グラウンド脇の土手には、高い松の木が生えています。その中でひと際大きな松の木のてっぺんに、トンビの巣があるようです。昨年の春、カラスと縄張り争いをしていたトンビでしょうか。あの勝負は、トンビの方が勝ったのでしょう。先日、久しぶりに大空でカラスとバトルしている姿を見ました。昨年の争いは、まだ続いているのでしょうか。
さて、目を自宅の庭に向けてみると、こちらの小さな世界にも、鳥たちが争う姿があります。我が家の庭には、隅の方にキンカンの木があります。キンカンの木には、オレンジ色の小さな実がたくさん実っています。この実を求めて、いろんな野鳥が訪れます。最近よく見かけるのは、イソヒヨドリです。背中が瑠璃色で胸は深い紅色をしています。気品があって美しい鳥です。毎日のように遊びにきてくれるので、すっかり顔なじみになりました。
ある日、このキンカンの木にヒヨドリがやってきて、実をついばんでいました。すると、どこからともなくイソヒヨドリが現れて、ヒヨドリを追い払ったのです。ヒヨドリは、口にオレンジ色の実をくわえたまま、一目散に逃げていきました。地面にはたくさんキンカンの実が落ちています。こんなにたくさんキンカンの実があるのに、イソヒヨドリは独り占めしたいのでしょうか。ここにも縄張り争いの姿がありました。自然界の生き物は、生きていくために一生懸命、日々の糧を求めます。そこには、分かち合うという姿はありませんが、ひたむきに生きているたくましさを感じます。
聖書には、「空の鳥をよく見なさい。」という言葉があります。イエス様が山上の説教で語られる中の言葉です。最後に、その箇所を紹介します。
「空の鳥をよく見なさい。たねも蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。」
(マタイによる福音書6章26節)
Ⅰ.K
今年はスナップえんどうがたくさん取れました。
去年はプランター用のつるがあまりのびないタイプの種を蒔いたため、あんまりスナップえんどうは食べられませんでしたが、今年は種選びを気をつけました。
採りたてのスナップえんどうを茹でると、新鮮な野菜特有のあまい香りがしてきて、味わう前からなんだか満たされる気がします。もちろん茹でたてをそのままかじると、甘みと香りがたまりません。
そんな美味しいスナップえんどうですが、娘はスナップえんどうのスジが嫌いなようで、鞘は食べずに中のグリーンピースだけを食べるお嬢様っぷりを発揮します。父親である私は甘やかしすぎかなと思いながらもたっぷりと太ったスナップえんどうの鞘を開き、中のグリーンピースをとります。
スナップえんどうの鞘を一つひとつ手に取り、丁寧に開いていく作業はどこか心が落ち着く時間でもあります。開いてみるまで中の豆がどんなふうに育っているかはわからない。丸くふっくらしたものもあれば、小さくてまだ青いままのもの、少し形がいびつなものもあります。
ふと、子どもの成長と似ているなと思います。
同じように見える子どもたちも、一人ひとり違ったリズムで、違った形で育っていく。外から見ただけではわからないことがたくさんあります。目立つ子もいれば、静かに、でも確かに自分のペースで育っている子もいます。
「早く大きくなってほしい」とか、「他の子と比べてしまう」なんて気持ちが出てくることもあります。でもグリーンピースの鞘を開くたびに思うのです。それぞれに違っていて当たり前で、それぞれがちゃんとその子の“かたち”で育っているからいいんです。
時には鞘の中が空っぽだったり、途中でしぼんでしまっていることもあります。でもそれもまた自然なことで、全てが完璧である必要はないのです。育つことには、偶然なこともあれば、必然と用意されることもあり、なにより時間が必要だからです。
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
N.T
先日5歳になった娘と一緒にお風呂に入っていた時のこと。
「はやく おとなに なりたあい!」という娘。
「どうして?」と聞くと、
「だってプリキュアになれるし、おとなっていろんなことができるでしょ。」と。
(プリキュア愛に溢れる娘は、もう少しお姉さんになればプリキュアになれる!と思っています…!)
娘の話を聞いて、ふと考えました。
大人って本当に色々なことができるのかな、と。
たしかに私も子どもの頃の、大人ってなんでもできるんだ!と思っていました。
でも、いい大人になった今の私は、何ができるのだろう。
子どもの頃の私と今の私。
自分が子どもの頃に思い描いていた大人像になれているわけではないなあ…と思います。
むしろ、子どもの頃にはできていたけれど、大人になるにつれて徐々にできなくっていったものもあります。
そのうちの1つは、“挑戦すること“。
年を重ねていくと、良いこともそうではないこともたくさん経験します。
その経験によって、物事が良い方向に向かっていく時もあれば、経験したことをもとに行動を起こすこと自体やめてしまうこともあります。
また、家族が増えて、大切なもの、守るべきものが増えていくと強くなると同時に、弱くもなります。
前よりずっと、一歩踏み出すことに対して臆病になりました。
子どもたちは、目の前のことに全力投球、全力疾走だとよく感じます。
そんな子どもたちの姿から学ばせてもらい、私も今年は新たなことに挑戦してみることにしました。
新たな資格を取るために、通信制の大学に在学しています。
そのことが、目の前の子どもたちのために役立つ何かになればうれしいなと思っています。
失敗を恐れずに挑戦すること。失敗するかもしれないけれど、行動に起こしてみること。
石橋を叩きすぎて壊してしまうタイプの私ですが…これからも意識して過ごしていけたらと思っています。
K.S