この夏、かねてから積読(つんどく)しておいた本に手をのばすことができた。著者は半藤一利(はんどう かずとし)氏。
氏は昭和史について史実や証言を徹底的に訪ね歩き、資料を検証し、著作を著してきたといわれている。実際に読み進めるほど、その的確な話題の多さや説得力のある著述の数々に納得させられる。つい最近亡くなられたが、本当に惜しい人を失ったと感じる。
この夏は東京オリンピックと並行して新型コロナ・アフガニスタン・ミャンマー・香港…と根本的な問題解決に至らず先行きの見えない不安を感じる話題の多い期間となった。そのような中で半藤氏の思索を辿ることは歴史上の暗く辛い部分に触れていることが多く、しんどく感じる事も多かった。しかし大切なことと思い、できる範囲で読み進めることをしてみた。
日本の歴史、殊に明治から昭和の近代史を学び直すことは本当に難しいということを実感した。そして今まで学んできた事柄の裏側に埋もれている史実や知られざる証言の多いことを改めて知り、学び直すことの大切さを痛感させられた。
少しずつになると思うが、この国の歴史と向き合い丁寧に受け止めながら、これから先の私たちの暮らしのゆくえを考え、行動してゆきたいと改めて思い直す夏となった。 N.S
今年の夏から一人暮らしを始め、当たり前ですが色々な身の回りのことを全て自分でやるようになりました。掃除・洗濯・炊事はもちろんですが、特に面倒だなと思うのは、紙ベースの手続き、広告チラシなどの紙ごみの処分(分別込み)、ちょっと汚れたところを拭く...実家にいた頃は、いわゆる「隠れた家事」はあまりしておらず、何度も母親にチクチク言われたことがあります。当時は特に何も思わなかったのですが、自分がやってみると「隠れた家事」の多さに驚くとともに、ありがたい事だったのだなぁと感じます。
また、炊事は新しい料理に挑戦しない限り「自分の想像できる味」が完成してしまい、食に対する感動や有り難みが減ってしまったような気がします。他人が作るご飯を食べたくて、週に1回以上は実家に帰ってご飯をご馳走してもらったり、お惣菜を買ってしまいます。改めて、今までの「あたりまえ」に感謝する毎日です。
子どもたちと関わっている中でもそうですが、毎日「あたりまえ」のことに対しては感謝することを忘れてしまいがちです。気づかないところで、どこかの誰かが助けてくれていたり、支えてくれることで、私の今があることを忘れないようにしていきたいと思いました。
コロサイの信徒への手紙 3章15節
「また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、
あなたがたは招かれて一つの体とされています。いつも感謝していなさい。」
T.F
この夏も暑い日が続きました。地球温暖化といわれて久しく、異常気象もずっとつづいています。災害の多さにも、心痛むばかりです。
わたしの小さい頃の夏といえば、暑いといってもせいぜい30度止まり。夕方ともなれば、涼しい風にホッとしていました。自然、気候の変動、そして環境の変化は、わたしたち人間ばかりではなく、他の生き物にも影響を与えています。北極熊の子育てに必要な氷がどんどん溶けてしまっていること、日本でも熱帯地方にいるはずの生物が見つかったり。
ここ数か月、我が家の7階のベランダにとても良い声の鳥がやって来ます。イソヒヨドリという見た目も美しい鳥です。ウットリしてしまうほど、本当に良い声です。この鳥は、もともと断崖絶壁を好む鳥で、近頃になって都市のマンションが林立しているところに現れるようになったそうです。マンションのでこぼこ高低差が断崖絶壁と同じ景色ということなんでしょうか?鳥がのびのび歌える断崖絶壁がなくなってきたということでしょうか?さえずることができる場所を探して、探して、我が家の7階のベランダにたどりついたのかと思うと、とてもいじらしく、また、たくましいなあ、と感慨深くなりました。わたし達人間が住める所を探して、放浪する時代が来るとは、考えたくはありませんが、少しでもこの状況を変えていく努力を本気で始めないと・・・と、さえずってくれているイソヒヨドリに思いを寄せました。
F.T