2003年5月12日に開設し,続けてきたホームページを2011年3月31日に閉鎖しました。
この日までに,70135人の方に訪問していただきました。
このホームページには,道徳教育,生徒指導,学級経営,読書記録,セミナーの様子などいろいろなコーナーをつくり書いてきましたが,あまりにも手を広げすぎたため閉鎖して,ブログ「半径3mの教育論」に絞って書くようになりました。
そこで,旧ホームページの「半径3mの教育論」の記事をこのホームページに再アップすることにしました。現在,毎日更新しているブログ「半径3mの教育論」に未収録記事をぼちぼちとアップしていこうと思います。 (1~1054)
先日、平成15年度、最初の保護者との懇談会を実施しました。その中で私が話したことをまとめてみました。「もう、中学生」なのか「まだ、中学生」なのか保護者に次のような質問を投げかけてみました。「自分の子どもに対して、もう、中学生、まだ、中学生、どちらの意識を持 ってい ますか。」それぞれ挙手してもらいました。結果は、「もう、中学生」が約80%「まだ、中学生」が約20%でした。ほとんどの方が、自分の子どもを「もう、中学生」だという意識を持ってしらしゃるということですね。どちらが正解ということはわかりませんが、法律の上では20歳未満の少年は「少年法」という法律で守られています。簡単に言えば、未成年者が人を殺しても死刑にはならないのです。この理由は、20歳未満の少年は、人間として未完成、未熟だ と考えられているからです。つまり、法律の上では、「まだ、中学生」ということになるのです。では、この「もう」と「まだ」の意識の違いが具体的にどのような形で出てくるのでしょうか。例えば、子どもから携帯を買ってほしいと言われたら、「もう中学生だから携帯ぐらい買ってやってもいいいだろう。」ということにな りませんか。次に、夏休みに友達の家に泊まりたいと言われたら、「もう中学生だから、友達の家ぐらいならいいだろう。」ということになりませ んか。人間として未完成の自分の子どもに対して、「もう、中学生なんだから自分の責任で行動しなさい。」という上辺だけの優し さを見せるのではなく、保護者の価値を押しつけるべきです。「ダメなものはダメ、まだ中学生でしょう。」と突っ張るべきです。 大切なことに対しては、物わかりの良い大人ではなく、壁となり子どもの前に立ちはだかるべきです。もちろん、場合のよっては子どもに考えさせることも必要になってくると思います。しかし、今の家庭教育は「もう、中学生」という意 識で行われていることのほうが多いように感じます。もっと、大人の代表として「まだ、中学生」という意識をもち、子どもたちに接すべきだと思います。この判断甘さが、自分の子どもを非行に走らせるどうかの分かれ道なると考えます。
以前、読んだ本に書いてあった4Lを私なりにアレンジして、保護者に説明しました。
○LOOK…見るではなく、観るです。つまり自分の子どもを日頃から、しっかりと見ておくことです。
○LISTEN…聞くではなく、子どもの話を聴くこと。聴くという字には14この心がはいっていますよ。
○LAUGH…笑う。家庭が明るく楽しいと子どもは多少苦しいことや悩みがあっても、明日への活力を得てがんばれるものです。問題行動を起こす生徒が「家が面白くない」とよく言っていたことを思い出します。
○LEAD…導く。親が人生の先輩として、自分の子どもを正しい方向に教え導くことです。子どもに遠慮することなく、「ダメなものはダメ」と壁となり立ちはだかることも時には大切です。
今日、S先生のHP(私のおすすめリンク集にあります)の中の学校便り「ある雨の日に」という原稿を読ませていただいた。それを読みながら思い出したことを書きたいと思う。以前勤務していた学校で、急な雨が降り出した時、多くの生徒が放課後、学校までむかえに来てくれるよう、家に電話をする姿がよく見られていた。まさか、雨が降り出しただけでむかえにくる保護者は、そんなにいないだろうと思っていたら、10数台の車が、学校の玄関まで横付けするようなことがあった。そこで、私は保護者会で、次のような話をした記憶がある。「朝から、今日の天気を知ることは大切なことです。曇りや雨の予報が出ていれば傘を持っていく。これが当たり前です。、自分が今日の天気を知ろうとしなかったことや傘を持っていったほうが良いという親の忠告を聞かないのが悪いのに、子どもが親に、車でむかえに来てくれというのはおかしいのです。だから、自分の足で歩いて帰ってきなさいぐらいのことは、親として言っていいのではないでしょうか。そして、ずぶぬれになった子どもに、お風呂をためておいたから、早く入りなさい。風邪ひくよ。という方が、ほいほいむかえに行くより、数倍優しく、教育的ではないでしょうか。」これから先、自分にどのようなことが起きそうなのか、情報を集めて自分で判断することが大切なことだと思う。たかが、天気だが、されど天気。本当の「生きる力」とはこんな小さいことにもあてはまるのではないかと思う。
ある雑誌で、不登校生徒が増加するのは、中学校1年生からが多いという資料を見た。そのことを、スクールカウンセラーの先生と話をしていたら、いくつかの小学校から1つの中学校に入学するため、クラスの中では、同じ小学校の顔見知りの級友は少なく、見たこともない級友との生活が突如始まることになる。その緊張感が友人をづくりが苦手な現代の子どもにとってプレッシャーになっているとのことである。このような状態を少しでも改善するためには、中学校に入学する前に、入学予定の児童を集め、交流会やエンカウンターなどをやり、お互いがふれ合う機会を持たせることが大切だと言われた。本校では、昨年度末、中学校授業体験と銘打って、3校の小学校児童を希望性による均等割をし、理科・技術・英語・道徳などの授業を受けさせた。この取組が不登校生徒を少しでも減らせるきっかけになればと考え、今年度も実施する予定である。
今日、教育実習生4名と初任者2名を相手に、道徳模擬授業を実施した。資料は、「とっておきの道徳授業 中学校編」でも紹介された、私の「本当のライバルとは」だった。久々の道徳授業だったので、発問や間の取り方など慣れるまで少々時間がかかった。6人の感想の中に、テンポが良く、授業にどんどん引き込まれたという感想があった。道徳授業をする上で大切なことを再確認した。
定期テストを返した後、次のように言う。成績は急に上がると良くない。ちょうどエレベーターで一気に上がると具合が悪くなるのと同じだ。登山でも一気に登ると高山病と言って、頭痛や吐き気がしてくるものだ。だから、成績も一歩ずつ、着実に上がっていく方が良い。ちょうどそれは階段で上るのと同じである。この階段でさえ、途中に息継ぎをする踊り場が設けてある。一歩一歩上っても休息は必要なのである。受験という長い長い階段を、息を整えて着実に上っていくことが大切なのだ。
今まで,保護者として子どもの授業参観に数回出席したことがある。その時に気になったのは,授業を参観している保護者の態度である。・ガムを食べている。・廊下で大きな声でしゃべっている。・携帯の着メロが流れる。などなどである。学校と家庭や地域の連携を図る意味で、授業参観、学校開放などの回数が増えている。現在、生徒の様々な問題行動の原因が学校にあるのではないかという空気が世の中に広がっており、学校が家庭・地域に対して低姿勢になりつつある。これが原因で保護者は学校と家庭を同じレベルで考え、「買い物がてら、ちょっと学校まで行ってくるよ。」という風潮になりつつあるのではないかと思う。学校は、生徒にとって社会である。言ってみれば、非日常なのである。そこに家庭を持ち込んでしまっては、学校が日常化してしまうのである。今後、学校と家庭がより良い連携を図るためには、お互いのスタンスをしっかりと認識し、必要であれば学校は毅然とした態度で家庭や地域に対峙するべきだと思う。今後、学校に家庭を持ち込ませないようにしなければいけない。授業参観の案内状に、学校での飲食禁止、授業中の私語禁止、マナーを守りましょう、学校は家庭は違います。など明記しなければならない時代になったのではないかと思う。
毎年、我が中学校では人権週間に因んで「人権宣言文」を使った授業を実施している。昨年度、ある先生から、その人権宣言文を生徒に真剣に見つめさせる方法はないかと同僚に聞かれ次のように言った。「担任がプリントを配布し、一緒に朗読するだけでは集中しません。私がやるとしたら次のようにやりますと答えた。」拡大コピーした「人権宣言」を黒板にはりだし、何も書いていない紙を配り、ゆっくり丁寧に写させる。まさに、これは写経である。何かの雑誌で読んだのだが、ある大学で、集中力のない生徒に対して学長室で、お経とはいかないまでも与えた文章をただひたすら写させるということを実施しているそうである。これと同じ考えである。心を静め、自分を見つめさせ、無心なるような方法だと思う。このやりかたをしてみた先生が「生徒は、よく集中していました。静かに書いていました。」などの感想をいただいた。今後も、何かの場面で実施してみようと思う。
先日、1学期最後の授業参観を行い、その後学年懇談会を実施した。参加者は約70名という予想よりも多くの保護者に参加していただいた。その中の20分間、野口芳宏先生の「幸福の条件」を模擬授業風に行った。教師が一方的に話よりも、集中力や和やかさが生まれ良い雰囲気で、最後には拍手をいただいた。従来どおりの報告会のような学年懇談会を変えていかなければ、保護者との信頼関係は築けないと思う。
7月末に3小学校校区別に、夜7時から地区懇談会を実施した。その会には、PTA会長をはじめとする執行部の方々・各公民館長・保護者・校長・教頭・職員が参加した。その中で時間をもらい,全校で取り組んでいる「世のため・人のために」運動を紹介した。どの地区でもすばらしい取り組みだとお褒めの言葉をいただいた。
数日たって,学校評議員や主任児童民生委員をされている方から電話があり,ある公民館長さんが,この世のため・人のため運動をとても気に入られ,町内の回覧板で全家庭に紹介したいということであった。すぐさまよろしくお願いしますと返事をした。これをきっかけにして地域の方の,今時の中学生はだらしがないとか悪いことばかりしているなどと言った固定観念を少しでも変えていければいいと思う。私たちの知らないところで「世のため・人のために」行動している子どもがいることは事実である。
先日、同僚が市の継続研修講座「道徳」の研究授業を実施した。自分のハートにガツンときた事実を自分で取材した手間暇かけた道徳授業だった。道徳授業を創る上で、まず自分が感動したかどうかが問題となってくると思う。感動したからこそ、伝えたいものが湧き出てくるのである。そういった意味でも、同僚の研究授業は荒削りではあったものの、大きな意義はあった。まさに野口芳宏先生が言われるところの「担任道徳」であった。
長崎市の12歳の少年が起こした事件を受け,長崎県内の全小中学校で何らかの取組が実施されることになる。うちの学校でも,2学期に「いのちの尊さ」を考えるためにどのような取組をしたらよいか,話し合いがもたれた。そこで,私は次のような提案を行った。「いのちを考える1日」を実施する。その1日だけでも,みんなで「いのちの尊さ」について考えるのである。具体的な内容としては,
○小学校,中学校ともに「いのち」を主題とする道徳授業を保護者,地域などに公開する。
○「いのちの尊さ」を家庭でどのように教えるかをテーマにした,講演会を開催する。
○全家庭にプリントを配布し,その日の夜に必ず,家庭で「いのちの尊さ」について話し合ってもらう。
○最終的には,冊子作りを行う。
どうなるかわからないが,2学期に動いていこうと思っている。
本日,久留米で行われた野口芳宏先生の「鍛える国語教室 in 久留米」に参加した。
介入型模擬授業も刺激的で,野口先生の指導の細部がうかがい知ることができ,大いに勉強になる1日だった。特に,印象に残った発言を幾つかメモから拾ってみることにする。
○「生徒理解ではなく,教師が生徒にどう理解されるかという教師理解が大切だ。」
○「反省というのはその時にやるものだ。帰りの会などで後からやるのではやらない方がよい。」
○「停電で信号機が消えていても,行動できる子どもを育てることが教育である。」
○「つめたい本当,あたたかい嘘」
○「子どもに対して良い結果をだすことが教育的であり,悪い結果を出すことは非教育的である。」
先日,7月29日(火)の朝からの激しい雨が降るあいにくの天気だったが,佐世保市教育委員会が主催する野口先生の講演会に参加した。400名を相手にする模擬授業あり,本音トークありの相変わらずの野口先生の刺激的な2時間講義だった。その講義のメモからいくつか拾ってみる。
○「授業の目的は,学力を形成すること。」
○「学力が形成されたかどうかは,子どもが変容したかどうか。」
○「学力形成とは,1 獲得・習得(入手) 2 訂正・修正(変更) 3 深化・拡充(向上) 1~3のどれかがあればその授業は学力が形成されたことになる」
○「野口流 授業10の原則」
1 発問ー作業ー巡視ー指名
2 ノート作業は小刻みに
3 できることより変わること
4 ○か×か
5 全員参加の保証
6 挙手により立場の分布・分類を確認する
7 傍観者をつくらない
8 わからなさの自覚
9 向上的変容の自覚
10 否定への感謝
○「だめだと思ったら,改善する!」
確かな学力をつけるためには,教師が1時間の授業でいかに学力を形成させることができるかということである。
50分間,生徒を集中させ,新しい知識を習得させ,深い思考をせる指導技術を教師一人一人が身につけることが重要であると思う。
そのためには最低でも,全職員が研究授業を行い形だけの授業研究にすることなくお互いに忌憚のない意見を出し合い,少しでも技量を向上させることが,やるべきことだと思う。
教師の指導力向上=生徒の学力の向上である。
昨日,3年ぶりとなる運転免許更新講習を受けるために管轄の警察署へ行った。前回の講習会では,交通事故防止に関する講話,ビデオ視聴,運転に関わる性格判断など約1時間の会であった。はっきりいって形どおりの1時間であったと記憶している。
しかし,今回は違った。ビデオ視聴のあと残り5分ぐらいのところで,講話をされていた安全協会の方が自分の体験談を訥々と語りはじめられた。それまで,私語はないものの聞いたふりをしているような人が大勢いたが,その瞬間,空気が変わるのが分かった。内容は自分の娘が2歳の時に車にはねられ,重体になったというもので,涙声になりながらも語られた。わずか5分程度の話だったが,みんな真剣に聴いており,話が終わると,私を含め数名の受講生が拍手をした。野口先生の言われるところの,「話し手が実体験を語ることが聞き手を集中させるコツである。」というものだと思う。
新しい運転免許証をもらった私は帰り道いつもよりも数段,安全運転に徹したのは言うまでもない。
新採2年目の若い同僚から本日1冊の冊子をいただいた。この冊子のタイトルは『解体実習のVTRを通して,「命の尊さ」を教える』である。
福岡県立久留米筑水高等学校で,毎年行われている「鶏の解体実習」を題材にした骨太の道徳授業実践記録集である。
この高校では,生徒たちが卵からヒヨコを孵化させ,自分たちで鶏になるまで育て上げ,その愛情かけた鶏を自らの手で,シメ,解体し,水炊きにして食べるという実習を毎年実践されているとのことである。この同僚は,その高校に以前,講師として勤務していた関係で,担当の先生や実際実習を経験した生徒たちからの手紙やメールなどの直接的な資料を入手し,それを資料として研究授業として昨年度実施した。
テーマや内容的に非常に重いものがあるが,この授業を受けた中学校の生徒たちは,きれい事ではない本当の意味での「いただきます」を実感したことだろう。人間とは,他の生き物の命を食らってしか生きながらえない悲しいものなのだ。上っ面の言葉だけの命の大切さを言うよりも,このような命の隅々までを教える授業こそが今,必要だと思う。
このような意欲的な若い教師が,どんどんと育ってくれることを願っている。
本日,家内の父親の墓がある平戸まで2人の子どもを連れていった。しばらくぶりだったため,雑草があちらこちらに鬱蒼と茂っていた。子どもたちと一緒に,雑草を刈り,献花し,すっきりとなったお墓を前にして,家族で手を合わせた。ご先祖様に目を閉じて,手を合わせるこの行為だけでも,十分子どもにいろんなことを考えさせることができると思う。人の死について,自分が生きていることについて,短い時間ではあるが,自分と静かに対話することなどなど。お盆ぐらい,塾を休ませ,ゆっくりとお墓掃除,お墓参りを子どもと一緒にしたらどうかと思う。
朝日新聞に毎週水曜日に掲載されている,「ティーンズメール」を楽しみにしている。平たく言えば,身の上相談である。その悩みに答える解答者が毎週変わるが,私が楽しみにしているのは,ミュージシャンのTETSUYAさんである。彼はドリアン助川としても有名であり,叫ぶ詩人の会の主催者でもある。
今回の質問は,19歳の女性からの「働くことの意味って?」であった。それに対する彼の言葉が実に良かった。「ボクにとって労働とは人が生きていく上での基盤である。人と人との網の目のようなつながりを最終的に認める行為なのです。網の目の中で生きていく。だから力をもらい,力を与える。そこにお金の流れができる。」と。
8月18日から1泊2日の家族旅行で島原・雲仙へ行った。特に印象が深かったのは,雲仙岳災害記念館(島原市平成町1-1 0957-65-5555)である。1990年(平成2)11月の雲仙・普賢岳の噴火活動から1996年(平成8)5月の噴火活動終息宣言まで,何が起き,何が残ったかを体験できる施設である。この2日間で,様々な施設,旅館,売店,ガソリンスタンドなどの島原・雲仙の人々とふれ合ったが,感じることは大自然の驚異と素晴らしさを体験したことから湧き出でてきたであろう明るさと元気の良さであった。
最近読んだ本『僕たちはいらない人間ですか?』 (伊藤幸弘著)より,心に引っかかった言葉。
「権利」は教えたが,「義務」は教えなかった。
「平等」は教えたが,「不平等」教えなかった。
「平和」は教えたが,「戦争」は教えなかった。
「自由」は教えたが,「不自由」は教えなかった。
きれいごとのタテマエ教育をしてしまった。
秋の運動会シーズンを迎え,各学校でも話し合いが始まっている頃だと思う。この時期になると,表彰の在り方について考えることが多い。つまり,賞をもらえない人がかわいそうなのでできるだけ賞(努力賞,アイデア賞,敢闘賞など)を作って表彰してあげたほうがよいという意見に反対の意見を持っている。
本来賞というのは,総合的に他より秀でたものがもらえるものであるから,全員がもらえるというのは賞の意味がない。
賞をもらえた人,もらえなかった人がいるのは当然である。これはあっていい不平等である。もらえなかった人は,現実の厳しさを知り,ひとつ社会を知ることになる。これは大人になった時にとても大切なことである。
『1秒の世界』 ダイヤモンド社より
「1秒間にテニスコート20面分,5100平方メートルの天然林が消失し…」
「1秒間に畳み48枚分,78平方メートルの土地が中国で砂漠化し…」
「1秒間に0.3人,4秒間にひとりが飢えによって命を落とし…」
「1秒間に0.002種,7分に1種の生物が絶滅しています。」
夏の甲子園で優勝した常総学院高校の木内監督は,いつも選手を怒鳴り散らかし「おまえのせいで負けた」などの罵声を浴びせていたそうである。その屈辱と悔しさをバネにして,選手たちは歯を食いしばってがんばったとのこと。
話は変わるが,8月29日に佐世保教育サークルの定例会が行われ,私の2本の道徳授業プランを持っていった。
検討会では,A・B・Cの評価をつけてもらったが,このような具体的な評価をいただくことで俄然やる気になった。
スポーツも授業作りも悔しさをバネにすることが大切なのかもしれない。
最近,積極的に動いていることがある。それは,教育界に風穴を開けることである。
具体的には次の通り。
○小中連携
授業参観交流・道徳研究授業の交流・児童の中学校授業体験など
○中高携
高校の授業参観・意見交換会
○大学との交流
教育実習を目前に控えた大学3年生に道徳模擬授業を実施
大学教授との道徳に関する意見交換
○地域連携
学校に対して受け身的なかかわりではなく,能動的なかかわりをもってもらう。
保護者への道徳授業実施,「世のため・人のため」運動
小・中・高・大それぞれで,日夜がんばっているとは思うが,お互いの連携を図ることにより, 無駄をなくしより密度の濃い教育が実施できるのではないかと思う。
お互いの悪口を言い合っているようでは子どものより良い変容は望めないのである。
私は,どんなに「すばらしい実践」を行っていようとも,1年間に一度も授業を公開して批判を仰がない教師は,公立学校の教師として認めない。
すべての教師が教室を開いて授業研究を推進しない限り,どのような学校改革も不可能であり,1年に3回程度の研究授業で学校が変わった例など存在しないからである。(教師たちの挑戦 佐藤学 小学館)
息子がお世話になっている剣道クラブで指導されている先生の言葉より。
「稽古は試合のごとく,試合は稽古のごとく」
「剣道から礼を引いたら何も残らない」
うちの学校では,給食ではなく弁当である。もちろんパン購入もできる。経験則で言えば弁当60%,パン40%程度だろう。さて,弁当の利点は何だろう。パンよりも栄養価が高いこと,腹持ちが良いこと,保護者の愛情が伝わることぐらいか。
そこでもう一つ弁当の利点を忘れている。それは,保護者と子どものコミュニケーションボックスであるということである。具体的には,持って帰ってきた弁当箱の中が空っぽか,半分ぐらい残してきたか,ほとんど食べてきていないかなどから,子どもの体や心の状態を少しではあるが把握できると思う。
また,弁当と一緒にちょとしたメッセージ(がんばって,テストだファイトなど)を添えておくと親子のつながりもできるのではないかと思う。このことが定例化すると,逆に子どもが,弁当箱の中に親へのメッセージなどを書いて入れるようになるかもしれない。弁当箱は親子の会話の小道具になりうると思う。
人それぞれ能力の差はある。つまり人にはそれぞれがんばってできることとがんばってもできないことがある。これは差別ではなく,差である。50mを10秒で走る生徒に6秒で走れとは言っていない。9秒9で走れと言っているのである。大切なことは,一人一人が自分が持っている力を全て出せと言っているのである。
一人一人が全力を出すことが大切なのである。これが体育大会で君たちに必要なことだ。
先日の学校便りに学校長が以下の文書を載せたので,紹介する。
『先日,ある老人ホームより感謝の電話が入ったとのことです。「おたくの中学校の3年生数人が夏休み中に老人ホームに訪れいろいろとお手伝いをしてくれた。」とのことでした。実は3年生には,夏休みに「地域に役立つ行為をしよう。」との奨励がなされていました。これは本校の取組でもある『世のため・人のため運動』につながるものです。
生徒たちは,このことを素直に受け入れ実践に移したわけでしょう。「空き缶拾いをしていたら,地域の方に感謝され手伝っていただいた。」という報告もあります。この他にも,多くの生徒たちが多様な取組を行っているようです。私たちは,問題行動には敏感ですが,意外とこのような善行には鈍感です。子どもたちの良い面を大いに賞揚し,伸ばしてやりたいものです。
本日,同僚の社会科の先生に授業を見てもらった。ほどよい緊張感と興奮があり良い勉強になった。
その反省会でお互い同じ意見だったのは,生徒との信頼関係を築くことや生徒指導で指導が入るためには日々の授業がいかに大切かであった。わかる授業,楽しい授業,緊張感のある授業などを日々実践することにより,生徒との関係がより深まるのである。そのためには,授業力を向上させることである。
先日,佐世保教育サークルの学習会があった。道徳模擬授業だけでも5本実施され,内容が濃いものとなった。中でも女性のA先生の道徳記録は男性では気が付かない視点で資料を見つけられ,女性ならではの授業であった。これからは,もっと女性の先生が学習会に参加され,女性の視点で道徳授業を創り出していくことが必要であると考えた。
学校の教師にとって最も困難な問題は,むしろ「教師が教え,生徒が」学ぶ」というけっして自明ではない,というところにあるからである。(『学級はどう崩壊するか』プロ教師の会編 洋泉社
今日,道徳の公開授業を行った。授業参観と並行して行われたので,保護者3名,校長をはじめ教員5名の参観があった。授業の途中で保護者を指名して答えを求めたりした。
ねらいは達成できたと思うが,前日の準備と練習時間が不足していたため,流し方がぎこちなかったと反省した。
今日から3日間,職場体験学習が始まった。市内の47事業所に生徒が散らばり,仕事を体験することになる。
昨日の事前指導,次のような内容の話をした。
忙しく,1円でももうけを出さなければならない企業にとっては,君たちを3日間預かることはとても迷惑だと思う。
しかし,中学生のためにという気持ちで引き受けられたに違いない。だから,事業所の人達に迷惑になることは絶対にしてはいけない。まじめにやって当たり前だ。
大切なことは,+α(アルファ)を実行することである。
つまり,コンビニやレストラン,ガソリンスタンドなど接客業を体験する人は,+αの笑顔,返事,明るい態度素早い動きなど,病院や老人ホーム,介護施設に行く人は,そこにいる人たちが,安らげる,こころ落ちつくような接し方,話し方,表情などです。
3日間が終わって,一人一人がどんな+αを実行したか,教えてください。では,明日からがんばってきてください。
熊本で行われた,野口芳宏先生の講座と模擬授業に参加した同僚からもらったメモの中から。
・野口先生が,話をする時に注意していること『句点の多様,句読点の少用』
・簡潔に・ダラダラと話さない。
・発問が大事である。『良師良問,愚師愚問』発問が上手な教師は良い教師。
本日,道徳研究業を実施した。校内研修を中心とし,小学校教員,学校評議員の参観もあった。
人工妊娠中絶というとても重たいテーマだったが,生徒は真剣に考え,意欲的に取り組んでくれた。生徒たちに感謝である。資料の一部を女性の先生に朗読してもらったが,これがとても効果的であった。道徳のTTについても,研究を深めていく必要があると実感した。
生徒が本気になる道徳授業にするためには,次の4つ「力」が大切だと思う。
1つは,資料選定力。
2つは,発問力。
3つは,資料と発問などを含めた授業の構成力。
4つは,教師の総合的な指導力。
最近,4つ目の教師の総合的な指導力が重要だと再認識した。いくら資料や発問が良くても,
教師の指導力がなければ,生徒は本気にならないと思う。総合的な指導力とは,テンポ,タイミング,表現力,話術,評価語などである。
このような指導力は,意識的・意図的な授業づくりと自分の授業を他人に公開することによって,
磨かれていくものだと思う。
本日,2学期最後の授業参観が実施された。
全校一斉の道徳授業の参観だった。その後,学年懇談会があり学年主任,進路指導主事からの話の
後,私が話をした。内容は「子育てのヒント」と題して親としての姿勢,大人としての姿勢について15分程度のものだった。
具体的な数字を挙げながら,現在の子育ての一つの視点について語った。だらだらと話を長くするよりも数字を示すことにより,より説得力が増すことを実感した。
話の後,保護者からの拍手が有り難かった。
平成13年度から毎年実施している生徒・職員を対象とした道徳授業アンケート(平成15年度前期)の集計をやっととのことで終えた。この3年間の大きな変容としては,道徳授業に対する職員意識が向上し,70%以上の職員が「道徳授業を好き」になってきていることである。
まずは,教師が好きになることから始まるのだと思う。