ハプニング、イベント、パフォーマンス
星野共(「肉体言語」)
4回目のパフォーマンス・フェスティバルを迎えて、パフォーマンスはやはりパラダイムであるという感を強くしている。パフォーマンスは脱ジャンル化した新たなジャンルであるという捉え方も刺激的かもしれないが。私には形式に結びつき易いジャンルというより、新たな地平を切拓くアーチストの身体を軸にした同時代を支える考え方の枠組ではないかと思える。
カプローが火付け役となったハプニング、フルクサスのイベント、そしてパフォーマンスへと書きたいところであるが、残念ながらまだパフォーマンスには細々とぼーっと燃える蝋燭の炎のように頼りないところもある。しかしヒノエマタのパフォーマンスを点検してみただけでも、世紀末へ向けて展開されるべき重要なコンセプトの萌芽がごろごろしているのも事実である。
おそらくパフォーマンスの切口は、過去のパラダイムのようにスマートにならないのではなかろうか。それは、作品を開いて観せること、フィクションの垣根を除去すること、観客との新たな関係を追求することなど、ハプニングやイベントの流れを柔らかく包み込みながら、コンセプトが複雑に絡み合った一種の成熟段階に突入しているように思えるからである。それでも心底ではやはりパフォーマンスは尖鋭で明確な切口であって欲しいので、その分腰を据えて掛からねばならない正念場にあるともいえるだろう。
(初出:「'87 パフォーマンス フェスティバル イン 檜枝岐」パンフレットより/1098.09.04-06)