TBB:池田一

作家のことば

私は氾濫する

池田一

かって、水は大いなる氾濫を繰り返した。

襲来する制度化、形態化という時代の寒波に組することなく。無形態相として唯一ある物質=水は、完ぺきなる自由さを求めて、自由気ままに氾濫しつづけた。それ故、操作・加工・演出という近代文化の手には、おさまりきりきれない厄介物、でありつづけた。

自由さを求めて時代を蹴上げたパフォーマンスは、この「水」の歴史の延長にある。パフォーマンスの場は、氾濫以前の「水辺」なのに違いない。水の文明の継承者はいつも携帯する、たっぷりな「水辺」を。文明の起源の音が響き、人と物との出会いの波紋が豊かに広がりゆく風景を。「水辺」は「水辺」と出会って水路をなす。石からコンクリートの文化の下に隠ぺいされた地下水脈は、いまパフォーマンスという待望の語り手をえた。それ故、今後は、たっぷりな「水辺」を持ち運ぶ人をパフォーマーと呼ぶとしよう。

私はもはや氾濫している。