6月29日

投稿日: 2009/06/30 17:34:56

自宅から最寄り駅までの区間に幸福の科学の協会があるんだけど、今日通りがかったら選挙の街宣車が出てた。

幸福実現党は1議席でも取れる見込みができたからやっているのだろうか。ただのパフォーマンスにしては大袈裟すぎる。

学校も建てるとか言ってるくらいだから、ひょっとしたらそうなのかもしれない。

新興宗教って敬遠とか軽蔑とかよくされるし、実際自分もしていたけれど、最近よく分からなくなってきた。

認知されている他の宗教にあって、新興宗教に無いものはブランド力くらいなもので、本質的にはさほど変わらないのではないだろうか。

宗教とは一種のサービス業である。悩みを抱えた人間が、対価と引き換えにカタルシスを得る。

その点に関しては新興宗教も仏教もキリスト教も違いはない。教会だって会員の月会費によって運営されている。

いやいや、だけど新興宗教はぼったくりじゃないか!と思われるかもしれない。

確かに、その通りだと思う。そりゃ教祖はウハウハ状態だろう。

でも、それでも顧客がいて、市場として成立しているのであれば、問題は無いのではないだろうか。(ただ宗教法人を名乗るべきではない)

既存の宗教や、我々にはできないことを、新興宗教が実現してくれるならそれはそれで結構な事ではないか。

大金を払ってでも人生に対する希望や、生きる意志といったものを与えてほしいと願う人はいるはずだ。

せっかくのカモなのだから、きっと至極丁重に扱ってもらえる事だろう。

他の慎ましやかな一般宗教や我々には、見ず知らずの人の心の病を癒してやる余裕なんてないのだ。

また、もっと宗教団体が明瞭会計で、ビジネスライクになった例が細木和子であり、江原啓之である。つまり占いとかスピリチュアル。

教祖様や細木さん江原さんが必死に頭を捻りお金儲けに奔走する姿は正に経営者のそれであり、想像するだけでとても微笑ましく感じる。

もちろん、オウムのような反社会的活動を行う団体や、恐喝のような方法をとる団体は駆逐されなくてはならない。

その上で、新興宗教という物の、一定の必要性に対する議論があってもいいのではないかねと思う。

無論自分が宗教のお世話になることは永久に無いはずだし、周りの人が入ろうとしたら間違い無く説得しようとするけれど。