ジャン・ルイ・バローの肉体錬金術
坂東光之
一九七九年末、ここパリのオルセー劇場で、数回に渡って、ジャン・ルイ・バロー[1]による「肉体の言語」と題されたデモンストレーションが行われた。二〇世紀初頭から今日まで、フランス演劇の偉大な後継者でありつづけた、当年七〇才のバローによる「肉体の言語」というこのデモンストレーションは、演劇でもなく、ショウでもなく、またマイム劇でもない。自分の肉体とその肉体を愛するが故の、肉体の可能性の再確認と、その展開なのである。強いて言えば、彼の「生」なのである。この考え方の基本にあるものは、肉体を単に演劇の場だけの道具とせず、日常の中でも、肉体の自己開発と鼓舞は、重要な「生」の中心であるというのである。従って、バローのデモンストレーションは、演劇的観点からの肉体機能の説明と、パントマイム・マイム修業時代の話、それに伴って彼の実践としてのマイム活動の中心における数々のスケッチによって、構成されていたのである。言うまでもなく、バローの今日は、多くの演劇人との交流の中において、切磋琢磨されたのであり、バローによれば、アントナン・アルトー、エチエンヌ・ドゥクルーとの出会いなしにして、現代マイムの基礎は、陽の目を見ることが出来なかったであろう。バローはこう言っている「今では、もう非常に有名なラクルシー(一ヶ処で歩くこと)を発見するのに、三週間も費やしているし、また我々は、食事とエネルギーの関係を係数により計算し、いわば菜食主義者として、すべての研究に没頭していた」と。忘れることの出来ない出会いは、アントナン・アルトーとのそれであろう。当時若かったバローにより、アルトーは偉大であった(今でも、オルセー劇場には、アントナン・アルトーの肖像大の写真が飾ってあり、バローのアルトーへの関係を深く示している)。アルトーにより発見されたカバラの神秘とその三要素の法則、それの展開は、バローの演技論(もしそういうものが存在するなら)の大根底にあるといえる。バローは言う「呼吸は三つの法則により存在する。男性、女性、中性、そしてそれらの組合せは、十八のコンヴィネゾンを構成する。音声、筋肉、すべての肉体言語は、このカバラの法則に基いて[2]展開する」。バローの演劇との関係において、アルトーの位置は重要な比重を示している。バローは、舞台上でアルトーの声を倣ねて、観客を笑わせていたが、彼の頭の中を走っていたものは何か、誰も想像出来ないのである。劇場内は、超満員であった。その中でのスケッチで、一つだけ目に付いたものは、フォークナーの小説からヒントを得て出来た「母をめぐりて」のマイム場面であった。バローによれば、瀕死の母の役を、女優がおりてしまったので(女優は病気になったという理由で?!)、バロー自らマスクとカツラを付けて、その母の役を演じたということであった。呼吸とマイムの結合したすさまじい場面を再現した。この場面は、当時の演劇の流れから言えば、アヴァン・ギャルド[3]であるが、ひよっとすると[4]、アルトーはこの瞬間に、ある意味において実現されていたのかも知れない。アルトー解釈は別にして、バローの存在の中で、血となり肉となっているのは、アルトーであり、その存在を無視して、バローを語ることは、意味がない。しかし、バローは、アルトーを実現する為にあるのではなく、彼の「全体演劇」を実現するために存在するのである。すでに老境に入ったバローが、これからどういう展開をするかと言うのも、一つの大きなテーマとなろう。
再録者註
[1]今日ではジャン=ルイ・バローという表記が一般的と思われるが、原文のまま再録
[2]〜[4]原文ママ
(初出「肉体言語」誌 No.10/1980.09.01/肉体言語舎)