「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長してくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」 コリントの信徒への手紙一 3章6・7節
現在先生たちは小学校の来年度用パンフレットを分担しながらみんなで作成しています。
パンフレットに載せる写真・・・どれがいいかなぁ・・・どれもいいなぁ~~♪これも、これも載せたいなぁ~♪
お部屋の片づけをしているときに、アルバムを見つけてついつい手が止まり、アルバムに見入って片づけが進まない・・・なんて経験をした人は少なくないのではないでしょうか。
その現象が起こりました。パンフレット用の写真を探すために2023年度の学校写真を見ていると、今年度の思い出がたくさんよみがえってきました。
4月の頃の写真は、どの子も今よりも幼さがあって、毎日のように顔を合わせているとその小さな変化に気づきませんが1年間の子どもたちの成長を感じました。
また、写真を撮ったあの頃はこんなことに悩んでいた〇〇さんだけれど、今はそれを乗り越えてこんなこともできるようになってるなぁ・・・などなど1人ひとりの育ちを感じてほっこりする時間でした。
今日から2月。今年度も残すところ2カ月!今年度の振り返りと新しいスタートへの準備の期間ですね。
ふと、立ち止まる。そして振り返ってみる。この時間って余計な時間じゃない、むしろ大切な時間。
成長を実感し、感謝する。今後を見据え、また一歩いっぽあゆみを進みはじめる。
子どもたち1人ひとりの存在の尊さと、成長してくださる神さまへの感謝で心が満たされる時間でした。
A.M
2月になった。
月の異名として「如月(きさらぎ)」と呼ばれることも多い2月だが、この月の異名は他にもさまざまある。そのひとつが「雪消月(ゆきぎえづき・ゆきげづき)」。この名には雪の降り納めという意味がある。釈迦が亡くなった日に開かれる催しにちなんで、そう名づけられたそうだ。
つまり2月は雪がなくなる月。だが、今の暦、私たちの暮らしの中ではどうだろう。関東地方においては、立春を過ぎてからドカ雪が降ることも稀ではない。まさに昨日(2/5)がそうだった。よく降った。まあまあ積もった。そして、雪に心弾ませる子どもたちの笑顔がキラキラ輝く一日でもあった。
休み時間、職員室にやってきた2年生が私にこう言った。「バケツ貸してください」 ピンときた。茅ヶ崎では珍しい、風に舞って降り続くぼた雪を、バケツいっぱいにためこもうという考えだ。明朝にはバケツからあふれているだろうその雪のさまを思い浮かべ、ニタニタと期待を膨らます子どもの心が直ぐに伝わってくる。子どもたちはバケツを手に、勢いよく前庭に走って行った。いいぞ!! 子どもの特権、いっぱい遊べ!!
ふと、幼い頃を思い出す。私の家は東京にある魚屋だった。小学3年の頃だったか、その日は朝から激しく雪が降り積もった。父は商売道具のたらいをきれいに洗い、店のわきに置き、降る雪をため、学校から帰ってくる私を待ちかまえていたようだ。そして長い割り箸にその雪を(きりたんぽのように)くっつけると、バヤリースのオレンジジュースをかけて私に食べさせてくれた。衛生的かなどは関係なく、私は一気に食べたんだと思う。大事な雪の思い出だ。
幼い頃の経験や思い出、大切なものとの出会いは、その人の中にだけ染み込む人生の柱になることも少なくない。雪にワクワク心躍らす平和の子どもを見て、純粋に可愛いと思った。そして、聖書の言葉が浮かび、プレゼントしたいと思った。
『青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。』 コヘレトの言葉12章1節(旧約聖書1047ページ)
豊かな2月となりますように。
H . T
4年前、2月末にスキーで一泊の準備をしていた。我が家はスキー中毒の私(真夏でも夢に出てくるくらい)を筆頭に、スキーを毎シーズン楽しみにしている。けれど、直前になってキャンセルせざるを得なかった。翌年はスキー自体を我慢した。その次の年から2シーズンは泊まりは諦めて、日帰りで2回行った。スキー用のマスクをして、昼食は持参したり屋外で食べたり工夫して。
そしてこの度、5年ぶりに泊まりでのスキーが実現した。スキーの楽しみはスキーだけではない。滑りながら鳥の声や木の香りや雄大な景色からエネルギーをもらう。そして今回は夜も天気が良く、外に出てみれば、グルグル回したタオルは凍り、夜空を仰げば満天の星の中大きな流れ星が横切り、小さな動物の影がすぐそばの雪原を走り抜けて行った。これが泊まりで山に出かける醍醐味。昼と夜とでは、まったく違う姿の大自然を味わわせてもらえるし、それを子どもたちとはしゃぎながら共有できる喜びも与えられる。異常気象でハイシーズン、ベストシーズンながらも春スキーのような雪面とあたたかさで、今後の地球が心配にもなったが、スキー自体は十分に楽しませてもらった。
今回は30年近く会っていなかった友人のペンションに滞在させてもらった。あの頃は再びこんな風に出会えるとは思っていなかったけれど、あの時の仲間がこうしてがんばっている姿を見るのもうれしかった(同い年ながら、大人になったね…と思ってしまった)。今年のコンセプトは、「会いたい人に会う!会いたかった人に会う!」。また一人実現できた。
神様がつくられたものは、美しい。そしてもちろん、私達一人ひとりのありのままの命も美しい。改めてその恵みに満たされる時であった。すべてのもの、すべてのこと、すべての人との出会いに感謝。
神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。 (創世記1:31)
A.K
先日、5・6年生とともに社会科見学に行きました。行き先は「都立 第五福竜丸展示館」。小雨の中、江東区の夢の島にある三角屋根の建物に入ると、大きな船の船尾が私たちを出迎えてくれます。
その光景に「あぁ〜久しぶり!」と言いたくなりました。私も、小学生のころに第五福竜丸のことを知るためにここに来ていたからです。
ご存知の方がほとんどだと思いますが、第五福竜丸は今から70年前に、アメリカが行った水爆実験の被害を大きく受けたマグロ漁船です。1954年3月1日、戦後10年が経とうとしている時でした。船員たちは、水平線の先で光った大きな光と、その後やってきた大きな音と衝撃波に驚きました。そして、白い灰(水中での核爆発によって噴き上げられた、放射線物質を多く含んだ珊瑚の粉)が空から降ってきたのです。
展示館ではじめに学芸員さんがこんなことを教えてくださいました。
「(船員の一人の方が展示館でお話をしてくださった頃、)見学にいらっしゃる学生さんたちはよく、『危なくて白い灰が降ってきて、怖くなかったですか?』と質問を投げかけましたが、船員の方は「怖くはなかった。少し、漁をするのに邪魔だなぁと思ったくらいだ」と言っていました。なぜでしょう?みなさんは、ここで、この白い灰が危ないものだ、ということを知っていましたが、当時船員の人たちはその白い灰の正体を知らなかったからです。」
過去を知り、考えることの大切さを教えていただきました。
戦争を経験していない私たち。過去に起こった悲惨な出来事を正しく知ることで、「平和ではない出来事」を止められるかもしれません。そして、平和をつくりだすために、動くことができるはずです。
子どもたちとともに、日々考え続けたいと思います。
平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ 5:9)