詩人達のパフォーマンス
佐々木幹郎
何もかもが、「パフォーマンス」という、世のにぎわいに右へならえというわけでもあるまいが、詩人達の世界でもパフォーマンスばやりである。ねじめ正一がフンドシひとつで詩を朗読したり、伊藤比呂美が舞台の上で赤ん坊にオッパイをやりながら詩を朗読したりしだしたのは、もう2、3年前のことになる。十数年前から詩の朗読をミュージシャンと組んでやってきた吉増剛造や白石かずこも、現在月に2、3回は全国のあちこちで朗読会を開いているはずである。ねじめや伊藤がその後どういう形式で詩の朗読をやるようになっているのか、寡聞にしてわたしは知らないが、この二人に刺激されてか若い詩人達の朗読の実験もさまざまなところで始まっている。
なぜ原稿用紙の上に詩を書いたり、それを活字メディアで発表するということから、詩人達は舞台の上で声を出すことに魅力を感じるようになってきたのか。それぞれの詩人達の個性やパフォーマンス・ブームということを抜きにして、また個々の朗読の試みの成功不成功という評価の問題も脇において言うとすれば、それはたったひとつのことにつきる。
詩を眼にみえる場面へ移したい。あるいはそういう場面を創造したい、ということだ。詩が文字の上だけで凝固しているのではなく、詩は移動するものであることを明るみに出したい。そして文字によって抑圧されている部分を、詩の力で奪い返してみたい、ということだろう。詩という枠組みを、詩専門の業界誌や詩集の中にだけ見つけるべきではない。声や身体を使って、あるいは音や映像を使って感じとれる場面を、ほかならぬ詩(言葉)の問題として提示したい。
朗読会の階上で、背筋の寒くなるようなナルシスティックな声を聞いたことがある。また陳腐な芸とそのワン・パターンぶりに、演者を見るよりも客の反応ばかりに眼移りしたことがある。あるいは、まるで新劇じゃねえか、とうんざりしたこともある。総じて舞台に立つ詩人達からは、書かれたもの以上のインパクトを受けることは少なかった。例外をあげれば、吉増剛造の朗読くらいだろう。
彼の作品は、彼自身が声を出して読むということによって完結するよう作られている。吉増にとって詩は、まず最初に原稿用紙に書かれるのではなく、テープ・レコーダーに吹きこまれることから始まり、文字はそこでの彼自身の声を聞きながら、また周囲の音に耳をすませながら、それらを拾い集めるように紙に記される。いわば活字として発表された作品は、彼にとって声のための楽譜と同じような位置にある。ミュージシャンとともに立った舞台でも、身体は(声は)楽器のように使いこなされ、現実の風景の中に立っても、風を吸い込む一枚の帆布のように、声が吐き出される。そのように見え、聞こえ出したとき、朗読している吉増のまわりに言霊がたちのぼる。
これは現代詩のすぐれた成果のひとつ、といえるだろう。この吉増の朗読を聞いたとき、耳はどれほど詩を読みとるための機能を発揮するか、眼は文字を追うことによってどれほど貴重な詩の文脈を逃がしてきたかが、眼に見え出してくる。*1
あるときからふと、わたし自身も声を出していた。自然に自分の作品を朗読する試みを持つようになった。以前は、自分自身の中で詩の朗読を禁じていたのだが・・・。
禁じていたのは、わたしが原稿用紙に詩を書くことから始まる人間であったことと、声を出さずに沈黙することの方に、言葉の要素を見つけようとする、そういうモチーフの作品を書き続けてきたからだ。しかしその禁を解くきっかけになったのは、半年間ほどアメリカの小さな大学町で暮らしたとき、自分の詩を紹介するのに、翻訳よりも日本語で朗読した方が、あざやかな反応が返ってくる、そしてストレートに詩の原型的な部分、たとえば韻律や息つぎの箇所、スピードの緩急に即して、質問がやってくるという体験を持ったからだった。聞き手のアメリカ人達は翻訳詩を眼にしたときは、まとまりのあるていねいな感想や批評の言葉をくれる。しかし朗読だけを聞いたときは、意味やそこにこめたイメージが伝わっていないにもかかわらず、詩が生成する現場へ近づいてくるのにも似た対応を示してくれた。アメリカでの詩人達の朗読が何ら肩ひじの張ったものでないことも、わたしに自然と声を出させる雰囲気を作ったのだろう。
このことに重ねて、わたしはそこでビデオ作品で一篇の詩を見せる、という試みを行った。わたしの詩の中で沈黙をモチーフとしている部分は、映像によって糸をほぐしてみたいと思ったのだ。詩の説明ではなく、映像構成で詩がイメージしているものとぶつからせ、あるいは重ねあわせてみること。そして音が有力な手助けをしてくれる。これはさらに大きな反応として戻ってきた。
言葉はひとつの場所(紙の上)にとどまるのではなく、歩き出しもする。歩き出したとき、詩はどこへ向っていこうとするのか。面白いことに、言葉というものが持つ呪術的な側面へ、詩の原型でもある祈りや怒りや悲しみが、眼で見え耳で聞こえるような輪郭を持つところへ近づこうとする。マイクを使った声であっても、ビデオカメラとモニターのような機器を使っても、そのことは同じである。むしろそういうものを使えば使うほど、行きつこうとする先が呪的な場所であることがはっきりする。
吉増の朗読が言霊を呼び起こす、というのもこのことと結びついている。むろんそれは成功した場合、詩の言葉が発せられたときの場が、共同性を持った空間として成立したときのことである。
考えてみれば、これは詩が芸術としての文学であるというところから、降りはじめたことであるかもしれない。芸能の方向へ向かおうというのか?いや、ことはそんな単純な問題ではない。
詩が詩人の口から発せられたとき、古来、言挙げの持つ霊的力を信じられていた。詩人が国王の前で詩を吟じたのは、呪術者としてまた神の代理人として、その言葉には呪術的加護があると考えれらていたからである。それゆえに、琉球のかつての宮廷詩人達の歌(オモロ)の中では、冒頭で詩を献げる詩人の名前が示され、その者が「口正しさ、有る者」(自分の言うことには正しさがあるのだよ)と歌われたりした。人々の前で詩人が自分の名前を詩句の中に織りこみ、織りこむことによって以下に続く断言が霊的力を持つ。
このような宗教性が詩の中から無くなったとき、詩は文学の土壌に上がっていったのだが、同時にそれは声を失っていくことであり、文字が威力を持ち出すことでもあった。詩が持っていた声は、日本では民間宗教家達の吟ずる「語り物」の伝承や、芸能家達の歌舞音曲の方向に、その富を奪われていった。歴史的に見て、声を出して読むための詩集が日本では『和漢朗詠集』くらいしか成立していない(しかも、中国人の漢詩とそれを範とした日本人の漢詩である)、ということからも、文字の導入以来、詩における声の役割がいかに抑圧されていたかが読みとれるだろう。
『平家物語』を散文の「語り物」と考えずに、叙事詩であると考えたとき、問題はもっとはっきりする。この物語は最初は文字で書かれて始まったのではなく、盲目の琵琶師達が口頭で語り出したものである。この伝承者達は、一方では寺院の教線を広げるための民間宗教者として、他方では門付芸の芸能者として、全国を流浪した。彼らを吟遊詩人と呼ぶとき、その姿は村々の共同体という磁場の上で、宗教と芸能の両極を持つパフォーマーとして浮かぶ上がる。
『平家物語』は文学であるだろうか。いや文学という枠組みを作ってこの物語を読みとろうとしたのは、後世の眼明き達であって、彼らによって文字化されて以降である。現在も九州地方で細々と伝承を続けている「地神盲僧」と呼ばれる縁者達は、文学としての『平家』など語らない。物語の原本や異本という発想が成立しない次元で、さまざまに正統の「語り」=「騙り」を展開している。
熊本の小さな村で、肥後琵琶の伝承者の一人の老人の家を初めて訪れたとき、家屋の内部が、三和土も含めて、ゆるやかに波打っており、住むのに不便だなと思ったことがある。しかし、それらは盲目の主人が手で触れ、耳で聞き、足で確かめながら作り上げた空間である。波打っているように見えたのは眼明きの習性にすぎなく、ここの主人にとっては少しもそう見えなく*2、自在に琵琶を持ってその空間を泳いでいるさまを見たとき、眼明きは不便だなと逆に感じた、その暗い家の内部が、音楽の響きのように今でも思い出される。戻っていくべきなのは、こういう場所なのかもしれない。
つまりそれは、眼明きでありすでにして十分に文字文化からの洗礼を受け、そこから出発した人間が(—そのことを拒否することも否定することも無意味である)、もう一度言葉そのものをさわり直す場所を持とうとすること。詩(言葉)が歩き出したとき、行きつく先にある呪的な場所とは、宗教と芸能のそのどちらの極も今やかつてのように詩人にとって回復することは不可能な場所として見えてくる。
しかし文字からの抑圧を払い(祓い)落とす場所、われわれのとりまかれている文化をさわることによって落とす場所、というものはこの過剰すぎるほどの情報のネットワーク社会の中で、隙間のように求められているものなのだ。憑きものを退散させる琵琶法師の呪法のひとつに、「さわりおとし」と呼ばれるものがあるが、その言葉を使えば、憑きものとしての文字文化を(あるいは映像情報を)、さわることによって落とすこと。
何によってさわるのか。声がそのひとつであり、そこでのマジカル・パワーに耳をかたむけるのなら、同時に現代の神器として機能しているテレビ・スクリーンも、眼明きにとって有力な武器だろう。
つい先頃来日したオーストラリアの彫刻家兼ビデオ作家、ジョーン・ブラッシルと話をしていたとき、彼女が面白いことを言った。ビデオカメラのファインダーを覗いていると、風景がひとつひとつの細胞の集合体に見えてくる。(これはムービーカメラと違って、ビデオのファインダーが小さなテレビ・スクリーンになっているため、走査線が風景を形づくり、いわば格子を通してプリントされた映像を見る、という感覚につきあわされる。そのことを言ったものだ)。その細胞が、撮影している自分自身の身体の細胞の中へ入ってくるような気がする。ビデオからインパクトを受ける最大のものは、その感覚だ、と。
わたしが今まで出会ったビデオ作家の中で、彼女のこの肉感的な表現ほどビデオ体験をうまく説明してくれるものはなかった。ここにも、ビデオという最新のメディアの中に、呪的な場所を探している一人の作家がいる。それはビデオ・アート*3などという、早くも芸術に成り上がろうとする舞台作りの趨勢から、降りていこうとすることを示唆するものだ。
少なくともわたしがそのように受け取ったとき、詩(言葉)がビデオの映像と交感する、パフォーマンスの現場が見えてきたように思う。
採録者註
*1 原文では「眼に見え」に傍点
*2 原文では「見えなく」に傍点
*3 原文では「アート」に傍点