新しい年を迎え、家の庭でハトの姿をよく見かけるようになりました。最初は、あまり気にかけていなかったのですが、毎日同じハトが遊びに来ているようです。目のパッチリしたキジバトです。えさをついばんでいる時もありますが、くちばしに小枝をくわえている時もあります。「もしかしたら?」と思い、ハトの行方を観察してみたら、庭のキンカンの木の中に、木の枝のようなもののかたまりを見つけました。どうやら、巣作りをしているようです。毎日、せっせと巣のために小枝を集めていたようです。その姿を見ていたら、3年ほど前に、我が家の庭に遊びにきていた一羽のキジバトを思い出しました。毎朝、庭にやってきて「ぽっぽー」と鳴いているので、「ぽっぽぞう」と名付けて様子をみていました。ぽっぽぞうは、しばらくしたら、ぷっつり姿をみせなくなりました。あの頃は、キンカンの木も今ほど枝を張っていませんでした。巣を作るのをあきらめて、他の場所へ行ったのかもしれません。
新年に我が家の庭にやってきたハトは、3年前のぽっぽぞうではないかと家族で話しています。3年たって、キンカンの木も大きくなりました。庭でキジバトの雛がかえったら、うれしいなぁ、と胸を弾ませています。
新しい年も空を見上げ、小鳥たちのさえずりに耳をかたむけ、自然の恵みに感謝して歩んでいきたいものです。
(K・I)
何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 コヘレト3:1
休日に買い物に行ったとき…。
体の調子が悪くて病院に行ったとき…。
駅で電車を待っていたとき…。
休日のちょっと出かけた先でばったりと卒業生に会うことがある。
こっちが気づく時もあるけれど、向こうが気づくことも多い。
卒業するとどの学年の子どもだったのかわからなくなるときがある。
特に6年生を複数回、担任しているからよりごちゃごちゃしてしまう。
最近は特に学年とか友人関係とかを間違えることが多い。
卒業生は「先生変わってないね!」と言ってくれる。
なんだかうれしい。
逆に卒業生は小学生の時とは違い、立派になっている。
社会人として働いていたり、学生でアルバイトしていたりともうすっかり大人の顔になっている。
素敵な青年だ。
お互いの近況やご家族のことなどを話すだけだけれど、笑顔がこぼれる。
平和の卒業生に会うと幸せだ。
そして、今年もこの学び舎を巣立とうする6年生がいる。
5年後、10年後どっかでばったり会えるといいな。
声をかけられるかな。
声をかけてくれるかな。
楽しみです。
(s.s)
ついこの前、電車で寝過ごしました。
いつもは目的地まで2・3駅なので座らずに立ちっぱなしなのですが、その日に限って座ってしまいました。
今考えても椅子の方から、「座っちゃいなよ」と誘われていたような気がします。
気が付くと○○原と車内から見え、ぼーっとしている頭で小田原!?と思い車内から急いで降りるとそこは小田原ではなく湯河原でした。
頭が真っ白になるというのはこういうことをいうのかと、身をもって経験しました。
本当に何でここにいるの、どうして?という気持ちでいっぱいでした。もうその日は申し訳なかったのですがそのまま家に帰りました。
皆さまも寝過ごしにはお気を付けください。
T・M