ムッシュウ・オイカワ(及川廣信)と私
土方巽
長い間、私は舞踏を楽しんできた。楽しんできたものは私の田舎の字搦田の大人達から教わったものばかりである。奸智に長けた大人がある日私のそばにつっと寄ってきて、股暗がりにチラチラと焚きつけたものがあった。そんなところからチョロチョロと舞踏の毛も生えてきたのであった。それから又葬儀の夜な夜なには魔性のいかさま師がいずこからともなく集ってきて路頭で操る数学が美人の気あいと抱きあわせになって、家の中ではめったに観られぬ霊厳な想を抱かせてくれたことを懐かしく想い出したりしている。そうやこうしている中に、私も次第に発育して、ある日「あなたの踊りも心がけ次第でどうにかなるのではないか、ひとつ東京へ出て専門にやってみたら」と言ってくれる市の有力者が出てきて、俺の親父が頭をさげたりする。その時私は恋愛していたので、東京で出世したら一緒に住もうと言って市の記念会館の横の広場の暗りで固い約束をして抱きあってお互爪立てて泣いたことを想い出す。その人はサエ子という人で、全体に冷たい感じのする人であった。それからの東京の舞踏の練習は腕力と夢の二本立ての評判をとって、次第にのし上がり、女性美のサイエンスの代稽古までつとめるようになった。なに事もまめに動けば好転するものだし、なに事も善意に解釈し、感謝して人に接していれば間違いはないのだ。着るものから履くもの、喰い物の類まで(泉屋のクッキーもバリバリ喰った)なに不自由なく、いいコースを私は歩いたのである。さまざまな暖かい教師がいて、私の顔に外国のシャドーを塗たぐってくれて真実面倒をみてくれたのであった。踊る方法やいろいろな存在の作法を仕こんでくれたし、私は次第に飲みこみも早くなり、表を歩いていても、なりなどめったに咎められる心配もなかった。もう少しで外国人になれるところまで技術も進歩して、一人前になったらドイツの女をもらって、丈夫な哲学的セックスをしようと思ったり、鼻も手術して帝劇に立って、そう考えていると次第に泣けてきて、ようしやるぞと決めた日はサエ子のことなど馬鹿臭くて、てんから問題ではなく、あの冷えた顔つきも偽の教養、唯食べ物が悪かったせいだ、とそう言えば口も臭く陰部はどうだサネもまたと変な想像ばかりの隣接関係ばかり持たされてしだいに腹がたち、私の純粋舞踊から汚されていく位に考えていた。それから一体どうなったのかー。この東京でいいおなごに好かれて私は幸せな日々を送っている。このおなごをつかむまで俺はやれるだけの事はやってのけたと想っている。東京の喰い物だって水菓子だって大てい消化したし、あとは恐ろしいものは何もない。外から電話かける時は「戸じまりは」すみましたかとやさしく心配してやる。 今日はアルトー館からよばれて来たのだから、及川さんのことをしゃべってみると、私の家のホームバー「ギボン」で初めてこの人の素顔を観た。舞台を背景にしていると、ノホホンとしたロマンチックな桃山の最初の核を持っているピエロ風な人だと思っていたら、ちがって、いろいろなむつかしいアプチュードに立って運動をはかっている人だったのである。史のつくものを沢山読んでいる人だが、いのちが向側からやって来ない。動き出さなければそれは死体であるという仕事の畑を専門にいじってきた人だけに、教えられる事もシュンとさせられる事も多かった。初対面に人のからだをやたらに触りたがる人がいると、私はついとその人の顔を観るのである。「工学」などとその人にいわれると、なんだかこっちは気持ちもからだもしなびてしまうものだが、及川さんはそんな人体工学の技師ではない。どんな了見か赤子までだしにして美人局のリズム遊びの話をする舞踊家を嫌う人である。それに第一及川さんは劇場に浮く男性舞踊手みたいじゃないじゃないか。君たちは男性舞踊手などという人を観たことがあるか。私はずい分これに当って、いつかは罰に当たるぞこの男たち、罰が当って足腰が曲るぞ、なんともこれはいけないよ、と想ってそれっきり男性舞踊手とはつきあわない決心をしたのだった。そういうわけで及川さんは男を観る眼にうるさい作男の斉藤などにでも評判がいいのである。私たちは嬉びと畏怖をもってこの脳髄を稽古場に迎え入れたのである。何年前だったか牛頭黄道帯の舞踊を想い出してこの度のプランに乗ったところもあるのである。又フランスから東京に持ってきて試し刷りしたパントマイムという仕事の話を聴いていると、この呼吸の小箱が持っているものは一種の怨恨説だという気がしてくる。今さかっている演劇界の土壌とは関係ない清冽な一条の地下水を観たと私には想われた。及川さんの目玉が経済欄の美学にころばないのも、不幸を食膳にのぼらせる芸術にしがみつかないのも、肉の痛みばかりを歴史の中に拾って脂さがっている選択どまりの人間とちがって、先祖の作物を焼いて喰おうが煮て喰おうが勝手じゃないか、という根性の人間だからであろう。この事が私には一番ガッポリきたのである。 遊び道具にダルマ落しというのがあった。及川さんの話は大体私の放しに似ているが、もっと構造的で明晰である。夕方鋭利な刃物でからだがスッパリやられている男が私の家の畳の上に坐っていた。私が寝床から起きて縁側に出てやたらと板間を踏んだのだが、この男のからだは落ちないのである。なんとも薄気味が悪くぞっとした経験がある、と話すと及川さんは元々可笑しな構造的なつながりを持っているのがこの肉体というものだから、そこで観念的な高笑いを提起する場所なのでしょうと笑い、よしこれから証明するといって立ち上ったのには驚いたものである。この隣接関係の見本体めいた象徴体はひとまず御破算にしたいといったのである。この人は素朴すぎる肢体美のスペースに鋏を入れて舞台でコマ落しの亡霊家族をやたらに造る人だ。それが又追いすがって太るたちのものだから、やっとこ手に入れた開かれたスペースを追いすがるものよりも速く売買契約する残酷なパパになるわけだよ、及川さんは。この綱渡り師めいたパパの空腹感に喰い入ってくる決定的な味覚に欠けているものの、内訳はいろいろ喋っていただいたが、この人に教わったこの事をノートにとってみると大体次のような事になると想う。
垂れ流す精神の肛門を塞ぐこと。エクスタシーは野蛮なものであること。発芽という情況は恥ずかしいものであること。兆候という運動を避けること。空間は風邪のひきやすい場所であること。鏡が射精する亡霊劇を嫌うこと。暗い環境に奉仕する沈黙の光学をひび割れた干菓子の明るさで喰ってやろうの悪童劇が望ましく想っていること。自由人を絞殺するゲームを復活させるためにはしびれを切らして待たねばならぬ謂がこの舞踊界にあったこと。それから真昼の惨劇に私を起用した理由は、土方さんがその背後に何かしら後暗さを嗅がせるものがあること、その歴史的背景が古い傷跡を持っているらしいこと以上であった。
日常という夢幻、舞台という日常に於いて及川さんは一分のすきもない身振りとネクタイを持っている。私はこの人を利用しようと想う。いかなる心理の修理工もこのひび割れた象徴体を修理できないのが今日の様相であろう。態度をけっての墜落劇に私の関心は日々につのるばかりである。
(初出「アスベスト通信」および及川廣信氏より)