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オペラ・ブッファ(喜劇オペラ)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ
初演:1790年(ウィーン)
特徴:恋愛をテーマにした軽妙な筋立て、機知に富んだやりとり、アンサンブルの妙
完全なコメディというより、皮肉や人間関係のリアルな心理描写も多く、「笑えるけどちょっと苦い」作品
1789年夏頃
ウィーンでモーツァルトに新作オペラ・ブッファ(喜劇オペラ)の依頼が検討され始める。
皇帝ヨーゼフ2世(音楽好きでオペラ・ブッファ推進派)がモーツァルトに依頼した可能性が高いとされる(直接の証拠はないが、状況証拠多数)。
1789年秋
リブレット(台本)作成をロレンツォ・ダ・ポンテに依頼。
ダ・ポンテは過去にモーツァルトと『フィガロの結婚』で共作しており、信頼関係があった。
1789年10月〜11月頃
モーツァルト、作曲に着手。
1790年1月26日
ウィーンのブルク劇場にて初演。
初演タイトルは**“Così fan tutte, ossia La scuola degli amanti”**(「コジ・ファン・トゥッテ、または恋人たちの学校」)。
1790年2月20日
皇帝ヨーゼフ2世が死去。
以後、宮廷の音楽政策が変わり、オペラ・ブッファの上演機会が急減。
『コジ・ファン・トゥッテ』も予定されていた再演が中止される。
当初はウィーン宮廷楽団の作曲家アントニオ・サリエリに依頼されたという説がある。
リブレット(台本)を最初に手がけたのはロレンツォ・ダ・ポンテ。彼はサリエリにこの台本を提供。しかし、サリエリはこの台本を音楽にすることを拒否し、作曲を断念。これにより、モーツァルトがこのオペラの作曲を引き受け、1790年1月26日にウィーンのブルク劇場で初演。
サリエリからしたら、モーツァルトがオペラの作曲を「横取り」したという見方もあるが、実際にはサリエリが最初にリブレットを受け取ったものの、作曲を断念したため、モーツァルトがその後を引き継いだ。
歴史的には、モーツァルト毒殺説はほぼ否定されていますが、18〜19世紀の一部の伝記や噂では、サリエリとの関係が原因とされることもありました。
特に『コジ・ファン・トゥッテ』の件や、モーツァルトが宮廷で急速に評価を高めたことが、サリエリの立場を脅かしたのではないか、という見方が噂の元になったと考えられています。
•当時のウィーン宮廷では、作曲家たちの間でライバル意識や嫉妬が強く、サリエリも嫉妬されたり、逆に噂の対象になったりしていた
•これがのちに、毒殺説という誤解や伝説につながった
現代の研究では、文書や証言からサリエリが毒を盛ったという証拠は一切ないとされています。
つまり、コジ・ファン・トゥッテの件は噂のきっかけのひとつに過ぎず、実際の事件とは無関係です。
結論として、『コジ・ファン・トゥッテ』の作曲に関するサリエリとの関係や毒殺説は、事実ではなく歴史的な噂や誤解に過ぎません。
時は18世紀後半、舞台はイタリアのナポリ。若い将校フェルランドとグリエルモは、それぞれの恋人フィオルディリージとドラベッラの貞節を疑ったことがない。しかし、年上の哲学者ドン・アルフォンソは「女の心は気まぐれなもの」と言い切り、二人に恋人の忠誠心を試す賭けを持ちかける。
男たちは変装して他人のふりをし、互いの恋人を誘惑するという計画を実行することに。二人の女中デスピーナも加わり、偽りだらけの“愛の実験”が始まる――。
フィオルディリージ(Fiordiligi):ソプラノ
グリエルモの恋人。真面目で慎み深く、理性と感情の板挟みに悩むタイプ。
ドラベッラ(Dorabella):メゾ・ソプラノ
フェルランドの恋人。姉よりも情に流されやすく、恋に対してやや軽い。
フェルランド(Ferrando):テノール
ドラベッラを愛する将校。純粋で情熱的な性格。
グリエルモ(Guglielmo):バリトン
フィオルディリージの恋人。冷静さとユーモアを持ち合わせた青年。
ドン・アルフォンソ(Don Alfonso):バス(またはバス・バリトン)
哲学者。恋愛に対して皮肉たっぷりの視点を持ち、賭けを仕掛ける仕組人。
デスピーナ(Despina):ソプラノ
フィオルディリージとドラベッラの女中。ちゃっかり者でコミカルな役柄。
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