身近な淡水魚の歴史を未来につなげる〜本当に魚を戻すために〜(2017/03)

2017年3月に刊行された滋賀県で活動する「ぼてじゃこトラスト」の20周年記念誌に寄稿した「身近な淡水魚の歴史を未来につなげる〜本当に魚を戻すために〜」をここに掲載します。PDFも下にあります。テキスト(ウェブ)版は少し文章を修正した箇所もあります。

「淡水魚保全の挑戦:水辺のにぎわいを取り戻す理念と実践」(日本魚類学会自然保護委員会編、渡辺・森責任編集、東海大学出版部、2016年)のとくに「理念」部分の抄訳版ともいえます。

保全の趣意を損なわない限り、文章の転載、再利用、二次利用は自由に引用なしでできます。各所でご活用願えれば幸甚です。ただし図についてはキャプションに付けられた出典情報付きで転載願います。

2017/05/13

渡辺勝敏

身近な淡水魚の歴史を未来につなげる〜本当に魚を戻すために〜

 

渡辺勝敏(京都大学大学院理学研究科)

身近な水辺の淡水魚を守り、戻していく活動は、人間にとって、実はとても大きな意味をもちます。同時に、思いの外多くの難しさや克服しなければならない課題もあります。本稿では、淡水魚の置かれた現状、守るべき対象は何なのか、そして積極的な保全の方法(とくに放流をともなう保全)について、その要点を記していきたいと思います。本稿で示した考え方や内容が、現在途切れそうになっている身近な淡水魚のにぎわいの歴史や、魚と人間の関係の歴史を未来につなげていく活動の後押しとなれば幸いです。

なお、より詳しい内容や具体的事例については、文末にリストした図書などを参考にしてください。

1.身近な淡水魚の重要性と危機

身近な水辺にすむ淡水魚は、人々にとってさまざまな重要性をもちます。淡水魚は、コイ・フナ・アユを代表に、歴史的に(地域によっては今でも)重要なタンパク源として利用されてきました。またそのような目に見える実利だけではなく、「小鮒釣りし彼の川」と唱歌にも歌われるように、人々の生活圏にあって多様な種類がさまざまな経験や思い出のなかに刻み込まれてきました。淡水魚は水とそれを取り巻く環境のバロメータともいえ、「以前はもっと水が綺麗で、無数に魚が泳いでいた」、「捕まえて飼っていた(食べていた)」、「◯◯年前に○○が建てられたときに、あの小川もなくなった(水が汚れて魚がいなくなった)」というように、身の回りの環境の移り変わりを実感する、いわば自然と人間をつなぐ代表者の一つだともいえます。

身近な水辺の自然環境は、高度成長期以降、ほとんど失われる一方です。環境省がまとめる絶滅のおそれのある生物に関するレッドデータブックでは、評価された約400種のうち、実に123種(約30%)が絶滅危惧I類とされています。絶滅危惧I類とは「絶滅の危機に瀕している種」のことであり、「現在の状態をもたらした圧迫要因が引き続き作用する場合、野生での存続が困難なもの」とされます。また、そのうち69種が絶滅危惧IA類、つまり「ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの」、そして54種がIB類、「IA類ほどではないが、近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの」と評価されています(図1)。この絶滅危惧種の高い割合は、他の生物群に比べても際立っており、本州等の主要四島では、とくに平野部の身近な淡水魚の危機が目立ちます。その原因は、河川改修、圃場整備、外来種の侵入、水質汚染、そして鑑賞・商取引のための乱獲等が挙げられます。

今や以前の淡水魚のにぎわいを知る世代は高齢者のみかもしれません。中高年世代のなかには、育った地域や経験によって、わずかながらに残っていた良好な環境からそのにぎわいを垣間見てきた人もいるでしょう。若い世代、子どもたちはどうでしょうか。そのような水辺のにぎわいを楽しみ、利用し、感動する機会も権利も奪われてしまっています。ブラックバスやミシシッピーアカミミガメこそが「自然」となり、日本、あるいは地域ごとに固有で、何千年もの間われわれ人間とともに生きてきた生物や、それを包含する自然風土、また人々の生活の歴史(郷土)への愛着は、失われていかざるを得ません。自然を媒介とした経験や世界観は世代間で大きく不均一な状態にあります。一方で、自分や自分の属するグループがどこにでもあるパーツの一つに過ぎないと感じるより、固有でかけがえのない存在であると感じることで、人は責任ある社会的存在であり続けることができます。自然風土と密接に関係した郷土への愛着を育み、またとその意味を知り、活かしていくためには、現在まだ生き物でにぎわっていた水辺を知る世代が存在するうちに、世代間でその経験や世界観を大きくシャッフルし、共有していかなければならないと思います。

 

2.守るべき対象—各地域の個体群

何百万年もの歴史の結果として今現在各地に息づくそれぞれの種は、まさにかけがえのない存在です。水辺のにぎわいを取り戻していくためには、その「登場人物」を未来に引き継いでいく必要があります。では、種を守るとはそもそもどういうことでしょうか。

生物の本質は進化する実体 地球上には1000万とも1億ともいわれる膨大な数の種が存在します。厳しい自然界では多くの個体が子孫を残すことができず、まして孫、曾孫...とつながっていく確率は非常に小さいものです。しかし、現在を生きるあらゆる個体は、生命誕生以来30数億年にもわたって、子どもを残せずに死ぬことが一度たりともなかった「奇跡の家系の末裔」といえます。生物の本質は、そのような奇跡的な存在が連綿と遺伝子を引き継ぎ、おのずと多様化する「進化する実体」だといえます。そしてその結果が、この想像を絶するほど多様な地球上の生物の姿です。

地域個体群が進化と保全の単位 生物は、それぞれの個体がすんでいる地域の環境や群集のなかで、生き残り、子孫を残すためのさまざまな活動や闘いを繰り広げています。そして毎世代、一部の個体だけが、同じ地域にすむ配偶者とともに子を残し、次世代の登場人物(遺伝子)が更新されていきます。この更新の積み重ねこそが進化そのものであり、つまり,進化の最も重要な単位は、それぞれの地域にすむ、それぞれの種の個体群(=地域個体群)だということになります。もし私たちが、この生物の本質を尊重し、それからなる生物多様性の現在と未来を保全していきたいと考えるのであれば、この地域個体群を「保全の単位」と考えるのは当然のことといえます。できるだけ多くの地域個体群を、本来のさまざまな環境のもとで、できるだけ多数の個体で維持することができれば、進化し続ける実体としての種を保全することができます。

「イチモンジタナゴ」、「イタセンパラ」、「アユモドキ」などと種の名前が付いていると、保全の上でも、それらがひとつの単位であるように思ってしまいがちです。しかし、種を本当に守ろうと思ったら、種を構成する地域個体群を保全の単位として考え、地域個体群の多様さを含めた全体としての種の生き残りと進化の可能性を、われわれ人間活動の悪影響から守っていくことを目標としなければなりません。とくに淡水魚のような自然の移動分散が制限された生物の場合、同じ種であっても、地域個体群はそれぞれの環境で何万年、何十万年、ときには何百万年もの長い期間、独自の進化の歴史をたどってきたものです。われわれヒトの歴史がたかだか20万年程度であることも考えながら、激動の日本列島の地史のなかで生きつないできた各地の魚たちのたくましい歴史を想像してみてください。

3.積極的な保全〜いかに魚を増やすのか

では各地の淡水魚の個体群を守り、増やすにはどうしたらよいでしょうか。簡単そうでいて、そうではありません。しかし難しいのは、多くの場合、生物の特性のためではなく、人間の側の都合のためです。以下に、野外で減ってしまった、あるいは一旦地域絶滅してしまった淡水魚を再び増やすために必要となる事項を3つのステップに分け、それぞれどのように困難を克服していくかを考えていきたいと思います。

① 守る対象と目標を明らかにする

上で述べたように、ある「種」を守るためには、それに含まれている地域個体群を守っていかなければなりません。一方で、人為的な分布の攪乱(放流)や生息環境が本来から大きく変化していることなどを考えると、単に残っている個体群をそこで守りさえすればうまくいくというものでもありません。できうる限り、その種がどのような歴史や生態をもつものであり、生態系の中でどのような役割を果たし、何が原因で減少してしまったのか、現状はどう維持されているのか(あるいは維持されていないのか)、などといった科学的な知見を得ておきたいものです。これは、知見がないと保全できない、ということではなく、知見があればあるほど、よりよい方向の保全が成功しやすい、ということです。

そのためには、さまざまな主体が保全活動に参画するのが近道でしょう。保全は一般に、地域住民、行政、専門家の三者の連携がうまくいったときに、またさらにより広く市民や企業などの協力が効果的に得られたときに成功しやすいことが知られています。取り組みによって、どの主体が中心的な役割を果たすかはさまざまですし、活動の進展に応じて変わっていくこともあるでしょう。いずれの場合でも、かけがえのない地域の遺産を大事にし、未来に引き継ごうとする意思をゆるぎない核として、異なる立場の主体がともに取り組んでいけるかどうかが、要となります。地域の博物館や水族館はしばしばそのよい窓口となってくれます。

残念なパターンをデフォルメして示しておきましょう。

「自然破壊に心を痛め、子どもたちのために魚を増やしたいという方が、その地域で絶滅に瀕した魚を、インターネットで調べ、遠く他県までわざわざ出かけて、大量に採集してきた。近くの水族館に相談したところ、他所の魚の放流はやるべきではないと言われたが、遺伝的に違うかもしれない、などと、実際にどんどん魚が姿を消してきた状況からすると、何をのんきなことを言っているのかと感じ、また、では一体どうしたらいいのかは結局わからないまま。そこでせめてわずかに残った生息地に個人的に放流し、個体数が増えることを見守ることにした。しばらく後、大学の研究者が遺伝的な調査を行ったところ、まったく別地域の個体群に置き換わっていることを報告し、行政は保全対象から外す結論を出すに至った。その後、その生息地は開発対象となってしまった。」

さまざまな主体の前向きな連携の有無がいかに大事かが分かります。

② 生息環境の改善

淡水魚に限らず、野生生物の保全において最も大事なのは、減少要因を取り除き、生息環境を改善することです。しかし、それは一般に難しく、場合によっては不可逆な状況となっています。生息環境ごとに減少要因は多岐にわたりますが、ここでは身近な魚の危機に大きな影響を与え続けている3点に絞って見てみたいと思います。

河川の環境変化 人間の生命・財産を守り、また産業や飲料のための水の確保のために、河川改修(流路の直線化、護岸や河床の平坦化等)やダム・堰堤の建設が継続的に行われてきました。その結果、さまざまな種の生息を許す河川環境の構造的な複雑さが失われ、また上下流への移動も阻害され、その結果、生息種数も個体数も減少傾向にあります。河川法に環境保全が目的として書き加えられ、多自然川づくりをはじめ、多くの取り組みがなされるようになってきました。各魚種の生活史を通じた生態要求を十分に把握して、環境改善に向けた再生事業が適切に行われていくことが望まれます。

しかし同時に、いまだ各地で川を長い区間にわたって干上がらせながら、平坦な河川へと改修している現場をよく目にします。希少種のみを守ればよいということでは決してありませんが、とくにレッドデータブック掲載種が存在する場合には必ず保全対策を実施しながら河川事業が行われるよう、行政レベルの横のつながりが必要です。そのためには市民の厳しい目が必要だと思います。

農地周辺の環境変化 農地、とくに水田の周りの水系ネットワークは、人間の侵入以前に日本列島の平野部に広がっていた湿地帯を代替する(あるいはさらに拡大する)生息環境として、平地性の淡水魚にとって極めて重要であったことが近年強く認識されています。このことは逆に、近年の農地周辺の環境変化が身近な淡水魚の大きな減少要因となったことを意味し、魚にとっては梯子を外された状況となっています。環境変化には、農地自体の減少、移動障害をともなう用排水分離型の人工制御された水の流れ、農事カレンダーの変化(早稲栽培)、溜池管理の休止などが含まれます。

農地が生産・産業の場である以上、収益や効率化と淡水魚保全は対立することが多いでしょう。とくに今貴重な生息環境として残っているところは、零細な農業形態で、継続が困難となっている場所が多いのが現状です。自然共生農産物としてのブランド化などで付加価値を付け、生産を行っている地域もありますが、そのような自助的な取り組みのみで、積極的にそのような場所を維持したり、まして広げる力となるかは疑問です。日本の風土・景観を典型的に残す地域の農業を維持・継続させていく責任は、農業者自身というよりは広く国民全体にあります。かけがえのない景観、技術的文化、人と自然との関わりを積極的に維持していくために、例えば淡水魚・生物多様性保全を切り口に、さまざまな可能性を押し広げていく価値と必要性は大きいのではないかと思います。

外来種 ブラックバスやブルーギルなどの外来捕食魚の無秩序で全国的な放流が、各地の水域の生物多様性を瞬く間に劣化させたことは疑いもありません。それらが特定外来生物として規制の対象となった後も分布を広げ、とくにコクチバスやチャネルキャットフィッシュの分布拡大が続いている現状は、無法な環境破壊者の存在のもとで淡水魚保全を進めなければならない現実を突きつけるものです。しかも、外来種の根絶は小さい閉鎖水域以外では難しく、ほとんど未来永劫にわたって対処を続ける必要があります。

水辺にすむ小魚にとって、ブラックバスやブルーギルの存在はしばしば致命的です。根絶が難しいとなるとどうすべきでしょうか。終わりのない対処は最初から諦めるというのも一つの考えでしょう。もう一つは、決して諦めない、という選択肢です。現在の技術で完全駆除は不可能でも、どうにか他の種が維持できる程度に個体数を抑制することは、継続的な取り組みによって実現可能である場合があります。ベストの技術と効率的な取り組み体制によって、国民の財産である生物多様性の維持、育成を図っていくことは、決して無駄でも無謀でもありません。ちょうど農業において草刈りやその他の管理を続けながら農産物を得るのと同じように、古くて新しい人と自然の付き合い方であるといえます。

③ 魚を増やす〜放流は有効な保全手段か?

上記のような減少要因に対して、環境改善が何らかの程度で進められた場合、元の生き物の復元に挑戦する段階となります。植物やトンボなどの昆虫の場合、よい環境には移動分散や休眠種子から発芽などによって種が自発的に加入してきます。しかし、淡水魚の場合、自力で新生息場所に移動するのが難しい、あるいは時間がかかるケースがあり、また飼育下にしか生き残っていない場合もあります。さらには、個体数が一旦減りすぎた場合など、自立的に個体群が維持できなくなったような状況もあります。このようなとき、人為的に、施設内で個体数を増やす手助けをしたり、元の生息場所に再び持ち込んだりする保全策が考えられます。

水産放流に馴染みの深い日本人にとって、魚が減ったのなら、放流して増やせばよいではないか、と考えることも珍しくありません。しかし、放流のような人為的な「導入」による保全は、実際には多くの難しい課題があり、成功例はわずかです。さらに、安易に導入によって生き物を増やそうとしたばかりに、取り返しのつかない弊害も生じてきました。保全手法としての導入(放流)が、どのようになされるべきなのかを、基本的な考え方から技術的な問題まで、以下に要点を取りまとめてみたいと思います。また放流による保全策を具体的に考える場合には、日本魚類学会が提案した「生物多様性の保全をめざした魚類の放流ガイドライン」が、チェックリストとしてうまく活用できると思います。

③-1 放流による保全策が有効な場合

放流という手法を用いて希少種を保全する方策には、どのような場合があるでしょうか。典型的なものを挙げていきます(図2)。

補強・繁殖補助 野外に個体群がまだ細々と生息しているが、このままでは近い将来に絶滅してしまう可能性が高いと判断される場合があります。そのようなとき、野外個体や、すでに飼育管理下に置かれている個体を用いて増殖を行い、得られた個体を野外個体群に加えてやることで、絶滅リスクを下げることができるかもしれません。

再導入 不幸にも野外個体群が絶滅したあと、環境改善や外来種駆除などが実現し、元の生息種を復活させたい場合があります。もし野外で絶滅する前に、飼育増殖された個体があれば、それを野生復帰させるのがベストでしょう。そのような飼育個体群が存在しない場合、元の個体群と最も近縁な(しばしば地理的に近傍の)残存個体群を再導入することが、次善の策となるかもしれません。

保全的導入 もとの生息範囲内に、どうしても生息環境を復元、再生できない場合、別地域の野外環境に導入し、野生復帰させることも、種の生き残りを図る最終手段として選択肢となりえます。ただし、これは新たな外来種を生むことに違いありませんので、十分な検討と合意形成が必要です。

一方、地域個体群の存続がそれほど危ぶまれていない場所で放流を行ったり、本来の生息域内に活用できる場所があるにもかかわらず、まったく別地域に放流したりすることは、放流による保全上の利益よりも、次に挙げるような放流のリスクのほうが大きくなるでしょう。

③-2 放流のリスク

保全や増殖を目的としていても、放流はさまざまなリスクをともないます(図3)。

病気の拡散 まず、病気・感染症の拡散です。例えば、水産放流にともなって、さまざまな外来性の病気が拡がり、ときおり、野生個体群にも大きな被害を出していることを考えると(アユ放流による冷水病やエドワジエラ・イクタルリ感染症、コイヘルペスウイルス病など)、放流は予想以上に大きな危険性をはらんでいるかもしれません。

置き換わり・遺伝的攪乱 補強的放流の際に、野生個体群と遺伝的に異なるものを放流してしまった場合、交配や置き換わりによって、その地域で進化を続けてきた個体群を別のものに変えてしまいます。これは上で述べたとおり、本来の保全とはかけ離れた行為となります。また放流個体群の遺伝的多様性が低い場合、放流後の野外個体群全体の多様性が低下します。再導入においても、遠く離れた地域の環境に適応した個体よりも、近隣の同様な環境に適応した個体を用いたほうが、定着に成功する可能性が高いと予想されます。

いずれのケースでも、遺伝的に大きく異なる個体群を放流に用いると、悪い場合には、中・長期的な存続性が低下し、絶滅に加担してしまうことになります。

他の希少生物への影響 いったん絶滅してしまった場所に再導入することで、他の希少生物に悪影響が生じる可能性も考慮すべきです。

放流効果の過大評価 放流はわかりやすい行為であるため、それによって保全が達成できると過信し、本来重要な環境改善などがおろそかになりかねません。

一つの例として、伊勢湾流域のイチモンジタナゴに着目してみます(図4)。伊勢湾流域から近畿地方にかけて分布するイチモンジタナゴの遺伝的な集団構造を調べてみたところ、伊勢湾流域の在来と思われる系統は、三重県松阪市に残るのみで、濃尾平野に点々と見られるイチモンジタナゴは、琵琶湖周辺、あるいは遠く分布の西端地域の遺伝的特徴をもつものばかりでした。つまり、伊勢湾流域のイチモンジタナゴは見た目をはるかに超えて壊滅的な状況であり、意図的、非意図的かを問わず、人為的な導入個体群に置き換わってしまっています。皮肉なことに、琵琶湖周辺のイチモンジタナゴはほとんど絶滅に近い状態にあり、こちらは保全対策が必要です。それぞれの地域の在来個体群をどうにか保全し、将来に引き継ぎたいものです。

③-3 放流にいたる各段階の課題

放流をともなう保全策は、典型的には以下の段階を含み、それぞれクリアすべき課題があります。

(1) 飼育個体群の確立 野生個体群が絶滅寸前になって初めて飼育個体群の確立に着手することが多いのが現実です。しかし、遺伝的多様性がすでに失われ、近親交配の恐れが生じてから飼育し始めても、思ったように増殖できないことがあります。元の個体群の遺伝的・歴史的な特徴を残し、将来の再導入等を成功させるためには、遺伝的多様性が大きく失われる前に、飼育計画を開始しなければなりません。また、十分な個体数に基づいて飼育個体群を確立するには、飼育施設の用意や方法の検討など、さまざまな事前準備が必要となるでしょう。

(2) 飼育個体群の増大 魚種によって、飼育下での繁殖の難易には大きな違いがありますが、まず飼育個体群を増大させ、絶滅の危機を回避させる必要があります。しかし、野外から得られたもののうち、ごく一部の個体の子供だけで飼育個体群が占められることのないように、特に初期段階の繁殖魚の管理には注意が必要です。

(3) 飼育個体群の継代管理 多くの場合、生息地を改善し、再導入ができるまでには時間がかかります。その間に、飼育個体群は、遺伝的多様性の低下、および飼育環境への適応という2つの「進化」、つまり世代交代にともなう遺伝的な変化に関わる問題に直面します。飼育下でとりあえず絶滅を回避したあとは、「進化の凍結」が課題となります。できるだけ野生に近い環境下で、多くの個体数を複数に分けて飼育し、時折個体を交換するなどの方法がしばしばとられます。あまり多くの個体数を維持できない場合には、家系の管理ができるとベターです。

(4) 再導入・補強 野外環境の改善が進み、再導入または補強が行える状況になったら、いよいよ飼育個体の野生復帰を試みることになります。飼育個体群を維持しながら、かつ野外個体群がうまく再確立できるよう、バランスを取って、個体の選択、個体数の決定、放流の時期や回数を決めていくことになります。重要なのは、試行錯誤を繰り返し、その都度、順応的に計画を改善していくことです。

(5) 野外個体群の監視と評価 放流すれば保全計画が終了するわけではありません。一度の放流の結果、それで目的が達成できたのか、あるいはうまく行かなかったのか等、追跡調査が必要なのは言うまでもありません。また上記のとおり、調査から得られた情報を取り入れ、粘り強く改善を試みていくことが、本当に魚を増やすためには必要です。

以上からわかるように、放流による保全策は、多くの場合、簡単でも、安価でもありません。放流のような人為的な増殖活動が必要になる前に、環境を改善したり、危機要因を排除・低減したりするほうが、はるかに合理的である場合が多いと思われます。

しかし、現実に一線を越えようとしている種や個体群に対しては、最終的な手段として、飼育増殖や再導入・補強は、やはり重要な手法です。また、野外個体群の再定着の可否については、やってみなければわからないことも多くあります。種の生態特性や飼育下での増殖速度に応じて、多数の試行錯誤を重ねながら、再定着を試みる場合もあれば、入念に一点集中的に再導入を計画、実施する必要がある場合もあるでしょう。また外来種駆除が一緒に実施される必要があるケースも多いでしょう。いずれの場合でも、計画を円滑に進め、かつ成功に導くためには、地域住民、市民団体、行政、そして専門家が、前向きな希望をもって、協力して行くことが重要です。

参考文献・図書

片野 修・森 誠一(編).2005.希少淡水魚の現在と未来―積極的保全のシナリオ―.信山社,東京.416 pp.

日本の淡水魚類の保全の考え方から、各論、実践まで、第一線で活躍する執筆陣により、広く解説。

日本魚類学会.2005.生物多様性の保全をめざした魚類の放流ガイドライン(放流ガイドライン,2005).魚類学雑誌,52: 80–82. http://www.fish-isj.jp/iin/nature/guideline/2005.html

放流をともなう保全策を実施する上で有用なガイドライン。計画を策定する際の検討項目のチェックリストとして利用できるだろう。

日本魚類学会自然保護委員会(編)(渡辺勝敏・前畑政善責任編集).2011.叢書イクチオロギア1 絶体絶命の淡水魚イタセンパラ:希少種と川の再生に向けて.東海大学出版会,東京.284 pp.

日本の淡水魚保全の発祥地であり、かつ最前線であるイタセンパラの再導入を含めた保全について、様々な視点から熱く語られ、将来の川の姿についても論じられている。

日本魚類学会自然保護委員会(編)(向井貴彦・淀 太我・瀬能 宏・鬼倉徳雄責任編集).2013.叢書イクチオロギア3 見えない脅威“国内外来魚”—どう守る地域の生物多様性.東海大学出版会,秦野.254 pp.

国内外来種問題について、真っ向から取り扱った初めての本。水産業、また安易な保全活動としての放流問題に孕む深刻な問題を多角的に解説し、問題提起を行っている。

日本魚類学会自然保護委員会(編)(渡辺勝敏・森 誠一責任編集).2016.叢書イクチオロギア4 淡水魚保全の挑戦–水辺のにぎわいを取り戻す理念と実践.東海大学出版会,秦野.327 pp.

淡水魚の積極的保全の理念と実践について、多数の実例を含め、多くの執筆者により論じられている。地域での熱心な取り組み事例は、今後淡水魚と水辺の環境保全を進めていく上でのよい参考例ともなるだろう。ぜひ手にとっていただきたい。

日本魚類学会自然保護委員会(編).2009〜(継続中).日本の希少魚類の現状と課題.魚類学雑誌,連載中

日本の絶滅危惧種、あるいは貴重な魚類群集について、各号2、3種を取り上げ、保全の第一線で活躍する執筆者により、その現状と課題について解説されている。下記URLから全文を無料で読むことができる。

高橋清孝(編).2009.田園の魚を取り戻せ! 恒星社厚生閣,東京.150 pp.

市民活動を中心とした身近な淡水魚の保全の実例が豊富に示され、各地の地に足の着いた保全活動の今を知ることができる。

淡水魚保全のための検討会.2016.二次的自然を主な生息環境とする淡水魚保全のための提言:みんなでまもり,つくり,ささえて,恵みを得る〜人と淡水魚がにぎわう豊かな環境.http://www.env.go.jp/press/102341.html.

環境省が中心に取りまとめた、農地など二次的自然にすむ淡水魚の保全を目指した提言。基本的な考え方や情報に加え、生活史や生態の類型分けにもとづく典型的種の保全事例、保全に役立つ各種法律の紹介と適用例の資料集などは、保全計画を考えるにあたり、大いに参考になるだろう。

Frankham, R.・J. D. Ballow・D. A. Briscoe. 西田 睦監訳(高橋 洋・山崎裕治・渡辺勝敏訳).2007.保全遺伝学入門.文一総合出版,東京.751 pp.

保全に関わる遺伝学的な側面について、飼育管理や再導入を含む、実践的な具体例が豊富で、かつ集団遺伝学の基礎も広く解説された、絶好の入門的専門書。

Soorae, P. S.(編)2008. Global re-introduction perspectives. Re-introduction case-studies from around the globe. IUCN/SSC Re-introduction Specialist Group, Abu Dhabi, UAE.

Soorae, P. S.(編)2010. Global re-introduction perspectives: 2010. Additional case-studies from around the globe. IUCN/SSC Re-introduction Specialist Group, Abu Dhabi, UAE.

Soorae, P. S.(編)2011. Global re-introduction perspectives: 2011. More case studies from around the globe. IUCN/SSC Re-introduction Specialist Group, Abu Dhabi, UAE.

Soorae, P. S.(編)2013. Global re-introduction perspective: 2013. Further case studies from around the globe. IUCN/ SSC Re-introduction Specialist Group, Gland, Switzerland and Environment Agency-Abu Dhabi, Abu Dhabi, UAE. 

Soorae, P. S.(編)2016. Global re-introduction perspectives: 2016. Case-studies from around the globe. IUCN/SSC Re-introduction Specialist Group, Gland, Switzerland and Environment Agency-Abu Dhabi, Abu Dhabi, UAE.

世界の再導入のケーススタディを、無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類から広く集め、その方法や到達度などがわかりやすい形で提示。日本からは、第2巻でミヤコタナゴ、第3巻ではイタセンパラ、ウシモツゴ、イチモンジタナゴ、そしてアブラボテの事例が掲載。上記はいずれも下記からダウンロードできる(英語)。

http://iucnsscrsg.org/index.php