パフォーマンス —— 負の時間

パフォーマンス —— 負の時間

浜田剛爾

現在、<パフォーマンス>という言葉が流行している。言葉が流行する背景にはそれなりの核のような実体が在るものだが、現実にはこの言葉は、まるで合わせ鏡の中に入った無限販社のように増殖しゆらぎ逸脱してゆくように見える。言葉はそれ自体が実像を照らす鏡のような役目を持っている以上これは当然のことなのかもしれない。言葉は言葉によって言葉を与えるのである。

しかし、私にとって<パフォーマンス>という言葉は、様々の批評言語や広告言語に関係する人々の文節化の作業に熱中するような高度な記号としてはつかっていない。むしろ限定された狭義の具体性を帯びた事象を想像するだけである。生々しく、存在感があり、独特の刺激的空間性に満ち、あるいは個々の作家の全く個的な生理的感情に支配された思考形態であり、旧来の形式からどこか逸脱した形式を持ち、特有の時間性を提示するもの、さらにはある種の根源的なスタイルを想像させ、その中には伝統と実験精神が不可分のように存在する一つ一つの現象を思い浮かべるだけである。それは又具体的な表情から汲みとることの出来る作家の感情と思考が新たな領域を創りだすのではないかという予感とその領域に於いてのみ解放される形式に連なるイメージが、私にとっての<パフォーマンス>なのである。

勿論、だからといってそれらの示す感情や≪私≫個人的な予感だけが唯一のオリジナルな<パフォーマンス>だとも思っていない。むしろその反対である。それこそ多くの人々の指摘するように、パラダイムの変換や演繹的方法によるタームの問題が、逆に<パフォーマンス>を生みだしたという考え方に賛成する。確かに、時代が作家に与える影響や読解が、今日程パラレルな状況はない。だからといって<パフォーマンス>が広義の意味にせよ創造ではなく状況だということでもない。例え、辞書的解釈からくる一般性や多義性、言語による収斂がその結果おとずれたとしても<パフォーマンス>は依然として創造の側にあることも事実である。ただ<パフォーマンス>が言葉として大変魅力的なのは、その今日的感性、換言すれば脱構築性であり、もともと行為とは隠喩性に満ちた象徴だという共感がどこかにある点である。特に日本で使われる一種の特殊性には、進歩に対する逆説的な笑いの心理がはたらいているともみることができるかもしれない。都市生活者のパラドキシカルでシニカルな笑いにも似ている。表層に於ける自由さに対応しているのかもしれない。いわば身体という拘束された環境に仕掛けられた変換装置、SF風に云えばワープ現象としてのキイ・ワード的役目を持っているとも云えようか。

しかし皮肉なことに<パフォーマンス>は自己言及すればする程<言語>と<表現>の間にはパラドクスが生まれる。一方の収斂は整合性を持ち自己増殖の過程の中できれいさっぱりと表情を見落としてゆく結果になり、言語ならざる言語としての言語の自家撞着を引き起こす。他方、表現の逆説は自体器官という情報性を環境と不可分として考えた場合、極楽トンボ的な感情や想像力は別として、やはり自己言及の過程で言葉ならざる言葉というパラドックス、つまり自己批判の対照としての自己という言語的矛盾につきあたってしまう。結局、近代の崩壊以後、被験者としての自己確認を身体も含めた表現は<言語的>に通過せざるを得ないのかもしれない。換言すれば<パフォーマンス>とは近代の崩壊からくる自己確認に於ける最初の通過儀礼に似ているようにも思われる。つまり、<パフォーマンス>は一種の不安の時代の象徴、身体性の危機感に根ざす言語構造と共に表現形式かもしれないのである。繰り返すようだが、そうした意味も含めてだが、<パフォーマンス>はやはり私にとって表現の地平に立ちあらわれる生々しい存在感や独自の空間処理あるいは身体を通過して表現されるデーモニシュ的感覚や根源的な問を喚起する想像力に満ちたものである。それらは通俗的な開設や社会批判、言語的演繹法や情報の階級性にとらわれることのない不思議な魅力を持っており、必ずしも、身体というレベルの問題に収斂されるばかりでなく、むしろ逆にたぐいまれなる沈黙性や空間の仕掛けなどと共に非身体的条件、換言すれば、身体という卑小な存在を打ち消す概念構造のスケールや非日常的異常性によって構成される印象を持っている。

昨年日本に来たヨーゼフ・ボイスはその一人であろう。私が最初に彼の作品?をみたのは彼のデュッセルドルフでの街頭演説である。灰色のベントレー(ちなみに彼は当時、デュッセルドルフで英国車の個人代理店をやっていた)に乗り、フェルトの帽子、釣りのチョッキというスタイルは写真のとおりである。(この写真でみた姿と実物が変わらないというのは大変重要な手がかりを含んでおり、情報の信頼性について一種の無謬性を持っているという感覚からすれば、この写真と事物が同じということは情報の確認であり増幅効果を与えるものだからである)そのベントレーから彼はベニヤで無雑作につくられ、灰色風のペンキの塗られた大きな十字架を引き出しながら、デュッセルドルフの街頭で一人で演説をしはじめたのである。数人の助手(一人はカメラマン、一人は録音、そして一人はメッセージの書かれたチラシを道ゆく人々に配布していた)がそばにいて働らいている。あとで解かったことだがボイスはこの頃はほとんど毎日こうして様々の近隣の街へ出かけ政治的発言を行っていた。すなわち「政治は芸術」云々がかれの言葉としてのちの「緑の愛」のメッセージとして現われるのもこの頃の街頭での演説が主体となっている。主要なのはこれらの演説ではない。やはりすでに伝説的となったボイスの作品の主題である<サバイバル>が、作品という名のデーモニシュ的儀礼を通過する時現われたフェルト、ラード、毛皮、油紙、肉片、などの従来のアートにはほとんど用いられたことのない特殊な日常色を使いながら、そこに死と再生のイメージを具体的に描いてみせたことである。そしてそのオブジェ作品を透過するアクション、例えば野兎や馬、鳥の骨あるいはコヨーテなどの作品にみられる狂気と野生の混在する表現は、アート以前のそれよりはるか彼方に人間が介在した頃の原初的な記憶の感覚を呼びおこすパフォーマンスであった。形式からくる隠喩。ボイスにとってそれは色彩と素材、それをとりかこむ身体的表現のレベルだけが一回性のアクションに連なっているが、とりもなおさずこの形式(パフォーマンス)はボイスの一連の演説、絵画、オブジェ等に連続的に表われる一つの位層でもある。身体のミックスドメディアである。ヨーゼフ・ボイスに限らずテリー・フォックスの作品もブルース・ナウマン、最近再び活動をはじめたヘルマン・ニッチなどのいわゆる肉体派と称される作家にしてもその軌跡はマルチプルであり様々の機能を使いながらほとんど全領域にまたがろうとしている。しかしこの一見肉体派にみせる彼等の行為は、勿論トータルな表現の一部分を形成しているにすぎないが、それでも直強く肉体性が印象に残るのは、彼等の肉体の器官や構造が素晴らしいのではない。むしろ肉体の従属性が私達にとって情報機能というコードに連続されている状況を想い起こす装置としての役目を背負っているように感じられるからである。単なる恐怖や異常性、突出した狂気や非日常性ではなく、それを想起させることによって彼岸のオーディエンスと共に共有する日常的恐怖力の限界をいともたやすく共有する空間の演出者であるからである。この認識は決して肉体からくる印象ではない。共有するコードの延長にとてはじめて可能な印象である。ということはつまり肉体に現われた記号、(現代という時代とその中に位置する存在としての記号)をどのように解決するかである。このため例えばテリー・フォックスが一九七〇年に行った『コーナー・ブッシュ』という行為に於いて、壁に向ってぶつぶつ話しかけながら、左手で自慰行為にふけるという姿は、そのままどのような美術のコードを持たない人々が見ても、それが象徴としての現代と密接に関わり合っていることを発見するだろう。同じようにブルース・ナウマンのフィルム作品『ブラック・バォウルス』(一九六九)や『バウシング・バォウルス』(一九六九)などに表われる性器のマッサージのシーンなども同様である。(似たような例でいえば一九七七年にオーストラリア人の作家、マイク・パーが、N・S・Wギャラリー前の庭にテントを張って、夜間そのテントの中に明りがつきて、シルエットによって彼が自慰行為をした作品がみられる。これなどもいわば作家の主張(テーゼ)がダイレクトにこの場合美術館という制度に向って発せられていることが解る)自慰行為そのものは快楽であり日本的に言えば孤独な楽しみである。にもかかわらず様々の作家が共通しておりあげるのは性へのタブーというモラリティもさることながら、むしろ性に象徴される自己言及の過程に発生する管理と想像力への関連性が現代を通してみえるということかもしれない。しかし同時に云えば、何より劇的なのはそのリアリテと個人の想像力の限界性の抽出である。形式、メソッド、演出、スコア概念を超えて時に暴力的な形で生々しく掲示される瞬間が<パフォーマンス>には内在しているとも云えようか。そう云えば前述のヨーゼフ・ボイスのパフォーマンスに於いても、自らの演出性という導入部から次第に実在の死や生という具象を伴って現われるリアリテは、内在する劇的空間を支配し、今日、多くのパフォーマンス論で盛んな、パフォーマンスとオーディエンスという二義性の交差性や同時共有性という言説以上に、観客(オーディエンス)に感情の氾濫と同時的実在性を感じさせてくれるものである。(但し、昨年ボイスが来日したときに、<私は丁度オーストラリア各地でパフォーマンスの巡回展を行っていて留守だったが>草月ホールで『コヨーテ』の声をアクションしたという話を人から聞いたときは、このリアリテという実感を多分与えなかったのではないかと予感した。なぜなら、『コヨーテ』はアメリカ・インディアンに対するメッセージであり、その一連の意味づけが現在のアメリカという国家概念に対するアンチ・テーゼであるというボイスの立場から考えてみて、アメリカ的なる状況ではあるが決してアメリカそのものではなく、ましてインディアンという定住民族への共生を期待することの出来ない日本に於いて『コヨーテ』の声のパフォーマンスは、同一のコードが存在しないという理由からいって、どのようなパフォーマンス性を持てるかという点について個人的に疑問を持ったからである。勿論『コヨーテ』のアメリカでのパフォーマンスは写真集やビデオ作品を通してのみしか伝わらないが、それは大変魅力的である。ある意味で今日のボイス神話を決定づけた最も大きなパフォーマンスであろう。それだけに、ボイスの『コヨーテ』の声は、アメリカでの『コヨーテ』のパフォーマンスの延長線に立って行われたというよりはむしろ、『コヨーテ』を情報として、例えばボイスの帽子やチョッキと同じレベルで受けとめている人々への最大限の即興的サービスだったのではないかという考え方である。つまりここでボイスは、ボイス自身が深く関与したカリスマ性を見事に逆手にとってパフォーマンスのもう一つの武器である即興性に身をゆだねたのではないだろうか・・・という感じ方である。余談になったが、それでも、やはりボイスに限らず、多くのパフォーマンス・アーティスト達に共通するある種のリアリティは、多くの場合、他のパフォーマンス的要素(それこそパフォーマンスの中のパフォーマンスといわねばならないもの。そしてそれはあまりに当り前のためあえてパフォーマンスと命名しなくてもすむもの)を含む演劇や舞踏や音楽とは全く違った側面を持っていると云えるだろう。このリアリティという言葉を<時間>という言葉に置き換えてみると、パフォーマンスに於ける時間とは、空間に放たれたつまり空間との関連の中で結ばれる<時間>ではなく、むしろ身体的な意味での内包された時間性だということが云えるかもしれない。凝縮した時間といってもいい。ともあれパフォーマンス・アーティストに共通するのは決して空間と、あるいは観客を切り結ぶための<時間>ではなく、あくまで自らの想像力の支配下にある凝縮された<時間>の概念であろう。だが一方ではこの身体的な凝縮された時間性と共に、この<時間>を示すもう一つの<時間>が必然化したのである。つまり言葉は言葉によって言葉を考えると同様に、時間は時間について時間を考えたのである。美術家達が、舞踏とか演劇などのもともと時間を主要な概念とする表現の地平に混じって表われはじめたのは、自らの内的な時間(リアリティ)を表わすために<時間>によって導かれた結果だといってもいいかもしれない。そしてその<時間>、つまり身体性を持つ凝縮した時間と、空間を切る結ぶための<時間>を共有した現象を、美術家達は<パフォーマンス>と名付けたのである。ローズリー・ゴールドバーグの著書『パフォーマンス』に書かれた初期パフォーマンス概念であるイタリアの未来派にしてもメイエルホリドにしても、あるいはダダイズムの一連の作品や戦場のネオ・ダダイズムからフルクサスの様々の提示した問題も結局は、この身体にある<時間>につき動かされるようにして持ったもう一つの時間芸術についてであろう。かって舞踏評論家の市川雅がグラフケーションというPR誌の「パフォーマンス特集号」の中で、<パフォーマンス>の出自の問題を提示したのも、単に表現の分野に於ける様々の領域の混在とメディアの位層、あるいは形式やメソドからくる帰納法的分類ばかりでなく、内面的には実際に一九六〇年代前半より数々の<パフォーマンス>に立ちあってきた一人の評論家のリアルな感慨によっていると考えられるに違いない。どのように説明しても、あるいは現実的な状況としてパラダイム理論を構築しても、この特異性は<パフォーマンス>に於いて顕著にみられる現象なのである。それこそが私にとって<パフォーマンス>を≪私≫の広義の解釈から思い止め個有の現象である表現に固執する原因なのである。

この<時間>の概念を最もよくあらわしたのがいわゆるJ・ケージである。彼の音に対する概念は『四分三十三秒』いわゆる沈黙の音楽に象徴されているといっていいだろう。それまでJ・ケージはシェーンベルグの例えば『セリ—』という作品、つまり二十五音階の作品や、本来の十二音階を通して学んだ音に於けるシステムと構造の問題を、さらに彼の師であるビューリッグの音楽的発送によって発展させ「音群」という肘から手首までを使ったピアノ作品を完成しながら、<騒音>という概念に近づいてゆく。ケージ自身「騒音のテーマは、一つには一九一三年イタリア未来派宣言におけうルイジ・ルッソロが「騒音芸術」と呼んだもの、又エドガー・ヴァレーズによる四十一の打楽器と二つのサイレンからなる「イオン化」という作品やヘンリー・コーウェルの騒音だけの音楽に影響を与えられた」としているが、それがやがて一九三七年の講演によってはっきりとケージ自身の主題=思想となってくる。「一つの音はそれ自体では音楽的でもないし、非音楽的でもない。」「それは単なる音にすぎない。そしてどんな音でも、それが音楽の部分としてとり入れられることによって音楽的になるのだ」と語っている。この音楽性に対するより発展した最も効果的で象徴的な考え方が、沈黙であった。通常言われているように沈黙の音楽は他の音、つまり沈黙によってひきおこされる話し声とか外の騒音が音楽だということではない。このロマンチックな考え方よりもはるかに整合性のある理論、例えばJ・ケージはその概念を現代彫刻のもつ構成された空間性になぞらえて、空間をいわば彫刻の正の量感に対する負の量感としてとらえることによって沈黙の音楽を構成しているのである。つまりパフォーマンスに於ける正の時間とは登場する人物の身体性やそれにまつわる演出性、言語に於ける隠喩性だとすれば、負の時間とはまさに、身体に凝結したリアリティを指すようなものである。このJ・ケージの沈黙、つまりネガティブな量感の象徴が『四分三十三秒』である。換言すれば、<パフォーマンス>とはJ・ケージに於ける沈黙の役目である、ネガティブな行為=時間の表出である。

その後、J・ケージがマース・カニングハムと共に一九四七年にブラック・マウンテン・カレジを訪れ、そこを母体に数々の実験的スコアを生みだしたのは有名である。ラ・モンテ・ヤング、ジョージ・ブレクト、アール・ブラウン、デビッド・チュードア、メアリ・カロライン・リチャーズ、チャールズ・オルセン、あるいはロバート・ローシェンバーグ等が参加していた。そしてそこでの様々の奇妙な実験がやがて<ハプニング>へ続いていったのである。勿論その後反音楽をテーマにした<フルクサス>もこの一連の流れにあるのは云うまでもない。

一連の<パフォーマンス>を考えてくると、いわばこれらの問題が、J・ケージを中心とした<時間>の概念の変換によってより明確な指標を与えられたとも云えるかもしれない。つまり内面に於ける負の時間、構造に於ける負の量塊性などが、まさに負の構造によって時代のポジティブな状況へのカウンター・カルチャーとして位置づけられよう。このように考えてみると、いわば手放しの祝祭論や表層論などにまつわる構造の分析と構造への参加は<パフォーマンス>を負の構造としてみる限り背理でもある。「パフォーマンスは祝祭的空間を形づくるが、祝祭的空間はパフォーマンスではない」

私達は表層と実体の中間にゆれ動く考える葦であろうか。

<パフォーマンス>は現在負の構造と放棄して偉大(原文偉大に傍点)なる情報社会に繰り込まれようとしている。人間の持っている最も魅力的な側面である不可知、呪性、感情までも情報は、あるいは情報の操作者は知の記号に代えようとしているように見える。この主題はもともと心理的には知は記号なのだろうかという素朴な問いから出発した。そして身体論をめぐる様々の記号論、換言すれば言語の言語による言語の構造を念頭に置いて、あえて具体的な身体のダイナミズムに想いをはせたのである。しかし結果的には無残という他はない。結局この言語的矛盾、つまり自己波及の過程に於ける自己という鏡の世界から一歩もでなかったようにも思える。思えば、<私>自身、この身体を想像力による記号、つまりメディアとしての認識を一歩もでない。それゆえに、あえて<パフォーマンス>を対自する客体として自分の創造の側にひきこんでいるとも言えるような気がする。鏡こそは身体というリアリティを写す負の空間の予感がする。

(初出「肉体言語」第12号/1985)