1日目
2017年7月26日
フランス在住の友人をたずねてジュネーブ近くのフランスの村へ向かう。宮崎空港から、福岡空港、ヘルシンキ空港、ジュネーブ空港経由。
宮崎発福岡行きのJALの客室乗務員アナウスで「本日は日本航空、フィンランド航空の提携便へのご乗車ありがとうございます」との挨拶があり「ええ」と思う。機内預かり荷物は、福岡でも、ヘルシンキでもなくジュネーブで直接受け取る。
宮崎発は26日の7時35分、途中2回の乗継後、ジュネーブ着は現地時間の18時10分、合計の所用時間は17時間35分かかり、竹の会研修旅行以来の4度目のヨーロッパとなる。
今回は、友人D君の1700年代に建てられた建物のリノベーションの基本計画が目的、事例を見たいということで知合いの住宅を数件見せていただくことになっている。
他に見たい所はないかとの問いに、プロヴァンスの「ル・トロネ修道院」をまずあげ、その後で時間があれば「ル・コルビジェ」が10台後半につくった住宅、そして「ル・トロネ」を参考にしたと言われている晩年の「ラ・トゥーレット」をリクエストする。
2日目
ゴッドマザーの家
初日、時差の関係で24時間起きていた。2日目はいつものように6時には目覚める。朝はいつもと同じ軽めの朝食を済ませ、今回のリノベーションを予定している建物を見学し、午前中は現在施工中の現場を見せていただく。
午後からはD君のゴッドマザーの民宿兼ご自宅にお邪魔し、200年以上前に建てられた建物の改装内容についてお話を聞く。その後、子供の頃にお世話になったというイタリア人の左官職人さんのお宅を見せていただき、近くの古い集落を散策後、レマン湖が見下ろせる丘に登る。
レマン湖の向こうには全容は見えないが、モンブランの一部が雲の合間に確認できる。日本とは違った風景があり異国にいることを改めて実感する。
ゴッドマザーの家
最も古い部分は16世紀のもの、現在は民宿としても使われている。ゴッドマザーはアーティスト、様々な作品、そして手作りの家具が至る所にある。
正面の大きな建具は以前は納屋の出入口として使われていた、現在はリビングの開放的な窓となっている。この地方の多くの古い建物には、このアーチ状の大きな開口部を持った建物があり、地域の特色の一つとなっている。
建物の出入口は左側、入るとすぐに食堂テーブルがあり、正面には手作りのオープンキッチンがあり、オーナーの人柄も合わせインテリアは特徴の一つとなっている。2階のロフトはD宅と同じように、広い空間となっており、小さな子供にとっての遊び場となっている。
3日目
6時半起床、朝食後、今日はD君はお仕事、毎日国境を超えジュネーブへ行く。朝食後B氏とTさん三人で9時までお話し、その後、部屋の机に向かいエスキスをはじめる。
建築主側の要望を明確につかめていない点があるため、まずは現状自立型で案を作ることにする。そして、その中で問題点を探り、次の段階への足がかりとする。
外は晴れ、中に居ると少々足元が寒いので外に出ると暖かく気持ちが良い。庭のテーブルに場所を移動しエスキスを進める。
そのままランチは外のベンチでいただくことになる。日差しはあるが全然暑さを感じない、湿度が低いせいか、それにしても空が高い、青空。
夕方、ご主人より散歩に誘われる。集落の脇をすり抜け、馬の放牧地の間を歩き、草原の脇を進み、林の中に入り、川を渡り、樹齢350年のポプラの木、たわわに実をつけたりんごの木の横を通る。途中、落ちている果実を頬張る。
本当の自然なのか、長年に渡り手をかけて作り上げてきたものなのか、間近に迫るジュラ山脈からの裾野と相まってとても素敵な景観である。緑の中の住宅も、それなりに景観に貢献しているものが多い。
散歩から帰り、シャワーを浴び、再度エスキスを再開する。7時過ぎにご家族と夕食、インゲンを炒めたもの、中にチーズの入った餃子みたいなもの、トマトのサラダ、いずれも口に合い美味しい。
食後、平面と断面パースを使い、現状を前提としたプランを説明する。天窓からあかりを三層となる室内にいかに展開させるのか、今回の計画の大きなテーマとなっている。階段と吹抜け、そしてそれに付随する本棚が大きな特徴とした案、断面上の問題点はあるが、プラン内容は皆さんとても気に入った様子。
その後は明日のツアーについて三人で検討し、12時にベットに入る。
4日目
Blaise Ph Junod氏
アトリエ兼自宅
ル・コルビジェ
母の家
昨夜ベットに入ったのは12時過ぎ、それまでTさん、D君と打合せ、今朝はいつものように6時半頃に寝覚める。今日はディスクワークは無し、D君が週末の休みを利用し、以前から打合せしていた所を見に行く。まずは、朝市、近くの比較的大きな町の役場の広場と周辺の道路で毎週開かれているメルシェ(朝市)、到着すると大勢の人、ただしバカンス期間中のためいつもの賑わいではないとのこと。
屋台内容は、加工された食べ物(お菓子・ピザ・パエリア見たいなもの・)、食材(魚・野菜・果物・有機野菜・チーズ・生ハム・)、衣類、カバン等等、様々な国の人が、それぞれ特徴ある品物を売っていて、お国柄を楽しむことができる。
川南町で行われている軽トラ市に行ったことはないが、ここでも屋台の後ろには大きな車が横付けされており、大量の食材が並んでいる。近辺にはスーパーマーケットもあるが、食材についてはほとんどの人がこのメルシェで買物をするらしい。
朝早く一人で行かれたご主人と魚屋さんで合流、買物かごにはすでにいくつかの食材が入っている。スイカとメロンを専門に扱っている屋台で、二種類のスイカとメロンを試食する。両方、食べ慣れたいつもの味、湿度が低いので汗もほとんどかかない、その分水分補給もあまりしていないせいか、果物のみずみずしさが美味しい。
メルシェの後、レマン湖湖畔にアトリエ兼自宅を構える地元建築家(Blaise Ph Junod氏)を訪ねる。この方、直線年齢は聞かなかったが、おそらく私より10歳ほど年上ではないか。
町の中心商店街に面した建物で、1階には2件の店舗が入っている。エレーベーターで最上階の4階まで上がる。この建物は16世紀に作られた物をリノベーションしたもの、レマン湖に面して長さ10m、奥行き1.8mのベランダがあり、ここから正面の庭に奥さんが使われている木造平屋の陶芸用アトリエ、菜園、そして芝生の庭がある。その庭先にはレマン湖、アルプスの山並みと続いていく。地元でも最高のロケーションなのではないか。
建物ロフトを利用したアトリエ兼自宅は、小屋組を解放した一体空間、スペースを区切り、機能が必要となる部屋(シャワー室・便所)はデザインされたコンテナユニットとして置かれている。また細部に至るまでデザインされている。1時間半ほど内部の説明を受け、ベランダでコーヒーをいただき、その後、庭、そしてレマン湖畔の遊歩道に降りる。
次はローザンヌ工科大学の図書館へ向かう。こちらに来る前に建築の本がたくさんある場所をリクエストしていたら、ここに案内してくれた。建物の設計は妹島和生さん、建築雑誌で以前見ていたが、思いもかけず久しぶりの妹島ワールド、初期の再春館女子寮から実物を見るのは2件目となる。
ヨーロップの牧草地を連想させる「うねる」フロアーは、どこまでも解放的で白いインテリア、目線は上下左右に自然に向けられる。その先は床、天井、中庭、キャンパス内の他の建物、そして机にむかう利用者達、閲覧前に建物内の食堂にてランチをいただく。ほとんどが有機食材を使った食べ物、食べ慣れていない味だか、美味しくいただく。食後ライブラリーに入り、リノベーション関係の本を探す。閲覧スペースにはバカンスを楽しめない学生達が、白い机に向かっている。
次は、リクエストしていたレマン湖半にある、ル・コルビジェ設計の「母の家」をめざす、途中、世界遺産に登録されているレマン湖半に広がるブドウ園の中を車を走らせる。湖に落ちていくかのごとくブドウ畑が整然と並んでいる。日頃目にする景観とはま別世界である。
今回見学予定のル・コルビジェの建物は初期の物と、晩年のものをリクエストしており、最盛期のものはパス、唯一、移動場所の関係で「母の家」をお願いする。山裾のから湖畔にかけ緑の中の建物はほとんど勾配屋根となっている。
「母の家」は、このロケーションでは安っぽいガレージにしか見えない。建物内で関係者に話を聞くと、この建物が建てられた当時、地元の方から批判されたとのこと。ある意味当然か、景観を壊している。ただし、湖畔ぎわに建てられているため、建物内部、そして庭からの眺めは最高、湖の向こうにはアルプスの山並み、内部、外部共にスケール感は程よい。
「母の家」の次は、Tさんのお友達の家、レマン湖を見下ろせる場所にある。待ち合わせの時間まで、湖畔の大きな街並みを散策する。
17時に約束した友達の家、レマン湖を見ながらひたすら道を上へ上へと上がっていく。行き止まりに大きなクルミの木が2本、その横に住宅、車から降り歩いて建物へのアプローチする、視線の先に建物となだらかに下がる庭、二本のクルミの大木の間にレマン湖が見え、その向こうにアルプスが望める。
主屋とは別に小さな住宅が一件、ル・コルビジェの「母の家」を感じされる佇まい、週末になるとイタリア人が過ごしに来るとのこと。友人宅に2時間滞在し、19時に出発し、帰宅したのは21時過ぎ、まだ明るい。夕食後、11時までお話しベットに入る、シャワーは明朝とする。
5日目
ル・コルビジェ
両親の家
Maison blanche
今日も、休日を利用しD君が付き合ってくれる。朝いつもより少し遅めの朝食をいただき午前中はリノベーション対象建物内で、ご家族と一緒に床に原寸をチョークで描き、広さ・位置関係の確認をする。
ランチを4人でいただき14時前に自宅を出発する。今日は私からリクエストをしていたル・コルビジェが10代後半に作った「両親の家・Maison blanche」とその周辺に建てられた、地元の伝統的な工法を取り入れた建物数件を見にいく。ここから時間にして2時間ほど高速道路を使い移動する。
こちらの高速道路には料金所はない、毎月決まった額を事前に支払えば、いくら利用しても構わないシステムになっている。
高速道路はレマン湖の西側フランス領内を走り、そのままスイス領に入る。レモン湖の北側にあるヌーシャテル湖の西側に訪れる街はある。La Chauk-de-Fonds、ジュラ山脈の東斜面にある街で緑と建物が程よく混じった素敵な街となっている。この街でル・コルビジェは生まれる。
当時はCharles-Edouard-Jeanneretという名前、地元の学校で若き先生にめぐり合い建築家の道を勧められる。地元で10代後半には建築家としての能力を発揮するが、もっと上の世界を目指しパリに移りその後ル・コルビジェと名乗る。
地元でも十分に建築家として成功したであろう。自分の持っている可能性を信じ新たな取り組みへステップアップしなければ、世界にこれだけの影響を与えることはなかったのではないか。
最初に訪れたの、内部公開をしている「両親の家・Maison blanche」ここには女性のスタッフが常駐しており、日本では見かけることのないコルビジェに関する書籍も置いてある。
学生時代に学んだコルビジェの近代建築の5原則は、この建物を作った当時には、その片鱗も見い出させないが、建物を中央の4本の柱と外壁とで構成するシステムは、ドミノシステムに通じるものがあり、一般的な壁面による石造建築とは違い、平面計画の自由度が上がっており、部屋間の開放性を感じる。
歩いて10分以内に3件の個人住宅 Villa Jaquement ・Villa Stotzer・Villa Fallet がある。いずれも石造と木造を組み合わせた地元の伝統的な工法を基本にしているように感じる。内部の見学はしておらず、外観のみの見学となる。
今回どうしても見たくてリクエストした建物がこの三件、よく知られているコルビジェの建物とは全く違う。
コルビジェの残した業績は大きなものがあるが、近代建築の5原則により作られた建物は格段好きだとは思っていない。ただコルビジェの建築家としての変遷には大変興味がある。初期そして晩年の建物には惹かれるものがある。
6日目
友人宅で使わせていただいた部屋
今朝、目覚まし時計で起きる、いつもだと、その前に目覚めるが二日続けての遠出の影響かじっくりと寝込んでしまった。こちらは緯度が高く、21時頃まで明るい、そのせいか午後の時間が長くなる。
朝食後9時よりエスキスを始める。先日の打合せ内容そして再度の現地確認を元に、より煮詰めた案となっていく。
13時にランチの声がかかる。テーブルには丼があり一見うな丼に見えたが「イワシ丼」炒めたイワシとタレそしてゴマがなんともいえない味を出している。
日頃、日本料理をこちらの食材を使い工夫して作られているだけあって、日本的な料理なのだが、何かが違う、その違う何かが味を引き立てている。今回の丼はイワシを炒めた油が、こちらのもので、日本風のタレとよく合っている。
午後も引き続きエスキスを進める、15時より近くのホームセンター、ガーディニングセンター、オーガニックスパーを案内していただく
有機栽培による食品は通常のスーパーより割高とのこと、ただしお客さんはそこそこ入っている。店舗内のワインコーナーの広さはお国柄なのか、数本買って帰りたいが、荷物として考えるとちょっとしんどい、リクエストがあればなんとかしなければ・・・
帰宅後、再度机に向かいエスキスを進める。夕方よりTさんは友人との打合せ、夕食はご主人が準備してくれる。このスープとパンとの組み合わせは食が進む。
食後、昼間作成したエスキスを使い打合せを行う。コスト調整のための条件整理、および計画内容の優先順位について説明する。
7 日目
今日はスイスの建国記念日、スイス国内に勤めているD君はお休み、D君、先日一緒に行ったローザンヌ大学図書館(妹島和生設計)に再度行き、住宅に関する本を13冊借りてくる。
図書館の本の貸出しは、登録をすれば大学関係者以外でも、身分証明証があれば私でも数制限無しで貸してくれるとのこと。昨日借りて返済期日は8月28日、長期間の借りることができる。ただし返済期日が遅れると遅延料が発生し1冊につき1000円ほど支払うことになる。
リノベーションに関する現場はすでに数件見学させていただき、日本との違いについては大方把握できたと思っているが、多くの事例を知りたくて、日本にいる時に、リノベーション関係本のリクエストをしていた。
朝食後、まずは3日に予定している友人達を呼んでのプレゼンテーションのため、モニター接続の確認を行う、昼前に近くの建材屋さんを二人でのぞき、ランチ後に再度大型のホームセンターに行く。住設機器をはじめ多くの品揃えとなつているが、一般向けの商品が多く、実際勧められるものは限られる。
8日目
7時45分起床、8時出勤のD君はすでに朝食が終わっている。9時まで朝食、その後机に向かい、昨夜の打ち合わせによるプラン修正を行う。
ご主人からの情報により、壁の一部に現在塞いでしまった以前の開口部があり、真っ暗となる予定だったストックルームに光が差し込むこととなる。
今日はジュネーブにて小さな蚤の市が開かれるとのこと、時間があれば夕方にでも、連れて行っていただくことになるかも、早めにスケッチを進めなければ・・・・・
ランチ後30分ほどベットに入り昼寝、連日夕食後12時近くまで話し込んでいたためか、日頃ランチの後に休むことはないのだが。
17時半頃から一人散歩に出る、ここはG村、地図を見ると教会と郵便局が表示されている。中心部へと下る道の途中からモンブランが見えるはず。
下りながら進むとモンブランが見えてきた、肉眼では見えるけれど写真には写らない。手前にアメリカ人がモンブランと間違えたと言う雪のない「・・・・・」という山がある。
その奥に半分雪をかぶった山が、そしてその奥に真っ白な山、それがモンブランがある、形はマッターホルン、アイガーのようにとんがってはいない。
日本のケーキ屋さんで見るモンブランのようにボッテリトした形、ただ高い山だけあって夏でも雪をかぶり真っ白な姿は存在感がある。
坂道を下ると二車線の主要幹線道路に出る、そこから下に教会が緑の中に見える。道路を渡り、階段を降りて行くと、幼稚園らしき建物があり、道路反対側には郵便局がある。
18時前だが陽が高く、歩いていると暑さを感じる、郵便局横の草地のベンチには老人がお一人、郵便局脇の使わなくなった線路を渡り、進んで行くと教会がある。ロマネスク様式の建物、整った形ではないが趣が感じられる。
19時に帰宅、シャワーを浴び、たまったわけではないが、少しの洗濯物を洗い庭に干す。
先ほどから良い匂いがしている。ご主人が昨日も作ってくれた自宅のりんごを煮たもの「また食べたい」とリクエストしていた。食後のデザートとして楽しみ。
夕食後、D君に近くの友人より電話があり、一緒に行くことになる。その家はMさん宅、父親は国際機関に勤めていた日本人、母親はイギリス人、彼とは小学校から友人関係、家は車で5分とかからない。
渡仏2日目に車で移動中に散歩しているB氏と出会った場所、小川に小さな石の橋がかかっており、近くの住宅と合わせた景観は絵になりそうな場所。
家はロフト付きの2階建、建物中央に玄関があり、扉を開けると広い一つの部屋となっている。右側に暖炉のあるリビング、左側が8人は座れる大きなテーブルを置いた食堂となっている、奥の壁にある食器棚は重厚感がある。
玄関に入ると奥の部屋と階段も見える。奥の部屋の左側がキッチン、そして右側が家族室と呼んでいいのか小さめのリビングがある。
階段は折り返し形式、折り返し部分の踏板と手すりの加工が素晴らしい。
2階に上がると右側にバスルーム、左側に父親が使っていた書斎、奥に進むと右側が友人の部屋、そして左側が寝室となっている。廊下正面には窓がある。
階段を上がるとロフトがあり、広い空間の片隅にベットが置いてあり、階段右側には天窓より樹木が見えるバスルームがある。
平面形式はとてもシンプル、D君のお宅も改装前は、正面玄関、そしてまっすぐに伸びる廊下の先に階段、廊下の両サイドの前後にそれぞれ部屋があったという、日本民家の田の字プランのように、この地方の農家の一般的プランなのかもしれない。
9日目
昨夜はD君の友達の家に行き、家を見せていただき、帰宅後、打合せはせずに11時前には眠ったせいか、今朝は7時までぐっすりと休むことができた。
朝、食堂へ行くとテーブルの上には大量の食器が置かれている。今日は夕方18時30分からお友達を招いての夕食会が行われる
Tさん朝からずっと台所で準備をしている。招く友人は9人、Tさんの高鍋の住宅を映像で見ていただく、その後、皆で夕食をとり、そして参加された友人たちのプレゼンテーションが予定されている、私にも宮崎での取り組みについて紹介するようにとのこと。
ネット時代、ホームページにたくさんの事例を紹介しており、昨年より機会あるごとにたくさんの写真データーを取り込んでいたので、それを使いプレゼンテーションを行う予定。
今日午前中は今まで1/100で書いていたプランを1/50にて、部分的に表現する。D君、少しづつプランの中に自身の生活をイメージできるようになった
現在、18時30分、料理の幕内弁当がキッチンカウンターに並んでいる。朝からランチもソコソコに一人で準備されたもの、弁当以外に大皿の料理、そして日本のソーメンまで並んでいる。
ゲストは、渡仏2日目にご自宅を見せていただいた、I氏(エコハウスのビルダー)・ゴットマザーことAさん、G夫妻(息子さんが1年半日本滞在の経験有りで嫁さんが日本人・、スイス人の奥さんとはマルシェにてお会いする)、K氏(ジュネーブ在住画家トリエンナーレ出展経験有)、KA君(日本人とイギリス人とのハーフ)、女性(ロシア文学の博士号取得者)、女性(教師で高鍋に来日経験有)と多彩な方達、
みなさんそろったところで、旧吉田家についてのプレゼンテーション、映像は私が準備し、説明はTさんとD君が行う。その後、I氏とK氏はネットを使いそれぞれの取り組みについて紹介していただき、私もリノベーション1件、新築2件を紹介する。
10日目
昨日は10時近くまで、ゲストの方達との語らい、Tさんの友人のお一人は、私がベットに入って眠りについた後、遅くまでいらっしゃったとのこと。
今朝、7時に目覚まし時計に起こされる。朝食後、打ち合わせによるプランの修正を行い、その後、別棟(納屋)の活用についてのスケッチを行う。
この建物は2階建となっており、上階に牧草をストックするスペースがある。東側の隣地境界に接して立っており、切妻屋根、西側平部分からのアプローチとなる。
納屋東側の隣地は、この地方の貴族が以前所有していた敷地、貴族から他の人に所有は変わったようだが、今でも広い敷地と地元でシャトー「お城」と呼ばれている建物がある。
納屋の東側は現在、野生の黒苺で鬱蒼としている。近くには大きな樹木(直径が2.5m以上)があり、存在感を漂わしている。
納屋2階からは、隣地の樹木がなければ、レマン湖とアルプスが望めそう。いずれにせよ2階からの眺めは樹木と草原で魅力的なものになりそう。
母屋から離れているため、電気・設備などのインフラにお金がかかりそう、ただし非日常の空間を楽しむのであれば、素敵な空間となりそう、そのためにできるだけお金をかけずにどのようなことができるのかをこれから検討する。
昼食後、ジュネーブの旧市街へTさんの車で送っていただく、Tさんには結局D君との待合せの本屋さん、そしてその後旧市街で一番古いと言われている博物館まで案内していただき、そこで別れる。
博物館内は、ジュネーブ近郊の昔の日常生活の一部が展示してあり、また、旧市街地の模型が展示してあるロフト部分では空間活用のための補修方法が確認できる。
博物館内のトイレにて既に10年以上愛用しているデジカメを床に落としてしまう。その後の操作自体に影響はなさそうだが、いつも気をつけて持ち歩いており、落としたことが少しショックである。
博物館見学後、近くの大聖堂に入り、そのスケール感に改めてヨーロッパの教会建築の権威を感じてしまう。時計を見ると16時、待ち合わせの時間にまだ2時間ほどある。本でもゆっくり見ようと、旧市街を降りて本屋に入る手前で街中の時計を見ると既に18時20分、約束の時間を20分も過ぎている。懐中時計を耳にやると音が聞こえない、ゼンマイが切れている。
約束の建築コーナーに行くとD君も今着いたとのこと。その後、ジュネーブ市内の他の旧市街、国連の建物、そして各国代表部建物があるところを見て回り、結局帰宅できたのは9時過ぎとなる。
11日目
ル・トロネ
今週末、いよいよ{ル・トロネ}への旅の始まりとなる。今回渡仏の話があり「折角ですからどこか行きたいところはないですか」との問い合わせに真っ先に答えたのが「ル・トロネ修道院」、いよいよ明日の午前中の電車でリヨン経由、マルセイユ手前の駅からはレンタカーを借りて向かうことになる。
渡仏 11日目、若いころに読んだ「粗い石」の舞台ル・トロネへ行く日となる。10時半のジュネーブ発の電車に乗るため7時に起床し8時20分に家を出発し一路ジュネーブへ車を走らせる。この道はD君の通勤路、左手にアルプスの山並みが見え、ジュネーブに近づくとレマン湖が一部見えてくる。
国境を超えスイスに入り欧州国際連合本部近くの勤め先に車を止め駅までは徒歩で10分で歩く。駅構内にて電車の中で食べるランチを手配し、まずはパリ第二の都市リヨンを目指す。リヨンにてフランスの新幹線TGVに乗り換え、マルセイユの一つ手前のエクス・アン・プロヴァンスで降り、予約しておいたレンターカーにて、いよいよル・トロネを目指す。
時間にしてほぼ1時間、距離にして100km、プロバンス地方独特の岩肌を持つ岩山を左手に見ながら高速道路を走り、集落のない林の中を進む、カーナビが残り4kmを表示している時に、突然道路脇にル・トロネ駐車場の案内板が見えてくる。
駐車場には意外にたくさんの車、バスも一台が止まっている。駐車場に隣接したカフェ(屋台式)のベンチには、数組の方が暑さをしのいでいるのか冷たそうな飲み物を口にしている。
修道院へは駐車場との間にある道路を渡り石畳を下って行く。水のない小川に橋がかかり正面にゲートの鉄門扉が見えてくる。門扉手前の右側に入りると売店と受付を兼ねたインホメーションがある。中には3人のスタッフそして子供から年配者まで多くの方がいる。
チケットを手にいよいよル・トロネの修道士が日常を過ごしたエリアに入って行く。いくつかのステップを上がって行くと、左正面に教会の建物が、そして左側へ建物の屋根がつながっている。
教会には正面の出入口はなく、左右に建物の規模にしては小さめの出入口がある。集落から遠く離れたこの土地に立つ教会ということで、村・町・都市のように住民への開かれた教会ではなく、修道士のための教会という性格上、その作りが違うのか。
建物内へのアプローチは教会前を左に進み、一部廃墟となったアーチの下をくぐり、以前納所僧棟で使われていた部分から入ることになる。後で気づくことになるが、パティオに入りそのまま正面の回廊部分へ進んでしまったが、パティオに入りすぐに右側に出入口があり、中に入ると貯蔵庫の建物となり、ここでは大型モニターを使い、ル・トロネ修道院敷地全体の構成について、建設段階をグラフィックに説明しているので、最初にこれを見るとより分かりやすい。
回廊内ではスタッフの若い男性が建物の説明をしている、20数名の人が熱心に聞き入っている。片手に持った水の入ったペットボトルを動かしながらの説明、彼の動作はこの空間の中で何か生き生きとしたものを感じる。
中村好文氏の本の中で知ったこの回廊、見た時に素敵な空間だと感じたが、まさかその空間の中に自分がいるとは感慨深いものがある。プロパンスの夏の強い日差し、分厚い石壁の連続アーチ、それを通して入ってくる光がくっきりと床に写り込み今まで経験したことのない違った世界を感じる。
ル・コルビジェが、ラ・トゥーレットを作る前にこの修道院を訪れていることは、何かの本で読んだことがある。「この光」は、ル・コルビジェの晩年の建築に何かしらの影響をもたらしたのではないか。
今回の渡仏期間中にル・コルビジェが建築家としてスタートした初期の建物(スイスの伝統的建築を元にしたもの)を見ることができ、そして晩年の傑作ラ・トゥーレットの原点とも言えるこの建物を体験できたこと、果たして自分のこれからの取り組みにどのような影響を与えてくれるのか楽しみにしたい。
アーチの回廊は中庭を囲んでおり、回廊からアプローチする中庭の洗面所、回廊に接する農作業に出かけるため部屋で唯一建物内で修道士間の会話が許された部屋、参事会室、図書室があり、その先より教会内部へとアプローチできる。
案内スタッフの説明は、言葉が理解できないため、写真を撮りながら後をついて行くことになるが、教会の祭壇近く(後陣)で彼が話す言葉が、内部(身廊)の隅々まで聞こえる。最初は椅子に腰掛け耳を傾けていたが、席を離れ、外部出入口近くまで離れても彼の声が聞こえる。そのうち彼はハミングを始める。潜めた音だが建物内を響きあい遠くまで聞こえる。
D君の父親から「ル・トロネは音楽の□□」と聞いていたがその意味がよくわかる。ここでは数日前に音楽会が開かれている。スタッフの説明だとインドのタジマハールについで二番目に音響効果の良い歴史的建物とのこと。そしてこの音響はこの建物を作る時に計画的に作られているという。もし本当であればそれはすごいことだと思う。
教会正面の祭壇の両側に人像がある。厳格なシトー派の建物、空間のみで精神性を表現している中その素朴な表情を持った二体は魅力的である。
教会祭壇の横奥に修道士たちの寝室がある。広い一つの部屋となっており、床の仕上げが石とタイルとの貼りわけがある。タイルのところに修道士たちは麦わらで作ったマットレスを敷いて寝ていたという。入り口左側には一段高くなった個室があり、そこが指導者の寝室、そこの部屋には正面の壁に小さな嵌め殺しの窓(ステンドガラス)が一つあるだけ。
寝室左側にも小さな窓が並び、その間に2カ所外部への出入口があり外は回廊の屋上となっている。今日の気温は後で聞いた話だと39度、屋上に上がると直射日光がきつい、時々吹く風が気持ち良い、南仏プロヴァンスの風。ここの屋上から中庭を見下ろす風景にもル・コルビジェは影響を受けラ・トゥーレットを設計したと言われる。
建物内の周回コースを二度周り、売店でル・トロネに関する本を購入し、帰路につく。
今日はTさんの友人が手配してくれた家に宿泊する。旧市街入口の赤テント前での待ち合わせ、週末の夕方ということもあり、たくさんの人たち、ロータリー中央に大きな噴水があり、一方向には開放的な建物があり、たくさんの人が入っている。翌日前を通るとアップルのお店、街を歩いていると、私と同世代の人たちでスマホを片手にしている人が多い。先進国では利用している人が多い。私は「ガラケイ」それもほとんど使わない。移動中でのスマホは便利なもの、今回もD君、レンタカーのナビではなく自分のスマホを頼りに行き先を目指している。
Tさんの友人と待ち合わせ後、南仏の伝統的なお菓子屋さんに行き、アーモンドをベースにしたお菓子を購入する。その後、友人お薦めの旧市街地内にあるペルー料理店ボレロに行き、コース料理を二人分を4人で食べる。どの料理にも食べ慣れないベースとなる味があるが、いずれも美味しくいただく。時計を見ると既に10時を回っている。
手配してくれた住宅は旧市街から少し離れた所にある。家主さんはセラピスト、現在バカンスで不在のため留守中の犬・猫の世話を頼まれている。玄関を入ると左手に階段がありその奥に便所、バスルームがあり、正面に台所への出入口、右側に食堂、そしてその奥に庭に面した居間があり、大きな暖炉がある。
食堂横にセラピー用の部屋なのか広めのベットがあり、私はその部屋を使わせていただく。暑かった1日、食堂のテーブルでアイスをいただきながら時計を見ると12時が近くなる。先にシャワーをお借りし、ベットに入る。明日はいよいよ「ラ・トゥーレット」へ行く。
12日目
ラ・トゥレット
ラ・トゥレットへはリヨン駅からタクシーを使う、片道70ユーロほどかかる。フランスの緑多い風景の中に家が溶け込んだ緩やかな起伏のある道を進む、小さな集落の中を通り、家がなくなり林の中を進むと右側に駐車場が見えてくる。道の中央に車止めがあり、そこでタクシーを降りる。帰りのタクシー予約をお願いするが、帰りは地元のタクシーを使ってくれと断られる。
駐車場の林が切れると右側の視界が開き、すぐに教会建物の打放し壁がその存在感を現す。道をまっすぐに進むとすぐに左側に大きな樹木、そして右側に2.4m四方奥行き1.0mのコンクリートで作られたゲートがあり、修道院と外との境界を象徴的に示している。
ゲート奥、そして木立の下には、14時00分からの見学コースを待っている人が20人ほど待っている。まずはゲート奥にある右側のインフォメーションにて見学の申込みをする。見学開始まで40分ほどあり建物に沿って道をまっすぐ歩く。右手にはラ・トウーレットの東面、道から西への下り斜面を利用して建物は作られている。東側2・3階には修道士個室のベランダがリズミカルに並んでいる。1階の道路レベルには横長の窓(高さ=30cm)が一定間隔に、飛び出た出桁が横長の窓と合わせてリズムカルな表情を作っている。
建物の端まで行き、その後しばらく進むと、写真集でよく取り上げられるピロティーで持ち上げられた外観が見えてくる。道路からの西下り斜面にラ・トウーレットは建っている。建物のはるか向こうには緩やかな起伏の大地に草原と樹木、その間に見える屋根は農家なのか、建物内からの景色が楽しみなロケーションをしている。
傾斜地を降り建物廻りを歩きたかったが、そろそろ見学の時間、ゲートのところに行くと案内スタッフの女性が説明している。フランス語と英語の両方の説明、見学者は子供から年配者まで様々である。
案内はまず外観より始まる。先ほどまで私がいた場所に移り、そこでル・コルビジェが仕事を引き受けるまでの経緯についての説明がある。M・A・クトゥリェ修道士の強い推薦があり、ル・コルビジェが建築家として選ばれるが、当時チャンディガールを始め多くのプロジェクトに取組んでおり、また宗教に関するプロジェクトには積極的ではなかったとのこと、修道院としてではなく、教会を併合した施設の計画をコルビジェ側から提案をしたらしい。
M・A・クトゥリェ修道士は設計にあたりコルビジェにシトー派の修道院「ル・トロネ修道院」を見学することを勧める。前日、訪れたル・トロネはコルビジェにも大きな影響を与えたと言われる。
▼ 1953年7月28日 M・A・クトゥリェ修道士がル・コルビジェに宛てた手紙より(ル・コルビジェ ラ・トゥーレット修道院 TOTO出版)より ▼
「あなたがル・トロネに行って、あの場所を気に入ってくれるといいのですが。あそこには、建てられる時代がいつであろうと修道院がそうあるべき本質的な姿があると思われます。共同生活をしながら沈黙と内省と瞑想に身を捧げる人間は、時とともにそんなに変化するものではありません。伝統的な平面配置では、回廊のまわりに3つの大きな空間が必要です。ひとつは教会、ル・トロネでは崩れてしまっていますが、その正面に食堂、3番目の側面には参事会室、そして4番目の側面には2つの大きな集会室が必要です。2階には大きな図書館があります。建物の残りの部分は僧坊といくつかの中くらいの大きさの部屋で占められています」
▼ ル・コルビジェはル・トロネー修道院についての出版物の序文を過去への尊厳をこめてつぎのような言葉で結んでいる(S.Giedion著 空間・時間・建築)より ▼
「光と影とが真実と静□と力強さをもったこの建築を声高らかに表現している、これ以上何も付け加えることはできないだろう、“生地コンクリート“の今日、わが道を行きながらも、この素晴らしい出会いを歓迎し、祝福し、敬礼しようではないか」
黒のロングドレスを着た美人スタッフが次に案内したのは、正面ゲート前の草地に板で囲われた場所、この囲われた場所、当初菜園かと思ったが、実は修道士個室の大きさを表している。廊下から室内に入り、洗面・収納・ベット・机、そしてベランダと続く。見学コースには修道士の個室は入っておらず、そのため外部にてそのスケールを表現している。
次はゲート内に入り説明がある。現在インフォメーションで使われている場所は、当初、修道士と面会者との部屋として使われていた。竣工当時より予定していた修道士の数が集まらず、現在は11名の修道士が伝道師となるために学んでいる。先日のシトー派のル・トロネ修道院は生涯を施設内で生活する場所として使われていたが、ここドミニク派のラ・トーウレットはここで学び、その後社会の中でその教えを広めていくために学ぶ場所として作られた。そのためラ・トゥーレット内部での修道士間のコミュニケーションは積極的に行われている。
ル・トロネでは施設内で唯一修道士間で会話ができる場所は農作業に出て行く前に打合せを行う部屋に限られていた。修道院には派によりその教義に違いがあるのか。D君に聞くと村・町・都市にある教会にはシトー派、ドミニク派的な違いは無いとのこと。一生を修道院で過ごすル・トロネとは違い、ここラ・トウレットは建物全てではないが食堂・個室・廊下と外部に開放的である。
アプローチ左奥の扉を開け進むと図書室となっており。図書室から直接入ることのできる小礼拝堂がある。ここも学習の場所としての位置付けられている。とんがった天井途中の東側壁の横長スリットから光が差し込み、時間帯によっては空間に光のグラデーションが生まれるのではと思わせる。
建物のパーツは単一用途のためにデザインされているとの説明がある。窓は採光のため、換気は換気専用の建て窓が開閉方法を含めてデザインされている。中庭、そして食堂の広い窓面は、弟子の音楽家・数学者であるギリシア人ヤニス・クセナキスによるもので、楽譜をイメージしてデザインされている。縦方向の細いライン、そして直行する水平方向のより細いラインは、広いガラス面にリズム感を醸し出している(音楽的ガラス面)。
いよいよ協会内部へと入って行く。スケッチのため遅れて入るとすでに説明が始まっている。協会の面積は修道士用個室の100倍の広さが確保されているとの説明がある。祭壇は数段ステップアップしたところにコンクリートで作られており、正面右奥には天井から床までのスリットがあり、縦ラインの採光があり、また祭壇反対側は天井と壁との間に横型採光スリットがある。
祭壇左側には白・赤・青それぞれの光が降りてくる祈りの場が準備されて降り、白い光は祭壇横の祈りの場へ、他の二つは一段下がった別スペースの祈りの場へ降りてくる。
ラ・トウーレット、ロンシャンの光は以降の多くの建築家に大きな影響を与え、光をテーマに取り組む建築家もいる、ここの空間体験を通しそのことを強く感じる。ル・トロネで経験した中庭を囲む回廊の厚い壁に穿たれたアーチを通して南仏の強い日差しの床面に映り込む光と陰には強烈な印象があったが、ラ・トウーレットの、意図された光の演出には近代建築の限界を感じる。それは構造の違いからくる壁厚によるものなのか。
地下礼拝堂(三色光の祭壇スペース)でスタッフによる案内は最後となり、教会右奥の縦長スリット下の出入口より外部に出、インフォメーションの下よりアプローチスペースに上がり見学ツアーは終了となる。現在この建物は宿泊施設として一般に解放されて降り、申込みをすれば修道士用の個室に宿泊することができる。見学ツアー以外の部屋を見るために宿泊するのも良いのかもしれない。
見学が終わり、地元のタクシーに電話が入れるが、日曜日はお休みとのこと、リヨンのタクシー会社を手配することになる。
リヨンでは旧市街のタクシー運転手推薦のレストランにて南仏名物と言われている魚のすり身をオムレツ風にしたものをいただく、ベースのスープと相性が良く大変美味しい。レストランの建物は数百年経ったもので、インテリアはフランス王朝時代をイメージしたコテコテのインテリア、下の階の三人がけテーブルのアーチの背もたれのついた王様の椅子に座り食事をいただく。
8時過ぎのリヨン初ジュネーブ行きの電車に乗り、自宅に戻ったのは10時前、二日間のプロバンスの旅、思い出深きものとなる。
13日目
いよいよ、明日こちらを発つことになる。午前中に今まで打ち合わせした内容での最終プランを作成し提出する。これからは地元の建築家との打合せにより進めていくことになる。
15時より近くのショッピングセンターに行き少し買い物をする。今回の渡仏にあたりトラベルプリペイドカード(VISA)を作ったが、ここでも使用できなかった。以前、有機食品のお店でも使えずにクレジットカードで支払うことになった。先週末に訪れた南仏ではどこの店でも使えた。トラベルプリペイドカードだけの持参は気をつけた方が良い。
16時半より車で20分ほどの小さな村に住宅を見に行く、この村はD君が小さい頃に住んでいた村、建物は一番古い場所が1602年に作られている。
50年窓前に、ぶどう酒を作っていた建物を、住宅・劇場(40人ほど収容)・陶芸室に改装している。家主は女性陶芸家、渡仏最初の日に訪れたゴッドマザー宅の浴室タイルを作った人、広い庭を利用し、自作の焼物展示を定期的に開催しており、その時の写真集になった2冊をいただく。また娘さんは絵本作家、日本を題材とした絵本を一冊いただく。
18時にはI氏と自宅にて打ち合わせ、この方も初日にお邪魔した方、古い建物のリノベーションをプロデュースするのがお仕事、今回のD君の家について彼にも意見を求める。
明日は、7時30分に自宅を出発、ジュネーブ空港から、ヘルシンキ空港乗継で福岡空港、18時間かけて8月9日に宮崎に帰郷予定。
今回、友人宅のリノベーションのスケッチ作成が目的で、一般の観光ではなかった、モンブランの望める村の一軒家での日常生活は貴重な経験となった。また、ル・コルビジェの初期・晩年それぞれの建物を見ることができた。また、まさか見ることができるとは考えもしなかった「ル・トロネ」に行き、その空間を体験できたことは一生の思い出となる。今後の取組への大きな刺激材料としなければ。
14日目
今日は8月12日、帰国してから3日目となるが、最終日について少し書き留める。
8月9日は6時30分に起床する、前日までにスーツケース等の準備はすでに終わっていたが、朝メールチェックのためパソコンと電源ケーブルは机の上に置いたままにしておく。帰国後に気がつくがどうやら電源ケーブルを忘れたようだ。
朝食をとりD君宅を出発したのは7時40分、ご主人とTさんが木戸口まで見送ってくれる。D君通常出勤時間は8時丁度、今日は20分早めに出発しジュネーブ空港まで送ってくれる。一緒にフィンランド航空のカウンターで預入荷物についての確認、そして空港内を案内してくれた後に別れる。
帰りもフィンランド航空を使いヘルシンキ空港にて乗り換える。ジュネーブ発が10時55分、それまで空港内のお店にて家族へのお土産を探す。
ジュネーブ・ヘルシンキ間の所用時間は3時間、ヘルシンキ空港は乗り継ぎのしやすい空港、到着ゲートはヨーロッパ圏内(ユーロ圏内)へのターミナル内、ここで乗り継ぎの手続きを行う。
初日に歩いた方向とは逆の方へ進む、突き当たりに出国のための自動パスポートコントロールがあり、パスポートを読み取り機に提示するが、なぜか「×」の表示が出る、左横の出国手続きカウンターへ行き、係員にユーロ圏内からの出国スタンプを押してもらう。
ヘルシンキから福岡行きは16時30分発、それまでに娘に頼まれていたお土産を購入し、出発ゲートへ、さすがに日本行きのためか、たくさんの日本人がいる。予定時間(フィンランド時間の16時30分)を30分ほど遅れ出発する。
機内は夏休みのせいか家族連れが多く、小さい子供連れの親は、突然おかれた環境に不安を感じ泣き止まない我が子への対応に大変、所用時間9時間30分で福岡空港に到着する。
行きは宮崎空港で荷物を預け、受け取りはジュネーブ空港だったが、帰りは福岡国際空港で受け取り、荷物を持って国内線まで移動し再度荷物を預ける。重さが23.4kgどおりで重いはず。
福岡での乗り継ぎ時間は3時間50分、入国、税関、そして空港内でのバス移動を考えると、このくらい余裕があると安心、宮崎行きゲート近くの椅子に腰かけ、お世話になったD君家族に無事についたこと、お世話になったことのお礼のメールをする。
宮崎到着が予定より20分ほど遅れ、13時00分、妻が迎えに来てくれる。