ついつい気になってしまうことがある。先日も、家族との会話でこんなやりとりがあった。
「体育館の天井にハトが巣をつくっちゃったみたい」「ふぅん、キジバト? それともドバト(カワラバト)?」「それは分かんないよ」
たいていは十把一絡げに『ハト』の括りで語られてしまうが、野鳥大好き人間の私はつい拘ってしまう。キジバトとドバトでは鳴き声も生活も、存在自体の歴史も異なる。どちらがいいとかよくないの話ではなく、それぞれが別の賜物をもった個々の存在なのだ。さらに言えば、日本には他にもハトがいる。アオバト、キンバト、シラコバト、カラスバト、ベニバト・・・。みんなかわいい。
こんなこともある。「グラウンドにカラスがいっぱいいるよ」と子どもが教えてくれることがある。そんな時も私の頭の中はグルグルする。ハシブトガラスかなあ・・? ハシボソガラスかなあ・・? 同じように見えてもそれぞれには違った個性があり、顔も違う。ハシブトガラスは「カーカー」と澄んだ声で鳴くし、地面を歩く時は両脚ジャンプみたいにピョンピョンと移動する。ハシボソガラスはちょっと濁った鳴き声で、一歩ずつのトコトコ歩き。違いがあるからこそ、どちらもかわいい。
トンビだってそう。茅ヶ崎あたりで大きなワシタカといえばトンビだが、よく観察すると、小型ワシタカ類のハヤブサやチョウゲンボウと出会えることもある。川や河口に行けばミサゴというワシタカもいる。みんながみんなトンビであるとは限らない。
面倒くさいなあと思われてしまうかもしれないが、野鳥好きの僕なのだから、そこは見逃すなりスルーしてほしい。
もちろん野鳥だけではない。神さまは、それぞれに、一人ひとりに、異なる賜物をプレゼントしてくださっている。私たち一人ひとりに。大人にも子どもにもだ。大きな括りで「子どもはこういうもの」だとか、「大人はこうあるべき」だとか言わないように気をつけたい。大人にも子どもにも、その人だけの名前があるように、その人だけの素晴らしさがプレゼントされている。そのことを認めあい、分ちあえることに敏感でいよう。
これからもそんなふうにHEIWAの子どもたちと歩んでいきたい。HEIWAファミリーのみなさんと歩んでいきたい。
H.T
ペトロの手紙 一 4章10節 (新約聖書433ページ)
『あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。』
動物病院からりっぱなお花が届きました。とってもぴょんきちらしい、明るいお花がたくさん詰まっているアレンジで。
学校で飼っていたぴょんきちは、月曜日に私とともに我が家から出勤し、金曜日に一緒に退勤し…と繰り返してきました。2017年の秋に生まれたぴょんきちは、冬に学校にやってきて、コロナ禍が始まるまでは私の家だけでなく、内部幼稚園にも先生方の家にも滞在し、そこでもたくさんかわいがっていただきました。学校が休校になるとともに私の家で暮らすことが始まり、私の家族の一員となりました。世の中が落ち着いたころ、平日の子ども達のお世話が再開されました。
4か月前のある日、ぴょんきちの異変に気づきました。検査の結果、いつ命が消えてもおかしくない状態でした。手術ができないほどの。でも投薬処置によって延命はできるとのこと。うさぎにとって、何が幸せなのか…。延命せず自然のままにするのか、少しでも楽になるように学校でのお世話をやめて私の家で引き取るのか、学校で飼っているのだから子どもたちが「死」を学ぶ機会とするのか、ぴょんきちを愛してやまない子どもたちの気持ちを優先するのか…職員会議で教員も全員で一生懸命考えました。そして、子ども達にもぴょんきちの状態を知ってもらったうえで、お世話を継続することになったのです。
それがぴょんきちの幸せだったかどうかは、本当のところはわかりません。そしてちょうど我が家に帰って来ている夜、家族が揃っている時に、静かに息を引き取りました。翌日学校でお別れの会をしました。涙が止まらない子、動かないぴょんきちをただただ撫でている子、声をかけている子、前庭のお花を摘んで箱に入れてくれる子、お手紙を入れる子、大好きだったチモシーの穂を入れる子…、たくさんの子が集まってくれました。そしてたくさんの讃美歌をぴょんきちにプレゼントしました。こんなに愛されたことが幸せだったし、そんなぴょんきちから多くのものをもらった子ども達も幸せだったなと私は感じました。早ければ2週間で…と言われていたのに、3か月半もがんばることができたのは、そこにあふれんばかりの愛があったからでしょう。
さらに翌日数人の子どもたちが私のところに来て、「先生、虹の橋のお話知ってる?本を貸してあげる!」「ぴょんきちは、先生の家族だったの?」「ぴょんきちのからだはどこに行ったの?」「ぴょんきちの絵を描いたから見て!」と声をかけてくれました。そこにも深い愛がありました。
我が家のケージもようやくきれいに洗って片づけました。代わりに飾った写真を見ると、優しい気持ちになります。表情が豊かだったぴょんきちのいろいろな場面が思い出されます。それでもだんだん涙は出なくて済むようになってきました。いただいたお花が枯れるころ、我が家の写真も片づけようと思います。その先は、それぞれの心に…。かわいい、かわいいぴょんきち、ありがとう。
いのちの終わりは いのちの始め。
おそれはしんこうに、死は復活に、
ついにかえられる えいえんの朝。
その日、その時を ただ 神が知る。
(こどもさんびか 135番「きゅうこんのなかには」3節…お別れの会の讃美歌から)
A.K