。私が教育学部で教えるようになって、と書いたのは、実は私は神学部を卒業して牧師となって最初に赴任した教会は神戸市長田区の神戸丸山教会でした。その教会には幼稚園(丸山小羊幼稚園)を併設しており、私はその園長も任じられました。そうやって新米園長として過ごしているとき、ある保護者の方から、うちの子をこちらの幼稚園に預けたら、言葉遣いが乱暴になり、親の言うことをあまり聞かなくなった、といわばクレームがありました。それは当然ですね。今までは家庭の中だけで過ごしてきたお子さんたちが、いろんな環境のなかで育ってきたほかの子どもたちと一緒に毎日を過ごすうちに、子どもの社会での表現、行動を身につけ始め、今までそれぞれの家庭で教えられてきたこと以上に様々なことを覚えるのですね。教育学部的に言うとまさに子どもが「社会化した」「社会性をもった」という段階を迎えたということですね。蛇の存在、それはいままでアダムとエバが知っている環境とは違った社会と二人が出会うことですし、それによって今までの従順さではなく、自分で考えてみるという生き方を学習したのでしょう。そして二人は思春期を迎え、そして自分の判断に基づいて行動する、そうすると神様はもうお前たちは自立すべきだと、彼らを楽園から去らせる、というお話、まさにこのお話は人間の成長をテーマにしたもので、だから彼らが自立するときに神様が皮の衣を着せるのは、最後の「親心」の表現として、私は大好きな言葉です。私も一人娘を早くからイギリスに留学させましたので、わかる、わかるというところでしょうか。というようなことを長々と説明してきましたが、あるヘブル語の辞書を見ていると「善と悪を知る」という熟語の意味として「大人になる」と説明されていました。やっぱり、ということですが、その熟語があってこの物語ができた、というよりもこの物語を読みながら、この熟語の意味をそう受け止めたということかもしれません。
ただしそれでめでたしめでたしとはなりません 果たして私たちは本当に自立したいと思っているのでしょうか。この物語を楽園追放と理解する立場には、やはり楽園にとどまる法らいいという思いがどこかにあるのではとさえ思わされます。自立するということ、自分の生活を自分で支えるということは本当にしんどいことです。親のすねをかじりつづけられるのなら、それにこしたことはない、という思いは、特に日本人の社会では強く、子どもたちに早く大人になりたいかという質問をしても、最近のNHKの調査では中学生は63%が、高校生でも58%がノーと答えているようです。そしてやはりこの物語が、原罪とまではいわなくてもどこか暗さをひきずっているのは、自立の大変さを聖書も読者も知っているからでしょうね。さて、神様はエデンの園から出たこの二人を、その後見捨てたのでしょうか。その後はどうなった、もう少し創世記を読み進めてみましょう。
第十三回 アダムとエバの子どもたち~カインとアベルの物語 創世記4章
エデンの園から追放された(自立)したアダムとエバはその後二人の子どもの親となります。長男はカイン、地を耕す者となり、弟はアベル、羊を飼う者となりました。聖書にはよく男性の二人兄弟が登場しますが、だいたい兄のほうがまじめ、弟のほうがええかげん、というのが相場で私もそのことには強く同意させられます。ただしここではどうも兄のほうが問題を起こしてしまうのです。というのも収穫の時期になって兄弟はそれぞれの産物を神様にお捧げしたのですが、なぜか神様はカインのものは喜ばれず、アベルのものだけを受け取られました(4章4~5節)。神様はまさにえこひいきをしたのですね。これは教師としては心にちゃんと留めておくべきことで、学生さんや生徒さんが一生懸命努力してきた成果をいい加減に評価すること、それはとても大きな問題を生んでしまいます。ここで兄は自分がちゃんと評価されなかったことを怒って、アベルを野原に連れ出し、殺してしまうのです。アダムとエバが自立してすぐ、その子どもたちが殺し合いをする、それが聖書の物語でいいのでしょうか。でもそう書いてありますから、少し考えてみましょう。なぜ神様はえこひいきしたのか。きちんと物語を読むとアベルはその飼っている羊の群れの「初子」を捧げたとされており、カインの方は別にそれがどんなレベルのものかなどは書かれていません。それが理由なのでしょうか。神様はやはり良いものを捧げる方に目を向けられるのでしょうか。なんだかちょっと、という感じもしないでもありませんね。だからこの殺人事件の原因を作ったのは神様だとも言えるでしょうが、もうひとつこの物語で考えさせられるのは、カインがアベルを殺そうとしたとき、神様はそれを黙ってみておられ、その後カインに「お前の弟アベルはどこにいるのか」(4章8節)と尋ねられます。そんなこと聞く前に、カインに「殺したらあかん」(関西弁ですみません)となぜ彼を止めなかったのでしょうね。みすみすアベルは殺されてしまったとも言えるでしょうか。おそらく聖書は、人間の現実をきちんと見つめているのでしょう。人間が感情にかられてしまうと、それを神様でも止めることはできない。ただし、この物語の展開を読んでいくと、その殺人者のカインに神様しるしをつけ(18節)、その後彼に起こるであろういろんな災から彼を守ることを約束します。神様は殺人の罪をゆるされたのでしょうか。しかしそのしるしをかれが生涯身に帯び続けるということは、彼に自分の犯した犯罪を常に思い起こさせます。彼はそのことを忘れ去ったり消し去ったりできない一生を送ることになるのです。でもその彼をいつも神様が守り続ける、それが聖書の語る信仰の現実かもしれません。確か第二次対戦、太平洋戦争中に日本軍が東南アジアで現地の人々を強制労働に駆り立てました。それによってタイとビルマをつなぐ路線が作られたのですが、その労働の過酷さのあまりそこで徴用されたロームシャ(労務者)とよばれたひとたちがたくさん亡くなりました、戦後そのことを記念するための碑が建てられのですが、そこには"Forgive but not Forget"と記されているそうです。自分の犯した過ちは消え去らないし、それが忘れられてしまうことはない、しかしそれをゆるそう、という思い、おそらくカインのしるしとはそういう意味があったのでしょうね。さて私達日本人はこのことをちゃんと覚えているのでしょうか。
それにしても、なぜ神様はえこひいきをしたのでしょうね。それがよくわからない、ということなのですが、創世記が旧約聖書の最初の文書ということを考えるとき、その後に続く旧約に描かれるイスラエル民族の歴史をざっとながめてみると、どうもこの物語はその序文としての意味をもっているようにも思えてきます。創世記の1章が天地創造という私達の属する自然の始まりを語り、2章のアダムとエバの物語で、人間ってなんだろうということを考え、そして4章のカインとアベルの物語で、イスラエル民族ってなんだろうということを考えている、という風にも考えてもいいのではないでしょうか。そしてそのイスラエル民族の歴史というのは、まさに地を耕す文化と羊を飼う文化との緊張関係のなかで展開していき、最初イスラエルは羊飼いとして歩みますが、やがて農耕の文明のなかに取り込まれ、みずからの羊飼い性を失ってしまったという流れになっているのです。19〜20世紀に活躍した宗教社会学者マックス・ウェーバー大先生は、まさにイスラエル民族の原点に小家畜飼育者(ベドウィン)を想定し、そこに旧約のイスラエルのアイデンティティを求めています。そういえば、イスラエルの先祖となるアブラハムも、出エジプト記の中心実物モーセも羊飼いですし、最初に考えたイエスの譬話のなかでも100匹の羊というように、そう、イエスが生まれたときそのニュースを天使から最初にきかされたのも野宿をしていた羊飼いたちでした(ルカによる福音書2章)。そのイスラエルがいつしか羊飼い性を捨てて農業社会に引き寄せられていくのは、明らかに羊飼いの生活が不安定で、貧しく、みすぼらしいものだったからです。というのも小家畜というように、馬や牛、ラクダのような大きな家畜を飼育してビジネスをするだけの力はなく、羊を飼い続けるだけの毎日なのですが、羊たちがある場所の草を食べ尽くしてしまうと、新しい草の生えている場所をもとめての移住生活が続くのです。だからそんなにたくさんの持ち物を持つこともできず、みんなで力を合わせて羊を守るということで、お互い平等な人間関係のなかで小さなコミュニティを営んでいたようです。だからこそ明日、これから新しい草の生えている土地が見つかるだろうか、水を飲ませることができるだろうか、狼などが襲ってこないだろうか、日中の激しい陽射しに耐えられるだろうか、などなどの不安のなかで、神様に頼る、信頼する、神様が導いてくださることを信じて生きる、という生活を送っていたのです。旧約聖書の詩編23編はそのような羊飼いの祈りの言葉なのです。そして彼らにとっては神様とともにあること、神様とともに生きることはごく当然のことであって、生活と信仰(宗教)とは決して切り離せないことだったのですね。
ところが農耕の文化はまったく異なった価値観を人々に与えます。つまり収穫があれば、それで安心してこれからの生活を計画できるのです。それが多ければ多いほど贅沢で快適な暮らしができ、生活も安定します。もちろんパウロが言うように「わたしは植え、アポロは水を注いだ、しかし成長させてくださったのは神」(コリント信徒への手紙一3章6節)ということで、濃厚でも宗教的な祈りは行わるのですが、よっぽどのことがない限り農業生産は毎年安定した収穫をもたらし、飢饉が起こっても蓄えがあればなんとか切り抜けられるのです(例えば創世記41章34~36節のヨセフの夢とき物語など)。ただしいわゆる小作と呼ばれる人はその影響をもろに受けるのですが、それが農耕社会の大問題でした。大土地を所有する富豪、その土地の耕作のために雇われる貧農の人たそこには経済的身分格差が歴然としており、結果貧しい人々が虐げられる社会となってしまうのです。さらに農業社会は土地に定着、定住するということが基本ですから、自らの所有地を奪われないように、あるいはもっと広い土地を手に入れるために戦い、紛争が生じます。となるとそのような軍隊を養成し維持するための経済力、それを動かすための軍事力などをまとめてその社会の支配者、権力者が生まれるのですが、イスラエルの周辺の国々はそのような権力構造を持つ、つまり王様が支配する社会だったのです。そしてそれはイスラエル民族にとっても、ある意味見方によっては魅力的でうらやましい国のあり方だったのでしょう。少し旧約聖書のお話を先取りしますと、まさにサムエル記という書物には、イスラエルが周囲の国のように王様を求め、イスラエル王国が成立してゆく物語が記されます(サムエル記上8章5、26節)。私自身の旧約学での研究テーマはこのイスラエル王政成立の問題で、それが修士論文となりました。ずいぶん昔のことになりますが。
それでカインとアベルのお話はおしまいということでもないのです。カインが神様からしるしをつけられた時、神様はカインに「お前は地上をさまよい、さすらう者となる」(創世記4章12節)とも宣告されます。つまりもう農業などをするための自分の土地にとどまることはゆるされず、世界の放浪者となる、というのもまた旧約のイスラエル民族の歴史となっていきました。つまりダビデ、ソロモンという王様でピークを迎えたイスラエル王国が、やがて当時の超大国いよって滅ぼされ、その結果イスラエル人たちは最後にはバビロニアの首都バビロンンに捕虜として強制的に移住させられてしまいました。歴史的にはこの事件のことをバビロン捕囚と呼ぶのですが、そのときからイスラエル人たちはディアスポラ(離散の民)として世界各地を放浪しつつ生きる運命を負わされ、そのなかで神様の守りを体験してゆくのです。ちなみに今まで、イスラエル人、ヘブライ語(人)、ユダヤ人などとあまり区別なく用いてきましたが、ほぼ同じ民族に対する呼び方の違いです。ヘブライというのはいわば国際関係のなかでの呼び方で、エジプト人たちがイスラエルをヘブライの民と呼びましたし、まさに各地でもちいられるいろんな言語のひとつとしてヘブライ語があるのです。イスラエルというのは、歴史的にはもっとも古くからの自分たち民族をそう呼びならわしてきました。ユダヤ人というのは、ダビデ・ソロモンの王国が絶頂期を過ぎて結局南北二つの王国に分裂したとき、北側の王国がイスラエル王国、南側の王国はユダ王国となりました。そしてバビロニアに滅ぼされて捕囚となった人たちの大半がユダ王国の末裔であったので、その意味をこめてその人たちが自分たちをユダヤ人と称したのです。その彼らの中で信仰されたのが、伝統的なイスラエルの信仰を核として、ユダヤ人のなかで独自に発展ししたダヤ教だったのです。
まさにこのカインとアベルの物語はそんな旧約聖書の描くイスラエル民族の歴史全体を要約する序文となっているように思えて仕方ないのです。あまりにもよくできているということですね。
さてこうやって比較的丁寧に創世記の物語を読んできましたが、この調子でいくとキリスト教講座がどんどん長くなってしまいます。そこで6章からのノアの洪水のお話は、前にも簡単に触れましたので、少し大づかみな形でもう一回創世記を読み、そこで聖書全体にとって創世記という文書が持っている意味を考えたいと思うのです。その主人公は、今まで何回かその名前をお知らせした、イスラエル人の祖先と言われるアブラハムさんです。
第十五回 アブラハムの子、ダビデの子、
前に新約聖書を読むならマルコ福音書からがおすすめで、マタイ福音書を読むとカタカナの人名の羅列でイヤになるとまではいかなくても、なんじゃこりゃ、ということになってしまうかもしれませんとお話しました。そのマタイによる福音書1章1節は「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」となっていて、イエスが系図的にはアブラハムの子孫であることが紹介されています。イエス・キリストはともかく、ではその最初がアブラハムという人になっているのはなぜでしょうね。もし人類の祖先とするならばアダムとエバにまでつながるはずなのに、ということでルカによる福音書の系図はアダムまださかのぼり、さらに神様につながっています(ルカによる福音書3章38節)。それはマタイ福音書の特徴ともいう書き方で、それはユダヤ人の読者をかなり意識して書かれたところがあり、その読者たちにイエスが正統なユダヤ人の一人であったことを紹介しようとしているからで、それはまさにユダヤ民族の先祖がこのアブラハムだっととされるからです。そのお話は創世記12章から始まります。今までのお話のなかで、聖書の言葉を引用するときには1987、88年に日本聖書協会から翻訳出版された「聖書 新共同訳」のテキストを用いてきましたし、その本文では「主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて、私の示す地に行きなさい」」となっています。ところが私が子どものことから慣れ親しんできた聖書の翻訳は、やはり日本聖書協会の口語訳で1955年翻訳出版では「時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい」」とさとなっていて、新共同訳に比べて、「出る」「別れる」「離れる」「行く」と、それまでのアブラハムの人生から決別というか、断絶ということを強く表現しているように思えますし、おそらく口語訳聖書の翻訳の方がヘブライ語原文の意味にちかいのでしょう。聖書というのはちょっとしたことで説明が必要となるのですが、この創世記12章では彼はアブラムと呼ばれていますが、やがて神様からアブラハムと名乗るようにと改名を伝えられるのです。、アブラム=偉大な父、アブラハム=多くの国民の父、そこにはこれからお話する物語の展開が反映されているようです。ただ彼の出自は、ノアの洪水の主人公ノアの三人の息子、セム、ハム、ヤフェト(創世記10章1節)のうちのセムの子孫のひとりテラの末裔と記されています(創世記11章27~32節)が、もうひとつ別の旧約の記録では「滅びゆく一アラム人」(申命記26章8節)と記し、それまで特に取り立てて何か注目されるような存在ではなかった、と語られます。ところがその取り立てて目立たない彼が、突然神様に選ばれて、今までの係累を一切断ち切って新しい場所に行くことを命じられます。そのことを新約聖書では「信仰によって、アブラハムは・・・出て行くよう召し出されると、これに服従し、行く先も知らずに出発した」(ヘブライ人への手紙11章8節)と説明をしていますが、これが以後旧約聖書のなかでいろんな物語などで出てくる召命物語の基本となります。つまり神様が何かの計画を実現しようとされるときに、その役割を担うべき人を選んでその人に役目(ミッション)を与えます。以後の聖書の物語の主人公の多くはこうやって神様による選びを経験するのですが、アブラハムの場合は別にそのことに文句も言わず、素直に従ったようですが(創世記12章4節)、これ以後そんな召命(神様の呼び出し)を受けた人は、またもや関西弁でいうと「かんにんしてください、わたしにはそんなことできません」と辞退するパターンが多くなります(出エジプト記3章11節以下、エレミヤ書1章5節など)。こうしてアブラムは、まったく新しい人生を(再)スタートさせることになるのですが、彼に対して神様が与えたのは三つの約束でした。一つ目はアブラハムの子孫が大いなる国民となる(創世記12章2節)。なにしろ、彼は今までの家族関係の大半を(と言っても妻や近い親戚などは同行していたようですが)断ち切って再スタートをしたのですが、彼の子孫から大きな民族ができる、などということは完全に神様の言葉だけのことです。二つ目は、アブラハム自身が多くの人たちに祝福をもたらすことになる(創世記12章2~3節)、というものですが、さて祝福ってなんでしょう。まあ悪いことではないに違いないのですが、これもかなり漠然とした約束ですね。三つめはもっと具体的に「あなたの子孫にこの土地を与える」(創世記12章7節)、というものでしたが、前回も記したように彼は本来羊飼いですので、土地を与えられてもというところもあります。いずれにしても、大いなる子孫(国民)、祝福、土地という三つの約束を与えられはするのですが、その後の創世記の内容を読んでいってもなかなかそれが実現しないままに、結局かれは人生を終えることになります。これも前に紹介したのですが、彼とその妻サラが高齢になってしまって、もう子どもなどできない、とあきらめていた時に、ようやく一人息子のイサクが生まれます。ところがなんと神様はそのイサクを殺して犠牲の捧げものにせよ、と要求する(創世記22章)、もう祝福どころではないようなお話です。でもそのイサクがヤコブという子どもを産み、そのヤコブから十二人の子どもがさらに生まれて、それぞれイスラエルの十二部族を形成することになっていくので、神様の約束はすこしずつ実現に向かっていくのです。そして創世記に続く旧約の物語、さらには新約までも含めて、聖書全体は、このアブラハムへの神様の約束がこうやって実現(成就)していった記録となっていきます。前に旧約の預言(約束)が新約で実現するとお話したその構造が、このアブラハムへの神様の約束から始まるのです。子孫の増大、それは創世記でもすでに実現しつつありますが、よりはっきりとは創世記の次の書物、出エジプト記で実現したようです。創世記の最後のところでヤコブの子どもたちはみなエジプトに移住するのですが、やがて「イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますいます強くなって国中に溢れた」(出エジプト記1章7節)ようです。、大いなる国民(民族)という約束はこういう形で実現したことが記されるのですが、それによってエジプトのファラオ(王)はイスラエル人の存在を危険視し、彼らに迫害を加え、奴隷として重労働につかせることになります。あれ、大いなる国民という約束は実現したのに、祝福はどうなった、ということですね。さて旧約のお話をどんどん先に進めていくと、やがてイスラエル人はモーセをリーダーとしてエジプトから脱出し(エクソダスですね)、荒野を四十年さまよったのち、今のパレスチナの地まで到達し、その地をヨシュアという指導者の下に征服します。ようやく土地を与えるという約束が実現するのですがそのことをヨシュア記は「主が先祖に誓われた土地をことごとくイスラエルに与えられたので、彼らはそこを手に入れ、そこに住んだ。・・・主がイスラエルに告げられた恵みの約束は何一つたがわず、すべて実現した」(ヨシュア記21章43~45節)と記しています。ということは、イスラエル人たちにとって歴史とは、自分たちの先祖に約束されたことが実現していく時間の流れとしてとらえることができ、つねに未来に約束の実現というあかるい未来、確かな目的を期待し続けるという、未来志向の生き方をそこで育くんでいったようです。もちろん大いなる国民の実現、それが自分たちへの迫害という厳しい現実をもたらしたときにも、しかし神様は必ず自分たちを祝福してくださるという希望を持ち続けることができたのです。やや唐突な話題転換となりますが、聖書のなかでは自殺(自死)ということはあまり話題になりません。そして特に自殺を禁止する明確な掟もないようです。だからそれが認められているというわけでもなさそうです。つまりイスラエル民族は、こうやって神様からの約束を与えられ、それが実現することを待ち続けているのですが、もしあなたが現状に悲観して自らの命を絶ってしまったら、その神様の約束を受けとめる人がいなくなってしまうのでは、ということです。その約束の実現は、あなたの世代に実現しないかもしれないが、あなたの次の世代、未来の世代に与えられるとすれば、あなたの存在はその約束を次の世代に受け継いでゆく責任があるということなのでしょうか。だからどんな状況の中にあっても生き続けること、それがイスラエル人の当然の信仰的な姿勢なのでしょう。
さて、イスラエル人たちが土地を取得した、ということですが、それで神様から完全な祝福を与えられたというわけでもありませんでした。物を所有するということは、それを失わない、奪われない努力が新しく必要となりますね。前にも少し紹介した土地をめぐる紛争、戦争などがいやおうなく起こってきて、イスラエルは周囲の国々、とくにギリシャ地中海地方からやってきたペリシテ人たちにいつも痛い目に合わされます。ちなみにこのペリシテ人はイスラエルが土地を取得した前後からイスラエルを悩ませ続けるのですが、その勢力がいかに強かったかということは、それからずっとのち(千年ぐらいのちに)ローマ人たちがこの地域をペリシテ人が支配する土地(ペ(P)リ(L)シ(S)テ(T)人の土地=パレスチナ Palesitine)と呼んだことからも伺えます。土地を与えられること、それがそのまま祝福とはいかなかったのです。
ではその祝福は旧約のなかではどこで実現したとみられるのでしょうか。ひとつの可能性はダビデ王の即位によって、と言えるかもしれません。これも繰り返しお話したことですが、旧約のイスラエル民族の歴史のなかでダビデ、その子ソロモンの時代は一つのピークだと思われがちです。ダビデはイスラエル最初の王サウルがペリシテ人達との戦いに倒れてしまった後を継いでその王位を受け継ぐのですが、その際にイスラエルを脅かすペリシテ人たちを含む外国勢力を平定し(サムエル記下5章17節以下)、そのなかでそれまで異邦人の街であったエルサレムを征服し、そこをダビデの町としてイスラエル王国の首都と定めます。サムエル記下5章6節以下。つまり今でこそエルサレムはイスラエル共和国の首都ですが、それはこのダビデの功績によるものなのです。そして息子ソロモンはそのエルサレムに神殿を建て、ここがイスラエルの政治と宗教の中心地としての地位を占めることになります。その後ダビデは神様に「主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。・・・どうか今、僕(しもべ)の家を祝福し、・・・その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されますように」(サムエル記下7章28~29節)。と祈りを捧げます。こうして創世記でアブラハムに神様が約束された、国民、土地、祝福という三つの約束がすべて実現したように思われたのです。
しかし、これも繰り返しの指摘ですが、歴史のピークを迎えるということはそれ以後状況は下り坂を歩むということで、やがてイスラエル王国は南北への分裂、そして超巨大帝国であるアッシリアやバビロニアに滅ぼされてしまうのです。あのダビデの町、すばらしい神殿が建てられたエルサレムもまた破壊しつくされてしまいます「主よ、覚えていてください・・・エルサレムのあの日を、・・・彼らがこういったのを「裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで」。娘バビロンよ、破壊者よ・・・」(詩編137編7節)。そしてイスラエル人たちは捕囚の民として故国を追われてバビロンに強制移住させられてしまうのです。この事件(バビロン捕囚)は、単にイスラエル王国が滅亡したというだけでなく、ようやく実現したかと思われた神様の約束が、すべて失われ、空しくなってしまったということで、イスラエル人たちの被った絶望は一層深いものとなったでしょう。ではそれでイスラエル人たちは、もう神様への信仰を失ってしまったのでしょうか、あきらめてしまったのでしょうか、もちろんそういう人たちもいたでしょう。でもそのなかで、なぜこのような悲惨な出来事が自分たちの上に臨んだのか、神様はただ空約束のようなものを人々に示したのか、そのような深刻な問いを真剣に問いかける人たちもありました。特にエルサレム神殿のあった南ユダ王国からの捕囚民たちの間にそのような真剣な議論、反省が行われ、やがてそこから、今まで神様の約束が実現したと思っていたことは真の実現ではなく、より自分たちにとって確実な約束の実現(成就)を改めて祈りつつ待つという姿勢がユダヤ教を成立させていったのでしょう。そしてそのユダヤ教の流れの中からキリスト教が成立していくとき、クリスチャンたちは、まさにイエス・キリストこそがあの神様の約束の実現者、成就者、アブラハムに約束された祝福をもたらす存在としての確信を持ち、そこでマタイ福音書は「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」と、神様の約束の真の継承者としてのイエスの存在と意味をこの福音書で記そうとしたのでしょう。ただし、それはキリスト教独自の主張であって、ユダヤ教の主張とはまったく異なっていたのですが。そのような違いをめぐってヨハネによる福音書ではイエスとユダヤ人との論争が記されてます(ヨハネによる福音書8章39節以下)。
お話のスケールが聖書全体のことにまで及んでしまいましたが、いずれにしても旧約聖書創世記のアブラハムがイスラエル人の先祖とされるのは、一番深い意味として神様の約束が彼に与えられたということがあります。そこで創世記のあとの旧約の書物は、その約束がどのように実現していったのか、についての歴史を語ります。私たちももう少しその歴史の流れを、聖書の記事に沿って考えていきたいと思います。
第十六回 出エジプト記 モーセの働き
新約聖書の福音書のなかに「山上の変容」とよばれる不思議な物語が記されています。あるときイエスが高い山に登ると、「イエスの姿が・・・変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見るとモーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」(マタイによる福音書17章2節というものです。物語そのものの意味はまた別の機会に(この一連のお話のなかで、このことはまた後で、とか別の機会に、とよく書いてしまうのですが、果たしてちゃんとその別の機会があるのかどうか、かなり不安です)譲るとして、そこに現れたモーセとエリヤっていったい誰でしょう。この二人は旧約聖書を代表する宗教的な人物で、モーセはすでにユダヤ教の理解では旧約聖書の最初の五つの書物「律法」を書いた人物とされており、ある意味旧約聖書の権威を代表するひとりなのですね。エリヤは(彼については絶対に後で取り上げます!)は、イスラエルに登場する偉大な預言者のひとりで、彼の行動や言葉は列王記という書物に詳しく記されています。まえに旧約聖書は三つのジャンルで構成されているとしてキリスト教による分類、歴史、文学、預言書のことを説明しましたが、ユダヤ教では同じように三つに分けるときに、(モーセの)律法、文学(ユダヤ教的には諸書と言います)、そして預言者となり、ここでイエスと話しあっているモーセとエリヤは、まさに旧約の律法と預言者の権威者と語り合っているということになるのです。そして今回はそのモーセをめぐってのお話をします。
彼の生涯はとてもドラマチックなもので、私が子どものころチャールトン・ヘストン、ユル・ブリンナーが出演するハリウッド映画「十戒」という映画が公開されました(1956年だそうです)。最近ではディズニーの系譜をひくDream Worksという会社が「プリンス オブ エジプト」というアニメ映画を公開されていますが(1998年)結構アメリカではヒットしたようです。日本ではどうだったのでしょうね。それぞれほぼ同じ内容ですが、旧約の出エジプト記の物語をほぼそのままなぞっています。最初にモーセが生まれた時代背景で、前に紹介したように創世記の終わりにエジプトに移住したイスラエル人たちの数が増大し、それを危険視したエジプト王(ファラオ)がイスラエル人の虐待、人種絶滅政策をとり、イスラエル人の男子の皆殺しを命令します。そのなかで生まれたモーセを何とかして救いたいと思った母親は、かれを葦の籠にいれてナイル川に流します。すると水浴びをしていたエジプト宮廷の王女がその籠を見つけ、モーセを連れ帰り、エジプトの王子として育てることになります(だからプリンス オブ エジプト)。そうして育っていたmモーセは、ある日工事現場?でエジプト人に酷使されているイスラエル人を見て、そのエジプト人を殺害します。そのことをきっかけとして彼の出生の秘密が暴露され、彼はもはや宮廷にとどまることができなくなってそこを逃げ出し、エジプトの荒野で羊飼いとしての暮らしを始めます。その後少したって突然モーセは神様に召し出され、エジプトで奴隷となっているイスラエル人を解放するようミッションを与えられます(召命物語ですね)。なんとか堪忍してと思ったものの、神様に説得され、いろんな奇跡的な手段をつかってエジプト王(ファラオ)との交渉を重ね、ようやくイスラエル人を解放したのですが、ファラオの気が変わりイスラエル人を呼び戻そうと追跡され始めます。大人数で移動するイスラエル人たちの歩みは遅く、ついに紅海の沿岸でファラオの軍隊に追いつかれそうになったとき、モーセが紅海を二つに分け、その間の乾いた土地を通って逃げようとします。そしてエジプト人たちがそれを追って紅海の乾いた場所に突入したとたん、分かれていた紅海の水が元に戻り、エジプト人たちは溺れ死んでしまい、イスラエル人たちはエジプトからの脱出に成功する(エクソダスですね)のです。ただしその映画を見た私の娘が、「エジプト人のひと、かわいそう」と語ったのは忘れられません。その後イスラエルは、エジプトから神様に約束された土地、聖書では「乳と蜜の流れる地」を目指して荒野の旅を続けるのですが、その途中シナイ山というところで、モーセはイスラエル人が新しい土地に入って暮らすための根本的な十の掟(つまり十戒)が刻まれた石の板を与えられる、というところで映画は終わります。そのような物語のなかに、せっかくエジプトの奴隷状態から逃げ出したのに、荒野で食べ物がなくなると、エジプトの生活は苦しかったけれど最低限の食べ物(エジプトの肉鍋 出エジプト記16章3節)はあった、と言ってモーセを非難する人たちもあらわれ、それにこたえてモーセは神に祈り、聖書では奇跡も有名ですね(出エジプト記16章)。
またもや唐突な話題転換になりますが、みなさんはどこかでミサという言葉を聞かれたことがあるとおもいますし、それがキリスト教の礼拝を指すものとして理解されていますが、それは正確ではありません。そんなこと別にどちらでもいいじゃないかということかもしれませんが、キリスト教的には重要なものなので少し説明させてください。ミサ(あるいはマス)と呼ばれるのはカトリックの礼拝のなかで行われる特別な儀式を意味し、でも毎回の礼拝でその儀式が行われるので礼拝=ミサという理解が生まれたのでしょう。その儀式とは信者たちがぶどう酒とパンを分かち合って食べるというものですが、プロテスタント教会ではミサとは言わずに聖餐式(ユーカリスト)と呼んでいます。その儀式はイエスが十字架につけられる前に弟子たちとともにした最後の晩餐を再現するものなのですが、カトリックではそのぶどう酒がイエスの血潮に、パンがイエスの肉体に本当に変化する(聖変化)奇跡がその儀式のなかで起こるとされています。プロテスタント的には聖変化が起こるのではなく、ぶどう酒はあくまでもぶどう酒、パンはパンだけどそれらがイエスの血と肉体を象徴するものと考えます。なぜ突然そんなミサのお話をしたかというと、それがもともとイエスの最後の晩餐を模したものですが、その最後の晩餐は、出エジプト記のなかでイスラエル人がエジプトから脱出するまえに行った過ぎ越しの食事がその起源となっています(出エジプト記12章)。その食事のメニューは、パンとぶどう酒ではなく、傷のない小羊の肉と酵母(イースト)を入れないパンで、「「この儀式にはどういう意味があるのですか」と尋ねるときは、こう答えなさい。「これが主の過ぎ越しの犠牲でえある、主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである」」(出エジプト記12章27節)。過ぎ越しということの説明はあまり簡単ではないのですが、エジプト脱出直前のイスラエル人たちが家でその食事をしているときに、神様がエジプトの街中を通りすぎて、エジプト人の子どもたちの命を奪うということがなされ、この食事によって、もう少し細かく言うと、食卓に用意された小羊が犠牲となってくれたことによってイスラエル人たちはその災いをのがれることができた、という(かなり恐ろしい)出来事を記念するものでした。その食事は毎年春にイスラエル人の一年の始まりとなるニサンの月に行われ、イエスの時代にもこの食事が行われ、そして現代までその伝統は続けられているそうです。その儀式をキリスト教がミサとか聖餐式として取り入れられたとき、まさにこの犠牲として殺される小羊こそ十字架につけられたイエスご自身だという理解をそこに込めたのです。カトリックのミサのなかで唱えられるアグニュス・デイはヨハネによる福音書1章29節の「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」をそのままの言葉として、その儀式の意味を改めて確認させるものとなっています。
そこでこのようなモーセの生涯を語る物語のメインテーマって何でしょう。モーセはすごい人だったよ、イスラエルはこうやってエジプトから脱出したんだよ、ということ以上のものがあるのです。それはイスラエルの神様ってどんな存在かということです。旧約聖書のなかで神様について語る時に、この出エジプトのことが繰り返し引用されています。例えば出エジプト記20章の十戒の序文に当たる箇所で「私は主、あたなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から満ちだした神である」とあるいは申命記26章でも「主はわたしたちの声を聞き、・・・私たちをエジプトから導き出し」(9節)その同じような表現は、モーセの五書からヨシュア記士師記、サムエル記、列王記、歴代誌、エレミヤ書、エゼキエル書そしえダニエル書でも、ほぼ聖書全体で繰り返し用いられています。つまり旧約の人々は、イスラエルの神様とは自分たちの先祖をエジプトから解放した存在だということが、共通の認識であって、私たちがどんな神様を信じているかということを告白するときの定式文、定型的表現とさえなっていたのでしょう。キリスト教でも私たちがどんな神様を信じているかということを、クリスチャン全体で告白するような定型の文章があり、それを「信条」(一番古いものでは使徒信条など)と呼んで、礼拝の時々に全員でそれを告白しています。それはこの旧約のイスラエルの人々の伝統に習ったものなのでしょう。ではなぜイスラエルの民は、モーセはその神を信じることで出エジプトのようなことができたのでしょう。もう一度モーセのことを考えてみると、彼は出エジプトの役目を任じられたとき羊飼いでした。先に羊飼いというのは、貧しく、みすぼらしく、無力な存在のように書きました。そのモーセがその当時、その社会の最高権力者であったエジプト王(ファラオ)と交渉をするのです。またモーセが突然にイスラエル人の前に行って、今からみんなを解放してやる、と言っても誰が彼を指導者として認めるでしょうか。このお話は最初からおかしなことばかりです。そのときイスラエル人を説得し、ファラオに交渉をさせる秘密が、このイスラエルの神様の名前だったのです。そこで神様は自分の名前として日本語で「わたしはある。わたしはあるという者だ」(出エジプト記3章14節)と訳されるような言い方で答えるのですが、実はこの翻訳はほとんど原語の意味を伝えられていないのです。というのもその名前の基本は英語でいうBe動詞で「ある」「存在する」というハーヤーという動詞の、未完了過去進行形という時制のものが二回使われて、その二つの動詞が関係代名詞でつながっているというものなのです。未完了というと、行くとか来るという動作がまだ完了していない、来つつある、生きつつある、というからまだ途中の段階ということです。でも進行形ですから確実にその動作はすでに始まって、動き出しているのです。ということでそれをBe動詞にあてはめると、存在しようとしているけれどまだ完全な形にはなっていない、ということですね。ということは、まだ完成されていないのですから、そこに何があるのか名前のつけようがない、ということなのです。といった説明を一回読んでわかっていただけるとは私も思いませんし、何よりも私の説明が正しいのかどうかも不安なのですが、それがそれぞれの言語が持つ時間の感覚(センス)なので、イスラエル人のみなさんにはすっと受け止められる意味なのでしょう。要するに、完成途上ということなのですが、完成されてしまったもの(完了形)はそれ以上変化のしようがないのですが、未完了なものはまだまだ未来に対して大きな可能性が広がって、完成を目指して動き続けている。確かにモーセ自身は羊飼いというみすぼらしい存在なのですが、そのモーセに未来に向けての可能性が大きく広がっている神様がともにおられることを信じるということで、モーセ自身の限界が完全に取り払われる、相手が王様であろうと権力者であろうと、それを超えていけることが確信できるのです。だからどんなに困難な状況で、もうこれまでと思わされるなかでもモーセが神を信じるということでその限界が打ち破られていく体験を繰り返し経験し、ついに紅海の水が分かれるという彼の予想にまったくないような現象のなかで、彼の行き詰まりが開かれていったのです。だから旧約聖書の全体を通じて、この出エジプトの事件を通じてイスラエルの神様のことが説明されるということは、イスラエル人たちにとって、常に未来は開けるということを実感させるものとなっているし、だからどんなに「しんどい」状況の中に置かれても、つまり国が滅びても、さらにそこからの可能性を見失わなかったのです。