11月6日
投稿日: 2009/11/24 4:58:12
みくしーの日記に最近投稿したものですが、日数を稼ぎたい、純粋にただその一心からここに転載いたします。
まいど漫画喫茶からこんにちは、楡周平です。
楡周平「私はまだあと2回変身を残している。」
そう、みんな大好きフリーザ様の名台詞ですね。
今はくすぶっているけれど、それはまだ本気を出していないだけ。本当の俺はこんなものじゃない。
と、勇気づけられたよーなんていう人はよもや僕だけではないはず。
あの漫画は当時多くの少年達に夢と希望を与えました。
さすがはジャンプ、努力・友情・勝利・笛の方程式がある限り、これからも名作は生み出されていくのでしょう。ぴゅーっと。
/*そうそう、笛と言えば駒場祭で尺八の演奏会があります。
僕の日記を読むほど他にする事なくて暇な人は是非ご来場ください。
ただ、残念ながら来てもらったところで僕はいませんけどね。*/
ところで最近僕が危惧しているのは、ひょっとして僕は変身を2回残したまま生き、そのまま死んでまうのではなかろうかということです。
というかそもそも人は本当に変身なんてするのでしょうか。
大学で生物について学べば学ぶほど、そんな事は起こらないような気がしてならないのです。わたし…汚れちゃったの。
そこで今日はまず、僕の変身可能性について考察してみたいと思います。
とりあえず、ある人物Xが変身する確率をP(X)=1/10,000,000としておきましょうね。(もしもこの仮定に違和感を持たれるとすれば、それはあなたがまだベイジアンではないからです、反省せよ)
すると、Xに森を代入することによってP(森)=1/10,000,000が得られます。
従って、森が変身できる確率は1/10,000,000であるということが分かります。
やはり数学的に考察してみても、僕の人生が突然華やぐなんてことは無さそうです。なんてこった……!!
――こうして僕は悟ったのです。幸福は自らの手で掴みに行くしかない、と。
そのためには、身の回りで幸福そうにしている人とそうでない人の違いが何なのかということについて考える必要があるでしょう。
例えば友人に、作曲の勉強をするために休学して単身ドイツに赴き、作曲家に弟子入りした人がいます。
僕が最後に彼に会ったとき、彼は「インドォインドインドッ」と、流暢なインド語で将来の展望を語ってくれたものです。
さぞかし幸福なことでしょうね、ちくしょう。
その一方で、仏文学科の友人に、ボードレールを読み過ぎて(推測)、死にたくなってしまっている人がいます。
僕が最後に彼に会ったとき、彼が何言ってたかなんて全然覚えていませんが、余計な係累がありすぎて死ねないとか言ってました。ちょっと心配だよね。
両者の間にあるこの決定的に大きな違いは一体何なのでしょう、僕はここにこそ幸せを切り開くための鍵があるように感じるのです。
思うにそれは、人生で何か成し遂げたい目標があるかどうか、この一点に収束させられるのではないでしょうか。
目標があるから頑張れる、生きる意味を見い出せる、そしてそこに幸福感が生まれる、恐らくそういうことなのでしょう。
そこに気づいた僕は、早速生きる目標を決めるため、僕にとって理想の未来とは何なのか、その情景を想像してみました。
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「これだから天気予報なんてものはあてにならないな」
突然の俄か雨に降られ、改札の前で雨宿りをする羽目になった俺。
雨は決して春雨と呼べるような類のものではなく、正にゲリラ豪雨よろしく桜並木をかすませている。
あたりを見渡せば、同じく止むのを待つつもりだろうか、ふてくされたように立ちすくむ者、どこかに電話を掛ける者、はたまた鞄を抱えながら走って雨の中へ消えていく者など、おしなべてこの突然の来訪者に手を焼いている様子だった。
雨とは言え走れば五分弱か、確かに走れない距離ではない、しかし今日は・・・
そう、今日だけは濡れてはならない理由があった。
「仕方ない、すぐに止むだろう」
しかし空は当分状況が好転しそうにないことを物語っていた。
三十分は経過したであろうか、絶望感に浸りながら帰路の方向を眺めていると、遠くにぼんやりと映る人影。
その輪郭は次第に大きく、また曖昧さを失っていき、少しずつ見覚えのある形を形成していった。
「お父さーん!」
娘である。片手には俺の傘を持ち、それをこちらに向かって振っている。
「帰りが遅いから、もしかしてと思って」
そう言って傘を俺に手渡す。
引きずってきたのだろう、傘の先が濡れている。
そうだ、俺も渡すものがあったんだ。
それを濡らさないためにわざわざ雨が止むのを待っていたのだから。
「今日、誕生日だろ。だから、これ」
「え…」
少し困惑したような顔を浮かべながら、プレゼントと俺の顔を何度も交互に見比べる。
無理も無いだろう、実の娘とは言え、もう高校生になる。
正直、男である俺に趣味なんて分からない。
まぁそれでも、自分なりには考えたつもりだったのだが。
「…さ、帰ろうか」
その場の空気に耐えかねて、受け取った傘をさし、そそくさと駅を出る。
歩きながら、何の気なしに娘の横顔を見る。
俺に似なくてよかったな、とぼんやり思っていると、ふと娘が口を開く。
「お父さんー」
「なんだ?」
「―――――」
雨足はまた強さを増し、最早会話もままならないほどになりつつある。
「なに?」
「―――う!」
「ごめん聞こえないよ」
すると娘は突然を傘を閉じたかと思うと、俺に飛びつくなりこう言った。
「お父さん、ありがとう」
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あぁこの人バカなんだな、と思った人は正直に挙手をしなさい。 怒らないから。
そんな方にこれが全然バカな夢なんかではないということを今から説明しましょう。 そうしてあなたは他ならぬ自分が馬鹿だったと気づくのです。
この夢を実現させるには、少なくとも以下の条件を満たさなくてはいけません。
・電車通勤であること
・娘がいること
・娘の誕生日が春であること
・娘が高校生のうちに、娘の誕生日に俄か雨が降り、それによって僕が駅で足止めされること
・僕なりに考えたプレゼントを用意すること
・娘が明るく素直で思いやりのある性格に育つこと
他にも僕が携帯で連絡を取ろうと思いつかないこと、娘が僕に似ないことなど、挙げればきりがありませんが、他と比べれば瑣末な事のように思われるので今回は割愛します。
これだけでも結構大変そうだなぁとは思われませんか。
それでは以下順に検証してみましょう。
・電車通勤であること
首都圏に住めば多分大丈夫。逆にそうじゃないと危ない。
シリコンバレーに住むとか、絶対ないから大丈夫だよ。
・娘がいること
男子高校生じゃ駄目な気がする。
たとえば先行して男子三兄弟が生まれちゃった場合、まだ攻めるのか難しい意思決定が迫られるだろう。
というかまず結婚しなきゃいけないんだけど。
・娘の誕生日が春であること
なんか別に必須じゃない気もするけれど、かすむ桜並木に香る沈丁花。雅なことではないか。
少なくとも冬は嫌だ。寒くて待ってらんないから。
・娘が高校生のうちに、娘の誕生日に俄か雨が降り、それによって僕が駅で足止めされること
チャンスは娘一人につき三度。鬼門か。
ただ、そのころには雨雲を集める小型のミサイルが市販されているかもしれない。
・僕なりに考えたプレゼントを用意すること
あんまりヘンテコなものではさすがにこうはならないだろう。
でも今考えても仕方のないこと。
・娘が明るく素直で思いやりのある性格に育つこと
これはやはり親の教育次第だろう。
そのためには明るく素直で思いやりのある奥さんを見つけなくてはならないのだが、初めのうちは皆そのように振る舞うため、判断つきかねている。
と、ここまで説明すれば、どんなに愚鈍で頓珍漢な方にもこの目標の壮大さ、難度の高さを分かっていただけるのではないでしょうか。
眠いのでもう帰って寝ますが、よろしければ皆さんも、生涯をかけてでも手に入れたいもの、目指したいものはないかなと自問して頂ければ幸いに思います。
以上、楡周平がお送りいたしました。