大学同窓会誌寄稿
大学同窓会誌寄稿
ヘリテージマネージャー(HM)へ
ヘリテージマネージャーとの出会いまで
1981年(26才)大学院を修了し1年後に地元の設計事務所に勤めることになり、この時に強く想い、それまでお世話になった方々へ送った手紙の中に「故郷に帰る以上は故郷でしかできないことをやりたい」と書き込んだ、ただしその時点でそれがどのようなものかは漠然としていた。
社会人となり事務所で与えられた仕事に取り組み、縁があり入会した建築士会で志を共有できる仲間達との出会いもあり、青年部という比較的自由な場で様々なことを行うことができ、その時に始めた「建築セミナー」は現在でも世代を超えて受け継がれている。
1989年(34才)私にとって「故郷でしかできない」と思える出会いがある。それは県北の南郷村の「百済の里づくり」という地域づくりであり、その後柴設計として独立した後も引き続きソフト・ハード両面で、歴史的建造物(百済の館・西の正倉院・鐘楼)や伝統的工法による建物(村民の手による茅葺屋根の南郷茶屋)に関わることができ、その時のことは同窓会誌「NICHE Vol.25」の(同窓生を訪ねて 宮崎県南郷村「百済の里づくり」: 柴睦巳)で紹介していただいた。
次に1996年(41才)に2度目の「故郷でしかできない」との出会いがある。それは南郷村での取り組みがほぼ終了した後に隣接する諸塚村との出会いであり、この村は1993年に朝日森林文化賞を受賞し、当時村内で産出される木材を使った「諸塚村産直住宅」を模索していた。すでに他県の設計事務所がプロデュースする委員会が発足していたが、役場の若い担当者から委員会への参加と発言を求められた。南郷村で経験した関係者参加型の取り組みを参考にソフト面を重視した内容とし、地球環境と森林保全、地産地消、職人技術の伝承、建築主家族の住まいづくりへの積極的参加をキーワードとすることを提案、その後、九州限定での「諸塚村産直住宅」が各県で展開されることになり、また村内の古民家再生による宮崎県初のグリーンツーリズムをソフト・ハードの両面で取り組むことになった。
この二つの村での取り組みは建築ジャーナルで「南郷村物語」、「諸塚村讃歌」というそれぞれのタイトルで連載の機会をいただき、また建築士会連合会が2005年に発行した「地域発・三重奏の響き」の中で(「里山からの物語づくり」の仕掛け人)というタイトルで、全国でまちづくりに取り組む30人の1人として紹介された。
「百済の里づくり」で地元の茅で村人による茅葺
韓国から寄贈された鐘のための夕照楼
ヘリテージマネージャーとの出会い
2013年(58才)に日本建築士会連合会で進められているヘリテージマネージャー(HM)という存在を知り興味を持った。阪神淡路大震災が要因でHMの必要性を認識した文化庁も支援しており、HMの育成が全国に広がり、宮崎県内でも100名のHMを目標に育成をスタートすることになった。
私自身、建築士会活動は青年部(〜40才)の時は熱心に取組み、結果、自身のスキルアップになったが青年部終了後は会費納入だけの会員となった。HM養成の話を聞いた時に、私のその後の社会貢献の一つに成ると思い三年間限定でこのHM養成講座実施委員会の委員長を自ら引き受けた。
当面HMの取組は業務としての可能性は低く、建築に携わる者の自己満足にしか過ぎないが、大学時代に山崎研、伊藤研と歴史に関わる研究室での経験、南郷村の百済の里づくりへの参加などで、民家や歴史的な建造物に関わり、その時々の専門家との繋がりもあり、そして全国のHMのとりまとめが本学の後藤治氏だということを考えると与えられた使命ではないかと思えた。
HM養成講習会に取組む
2013年に委員会を発足し1年間の準備を経て2014年5月に第1期HM養成講座がスタートする。講座内容は将来のHMの資格認定に配慮したカリキュラムが日本建築士会連合会で決められている。講座は二つに分かれており「講義」と「演習」で、オリエンテーションからはじまり、HMの基礎知識、技術編(建築修復の技法・工法)、まちづくり編、登録文化財と指定文化財の調査と報告書作成、最後に受講生による「私が見つけた歴史的建造物」の報告となっている。
多くの県での講習会は地元大学との連携で進められているが、宮崎県には建築学科のある大学がないので、全国に講師を求める事ができた。それぞれの分野で最も知識と経験が豊富な方を選び直接連絡を取り講師をお願いした。
講師選定は講習会の魅力付けにもなり講座内容によっては受講生以外の参加者も募ることにした。特に近現代建築として日南市文化センター(丹下健三)を取り上げた時には、丁度、新建築社から「丹下健三」が出版され、その著者である藤森照信氏に講師をお願いした。そのことを建築士会九州ブロックに告知しすると九州全県から200名以上の参加希望者となった。
通常、建築士会委員会の構成メンバーは各支部からの推薦だが、より充実した講習会にしたく熱心な9名にお願いしスタートする。講座内容に興味を持つ修了生が「ぜひ委員となり講座を企画したい」と3期目には17名になった。
受講生
「ひむかヘリテージ機構」の設立
2017年2月に3期目が終了し計108名が受講し全講座(60時間)修了した83名のHMが誕生した。養成講座終了後に修了生の中から希望者を募り、1年をかけてHMの活動をどのように進めていくのか検討し、2018年6月に新たな代表による新組織「ひむかヘリテージ機構」がスタートする。
前年に国登録有形文化財指定(2017年5月)を受けた宮崎県庁本館講堂で設立総会を行い、機構立ち上げまでの経緯について説明し私のまとめ役としての役割を終えた。その後は世話人会の一人として若い代表をサポートしている。
宮崎県庁 本館
HM歴史的建造物へ(再生)
私自身立場上、 3年間(計180時間)の講義・演習を受講、そして業務で取組んでいた「諸塚村産直住宅」により、伝統的な木造建築に詳しいという評価を得て、戦後間もなく建てられた築64年のS邸のリノベーションの機会をいただく。70坪以上の平家で先代が建てた建物を高齢の息子と孫がこれからも大切にしたいという意向を受け取組むことになった。将来の国登録有形文化財指定の可能性を考慮し外観保持を前提に、これからの快適な生活を考慮したリノベーションとなった。
S邸リノベーション
HMとして歴史的建造物へ(所見作成)
高鍋町内の1862年に建てられた旧武家屋敷「旧吉田家住宅主屋」を国登録有形文化財にしたいとの所有者(フランス在住の日本人)Tさんの想いを受けて所見を作成することになり、その中で「建物は、幕末から明治、大正、昭和,平成と時代の推移による家族のあり方や、その時の所有者の社会的立場、そして家族に対する想い等により少しずつ変化している。
幕末の中・下級武家屋敷の形態を骨格として残しつつ、時代の変化に対応してきた事例として、日本の近世から現代までの住宅変遷を確認できることは、建築学上貴重な資料となり遺産でもある」と評価し、2018年5月に県内92番目の国登録有形文化財となった。
次に国登録有形文化財申請のための所見作成は、都城市内に1926年に建てられた旧江夏岩吉家住宅である。この建物は棟札に大正15年5月30日に上棟と記載があり当時の姿をそのまま残している、所見では「明治以降、日本家屋の間取りは様々な変化を遂げてきた。
伝統的な和風住宅に洋風の考え方による住まい方が徐々に取り入れられた。地方の有力者の住宅ではそれが洋館という姿であったり、それまでの伝統的な間取りに生活の洋風化という形で現れてきた。江夏家住宅においても関わった建築家大久保佐太郎の試みなのか、家族の生活の変容なのか、その兆候を見ることができる。
玄関和室から三部屋が繋がる「続きの間」がありながらも、それぞれの部屋を通らずに各室にアプローチできる動線、そして居室部分と水回り部分を明確に分けるゾーニングがそれにあたる。また女中室の取り扱いは時代を反映している。
明治に入り戦後までの間に日本の住宅は徐々にだがその形を変えていく、その中でも江夏家住宅は書院造からスタートした和風住宅が、そのゾーニングと戦前という時代背景の中で作られた中流階級の住宅であり、今日までほぼ当時の姿で残されている貴重な建物であり、所有者が自身の事業である日本の伝統食品の味噌・醤油の普及活動の場所として取組んでいることを考慮すると、食材とともに末長く保存活用されていくことが望ましい。そのためにも国の登録有形文化財として指定されることを強く望む」とまとめ、2023年5月に県内109番目の国登録有形文化財となった。
旧武家屋敷「旧吉田家住宅主屋」
旧江夏岩吉邸 床の間
HM熊本地震による歴史的建造物の被害調査へ
2016年4月に熊本県と大分県で発生した「熊本地震」は、九州各県のHMにとっては忘れることのできないものとなった。地震発生前から建築士会九州ブロック会では大地震発生時の相互応援に関する協定が結ばれ、事前にその時のための演習が2ヵ年にわたり大分県日田市と鹿児島市で行われていた。
宮崎県のHMは3回それぞれの地域に赴き歴史的建造物の被害状況を調査し、その時に応援主官県となっていた福岡県建築士会に報告した。宮崎県のHMは、5月に球磨地方に8名、7月に八代地方に18名、9月に別府市に4名調査に参加している。
フランスへの誘い
ただし、この取組みには後日素晴らしい出来事が待っていた。フランス在住のTさんには同居しているジュネーブに勤める息子D氏がおり、彼とは数回高鍋町で会い周辺の私が設計した住宅を案内し、またS邸のリノベーションにも大変興味を持っていた。所見作成が終わった頃、二人からフランスの自宅に来て欲しいと誘いを受けた。
その住宅は18世紀に建てられ、農家時代の雇用人達が使っていた三層のスペースをリノベーションするために、その基本計画を私にして欲しいということで、期間は2週間、基本計画の費用、飛行機のチケットと宿泊は準備する、そして週末には私の希望する所に案内するというものであった。
フランスのご自宅へ
周辺の住宅を見学
ル・コルビジェ建築との出会い
2017年(63才)の誕生日翌日から2週間フランスに行くことになった。場所はジュネーブ近くのChevryという町で、ジュネーブ国際空港から車で30分ほどの所、近くの丘に登るとスイスアルプスが一望できる。石造りの伝統的な建物の中で寝泊りしながら平日はブランを練り、週末には近郊のル・コルビジェの建物を見学するというまさに人生最高のバカンスを味合うことになった。
最初の週末はレマン湖の湖畔に立つル・コルビジェの「母の家」、翌日はル・コルビジェが生まれたLa Chauk-de-Fondsを訪ね10代後半で設計した、ファレ邸・シュトッツァー邸・ジャクメ邸・ジャンヌレ邸を見学する。
2度目の週末は南仏の1泊2日の旅、初日はラ・トゥーレット修道院を設計する時に参考にしたと言われている「ル・トロネ修道院」、私の本棚に「粗い石」があり、仕事で疲れた時に少しずつ読み進めていた。まさかその舞台となっているル・トロネ修道院にいくことができるなんて想像だにしていなかった。次の日にはラ・トゥーレット修道院を見に行く。この時のことは私のブログ「柴睦巳・備忘録」のカテゴリー「モンブランの見える村から」で紹介している。
ル・トルネ修道院
ラ・トゥーレット修道院
ひむかヘリテージ機構の世話人として
現在「ひむかヘリテージ機構」世話人の1人として、2019年から文化庁からの補助で毎年3、4回のペースでHM修了生を対象としたスキルアップ講座を実施している。最も新しいところでは2025年3月に今後県内で登録有形文化財建造物の候補として取り上げられる可能性の高い、明治後期から戦後までに建てられた有力者の住宅をどのように評価すれば良いのかというテーマで、日本の近代住宅について詳しい内田青藏氏を招いて講習会を実施した。
内田氏の最終講義テーマ(再考”洋風住宅”開拓史ー「あめりか屋」を中心にー)の中で取り上げられた、大正時代の住宅改良運動の立役者であった「あめりか屋」の創業者「橋口信助」が宮崎県日南市飫肥出身であることは受講者にとって大変興味深いものとなった。
HM修了生と共に県内の歴史的建造物へ
2018年(64才)から都城市文化財保護審議会委員となり、2022年6月からは宮崎県文化財保護審議会委員も兼任し、地域の歴史的建造物の「発見・保存・活用」について取り組んでいる。
HM養成講習会を取りまとめた立場として、HM修了生が地域の歴史的建造物に関わる機会が少しでも増えることを願っており、その一つが2025年度から県内のHM修了生に呼びかけ、よりスキルアップしたHM修了生を県内各市町村の文化財保護審議委員会へ建造物担当委員として推薦できればと考えている。
そのために宮崎県建築士会の「ヘリテージ委員会」の一委員としてこの取り組みを始めている。
2025年(70才)3月 柴睦巳(1981年修士課程修了)