9-4.受難週の日々

受難週第四日 水曜日 ベタニヤの里で


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 受難週の水曜日でございます。主イエスさまは、今日はエルサレムにお入りにならず、ベタニヤで静かな一日をすごされました。マルコ伝十四章の一節から十一節までに今日水曜日の出来事が記されてありますが、しかし、その話の順序がおかしいところがあります。それは十四章の一節二節です。

 

さて過越と除酵との祭りの二日前となりぬ。祭司長学者らたばかりをもてイエスを捕え、かつ殺さんと企てて言う「祭りの間はなすべからず、おそらくは民の乱あるべし」          

(マルコ14・1~2)

 

とありますが、これは順序が入れかわっているのでありまして、三節から九節までにあるベタニヤでの一日のことが終わったあとにくるべきでしょう。すなわち一節と二節を九節のあとにつづけて読めば、話のすじがすっきりとするわけであります。

主イエスさまは、今日は一日ベタニヤですごされました。ベタニヤの里は、主イエスさまにとっては、心おきなくおれるところだったと思われます。いよいよ十字架に向かわれる、そして最後を迎えられるその前に、主イエスさまはこの村で静かに一日をすごされます。

 しかし、これはただ一日が休みというのではなかったでしょう。明日からの大変な時を迎えるための準備の一日だったでしょう。きのうはエルサレムで激しい反対と攻撃にあって一日をすごされた。そして明日からはもっと大変なことになるその前に、主イエスさまも弟子たちもきのうの一日を共に考え、きたるベき明日からのことに対処する心の備えが必要だったでしょう。それでこの

一日は、反省とこれからの新しい歩みへの心がまえをするための大切な時だったでしょう。主イエスさまにとってはこれは、父なる神さまと共にすごす大切な祈りのときだったのでしょう。今日この一日をどんなにか祈り深くおすごしになったことでしょう。 

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この日主イエスさまは、ベタニヤの村でらい病人シモンの家に食事に招かれました。たぶんこの人は、らい病にかかっていたので、みんなから除け者にされていたでしょう。しかし、この人は主イエスさまによって癒やされました。ですから長いあいだらい病人として除け者にされ差別されていましたが、今では癒やされたらい病人シモンとして人びとに愛され、主イエスさまの不思議なみわざのあかし人となっておったでしょう。彼がいま主イエスさまをお招きしたのは、ただいっしょにご飯を食べるためということだけではなかったでしょう。シモンにとっては深い感謝と信仰のあかしのための会食であったのでしょう。

  主イエスさまは、そのあたたかいま心と愛にみちた申し出を快くお受けになって、らい病人シモンの家にお入りになりました。しかし、ベタニヤの村では、顔をしかめる人もあったでしょう。なんてイエスさまはらい病人シモンの家でご飯を召し上がるか、と心おだやかでない人たちもいました。そういうことは、イエスさまはすでにご存知で、だからこそ喜んでシモンの家に招かれて行かれたのでしょう。

 これは、主イエスさまとらい病人シモンとのうれしい証しの会食でしたが、それはまた、ベタニヤの里の親しい人たちとの別れを惜しむひとときともなりました。

 ところがそのときに一人の女の人が、ナルドの香油のはいった石膏のつぼを持ってきてそれを割り、その香油をイエスさまの頭に注ぎかけました。するとそこにおった人たちが怒って、これはまたなんと無駄なことをするものか、この油を三百デナリあまりに売って貧しい人にほどこすことができたものを、なぜ無駄にイエスさまの頭に流したのかと、ぶつぶつ言いました。一デナリというのは当時の労働者の一日の賃金でしたから、三百デナリというのは三百日分、約一年分の収入です。だから大変なものでしょう。そのような高価な油を流した、それをとがめておるのをイエスさまはご存知になって、おっしゃいました。

 

何ぞこの女を悩ますか、われによきことをなせり。貧しき者は常に汝らと共におれば、いつにても心のままに助け得べし、されど我は常に汝らと共におらず。この女は、なしうる限りをなして、わが体に香油をそそぎ、あらかじめ葬りの備えをなせり。

(マルコ14・6~8)

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主イエスさまと弟子たちは、この前の日曜日にエルサレムにお上りになってから今日まで、夜になればベタニヤの村に帰ってきて、そこで野宿をしていました。そういうことでしたから、イエスさまに油をそそいだということは、これはまあ言わばお風呂に入れてあげたようなことでしょうか。こうやってイエスさまのお体を清めてあげた、これはまことに心優しい仕方だったと思います。

イエスさまはどんなにかお喜びになったことでしょう。

 主イエスさまは、この女は、わたしによいことをしてくれたと言っておられます。そのよいこととは何でしょうか、主イエスさまは、この女はわたしの体に香油を注いで、わたしが死ぬるための仕度をしてくれた。それがわたしのためによいことなのだ、と言われたのでしょう。そしてまた言われました。

 

まことに汝らにつぐ、全世界いづこにても、福音の宣べ伝えられるところには、この女のなししことも記念として語らるべし。 

(マルコ14・9)

 

 こんなにイエスさまがお喜びになりました。しかし、油を注いだということが、どうして全世界に語り伝えられるほど重大な意味があるのでしょうか。それには何か大事な理由があったのでしょう。

「福音の宣べ伝えられるところいずこにても、この女のしたことが語られ」ねばならないと言われている「この女のしたこと」とは何でしょう。それは、石膏のつぼを割って三百デナリもする油をぬったというそのことでしょうか。それだけではないでしょう。全世界福音の宣べ伝えられるところはどこでも、それが伝わらねばならないというほど重大な意味をもっている、それはこの女の人の優しい心、親切な心、これはいいお手本ですよ、全世界に福音と共に宣べ伝えなさいというのでしょうか。ただそれだけではないと思います。

 

  「わが葬りのために備えをなした」

 

この女の人が、主イエスさまが死ぬべき方だと知ってか、知らずにか、油を注いだ。知らないで油を注いだにしても、主イエスさまは死ぬべきわたしのために、こういうふうに準備をしてくれたとお受け取りになった。

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 主イエスさまのなぞのような言葉を、この女の人は、はじめはわからなかったでしょうが、十字架がすんであとになってみたら、ああ、そうだったのかとわかったでしょう。ですからここで大事なことはイエスさまとこの女の人との間柄が、死ぬるということでかかわり合っていたということです。主イエスさまはそれをちゃんとご存じになってお受けになる、しかし女の人は、これがまさか死ぬる人への準備になるとは知らないで、精いっぱいの親切を注いだのでありましょう。

 この女の人は誰だったか、それはわかりません。ベタニヤの里のマリヤだったのだろうと言う人もありますが

(ヨハネ11・1、12、13)、ルカ伝福音書では「罪ある女」と言ってあります。(ルカ7・39)、「罪ある女」から想像して、これは七つの悪鬼を追い出してもらったと言われているあの罪深き女、マグダラのマリヤだったのだろう、というような伝説まで出てきました。しかしそれが誰であったかわかりません。

 マグダラのマリヤであったか、またベタニヤの里のマリヤであったか、結局だれてあったかはわかりませんけれども、自分が赦され、救われた感謝と喜びをそんな仕方であらわしたのでしょう。これは名もなき、罪ふかき女の人の信仰の証しの話であります。

 主イエスさまに香油を注ぎかけた女の人は、わたしはこの方によって救われた、赦された、という感謝と喜びと尊敬の気持で、この香油を注ぐ。それが精いっぱいのお礼であり奉仕であったのでしょう。

 しかし、主イエスさまはそれを受けるときに、ただ信仰と感謝の証しとしてではなくて、死ぬべきものとのかかわりにおいての奉仕としてお受け取りになったのでしょう。ですからこれは全世界の福音が伝わるところに伝えられねばならないということでしょう。

 それはただ油が注がれたという話ではないのです。このとき油を注ぐのは何のためだったのかそれが問われねばなりません。

 死ぬべき体に香油を注ぐ、という仕方で主イエスさまとかかわり合う、すなわち死ということによって主を仰ぎ、主を信ずるということが大切なのでしょう。

 主イエスさまの死という問題。主イエスさまが死んで下さる、そのことにわたしがどうかかわり合っておるか。主イエスさまの死が、わたしに何のかかわりがあるのか、それを福音の伝わるところどこででも、はっきりさせなさいということでしょう。

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 福音が伝えられるとき、伝道がなされるというときには、この主イエスさまの死ということを、伝道戦線の最前線に大きく、はっきりと示さねばならないということでしょう。この主イエスさまの死をはっきりと示し伝えなければ、いくら何年伝道してもそこからは実は結ばれません。

 「全世界いずこにても、福音の宣べ伝えらる所には、この女のなししことも、記念として語らるべし」

 やはり福音が宣べ伝えられるところ、そこにはこの女の人のしたことが、語り伝えられねばならない。

 それは油を注ぐことによって、死に向かわれる主イエスさまにおつかえしたこと、それが大切なことであったということでしょう。

 主イエスさまが十字架で死なれたあとで、この女の人は、自分の割った石膏のつぼ、注ぎかけたあの香油を思いかえして、その意義がどんなに深かったか、またどうして主イエスさまはあのようにお喜びになったのか、だんだん分かってきたでしょう。

 そして、それを福音の宣べ伝えられるところにはどこにでも語り伝えよとの主のみことばを、くりかえし味わっているうちに、その心の目は開かれたでしょう。

 わたしが主にさし上げたナルドの香油は、あの時流れて無くなってしまったのではない。もっと流し続けねばならない、油でない油を。

 というような証しに燃ゆる思いを深くされたのではないかと思うのでございます。

 

1984年4月15日 復活前水曜日

大口教会にて