6月6日

投稿日: 2009/06/12 8:33:45

今日は法事で広島に行った。

新幹線で広島駅まで行き、そこから呉線で呉へ。往復30000円くらい、ばかばかしい。

おいしいものが食べられると誘われてノコノコついて行ったが、よく考えたら30000円あれば叙々苑の游玄亭で

上なんとかシリーズを全制覇できる。

さて、法事という行事は日本独特のものだと思われるが、僕はこれは本当に良い文化だと思う。

人の死というのは突然で、それに殆ど理不尽で、残された者にとってそれを受け入れる事は決して容易くはない。

故人を思えば思うほど、深い悲しみと絶望の中で現実と向き合う羽目になり、気持ちの整理は困難になっていく。

結果として、人はいつまでも死を受け入れられずに鬱々と過ごす事になってしまう。

現に欧米では古くから、近しい人を失った人に対するカウンセリングが盛んに行われている。

一方で日本では、カウンセリングはあまり流行っていないが、代わりに死後49日、1年、3年、7年…と法事が行われる。

これは、何度も擬似的な葬式を繰り返しているというようにも考えられはしないだろうか。

死の直後ではそれを受け入れられなかった人も、このように期間を空けることで、徐々に現実を冷静に見つめられるようになってゆくだろう。

つまり追試を何回も繰り返せば、その内全員受かるでしょうということだ。

遺族を包みこんでいた悲しみは、この過程の中で少しずつ、それでも確実に溶かされていく。

悲しみ自体が消えるのではなく、我々の内面に穏やかに内包されていくような感覚である。