このひとピースの当番のタイミングで、誕生日がありました。本校では毎月その月に生まれた子どもと先生の誕生を全校でお祝いする会を設けています。1~6年生の子ども達とその場に立つと、何だか仲間意識が生まれるような…。特に今年は私と同じ誕生日の子が3人もいて、4人も同じ場に集まっていると思うと、この珍しい状況がとても嬉しかったです。今までの人生で同じ誕生日の人は同い年の友人ひとりでしたが、この数年で一気に増えました。
誕生日といえば、私には誕生日が他にもあります。一般的には、それは記念日といわれるものかもしれません。でも、受洗日と長女の出産日は、私のそれまでの人生に加え、全く新しいものが与えられた特別な日であり、私が新たにされたという意味で私にとっては誕生日です。「私」という命の誕生と同じくらい、神様からいただいた新しい人生です。ある友人が長女の誕生日に欠かさず「ママ〇〇歳、おめでとう」とメッセージをくれますが、それも私を生かしてくれる恵みです。人それぞれ、生命とは別にそんな誕生日があり、そのことで新たな人生が始まるのでしょう。
誕生日が無い人は一人もいません。「生命を与えられた」、そのことがそれだけで大切なのです。その命がどう生きようとするか、その命にどう想いをかけるか…それはそのことがまずあってのことです。人も、動物も植物もすべての命が祝されて、この世に生まれ出てきたはず。そこに意味を持って生れ出てきたはず。「お誕生日おめでとう。あなたがいてくれて、ありがとう。あなたに出会えたことが私の喜び。」そんな言葉を誰に対してもどの命に対してもかけられる世界であってほしいと、それが当たり前であってほしいと願うこの頃です。そして、人は誰でも新たに生きることがゆるされ、与えられます。その新しくされた命をどう生きるか、そのことを考えながら、この誕生日を機にに私自身の命もまた見つめたいと思います。
‟だから、わたしたちは落胆しません。
たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、
わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。”
コリントの信徒への手紙 4:16
A.K
今年度は6年ぶり?の1日開催のファミリー運動会。(平和学園小学校では学芸会と運動会が交互にやってくるので、子どもたちは運動会を6年間で3回しか経験しません。)
清々しい天気の下で、名前の通り和やかな「ファミリー」運動会が開催されました。詳細はぜひ、HPの紹介をご覧ください♪
平和学園小学校では「平和ファミリー」と言う言葉を好んで使います。1学年1クラスでクラス替えなし。子どもも大人も、全員のことを知っている学校はこの辺ではなかなかないと思いますが、それだけ毎日家族のように関わって、大人も子どもも本気で、仲良く遊んで、時には喧嘩をして...ともに豊かな時間を過ごしています。卒業生がたまに帰ってくると、とても嬉しい気持ちになります。
しかしここ最近は新型コロナウイルスの影響もあって、異学年で親密に関わったりする時間が減ったり、「卒業生、いつでもおいで!」という雰囲気もなかなか生み出すことができませんでした。
「日常」とは違う3年間を過ごして、やっと今年、「今までの日常」に近い状況がたくさん生まれるようになりました。そして、大々的に保護者の制限なく、今回のファミリー運動会を開催できることになりました。
おうちの方に見守られながらだと、子どもたちも当然練習してきた競技やダンスを披露するときの顔がやはり違います!一段とやる気があって、笑顔に溢れているのです。私たち教員もそのような子どもたちの様子を見ているととても嬉しくなります。
保護者の方の熱気もよく伝わってきました。二人三脚で親子の見事なチームワーク!そして綱引きで「大人の本気」を見たりすると、「頑張るおうちの人の姿」を応援しようと、またまた一生懸命な子どもたち...
子どもも大人も、みんなで「頑張れー!」という応援をかけ合う...とても素敵な光景でした。
お互いの頑張っていることを認め合える、そんな雰囲気がたくさん溢れていた運動会でした。
また2年後。今度は今の4年生が6年生になった時に開催です。どんな姿が見られるかな...
T.F
今年度から幼稚園と小学校で2頭のヤギを飼い始めました。白ヤギのルルと黒ヤギのリリ。ルルとリリが学園をお散歩しているのを見ると何だかほっこりします。ルルとリリの小屋は幼稚園の園庭にあるので主に園児が餌をやり、小学生は小屋のお掃除を担当しています。1週間ごとに学年順にまわってくる「ヤギ当番」。小学生はルルとリリが幼稚園の子からえさをもらっているすきに小屋にあるフンや落ちているわらをせっせとかき集め、それをふるいにかけてフンだけを集め、堆肥場へと運びます。1日分のフンを集めますからなかなかの大仕事。それを自分の休み時間を割いて、ルルとリリが安心して快適に過ごせるようにと、喜んでお世話する子ども達の姿はとても素敵だなぁと思います。
さて最近、ルルとリリは小屋の門が開いていると小屋の外に出たがります。お掃除で小屋に入る時も出る時も、ヤギ当番の子は細心の注意を払って小屋の門を出入りしています。この様子を見ていて、聖書にある「羊の囲い」のたとえを思い出しました。羊を守るために羊飼いは門番をしていましたし、イエス様はご自分を「良い羊飼い」だとも、「羊の門」だともおっしゃいます。聖書に出てくる動物と言って真っ先に思い浮かぶのが羊かも知れませんが、聖書には旧約の時代から羊を飼っていたことが記されています。ヤギも羊もウシ科ヤギ亜科の動物で生態はよく似ており、飼い方もほとんど同じだそうです。そんな羊は目の先しか見えないそうで自分のすぐ近くしか視界が開けていません。そのため自分勝手な行動に見えるそう。そしてにおいがかなり強いので、そのにおいも嫌がられていたそうです。また羊のお世話は毎日あります。羊飼いは安息日も仕事をしなければならないことから、当時、羊飼いも蔑まされていました。それを全部知っての上で、イエス様は、ご自分は「良い羊飼い」だとおっしゃるのです。
先がよく見えず自分勝手な行動をしてしまう羊、それはまるで私たち人間のように思えます。だけど羊は、目を補うためなのか耳がとても良いそうです。自分を養ってくれる羊飼いの声を聞き分けて、その声に聞き従います。「主イエスは私の羊飼い。」ついつい神様から離れて、自分勝手になってしまったり、道に迷ったりしてしまう私たちですが、そんな私たち一人ひとりの名前をイエス様がいつも呼びかけてくださっています。羊が羊飼いの声を聞き分けるように、私たちもまたイエス様の声をしっかり聞き分け、イエス様の招きの門を歩んでいきたいです。
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。~ヨハネ10:11~
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。~ヨハネ10:15~
Y・T