9-6.受難週の日々

受難週第六日 金曜日 十字架


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 聖パウロはコリント人への手紙の中で、次のように言っています。

 

それ十字架のことばは亡ぶる者には愚かなれど、救わるる我らには神の力なり。(コリント前1・18)

 

またつづけて、

 

世はおのれの知慧をもて神を知らず(これ神の知慧にかなえるなり)。この故に、神は宣教の愚かをもて、信ずる者を救うをよしとしたまえり。

ユダヤ人は、しるしを誘い、ギリシヤ人は知慧を求む。されど我らは、十字架につけられたまいしキリストを宣べ伝う。これはユダヤ人につまずきとなり、異邦人に愚かとなれど、召されたる者には、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力また神の知慧たるキリストなり。神の愚かは人よりもかしこく、神の弱きは人よりも強ければなり。

(コリント前1・21~25)

 

 十字架のないキリスト教はありません。十字架なくして救いはありません。ところがどうかすると、その十字架が忘れられたり、ぼやけてきたりしないとは限りません。十字架によってこそ、福音がはっきりと示され与えられ救いの道が開かれます。このキリストさまの十字架による救いを、わたしたちははっきりと見つめているでしょうか、しっかりと信じているでしょうか。十字架のことばはわたしたちに今何と語りかけておるでしょうか、と祈り反省するのが受苦日の礼拝の目的だと思います。

 

 主イエスさまは、ポンテオピラトの官邸からひき出されて、十字架を背負つて刑場ゴルゴタの丘へと上って行かれます。そのときのことをヨハネ伝には、次のように記してあります。

 「イエスおのれに十字架を負いて、されこうべ(ヘプル語にてゴルゴタ)という処に出でゆきたもう」

(ヨハネ19・17)

 

 ヨハネ伝記者は、(おのれに十字架を負いて)ということに特に重点をおいておるようです。神さまの御子イエスさまがご自分で十字架を負いたもうた。しかしそれは、主イエスさまご自身の負うべきものではありませんでした。それはわたしたちの十字架、わたしたちが負わねばならないものでした。それだのに(イエスおのれに十字架を負いて)あの丘へとお登りになります。

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 しかし、ゴルゴタへの坂道の途中、主イエスさまの力は尽き果てて、十字架の重さに押し倒されました。そのときそこを通りかかったクレネ人シモンという人が捕えられて、無理やりにその十字架を負わされて、主イエスさまのあとについて歩かされました。

 せっかく春の人祭のためにエルサレムに来たのに、強制的にナザレのイエスという人のかわりに十字架を負わされて、クレネ人シモンはとんなにか恥ずかしくまたくやしかったことでしょう。

 このときのことをマルコ伝福音書には次のように書いてあります。

 

時にアレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人、田舎よりききたりて通りかかりしに、強いてイエスの十字架を負わせ、イエスをゴルゴタ(とけばされこうべ)という処につれてゆけり

(マルコ15・22~23)

 

また、パウロはロマ書の中で次のように言っています。

 

主にありて選ばれたるルポスとその母とに安否を問え、彼の母は我にもまた母なり。   

(口マ書16・13)

 

 これを読み合わせてみると、クレネ人シモンの子ルポスとその母、すなわちシモンの妻は主に在りて選ばれた者であり、ロマの教会にあってパウロの伝道のよき協力者となっていたことが分かります。このようなすばらしいクリスチャンホームができたのは、クレネ人シモンが仕方なしではあったが、主の十字架を負うたことに対する天の恵みであったというべきでしょう。主のために十

字架を負うことによってシモンとその家族が救われました。

 朝の九時ごろゴルゴタの丘で主イエスさまは、二人の強盗とならんで十字架につけられました。昼の十二時から三時まで地の上が暗くなり主イエスさまは息を引きとられました。

 その十字架の苦しみの中から七つのみことばをお出しになりました。

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(第一のみことば)―ルカ伝23・34

父よ、彼らを赦したまえ。そのなすところを知らざればなり。

 

 いま主イエスさまは御体を十字架に釘づけられ、天と地との間に吊り上げられ、天に向かい、地にむかって両手をさしひろげておられます。それは地上のすべての人のとりなしのために、父なる神さまの前にさし出されたとりなしのみ手であり、またすべての人を招き寄せ抱き上げようとする赦しと励ましのみ手であったでしょう。

 それは天と地との間に立ちそれをつなぎ合わせようとするみ姿そのものでした。

 そして第一のみことは、それは、

 「父よ、彼らを赦したまえ」

とりなしの祈りでした。

 父よ、彼らを赦したまえ、その「彼ら」の中にあなたが指されている、わたしが呼び招かれている。このみことばにどのようにお答えしましょうか。聖歌第八十九番をもってお答えしてはいかがでしょう。

 

一、釘うたれつつ み子呼ばわりぬ

 知らでこそなせ 父よゆるせと

三、そのあわれみは 十字架のもとの

 仇のみならず われにもおよぶ

四、罪の釘にて 我もかしこき

  み手とみ足の 痛みを増しぬ

五、されどわが罪 つみとも知らず

み言そむきぬ 主よゆるしませ

 

十字架の主を仰いで、わたしたちは言わねばならない、

「主よ、赦したまえ」と。

 

(第二のみことば)―ルカ伝23・43

 

今日なんじは我とともに。パラダイスにあるべし。

 

 主の十字架の右と左に二人の強盗が同じように十字架につけられていました。そのうちの一人が主イエスさまに呼びかけて言いました。

 「おい、君が神の子というなら、自分で助かってくれ。そしておれたちもいっしょに助けてくれ」

すると、もう一人の強盗は、

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「お前は何ていうことを言うか。われわれは悪いことをした報いとして十字架につけられておる、これは当然だが、この人は何も悪いことはしなかったのだぞ」

と言って、主イエスさまの方に顔をむけて、

「どうか、み国に入りたもう時に、わたしをおぼえていて下さい」

と言いました。

 わたしを助けて連れて行って下さい、ではないのです。わたしを助けて下さいとか、わたしもいっしょに天国へ入れて下さい、と言いたいけれど、そんなことを言えた柄ではありません。せめて、ああ、あのとき、一人の強盗がわたしのそばで苦しんでいたなあ、と覚えていて下されば、それで充分です、満足です、というわけです。

これはまた何とすばらしい信仰でしょう。『神さま、ああして下さい、こうしてください、ああ、それで恵まれます、なんていうのてはありません。何か恵みを与えられて、信じますとか、感謝ですというのではありません。

 わたしの苦しみと死、神さまが見ていらっしゃる、キリストさまが決してお忘れなにならず覚えていてくださる、どんな苦しみも悲しみも、主は見ていて下さる、覚えていて下さる、主に知られておる者のよろこびと平安、それが何ものにもかえられない恵みです、そこから勇気が湧いてくるでしょう、のぞみが明るくかがやいてくるでしょう。

 十字架上の強盗のことばに対して、主はお答えになりました。

「今日なんじは我とともにパラダイスにあるべし」

これが十字架上の第二のみことばです。

 たしかにいつか救われますよ、というのではありません。何も良いところはない、悪いことばかりしてきたこの人に「今日なんじは我とともに……」とおっしゃいました。覚えていて下さい、とただそれだけしか言えない人に、この恵みのお答えでした。

 主イエスさまは今わたしたちにも、これを言って下さいます。そうです、お前が死ぬる時まで、たしかにおあずけ、などというのではなく、わたしたちが生きている今日、いま「なんじは我とともにパラダイスにある」と言って下さいます。

 

(第三のみことば)―ヨハネ伝19・26~27

見よ、汝の子なり。 見よ、汝の母なり。

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 十字架のもと、主イエスさまのみ足近くには、お母さんのマリヤ、サロメ、マグダラのマリヤと一人のお弟子などがじっと見守っていました。お母さんのマリヤはその弟子に支えられるようにして悲しみに耐えておられました。

 赤ん坊のイエスさまを抱いてお宮参りをしたときに、シメオンが主イエスさまを見て感謝して歌いました。

 

主よ、

今こそみことばに従いて、

僕を安らかにゆかしめたもうなれ、

わが目は、はや主の救いを見たり。

(ルカ2・29~30)

 

 それからシメオンはお母さんのマリヤに、このお子さんのために大変な苦労をされますよ、「つるぎ汝の心をもさし貫くべし」と言いました。

 その言った通り、マリヤは主イエスさまのためにさまざまに苦しみとおしました。エルサレムに上がったとき十二才のイエスさまが迷子になったかと心配したことをはじめとし、ガリラヤのカナでは結婚式のお祝いなかばにプドー酒がなくなったとき、イエスさまに相談したが、そのときのお返事は「女よ、我と汝と何のかかわりあらんや」という、ぶっきら棒のような冷たいものでした。

 その後マリヤさんは主イエスさまが気違になったのだと心配して、何とかして家に連れ戻そうとさがしに来ました、そのとき主イエスさまのお返事は「わが母わが兄弟とは誰そ、ここにおる神さまを愛する人たちは、みんな我が母、わが兄弟だ」ということでした。何とまあ母と子の縁のうすいことかとマリヤは淋しく悲しかったでしょう。マリヤはどんどん自分から遠く去ってゆくイ

エスさまのことで、心安まるときもなく悩みつづけたでしょう。

 何か何だか分からなくなり、疑ったり迷ったりすることも多かったでしょうが、その折り折りにマリヤを慰め心を落ちつかせ励ましてくれたのは、イエスさまの誕生のときに予告をしてくれたみ使いのみ告げのことばだったでしょう。

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マリヤよ、恐るな、汝は神のみ前に恵みを得たり。

見よ、汝みごもりて男子を生まん、

その名はイエスと名づくべし。

彼は大いならん。いと高き者の子ととなえられん。

聖霊なんじにのぞみ、いと高き者の力、

なんじをおおわん。

この故に汝が生むところの聖なる者は、

神の子ととなえらるべし。 

(ルカ1・30~32、35)

 

 このみ使いのみ告げのことばが、マリヤの一生の間いつでもずっと力になっていたでしょう。時には気違いになったのか、母でも子でもない無縁の赤の他人みたいになってしまったのか、というような気持ちに落ちこんでゆくようなこともあったが、そのたびごとにみ使いの言ったあのことばが思い出されて、精霊によって生まれたいと高き者の子だ、やっぱり神の子なんだという確信に支えられて、今日この最後の時となった。

 しかし、いま目の前で十字架につけられ苦しみ死のうとしているこのわが子イエス、これが果していと高き者の子だろうか。マリヤはこの時になってまた迷わずにはおれなかったでしょう。マリヤは母の痛みで苦しみ、消え入るような気持になったでしょう。そのマリヤに主イエスさまのお声が聞こえました。

 「女よ、見よ、汝の子なり」

 マリヤはハッとして目を上げ、主のみ顔をじっと見つめたでしょう。そして、ああ、そうだ、これはわたしの子、聖霊によって与えられ、お預かりしていた聖なる者、いと高き神の子、そしてわたしの子、十字架にのせて神さまのみ前にさし出し、さし上げねばならないわたしの子イエス、み母マリヤはこのような思いで主のみことばを静かにくりかえし考えたことでしょう。

 「女よ、見よ、汝の子なり」

 今までの悲しみの涙は、熱い感謝の涙となったことでしょう。

 主イエスさまは、お母さんをいたわりつつそばに立っていた一人の弟子に声をおかけになりました。

「見よ、汝の母なり」

 この弟子が誰であったかはっきりしませんが、ヨハネ伝に「イエスの愛したまいし弟子」と書かれてある人ではなかったかと言われています。主イエスさまは、この弟子に。お母さんマリヤをおあずけになりました。「見よ、汝の母なり」とのみことばで、弟子は肉身でない信仰の母を主イエスさまから与えられました。

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 「見よ、汝の子なり」ということばによって、マリヤは十字架の上と下とに自分の子を示し与えられました。

 十字架によって本当に「汝の子」がわかり、あらたに、「汝の母」が与えられる。十字架によってほんとうに母になり子になる、これはすばらしい神さまのお恵みだと思います。

 

(第四のみことば)―マルコ伝15・34

 

わが神、わが神、なんぞわれを見捨てたまいし。

 

 昼の十二時から午後三時まで十字架の苦しみがはげしくなりました。

 

昼の十二時に、地のうえあまねく暗くなりて、三時に及ぶ。三時にイエス大声に「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と呼ばわりたもう。これを釈けば、わが神、わが神、なんぞ我を見捨てたまいし、との心なり。

(マルコ15・33~34)

 

 正午から三時まで地の上全面が暗くなった。というのは多分日蝕のためだったのでしょうが、ゴルゴタの丘の十字架を見守っていた人たちにとっては、それは日蝕以上の暗さで、地の上あまねく暗くなったと感じられたことでしょう。その暗い闇の中から、あえぎあえぎ主イエスさまのかすれ声が聞こえました。

 「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」

わが神、わが神、なんぞ我を見捨てたまいし、と声のかぎり、力のかぎり、神さまに呼びかけていらっしゃるのでした。これは旧約聖書の詩篇第二十二篇の最初のことばでした。多分これは主イエスさまが幼少のころから、幾度も聞かされ教えられ暗誦させられていた愛唱の詩であったでしょう、そしてこれがこの暗闇の苦しみの中で神さまへの呼びかけの祈りとなってくりかえし口ずさまれたのでしょう。 

 

わが神、わが神、なんぞ我を捨てたもうや、

いかなれば遠く離れて我を救わず、

わが嘆きの声を聞きたまわざるか、

ああ、わが神、われ昼呼ばわれども、

汝こたえたまわず、

夜よばわれども、

われ平安(やすき)を得ず。

(詩22・I~2)

 

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 神さまはわたしを捨てて遠く去りたもうたのか、神さまはわたしの祈りをお聞きにならないのか、わたしは昼も夜も不安でたまらない。詩第二十二篇はこのように暗くみじめな調子ではじまっています。神さまから遠く見はなされてしまって平安がない、今このようなお気持で主はこの詩を十字架の上で口ずさみなさいます。

祈りの詩は次のように続いています。

 

さはあれ、イスラエルの賛美のなかに往みたもう者よ、

汝はきよし。

われらの親たちは汝によりたのめり、

彼ら、よりたのみたれば、これを助けたまえり、

彼ら、汝を呼びて助けを得、

汝によりたのみて恥を負えることなかりき。

(詩22・3~5)

 

 しかしながら……と、主なる神さまを思う。昔から今まで先祖たち親たちは主なる神さまによりたのみ、主を呼び贅美しつつ助けられ、恥を負うことはなかった。

 

されど汝は我を胎内よりいだしたまえる者なり、

わが母のふところにありしとき、

すでに汝によりたのましめたまえり、

われ生まれ出でしより汝にゆだねられたり、

わが母われを生みし時より汝はわが神なり。

(詩22・9~10)

 

 わたしは生まれたときから、いや、まだ生まれ出でぬときから、主のみまもりのうちにあり、そのみ手にゆだねられてきた、おゝ神さま、わが母われを生みし時よりあなたはわたしの神さまです。それゆえに、

 

われ汝のみ名をわが兄弟にのべつたえん、

汝をつどいの中にて、ほめたたえん。

主をおそるる者よ、主をほめたたえよ。

ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ、

イスラエルのもろもろのすえよ、主をかしこめ。

(詩22・22~23)

 

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 暗い調子ではじまった詩第二十二篇は、このように神さまを仰いで、明るく高い調子になってゆきます。

 

主は悩む者の苦しみを軽しめすてたまわず、

これにみ顔をおおうことなく、

その叫ぶとき聞きたまえばなり。

(詩22・24)

 

 いま、「地の上あまねく暗く」なる思いのする十字架の上で、主は悩む者を捨てず、み顔をかくしたまわず、わが神、わが神と呼び求める声を聞いておられる父なる神さまを、身近に思いなさったことでしょう。そしてさらに続く詩のことばをば、主はいまご自身の祈りとして、ささげられたのではないでしょうか。

 

地のはてはみな思い出して主に帰り、

もろもろの国のやからは、みなみ前に伏し拝むべし。

国は主のものなればなり、

主はもろもろの国人をすべおさめたもう。

民のすえのうちに主につかうる者あらん、

主のことばは世々に伝えらるべし。

彼らきたりて、こは主のみわざなりとて、

その義をのちに生まるる民にのべ伝えん。

(詩22・27~28、30~31)

 

と、明るい望みの光のさしてくるような調子でこの詩は終わっています。

 

(第五のみことば)ヨハネ19・28

 

主のお苦しみはますますはげしくなりました。そして、

われ渇く

 

 とただそれだけあえぎあえぎおっしゃいました。しかしそれはただ体のお苦しみだけではなかったでしょう。

聖歌第九十三番はそのことをよく示しておるようです。

 

一、   あらゆる泉を、つくりましし君

    苦しみ叫べり、「われかわく」と

二、   いたでの苦しみ いたづきの悩み

    ことごと現わる このみ声に

三、   かわきしたえるは ましみずのみかは

世人のたわをも わが魂をも

 

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 主イエスさまの渇きは、水がほしいという体の渇きだはではなくて、世の人々の魂をかわきしたわれる全身全霊の渇き痛みでありました。そしてその渇きの中でわたしたちも求められています。主はご自分の渇きの苦しみの中に世の人々の魂を一つももらさず入れて神さまのところへ連れて行きたいと望んでおられたのでしょう。

 ところでわたしたちはどうでしょう、主イエスさまが今もそのようにわたしたちを渇き求めていらっしゃることに気がつかず、うっかりしていることはないのでしょうか。

 あなたの口からもっと賛美の声を聞かせてくれないか、もっと感謝の歌を聞かせてくれないか、と主はわたしたちに渇き求めておられるのではないでしょうか。

 

(第六のみことば)―ヨハネ伝19・30

 

 事終わりぬ

 

 しばらくの沈黙のあとに出たみことばは「事終わりぬ」でした。これは、終わった、何もかも済んだ、というひとり言ではありません。父なる神さまと全世界の人々へ向かって事が終わったというご報告であります。「事」とは、主イエスさまが神さまからゆだねられていたところの「事」すなわち救いの大業でした。

 事終わりぬ―神さま、あのことが終わりました。そしてこの世のすべての人に向かって、事終わりぬ―あなたたちのための救いの大業が今終わった。救いが完成したとの宣言報告だったのでしょう。

 

(第七のみことば)―ルカ伝23・46

 

父よ、わが霊を御手にゆだぬ

 

 いよいよ最後の時となりました、ルカ伝に次のように記されてあります。

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昼の十二時ごろ、日、光をうしない、地の上あまねく暗くなりて三時に及び、聖所の幕、真中より裂けたり。イエス大声に呼ばわりて言いたもう。

「父よ、わが霊を御手にゆだぬ」

かく言いて息絶えたもう。

百卒長このありしことを見て、神をあがめて言う、

「実にこの人は義人なりき」 

(ルカ23・44~47)

 

 主イエスさまの十字架上での、七つのみことばは「父よ」ではじまり「父よ」で終わっています。

きびしい一生の歩みが苦しみ痛みの極みで終わりになるそのとき、主は「父よ、わが霊をみ手にゆだぬ」と仰せになりました。わたしたちもこの世の終わりのとき、このように祈りながら終わることができたら幸せだと思います。

こうして主の十字架が終わりました。そのとき地震で地はふるいエルサレム神殿の聖所の幕が裂けたと聖書には記してあります。それは神さまとわたしたちとの間をへだてる幕でした。しかもその裂けかたは、

「聖所の幕、上より下まで裂けて二つとなりたり」

と、記されてあります。人が自分の知恵と力によって幕を下から切り開いて神さまに近づくというのではなく、主イエスさまの十字架によってへだての幕が上から下にと切り裂かれて、救いの道が開かれたということです。

今もわたしたちが主の十字架を信じ受けいれるならば、へだての幕が神さまの方から裂かれて、神さまとの交わりに入れていただくことができます。

十字架の日を記念します受苦日の今日、このようなすばらしい恵みの仕方で救いの道が開かれたことを感謝し、キリストさまの十字架のみわざを賛美しつつ、そのみあとに従って生きてゆきたいと思うのでございます。

 

1987年4月17日 受苦日

大口教会にて