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夜の帳が降りたマントヴァ。
公爵の宮殿では、今宵も豪奢な舞踏会が開かれている。
蝋燭の炎が金のシャンデリアに揺れ、貴族たちは色とりどりの衣装で踊り、ワインと音楽に酔いしれていた。
中央に立つのは、若き支配者──マントヴァ公爵。
容姿端麗、気まぐれで傲慢。
彼の関心はただ一つ、「欲しいものは、手に入れる」ことだった。
今、彼の目に宿る執着は、最近教会で見かけた名も知らぬ娘。
だが、彼は同時に、貴族チェプリャーノ伯爵の妻にも手を出していた。
公爵は、まるで風に舞う羽のように、気まぐれな恋を語る。
「今日この女に惹かれても、明日はきっと別の誰かに心が向く。
貞節なんて、縛られたい者だけが守ればいいさ。恋には、自由こそが必要なんだ──」
彼の口調は軽やかだが、その言葉の裏には、人の心をもてあそぶ冷酷さが覗いていた。
取り巻く貴族たちは、どこか冷ややかな笑みでその言葉に付き従っていた。
その傍らに立つのは、リゴレット。
背は低く、体には障がいがある。
しかし、道化としての仮面の下に、公爵が最も信頼する毒舌の助言者としての顔がある。
貴族たちの弱みを握り、容赦ない嘲笑で彼らを追い詰める──
それがリゴレットの「仕事」だった。
だが今夜、怒りに震える一人の男が、宮殿の中心へと割って入った。
モンテローネ伯爵──
彼は、公爵により娘の名誉を踏みにじられた父だった。
「神は見ている……!」
「娘の涙はやがて、お前に裁きをもたらすだろう──この放埓な公爵にも、そして、この唇が嘲笑を吐き続ける道化にも!」
その声は、まるで雷鳴。
空気が凍りつくような静寂の中で、リゴレットは──
いつものように冷たく笑った。だが次の瞬間、言葉が途切れ、表情が凍る。
「呪い(La Maledizione)──」
その一言が、彼の心の奥に、鋭く突き刺さった。
笑顔の奥に隠していた「秘密」と「恐れ」が、ふいに揺らいだ。
その夜、リゴレットは人知れず家へと急ぐ。
彼には、誰にも明かしていない大切な存在がいた。
──娘、ジルダ。
愛するがゆえに、貴族の目から遠ざけ、世間の闇から隠し育ててきた。
「わしの全てはお前の中にある!」
彼はそう言いながら、ジルダを家に閉じ込めてきたのだった。
ジルダは静かに父を見つめ、少しだけためらいながら口を開く。
「ここに来て、三ヶ月が経ちました……まだ、一度も町を見たことがないのです。
もし許していただけるなら、一度だけ、外の空気を感じてみたくて……」
リゴレットは即座に鋭く反応する。
「ならぬ!……ならぬ! お前、まさか外へ出たことはないな?」
ジルダは驚き、すぐに答える。
「……はい。ありません」
「許さん!」と、リゴレットは叫ぶ。
その声には、怒り以上のもの──恐れが滲んでいた。
ジルダはうつむき、小さくつぶやく。
(ああ……言わなければよかったのに)
リゴレットは娘の手を握り、必死に語りかける。
「気をつけるんだ。」
彼の瞳には、過去の傷と現在の恐怖が入り混じっていた。
リゴレットにとって、ジルダはただの娘ではなかった。
──唯一無二の、彼のすべてだった。
父が去ったあと、ジルダはためらいがちにジョヴァンナの方へ顔を向けた。
「……ねえ、ジョヴァンナ。ちょっと、後悔してるの」
「どうしてですか、お嬢様?」
「……教会で、ある若者につけられたこと……お父様には、言わなかったの」
ジョヴァンナは少し驚いたように眉を上げる。
「どうして黙っていたのです?……その方のことが、お嫌いなんですか?」
ジルダはかぶりを振る。
「……いいえ。嫌いどころか……あまりにも素敵だったから……たぶん、わたし、恋しそう……」
その言葉に、ジョヴァンナは優しく微笑んだ。
「それに、どこか堂々としていて──高貴な人のようにも見えましたよ」
ジルダはそっと胸に手を当てた。
夢見るような目をして、ぽつりとつぶやく。
「……貴族や王子様じゃないほうが、いいの。
貧しくて、名もない人のほうが……本当に、好きになれる気がするの。
もしそんな人に恋をしたら……きっと夢の中でも、その人の名前を呼んでしまう。
うっとりとした声で……『愛してる』って──」
その瞬間、部屋の扉がそっと開く。
そこに現れたのは、あの若者──公爵だった。
ジョヴァンナは彼の合図に従って音もなく部屋を後にする。
驚くジルダの前で、公爵はひざまずいた。まるで彼女の想いに応えるように、そっと言葉を重ねる。
「……愛している!
君が今言ったその言葉──そのまま続けてくれ。
“愛してる”……この素晴らしい響きを、もう一度聞かせて。
君の声で、喜びの天国の扉が開くんだ」
ジルダは立ち尽くす。周りを見回して、戸惑いをにじませる。
「ジョヴァンナ?……どうすればいいの?
誰も……誰も答えてくれない……ああ、本当に誰も?」
公爵は静かに立ち上がり、ジルダのそばへと近づく。
「……なら、僕が答えよう。心から。
そう、愛し合う二人こそが、この世界のすべてだ」
ジルダの声が震える。
「……だ、誰が……どうしてあなたがここに?」
公爵は優しく微笑む。
「天使でも、悪魔でもいいじゃないか。
それより──僕は、君を愛してる」
ジルダは一歩退き、声を強めた。
「……出て行ってください!」
けれど公爵は一瞬だけ目を伏せ、そして決意を込めて言い放つ。
「出て行くさ、すぐに……
でも今、この愛の炎が僕たちを包んでいる。
切っても切れない糸で結ばれた、運命のように──
これは、神が結んだ愛なんだ」
その声には、信仰にも似た熱がこもっていた。
「愛は、心の太陽。命そのもの。
そのささやきは、胸の鼓動となり響く。
名声や栄光、権力も王位も──そんなものは儚い幻にすぎない。
この世で唯一、神聖なもの──それは愛だ。
愛こそが、僕たちを天使に近づけてくれるんだ」
彼は手を伸ばすように言った。
「さあ、愛し合おう。天から遣わされた乙女よ。
君とともにあるなら、僕はきっと世界一羨まれる男になる」
ジルダは胸に手を当て、そっと目を閉じた。
(ああ……これこそ、わたしの乙女の夢……
これほどに恋しく、優しい言葉が、この世にあったなんて)
彼は貧しい学生を装い、こっそりジルダに甘く囁く。
ジルダはうっとりと彼の胸に身を預ける。
そして──
リゴレットが家を離れた隙を狙い、貴族たちが動く。
リゴレットに目隠しをさせ、「隣家の伯爵夫人を誘拐する」と言って協力を仰ぎ、そのまま、彼の最愛の娘──ジルダを連れ去る。
目隠しを取ったリゴレットが、それに気づいた時。
彼の顔から、仮面のような笑みが崩れ落ちる。
「まさか……ジルダ……」
「ああ!あの呪いだ!!」
最後にやっとの思いで叫び声をあげる。
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