音のいのち
嶋津武仁
それは、音を操作(オペレーション)する側にあるのではなく、音それ自体に内在している。
時の流れの中に、その「いのち」を配列、組合わせて、音楽が構成され、作曲者の「作品」となる。その構成者が複数化すると、奏者、いや本来他の領域にあった演技(パーフォーマンス)との境界線は失われる、のみならず、「演者」と「観客」、「彼岸」と「此岸」の区別がなくなる。こうした「領域」の拡大は、今更新しいものではない。しかし、新しい方法、可能性は、新しい「時点」と「地点」の中で生み出される。
「檜枝岐」は「音楽」をずっと遡った所にある。
——ディ・シュティンメン・フクシマ——