今回も、畑のことを書かせてもらおうと思います。
前回書いていた空豆は、残念ながら病気にかかってしまい、美味しく空豆をいただくことには至りませんでした。残念。
原因はいくつかあります 。
①空豆の種を早く撒きすぎたため、早めに花が咲いてしまった。
②冬の虫がいない時期に花が咲き、そのため虫がいないことで受粉せず、花が咲いただけで実がつかなかった。
③そもそも知識が不足しており、空豆の苗と苗の幅をもっと取るべきだった。また、茎を減らさなくてはいけなかった。
そんなわけで、病気にかかり、実はつかず、空豆は夏野菜のために引っこ抜くことになりました。
さて、畑をやっていて最近面白いと感じて挑戦しているのは種からの育成です。
種から育成すると、どのような葉が出てきて、その後どう成長していくかがよくわかります。面白いです。
もしかしたら以前も書いたかもしれませんが、種から育てることで気づいたことがいくつかあります。その中でも、ほうれん草の双葉の形については驚かされました。
ほうれん草の種を蒔き、発芽すると出てくる葉っぱはほうれん草の葉の幅広の先がとがったうちわのような形ではなく、松葉を平らにしたような、細い葉なのです。
これには驚きました。松葉のように細い葉が土から出たかと思うと、次に出てくる葉は幅広のほうれん草になるので面白いです。
また、種を土に撒き、程よく水があると発芽し、葉っぱが地面から顔を出してくれます。
これもまたおもしろく、種によっては発芽の条件が違います。気温が何度以上でないと発芽しない種や、レタスやニンジンのタネなどは好光性のタネで、光が必要です。種と一言で言ってもそれぞれの特性があるのです。
また、最近気になっているのは種が発芽する時に、先に出るのは根なのか、葉なのか、と言うことです。調べたので、結果を知りましたが、なるほど納得しました。ぜひお調べして下さい。
種から野菜を育てることで、さまざまな面白さに気づきます。
せっかく教員の書く話なので少し子どもの話をすると、私自身娘が2歳をすぎていて、ありがたく楽しいことにおしゃべりです。
日本語を母国語として、少しずつ身につけている証拠だと思います。
娘がそれこそ喋り始める前、じーっと私や妻などの周りの人の話す言葉をじーっと聞いて蓄えた言葉が出ているのだと思います。
さて、植物の話とからめるなら、娘の口から出てきた言葉が双葉のような発芽だとしたら、やっぱりそこには準備の時間があって、根を張り、言葉の養分を十二分に救えるようになった上で葉として言葉が出ているのではないかと思います。
人の活動はどれも同じではないでしょうか、根を張る準備があり、葉をつける活動の時間がある。それぞれに欠かせない時間です。
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
コリント信徒への手紙1 3章6節
N.T
♪こどもさんびか 103ばん
①「どんなにちいさい ことりでも
かみさまは そだててくださる」って
イエスさまの おことば
②「なまえもしらない ののはなも
かみさまは さかせてくださる」って
イエスさまの おことば
③「よいこになれない わたしでも
かみさまは あいしてくださる」って
イエスさまの おことば
もうすぐ自然教室です。
5月15日~17日まで山中湖のYMCAに宿泊します。
一年生は一泊ですが、二年生~六年生は学年が混ざりあって衣食住を共にします。
大自然の中で神様の恵みを感じながら、子ども達とともに五感をたくさん使って楽しみたいです!
皆が健康でのびのびと、学校から離れた場所で貴重な学びができますように。
M.K
わたしの1日のリセットは、プロ野球ニュースを見ることです。
夫が福岡の出身でホークスの永年のファンで勝った日だけ必ず見ます。
それをなんとなく一緒に見てそのうちうたた寝してしまう、というパターンなのですが。
日常のささやかな平和を感じることができるひと時です。
わたしの1週間のリセットは日曜日に教会に行くことです。
讃美歌を歌い、神様のお話を聞いて、元気をもらいます。
最近は身体障害者の母を連れて通っています。
車いすなので、雨が降らないよう祈りながら。
日々いろんなことがあるけれど、人は何度だってリセットできる。
心も体も元気なわたしで、子どもたちと過ごせますように。
H.S
娘が保育園に入所して、約2か月経ちました。「ママ~」という声に後ろ髪を引かれながら出勤する日々です。でも、私が行ってしまえば案外ケロッとしてよく遊んでいるようです。入所してから大好きになった泥遊び。毎日気持ちよく汚してきてくれるので、『ウタマロせっけん(洗濯せっけん)』の消費も激しく、5月現在で3個目に突入しました…!お風呂に入るときに洗うのですが、最近は娘もお手伝いしてくれます。「水がこんなに茶色になった!」と嬉しそうにする娘と一緒に洋服を洗い、今日あった出来事を話す時間が毎日の楽しみの一つになっています。
保育園に入所する前は、毎日のように公園に行っていましたが、洋服が少し汚れただけでも嫌がっていました。ところが、保育園で本来の楽しさを知った娘は、袖にお腹に背中、ありとあらゆるところに泥をつけて嬉しそうに帰ってきます。友達と一緒に遊ぶこと。泥や水の感触や温度。様々なことを体感できる保育園での泥遊びは格別なのでしょう。
大人は、休息を取ることでエネルギーを補充しますが、子どもは遊ぶことでエネルギーを補充します。遊びは子どもにとってなくてはならないものです。勉強はもちろんですが、心と体をたくさん使って思い切り遊びこめる幼稚園や小学校のこの時間を大切にしてほしいと思っています。
K.S