昭和二十二(1947)年
教会の門を叩く者は全体の数からみれば僅少なものであっても、少ない教会にはこれらの人々を迎える体勢が充分ではなかった。
マツクアーサーを英雄の如く救世主の様に思った日本人のある人々は、軍国主義から民主主義へと鮮やかに転身し、英語学校が雨後の筍のように続出した。
こうした現象は基督教会好転の機運を早くし、職場から工場から会社から、講演や聖書研究会を求めて来る様にもなった。諸外国からは日本は今やソールラッシュだとばかり、宣教師が続々来朝するに至った。統制の枠の強かった戦時中の宗教団体法が廃棄されて新に宗教法人令の発布により、認可性でも許可制でもない届出制になったので、所謂新興宗教ブーム発生の緒口となったが、基督教会でも二十四年までに四十余派を数える様になった。同時に教団から離れて新教派を成す教会も少なくなく教団陣営に波紋を起したが決してゆらぐ程のものではなかった。
この年の重大事は何といっても日本国憲法が五月三日に施行された事であろう。普通これを平和憲法と呼んでいるが、その成立に色々な事情があるにせよ身を以て守り抜くべきものであってみだりに改訂すべきものではない。我等に関係深き二ケ条を摘記しよう。
第九条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)
日本国民は正義と、秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決手段としては永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するために、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第二十条(信教の自由)
信教の自由は、何人に対してもこれを保証する。いかなる宗教団体も、国から特権をうけ、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他如何なる宗教活動もしてはならない。
信教の自由に対して明確な規定が与えられているのは感謝すべき事である。
四月の参議院選挙に会員小泉秀吉史が六年議員に全国区から当選された。