春は出逢いと別れの季節。
嬉しさと寂しさが混ざり合う。色々な感情が交錯する時期。
私事ですが、娘が小学校を卒業し、もう中学生。
感慨深いですね…。
初めて歩けるようになってお散歩を始めた頃の手のぬくもり。
私の小指を何とか掴む位、小さかった掌。
歩幅を合わせながら歩いたいつものお散歩コース。
その一つ一つの情景や仕草。
小さい頃の独特の可愛らしい言い回し。
本当にかけがえなのない瞬間だなと思い返します。
今では親と同じか、むしろ娘の方が掌も足のサイズも大きくなってしまいました。
成長していくことは嬉しい反面、一緒にいられる時間がカウントダウンされていくような切なさも噛みしめています。
だからこそ、一日一日を 一瞬一瞬を 今まで以上に大切に過ごしていきたい。
そして、この時期になると、改めて“教員”をさせて頂くことが尊いお仕事だと感じます。
たくさんのご家族の入学や卒業といった、人生の節目に立ち会わせて頂くこと、お子様の大切な学童期の6年間に関わらせていただくこと、心から感謝です。
平和を卒業した後、「あ~‼ 平和で過ごせて楽しかったなぁ…。」といつか思い出してもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。
2025年度がいよいよ始まります。どんな一年になるのでしょう。
共に素敵な毎日を彩っていきましょう。いつも私達を守って下さる神様と共に…。
「幼子は、たくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」
ルカによる福音書2:40
M.K
土曜日の朝、駐車場に目をやると我が家の愛車が忽然と姿を消していたのです!!
110番して、一往に足跡を採ったり、近所の目撃情報を聞いて回ったりと調べて警察官は帰って行き、
後には喪失感だけが残りました。まるでテレビで見るような、かつては他人事でしかなかった出来事が
自分の家に降りかかったことの驚きとともに。
そして、愛車を盗み取って行った人(たち)のことに思いを馳せました。
善悪の分別がつかない、悪が日常的に麻痺した人生を生きてきた人なんだろうと。神様に出会ってこなかった人なんだろうと。
私も私の家族も、何も悪いことはしていないのに、と思わずにはいられませんでした。
『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え。』『そういうことはみな、子どもの時からまもってきました。』
『あなたに欠けているものが一つある。行って持っているものを売り払い、貧しい人に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。
それからわたしに従いなさい。』—マルコによる福音書10:19~21
人間は、原罪を犯している罪人なのだから、まったく何も悪いことをしていないとは言えないのでしょう。
また、愛に満ちた神様が天罰を下すわけはありません。きっと災難の後にも神様は働いてくださるでしょう。
ぐすん。
ℍ.S
新年度が始まり、早一か月がたとうとしている。
子どもたちとの新たな日々の積み重ねが、また新たに始まった。
この数年、子どもたちと関わっている時にふと彼らの十年後、二十年後を思い浮かべてしまうことが起こるようになってきた。
自分自身が学生時代から継続してきている野外教育活動に参加してくれる、十代後半から二十代の学生連中との関わりがあるから余計に思い浮かべてしまうのかもしれない。日本のいろいろな土地で育ってきた若い彼らが、様々な事で壁にぶつかりつつ頑張っている姿にいつも励まされながら共に活動してきた。
その影響があるのだろう。小学校での生活の中で子どもたちの後ろに未来の姿が見え隠れする。そして、本当にあっという間に年月が過ぎていくことを痛感させられているが、だからこそ一日の中で子どもたちと大切なことをしっかりと確かめながら生きたいとより強く願うようになったし、今その時の積み重ねが本当に大事だと感じる。
勿論、職場の仲間や保護者といった子供を取り巻く大人ともである。
今年の一年を祈りつつ、一歩一歩、大切に歩んでいきたいと新たに思う日々である。 N.S