インスタレーションとパフォーマンス
斉藤文春
美術に置ける設置・布置を意味するインスタレーションとパフォーマンスは、ともに強固な<場所>とのかかわりを基盤とする。選定した場所に介入して、その日常的な意味・機能の剥奪と、場に内在(潜在)する新たな意味の浮上を図り、場との共働的で不可分な関係の成立が目論まれる。
インスタレーションは、その固有性に同調しつつ場所を選別し、再現性を拒む置換不能な表現としてそこでのみ現前しようとする。その設置=制作は、たとえば美術展の「搬入」段階の作業として非公開で行われることが多い。“状況”をつくり出す装置ともいえるインスタレーションは、観者の身をつつみ、自由な体験・交歓を保証する決定的な“場”として異彩を放つものだ。しかしながら、制作の完了=固定による「作品」の展示とは異なるインスタレーションの制作過程にパフォーマンス性を強く帯びるものがある。また、作者の制作行為をはなれた後の、作品自体の自然的な作用、時間的推移に意味が求められるものもある。制作プランが緻密で予定調和的な場合をのぞけば、インスタレーションは制作現場でのなりゆきに左右される度合も大きい。素材の変形・変質、位相の転換、行為性の直接的な提示など転開の予見を無効とする要因に満ちている。その意味で、インスタレーションは“ライブ・アート”といって差し支えない。
パフォーマンス性を帯びたインスタレーションの制作行為の結果が、パフォーマンスの痕跡を濃厚に反映して、一定の強度を保持すること。美術における“みる“こと=眼の願望を限りなく挑発する暴力的なインスタレーションこそ、現在に似つかわしい。