今年も早いもので、12月になりました。もうすぐ年の瀬を迎えます。年末は、クリスマス、お正月と楽しい行事が目白押しです。心待ちにする反面、準備は大変です。忙しくなると、自然と目が下に向きがちですが、そんな時こそ顔を上げて、目を空に向けたいものです。
先週は、月が美しい週でした。仕事を終えて職員玄関を出たところで、1年教室前のけやきの上に、ぽっかりと満月に近い月がこうこうと輝いていました。突然の月の姿に、思わず息をのみ、しばらく見とれていました。次の日も空は晴れていたので、帰りがけにけやきの上を見上げました。しかし、月の姿はありません。空は晴れているのに雲隠れでしょうか。月の姿を求めて、校門を出て東の空をさがしたら、ありました!東の空低い位置に、オレンジ色の満月が姿をあらわしました。お月見をしながら家路につきました。月の光が一日の疲れを癒してくれました。
今週は、満月が半月になり、だんだん細くなっています。月が上がる時間も少しずつ遅くなっているようです。今度目にする時は、三日月でしょうか。月の行方をさがしながら、「イエスさまの生きていた時代も、月は今と変わらぬ姿で、人々の心を照らしていたのかしら。」と思う今日このごろです。
Ⅰ・K
私が行っている教会だけでなく、全国の多くの教会が直面していることが、教会のメンバーの高齢化ではないでしょうか。もちろん、若い青年や子どもたちが多く集う教会もありますが、メジャーではないのかなと感じます。
礼拝に行くと高齢者が静かに礼拝を守っています。元気の良さ、若々しさがないと思いがちですが、皆さん頭が柔く、気持ちや心の元気な方が多いです。そして、熱心で、素晴らしい信仰者です。謙虚で、穏やかです。深い愛で周りの方々を愛してくださいます。私の家族も信仰の大先輩に愛されて、育まれて今日まで来ることができました。
しかし、神様の時は定められていて、この地上で永遠に生き続けることはできません。地上の生涯を終える時があります。それだけではなく、病によって入院したり、教会に来ることができなかったりする方も多くなりました。でも、様子を伺うと信仰は失われることなく、より熱心に神様を愛して、求めておられることがわかります。本当に素晴らしいなと感じます。
自分も歳を重ねて、病に襲われた時、そして天に召される最後はどのような信仰を持ってこの世を終えていくのだろうと考えることがあります。自分はこの先輩たちのように最後まで、神様を愛して、信仰に固く立っていられるだろうかと考えます。
そうなれたらいいな・・・。