山と関わった家づくり
エコビレッジ諸塚プロジェクトの取り組み
諸塚村は,1993年に第一回朝日森林文化賞を受賞した。 古くから椎茸原木林の造成を進めてきた村人は,昭和30年代の,杉・檜による拡大造林の中,先人の教えである適地敵木主義を守った。北面の湿地帯に杉・槍の針葉樹 を,南面の乾燥地にクヌギ等の椎茸原木を中心とした広葉樹を,また渓谷沿いの自然木を保存した。孫の代にし かお金にならない杉・檜だけでなく,短期間で収入とな るホダキとしてのクヌギの選択は,山で生きる人達の知患であった。
現在,杉・檜とクヌギが,モザイク状の森をつくって いる。また山奥まで管理のための作業道が作られ,山の手入れが積極的に行われている。作業道の普及と管理を支えているのは,88箇所の集落を単位とする地域の人々であり,16の公民館の自治活動である,災害に発展する 初期の段階で住民によって補修され,山の崩壊へとならないシステムができあがっている。
現在,山の保全をテーマとした「エコビレッジ諸塚ブ ロジヱクト」が進んでいる。森林資源の有効利用と、都市と山村との交流を図ることで,諸塚村の人達が自信を持って生活していく基盤をつくることを目標にしている。 主な活動内容は,九州限定の産直住宅の普及及び山村での体験交流である。
人の一生の中で,家を作るという大きな事業の中に, 諸塚村の山を積極的に取り入れようというものである。 人のロマンである持ち家と,自然環境保全の担い手としての役割を再度求められている森を組み合わせようとい うものだ。自らの住宅に,計画,工事,そして完成後まで,山を守る人達の歴史と想いを実感できる形で取り入 れられることに,また「山からの恵みを受けるために山を守っている,それが結果として森林保全という形で川下の人達に役立っている」と言われた山で働く人の言葉 に,私は地域での住まいづくりを始めとする建築活動に,新たな可能性を感じている。
私が始めて諸塚村産直住宅に取り組んだのは1998年で ある。古くなった貸家を,新しくしたいという建築主の話から計画が始まる。建築主の職場で,子供がアトピーで苦しんでいる同僚がおり,新しい貸家は,自然素材を使った物にしたいという。話を進める内に,木材の産地 を訪ね,木材がどのように育つのかを実際見てみようということになる。
当時諸塚村は,生産者と建築主のお互いの顔が見える産直住宅の取り組みを始めており,「山村の自然環境保全と自然素材を元にした住まいづくり」セミナー,そし て木材生産現場を訪れるツアーを企画しており,九州各県より自然素材による家づくりに興味のある人が多数訪 れていた。1998年6月に建築主夫妻を産直ツアーにお誘いする。
建築主は,山の現状を熱心に語る森林組合の方,山村の今後のあり方を環境保全という視点で話すブロジエクトメンバーの話を聞き,そして何よりも諸塚村の山村文 化に触れ,すっかり諸塚フアンとなる。
尺物(梁材)の切り出し現場,そして上棟時にと,建 築主と生産者がお互いを訪ね,竣工祝いには諸塚村より 関係者10数名が出席した。この席で建築主は諸塚村親善 大使の称号をいただき,一層,諸塚村への想いを深めた。 本来「諸塚材」というブランドはない。全国の杉・檜の産地にいくと,そのブランドに誇りをもった人が大勢 いる。しかし,ここ諸塚村では木材そのものに自信と誇 りを持った人にまだ出会っていない。
諸塚材の魅力を考える時,材質そのものではなく諸塚 という村が前提としてある。山を,神楽を始めとする伝 統文化を大事にする心,山を訪れる人をもてなす村人の心,そういった山に生活している村人の想いが木材に込められて出荷される。それが「諸塚材」としてのブランドである。
現在,私は9軒目の諸塚産直住宅の計画中である。建築主のほとんどが,諸塚村の木材生産現場(葉枯らし• 製材所等)を訪れ,また古民家再生施設による山村生活の体験交流,冬に行われる神楽宿での地元の人との交流を通してたくさんの思い出を作っている。すでに住まいを完成させた家族は,産直の森での植樹,そして毎月行わ れる体験交流(6月は棚田での田植え)を楽しみにして いる。(建築士 2002年6月掲載)