1992年3月「四の正倉院」建設が始まる。百済の里づくり」計画発案から6年目である。同時に進められる村民主体の各種交流はますます盛んになり、同年には 「ふるさとづくり奨励赏」「活力あるまち づくり優良地方公共団体表彰」「旅のまち30・全国旅のまち30選」と全国的な評価を得た。村民にも村にも自信と誇りが感じられるようになる。
計画当初、出身地を聞かれた子どもたちは「日向市の方から来ました」と答えていたが、「百済の里の南郷村からきました」と答えるようになったという。 「人口が減少する過疎はしかたがないが自分の村に自信と誇りを持てない『心の過疎』は大きな問题だ。『心の過疎』は 道路などの基盤整備のために公共工事を進めてもその歯止めにはならない。心の過疎を解消するには地域イメ一 ジの向上であり、そのためには地元の伝統・文化を大切にした地域おこしでなくてはだめだ」と、いつも言っていた当時の村長にとって、大きな賭けであったのかもしれ ない。年問会計予算30億円の村にあって 「百済の里づくり」の施設整備には16億円もの予算が必要であった。
1993年1月に南郷村では、「西の正倉院」用材の現場搬入にあたり、御木曳式を行なうこととなる。ソフト面では順調に進んでいたが、大きな金額を要する施設づくりに対して不安を持つ村人は多く、 村おこしに懐疑的にならざるを得ない人もいたらしい。役場は御木曳式を通して、 村人の心の中に「西の正倉院」づくりに対する「想い」づくりを意図したようだ。 この式は、師走まつりの最後の日となる1月11日に南郷村で行なわれることとなるが、南郷村は南木曾の勝野材木店に、 そちらでもぜひ御木曳式をやってほしいとお願いした。
南木曽での日程が1月8 日に決まると、南郷村の担当者はNHK 松本・信越放送・NHK名古屋・東海テレビ・中部日本放送・名古屋テレビへと 御木曳式の情報を流した。各マスコミより勝野材木店には取材の問い合わせが殺到し、これによりしっかりとした行事にしなければと、南木曽側も一段と力が入ることになった。
9・想いづくりの風景 ②