観を磨く

「観」とは,見方,考え方のことです。「教育観」「生徒観」「指導観」「単元観」など,教育活動には,この「観」が必要です。つまり,教育についての背骨が必要だということです。「観」がないと指導がブレたり,一貫性に欠けたりする場合があります。

この「観」の大切さを野口芳宏先生から学びました。

 実践を重ね,セミナーや研修会で意図的に学び,1冊でも多くの書籍を読むなどをして,「観」を身につけて,それを磨いていくことが大切なのです。

1 子ども観

 国立教育政策研究所長の浅田和伸さんが,「内外教育」(2021年7月2日)こんな記事を書いてました。

「定年間際になって,自分はこの職業を通じて何を一番したかったのだろうと考える。立派な理想とかではない。子供の苦しみ,悲しみ。その子自身が受けるいわれのない理不尽な不幸。それを少しでも減らしたい。無くしたい。その一点に尽きるかな,と今は思う。」

国立教育政策研究所と言えば,学力向上やアクティブラーニング,ICT教育などを進めていく仕事をしている役所だと思っています。その所長さんが,こんなことを書いていたので驚きました。

現在の教育施策は,変化の激しいこれからの時代を生きるために,「たくましいチカラや強いチカラ」をもつ生徒を育てようとしているのではないでしょうか。

確かにそんな子どもも,日本の未来には大切な存在だと思います。しかし,そうではない,勉強ができない子,人の悲しみがわかる子,草花を好きな優しい子,本が大好きな子,友達を助ける子,優しい涙を流す子,思いやりがある子,運動が苦手な子なども大切なのです。

つまり,教育は,すべての子どもが幸福になるためにあるのです。

浅田さんは,最後にこう書いています。

「自分で戦っていける強い力。人の弱さを分かり,思いやれる力。両方とも忘れず大事にしたい。」

その通りです。そのために教師がいるのですから。

同じように定年が近づいているからでしょうか,浅田さんの言葉が心に残りました。 

2 学習活動観(2018年12月記)

昨日の初任者の研究授業を参観しながら,野口芳宏先生の言葉を思い出しました。

「活動あって学びなし」

野口先生は『活動主義の授業はなぜダメか』(明治図書)の中で次のように書かれています。

〈引用始まり〉

・板書なんて,授業の始めに書いたタイトルだけだよ

・ゆさぶりもなければ,まとめもないんだよ。

・あれじゃあ,子供に学力なんてつきっこないよ。

 本当にすぐれた授業,よい授業というものは,次の三つの条件を具有する。

①まず,子供に所期の学力を確実に形成していること。

②その学習進行に,知的な面白さと考えることの楽しさが溢れていること。

③そのことを通じて,人間としてあるべき生き方も学ばれていること。

 すなわち,学力の形成,学ぶ楽しさ,そして人間形成の三つである。

 これらの本質的三条件は,決して子供を野放しにした「放牧授業」では満たされないものである。

 教えるべきことはきちんと「指導し」,子供にやらさせるべきことはきちんと「作業させ」,やらせてはいけないことは厳しく「禁止する」必要がある。

〈引用終わり〉

流行の授業方法ばかりに目を向けずに,授業とは何かという本質をしっかりと考えた上で授業を組み立てていくことが大切であると,野口先生から学びました。

3 研究発表観(2019年9月記)

 秋は,研究発表や研究大会のシーズンです。校内の回覧では,毎日のように案内がまわってきます。その要項の研究テーマを見るとあまり変わらないと感じます。

例えば,

「主体的な学びに向かう生徒の育成」

「自ら学び,仲間と共に深め合う授業づくり」

「生徒が生き生きと確かに学ぶ国語科授業の創造」

といった具合です。

共通点は,わかるようでわからないテーマだということです。

まあ,テーマですから大風呂敷を広げたくなる気持ちはわかりますが,学習指導要領の受け売りという感じは否めません。

主体的に学ぶ生徒とは具体的にどんな生徒なのでしょうか。自分からどんどん教科書の先をやってしまう生徒なのでしょうか。

中学生の数学の問題を高校のやり方で解いてしまう生徒なのでしょうか。

確かに学ぶとは,どんな学びかたなのでしょうか。

確かに学んでいない生徒とはどんな生徒なのでしょうか。

うーーん。

考えれば考えるほどわからなくなります。

今度,研究発表に参加した時に質問してみたいと思います。

「主体的に学ぶ生徒とはどんな生徒ですか。具体像を教えてください」と

4 野中信行先生の「こども観」(2019年3月記)

毎日,読んでいる野中信行先生のブログにこんな記事が紹介されていました。

〈引用はじまり〉

「子ども観」

 学校で研究授業が行われた日。研究授業を行う学級を除いて、それ以外の学級は自習になる。研究授業が行われる学級に全教員が集まり授業を見る。そんな中、同じ階の1つの学級から大きな声が聞こえてくる。日頃から荒れているクラスだ。そんな学級はもちろん静かに自習をすることができない。大きな声で注意をする子の声や、それでも遊ぶ子の声などが聞こえている。その担任の先生は、そんな声が聞こえる度に、怒った顔をして教室に入り、怒鳴る。「またうるさくして!」「静かにしなさい!」そんなことを1時間の授業の中で3回程繰り返していた。

 そんな荒れている隣の学級は、対称的に静かに自習をしている。僕と同年代の女性の先生が担任をしている学級。特別になにか事前指導したわけではない。「静かにね。」と言って自習にしたらしい。
 事前指導でいうと、荒れている学級担任の方が念入りにしていたと思う。それでもこれだけ対称的な自習になる。
 どうしてなのだろうか。いろんな理由はあると思うが・・・
 静かに自習をできた学級の先生とは仲がよく、ここ最近は毎日放課後におしゃべりをしたり、授業のことを話したりしている。そこで気づいたことがある。

 ここからが僕の考察。
 
 静かに自習をしていた学級の先生はいつも僕に、「うちのクラスはいい子ばっかりだから助かっている。」とか、「最初から優しい子たちだったから、楽させてもらってる。」など、子どもたちに対して肯定的なことを言う。子どもや同僚がいない、二人で話す時にも学級の子に対して肯定的なことばかり言う。否定的な言葉を一回も聞いたことがない。僕にこれだけ肯定的なことを言うんだから、多分、日常的に子どもにも「優しい」とか「助かってる」と伝えているだろう。そして、保護者にも連絡帳や学級通信で肯定的な言葉かけをして、それが保護者から子どもに伝えられる。ちょっと穿った見方をすると、子どもたちは先生の期待に応える行動を日々とっているのではないだろうか。先生から「優しい子がいっぱいのクラス」とラベリングされたことで、本当に優しい子がとるであろう行動を無意識にとっているのではないか。「みんなならできる」とか、そんな肯定的なラベリングの積み重ねで学級を上手に運営しているのではないか。

 一方、荒れている学級の担任は、その逆の否定的なラベリングをしている。職員室でも、学級の子に対して「また、嘘をついてた。」とか、「悪ガキばっかりで大変」などと言っている。そんなラベリングをしてる先生は、例え直接子どもに言わなくても、よく思っていないというメッセージがきっと態度に出てしまうだろう。そして、その否定的なラベリングに応える行動をとっているのかもしれない。その先生、保護者への電話連絡でもよくトラブルになる。言葉の端々に出ているのかもしれない。そして、保護者も子どもに今の担任の悪口を言うのではないか。そして、子どもも不満がどんどん溜まっていく。悪循環でしかない。

 多分、ずっと荒れた学級をもったために、「子どもは悪さをする」という子ども観ができあがっているのかもしれない。そして、そんな先生は50代。いまさらその子ども観を変えられないのかもしれない。

〈引用終わり〉

この記事に対して以下のコメントをしました。

野中先生,ご無沙汰しております。佐世保のYです。
「子ども観」の記事を大変興味深く拝読しました。
子どもは分かっていると思います。
この先生は自分たちを愛してくれているのか,
大切にしようと思っているのか,
本気で育てようとしているのか,
本気で叱ってくれているのか,
しっかりと教えようとしているのか
一生懸命に学んでいるのかなどです。
授業から戻ってきた教師は,生徒のマイナス面を言う教師が多いように感じます。
この空気も生徒に伝わっていくものということが分かっていないのようです。
私が初任者言っている言葉で,次の2つがあります。
「きび・たの」
「こわ・やさ」
きびしいけど,たのしい先生
こわいけど,やさしい先生
こんな教師を生徒たちは求めているのではないでしょうか。
野中先生,今年もいろいろなことを学びたいと思っていますので,どうぞよろしくお願いします。

教師が生徒一人一人の極微の成長を認め,褒めることを常に意識しておくべきだと思っています。


5 現場研究観(2019年11月記)

 昨日の研究発表に参加して考えたことです。

普通の学校現場で2年間の研究を重ね,その成果を発表をすることは難しいということ。

研究に多くの時間をとられてしまい,日常授業に支障が出てるのではないかと思います。

研究主題にとらわれすぎて,日常授業に専念できない教師もいたことででしょう。
これでは,本末転倒です。

日常授業がきちんとできる教師を育成していかなければ,学力向上も望めないと思うのです。


全員参加の授業ができない教師や指導技術もほとんど知らない教師に,生徒が主体的に学ぶような授業ができるわけがありません。

もっと教師の基礎力を固める必要があります。

教師一人一人の学びのモチベーションを高めることが大切なのです。

主体的に学ぶ生徒を育成したいのであれば,まずは教師が主体的に学ぶことです。

教育雑誌,教育書,セミナー,サークルなど学ぶ楽しさを体験するのです。

そのためには,時間的な余裕が必要です。

研究指定を受けたら,こんな楽しい時間は生み出せません。 

真の働き方改革を進めるのであれば,このような研究指定や研究発表を減らすことです。

6 教師哲学観(2022年3月記)

 ようやく「野口芳宏 国語学力形成史」(柳谷直明 溪水社)を読み終わりました。

 教師人生で迷った時や悩んだ時は,必ず野口先生の本を読みます。

 今回は,この本を読んだ後に,2冊だけ持っている「国語人」も開いてみました。

 教師とは何か,授業とは何か,教育とは何かなど今まで出会った多くの先輩教師からは,明快な答えを得ることができませんでした。(もちろん自分が学ぼうとする姿勢や意欲がなかったことも原因の1つです)

 しかし,教師10年目に,野口先生と出会ったことで,すべての見方や見え方が変わりました。

 この本の中で横山験也さんが,こんな文を書かれていました。一部を引用します。


「授業哲学に基づいた修養は,技術的な学びに比べて極めて地味であり,目立たない。(中略)修養の伴わない技術で進む授業は,展開のうまさはあるがやせている。」

 

 新しいものがトップダウンで入り込んで「ビルド&ビルド」の教育現場でアタフタしている教師が多いように思います。

 教師人生が残り1年になった今だからこそ,教師哲学の重要性を痛感しています。

 私自身の教師哲学もまだ未確立ですが,今後も学び続けていき,教師哲学を発言できる教師になりたいと思います。

 柳谷先生のご尽力に対して,心より感謝申し上げます。


7 研究大会観

学校の回覧で県道徳研究大会の案内を見ました。

気になったのは以下の5つです。

➀研究テーマが難しい

→「豊かなかかわりを通して,他者と共によりよく生きようと問い続ける子どもの育成」がテーマです。

このテーマに基づいて研究する時間的な余裕と精神的余裕,肉体的余裕がが現在の現場にあるのでしょうか。


②公開授業のすべてが教科書を使った道徳授業であること。

→自主開発教材を使った道徳授業が1本でもあれば,学びが広がり,深まると思います。自主開発教材を使わないという暗黙の了解があるのでしょうか。


③公的研究会なのに参加費2000円を支払うこと。

→参加費を集めなければ研究大会が開催できないのであれば,無理しないでいいと思います。

参加費0円でできるような大会にすべきです。例えば,実践発表会という形式で行えば,無理はしないでいいです。普段の授業を公開するだけですから,紀要も作成する必要もありません。


④記念講演で文部科学省の調査官を招聘すること。

→全国には,道徳授業の素晴らしい実践家がたくさんいます。役人ではなく,実践家の講演を望む教師は多いと思います。


⑤動員がかかる。

→参加者が少ないと各学校に動員がかかります。人員不足で多忙を極める現場ですから,複数の参加者は出せません。

無理と分かっていて,どうして動員をかけるのでしょうか。

研究大会については,根本的に考え直す時期にきています。

8 授業観➀(平成28年5月記)

野中信行先生がブログで,良い授業の最低条件として,以下の4つをあげられています。

 A 指導言(発問・指示・説明)が明快で、きちんと区別して発せられる。
 B 全員参加の授業。
 C 子供たちが授業に集中している。
 D 学力保障がきちんとなされている。

これらの4つは,授業を観る視点と言ってもいいでしょう。
これぐらい教師ならばできて当たり前と考えている人も多いと思います。
しかし,これがなかなか難しいのです。
特に,BとCが中学校では難しくなっていると思います。
授業中に,私語をしたりノートをとらなかったりペン回しをしたり居眠りをしたりというのは日常的に見られます。
つまり,BとCをどうやればうまくいくのかを校内研修で取り組んでいくべきなのです。
学び合いやアクティブラーニングやICTなどは1つの方法にすぎません。
これらを実践することで,BとCが達成できればいいのです。
間違っても,最初に学び合いやアクティブラーニングやICTありきということではないのです。
つまり授業とは何か,授業の目的とは何かを考えるべきなのです。

9 職業観①(令和5年10月記)

 先日のキャリア教育研究大会に参加して思ったことは,キャリア教育を進めている方々は,どんな職業観をもっているのだろうかということです。

このような施策を進めているのは,優秀な役人であるキャリアではないかと思うのです。

このような方々は,どんな職業経験があるのでしょうか。

同じように学校でキャリア教育を実施している教師は,どんな職業経験があるのでしょうか。

私は,2年間,土日の休みもなく,夏の炎天下,冬の厳しい寒さの中,たすら肉体労働をしていた経験があります。

権利や理屈は通らない世界でした。

役人の指示は絶対でした。

そのような経験を通して,私の職業観はできていったと思います。

教師が,教師になる前に経験する仕事(アルバイトを含む)はそんなに多くはないはずです。

そんな狭くて薄い経験では,豊かな職業観が持てる訳がありません。

ですから,きれいごとのキャリア教育になってしまうのです。

そうならないためにも,異業種に学ぶ姿勢を失わないことが大切です。

直接的な経験は無理でしょうから,講演会や本などで違う世界を知る努力をする必要があると思います。

教師こそ,職場体験(疑似体験)が必要なのです。

10 幸福観(令和4年12月記)

今朝(12月22日)の読売新聞の「幸せをつくる。」というコーナーで山口大学の小川仁志教授の記事がありました。小川教授は「三大幸福論」として,哲学者であるアラン,ラッセル,ヒルティの幸福論を紹介されていて,興味を持ちました。

アランは知っていましたが,残りの2人は勉強不足で知りませんでした。

特にラッセルの「愛情を受け取る人は,大まかに言えば,愛情を与える人でもある」という言葉が気に入りました。

この3人の哲学者の幸福論は,学年通心で紹介しようかなと考えています。

悩んでいる保護者の心が少しでも軽くなればいいなと思います。12月22日

11 働きがい改革(令和4年12月記)

今日(12月25日)の読売新聞の社会面にこんな小見出しの記事がありました。


「中学教員5割 残業上限超」


文科省の調査結果では,

月45時間~80時間の残業をしている教員が40%,80時間~100時間が13.7%でした。

おそらく,これは正確な数字ではないと思います。

例えば,土日の部活の大会で,8時間以上働いている教員がいます。

しかし,これを正直に計上している教員がどれぐらいいるのでしょうか。

100時間を超えると管理職との面談があるので,面倒くさいと思ってるからです。

また,管理職の立場としては,超えさせぬよう指導すべしと言われているはずですから,これもまた,100時間を超えて欲しくないと思っているのではないでしょうか。

「働き方改革」は長時間勤務や業務内容を少なくすることばかりが注目されていますが,楽しくやりがいのある仕事であれば,ある程度の長時間も苦にはなりません。

必要なのは,「働きがい改革」だと思っています。

自由な授業ができる職場,

学びたくなるような校内研修,

授業や生徒について仲間と意見を交換する,たまには議論をする。

放課後遅くまで次の日の授業の準備を仲間とする。

先輩教師に相談する。

同年齢の教師同志で学び合いをする。

そんな空気を作っていくことで,教師を志す若者が増えてくるのではないかと思います。

「働き方改革」ではなく「働いがい改革」こそが大切なのです。

12 学期末反省(令和4年12月記) 

今日は,今年最後の全職員揃っての出勤日でした。職員会議では,学年,教科,分掌からの反省を報告し,校内研修では,「不祥事防止(セクハラ)」と「働き方改革」の2つを行いました。


〈学年からの報告〉

①1学期よりも成長した生徒が多い。

②学年全体の空気を作る努力をしたほうがよい。

③その空気の中で学級づくりをしていく。

④生徒が大きく変わったから,教師の指導法も変えていく必要がある。

⑤我流の指導ではうまくいかない。

⑥生徒と保護者に対して細やかな対応が必要。


〈校内研修〉

①生徒と教師との距離感を考える。

②近すぎず,遠すぎず80㎝の距離を保つ。

③生徒と保護者との信頼関係をつくる努力を重ねる必要がある。

④教師自身が「ブラック」という言葉を使わずに,生徒の人生に直接影響を与えることができる素晴らしい仕事であると公言していく必要がある。

⑤長時間が一番の問題ではなく,マンパワーが減退していることが大きな問題である。

⑥「働き方改革」ではなく「働きがい改革」を目指しましょう。

こんな話をしました。

13 北野武さんの道徳観(令和2年12月記)

昨日の道徳部会で使用した,北野武さんの「新しい道徳」(幻冬舎)の一部です。

これを使って生徒が本気で考えたくなる発問について説明しました。


〈引用始まり〉

たとえば,小学1・2年生の道徳授業。最初からして変だ。「自分を見つめて」なんて書いてある。

小学1年生が,自分を見つめるわけがないだろう。他人だって見つめないのに。

自分を見つめて,「自分はこういう人間です」なんて小学一年生がいい出したら,これはどう考えたって不自然だ。

「一番うれしかったことを書きなさい」というのもあって,笑ってしまった。小学1年生に,いちばんうれしかったこともないだろう。そういうのは歳をとって,昔を振り返って,「ああ,あの頃がいちばんいい時代だったな」と思い出すものだ。毎日のように新しいもの,未知の何かに出合って,好奇心を燃やしている子どもに,過去を振り返らせていったいどうしようというんだろう。

〈引用終わり〉


至極まっとうなご意見です。

14 浅田次郎さんの日本観(令和4年1月記)

「日本の運命について語ろう」(浅田次郎 幻冬舎文庫)です。

これがとても読みやすく面白かったです。

社会科教師として,学ぶことが多い内容でした。

浅田氏は,あとがきにこんなことを書いています。

「昔の人は個の利益よりも衆の利益を優先し,現在よりも未来を大切に考えていた。時代が下がるほどにそうした理念は失われて,人はより刹那主義と個人主義の中に幸福を見出すようになった。」

胸が痛くなる一文です。 

15 指導案観(令和4年1月記)

金曜日に公開する道徳授業の指導略案が完成しました。

また,今日の6時間目に行われた理科の指導案が机上にのっていました。

見るととても詳しく書いてあり,3ページほどの大作でした。

この指導案を書くために多くの時間がかかったと予想されます。

このような学習指導(細)案は書かなくてもよいと考えています。

この時間を素材研究や教材研究や発問や授業構成に使ったほうがいいと思うからです。

確かに指導案を書くことによって,いろいろと考えます。

試行錯誤をします。その過程は大切です。

しかし,形式にこだわりすぎて量だけ多い指導案となっては意味がないのです。

授業者がどんな考えで,どのように,この授業を行うのか(指導観),この単元についてどう考えているか(単元観,題材観),そして,この授業を通して生徒をどのように変容させたいのか(本時の目標)をしっかりと考えて書いた指導略案で十分だと思っています。

つまり,どこかで読んだ文章や学習指導要領の一部をコピペしたものではなく,授業者の熱い思いと顔が見える指導略案を書くことが大切なのです。

分量はA4サイズ1枚ぐらいがちょうどいい思います。写真は,昨年書いた指導略案です。

16 武田鉄矢さんの教師論(令和5年1月記)

1月24日の読売新聞の「教育ルネサンス」で俳優の武田鉄矢さんが教師について語っていました。

さすが金八先生です。いいことを語っていました。

「学校は子どもたちと未来を語り合える場所です。

先生が先に死ぬけれど,その先を担う若い人たちと対面している。

その子が「あの先生こんなことを言ってたな」って思い出す度,

何回でもこの世によみがえることができる。

そんな職業はなかなかない。最高の職業ですよ。」

若い先生に伝えたくなりました。

17 職業観②(2022年1月記)

「社会機能維持者」(エッセンシャルワーカー)という言葉をよく耳にするようになりました。

どんな職業がこれにあたるのか調べてみると地方公共団体によって差があることがわかりました。

本県のHPを見ると,教員はEWには入っていませんでした。

ただ,⑥ 行政サービス等(警察、消防、その他行政サービス)という文言はあります。

また,愛媛県のHPには,一番最後に「学校等」と書かれていました。

さて,この「社会機能維持者」という考え方っておかしくないですか。

生徒には,「職業に貴賎なし」ということを教えていきました。

また,すべての仕事は社会の役に立っているということも教えてきました。

人は誰かの役に立つために生まれてきたということも話してきました。

缶コーヒーのCMでは「世界は誰かの仕事でできている」というコピーもあります。

このコロナ禍では,すべての人が助け合って乗り越える必要があると思っています。

久しぶりに散歩をしながら,こんなことを考えました。

18 デジタルと紙(2021年1月記)

今朝の読売新聞の社説にデジタル教科書について書かれていました。

「紙と活字が人間形成の基本だ」というタイトルでした。

私はデジタル教科書を使った授業をしたことがありません。

未だに紙の教科書を使った授業をしています。ですから,まずは教科書研究をしています。

本文,写真,グラフ,表,イラストなど教科書に掲載されているものすべて授業で使えないかを考えています。使うとしたらどのように使うかを考えています。

もちろん,口頭での説明ではわかりづらい部分は,自作のPPT教材を作っています。

全てデジタル教科書に変更するのではなく,紙とデジタル両方のいい部分を活用する授業を大切にしてほしいです。

デジタル教科書にのみの授業では,生徒と教師の視線が合いません,生徒の表情を読み取りづらくなります。

そうなると生徒の理解度がつかみづらくなります。

やはり,人の体温が感じられる授業にこだわりたいと思います。 

19 中動態(2022年2月記)

1月30日の「読売新聞」の記事で気に入った言葉をノートにメモしました。

「医学書院」編集者の白石正明さんの言葉です。

〇たくさんの人やモノに依存できるからこそ,自立が可能になる。

〇自立とは一人で何でもできると思われていますが,むしろ逆なんですね。

〇「多孔的な自己」という言葉があります。孔があいた隙だらけの自分。

だからこそ人が入り込み,ケアの余地が生まれる。

〇ふだん私たちは「能動態」と「受動態」に分けて物事を考えていますが,古代ギリシア語などには「中動態」という文法があった。

〇「受動」より「能動」が高く評価され,強い意志を持つために自己啓発セミナーが盛んです。

個人の能力を高めることと,個人の責任を問うことがセットのようになっています。

でも,意思でやっていることなんてごくわずか。

中動態でみたように,もっと別の認識や価値観を持てないだろうかと感じます。

示唆に富んだ言葉です。これを読んだとき,肩の力がふーっと抜けました。

20 リーダー観(2022年2月記)

最近,夕方になるときつい日々が続いていたのでゆっくりすることにしました。

今日は,珍しく仕事はしないでソファで横になってprimevideoで「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ 」を見ました。

1年前もドラマと映画もすべて観ましたが,また観たくなりました。

この中で,青島俊作がこんなセリフを言います。


「リーダーがよけりゃ,組織も悪くない」


いろいろな意味で,この言葉の重みを感じる毎日です。


教師も組織の一員です。


その組織を動かすリーダーに必要な資質について考えることが多くなりました。

こんな名言もありました。


「踊る大捜査線 THE FINAL」より

「組織の中で生きる人間こそ信念が必要だ。」


しびれます。

21「個人力」観(2021年2月記)

先日書いた「個人力」についてです。職員会議の提案文書にこんなことを書きました。

1 身につけたい力=「個人力」

 昨年度の「ふるさと歴史発見学習」では,6~7名の班を中心に調査活動や壁新聞を作成し授業参観で発表会を実施した。

これによって,班員と協働する力や自分の考えを調整する力,表現する力が,ある程度身についたと考えている。

これをふまえて,第2学年では,「個人力」を高かめたいと考えている。

 ともすれば,班活動では,仲間に頼ったり任せたりする生徒が出てくる場合がある。

そうなれば,班学習や班活動の本来の目的が薄れてしまう。

そこで,一人一人の「個人力」を高めることで班学習や班活動が活性化し,レベルアップが期待できると考える。

 このような考えに基づき,第2学年では,調べ学習やまとめ作業,発表をあえて個人で取り組ませることにした。

これにより,個人の情報収集力,読解力,構成力,表現力を高めたいと考えている。

この「個人力」が高まれば,学年全体の「学年力」も高まり,最高学年としての意識を高め学年全体のまとまりを強めることができると考えている。

22 AIと読解力(2020年2月記)

「AIに負けない子どもを育てる」(新井紀子 東洋経済)を読破しました。

新井さんは,読解力をより正確に把握するためにRST(リーディングスキルテスト)という独自のテストを開発して実施されています。

その結果を元にして,書かれているので説得力があります。

そして,読解力を高めるための授業の実際も紹介されていてわかりやすかったです。

また,現在の学校教育にも疑問を投げかけています。

例えば,アクティブラーニングです。

「準備が不十分だったり,教員の背景知識が不十分で生徒の学ぶ意欲に負けてしまったりすると,アクティブラーニングはすぐに破綻します。

みんなで作業をして,なんとなく話合ったけど,何が結論だったのかわからないーそんな授業に陥ります。

他の生徒の意見に迎合していれば授業をやり過ごせると覚える生徒も出てきます。」と書かれています。

例えば,電子黒板とワークシートです。

「一人も置き去りにしないために,書く速度が遅い生徒に合わせたプリントやワークシート類,情報化を推進するための電子黒板が,ノートをとれないまま卒業する小学生を大量に生んでいたのです。

文章として読まなくても,キーワード検索でプリントを埋められてしまいます。

そして,そのキーワード部分を覚えれば,テストでそれなりの点をとれてしまうではありませんか。」

最後には,「意味がわかって読める」子供を育てるために,何をどうすればいいか,幼児期から小学校高学年まで詳しく紹介されていて,これも参考になりました。

23 校内研究テーマ論(2021年2月記)

市内の中学校での研究テーマのほとんどが「学力向上」に関するものです。

しかし,現状を見ると学級経営がうまくいっていない学校が多いのではないかと密かに思っています。

小さいトラブルが多発している,長期欠席生徒が多い,授業中騒がしい,臨時の学年集会がちょくちょく開かれるなどの原因は学級集団づくりにあると思うのです。

これらすべて学級担任の責任ではありません。副担任の責任もあります。学校全体の責任でもあります。

授業は公開できますが,学級経営は公開することが難しいです。

学級は公開しても,その哲学や技術などは見えません。

そこで,全職員で学級経営について学ぶことが大切だと思うのです。

校内の研究テーマを学力向上に固執しないで,学級経営に重きを置いたほうが現実的です。

学級が安心できる,安定している場所であれば,学力も向上すると考えているのです。

現在,研究主任として来年度のテーマを考えていますが,「よりより生徒集団づくりを目指して」などのような学級経営に関するテーマにしようと目論んでいます。

24 ICT教育(2020年2月)

内外教育(2月14日 時事通信社)の巻頭論文で,国立教育政策研究所の菱村幸彦氏が日本の読解力の低下について,このような考察をされていました。

以下引用です。


「その原因の1つに日本の生徒のコンピューター画面での長文読解に不慣れがあったとみる。

OECDの調査では,日本の授業(国語,数学,理科)でデジタル機器を利用している時間が加盟国中最下位である。これは,わが国の学校での情報通信技術(ICT)環境整備の遅れに原因があろう。」

果たして,生徒一人一人にタブレットを与え授業で使えば生徒の読解力が向上するのでしょうか。

パソコン普及率が全国1位の佐賀県の生徒の読解力は,本当に高いのでしょうか。

授業力向上のために頑張っている教師よりもICTに長けた教師が良い教師と言われそうです。

発問,話術,板書,指示,テンポなど授業の不易の部分をもっと大切にすべきだと思うのですが。

どうでしょうか。

25 主体性はそんなに重要か(2023年2月記)

 朝から部活動指導でした。

 花粉は飛んでいますが,少しずつ温かくなっていくことが嬉しいです。

さて,来週からいよいよ3月です。36年間の教員生活,最後の1カ月です。

3月に行うべきことをリストアップしています。

例えば,社会科,道徳教育,学年,部活動などの引継ぎプリント作成です。

学校パソコンの文書は,ボチボチと移動させていますのでスムーズにいきそうです。

午後からは,コーヒーを飲みながら,諏訪哲二さんの「学校のモンスター」(中公新書ラクレ)を再読しています。

この本の最後に諏訪さんは,こんなことを書いていました。

「家庭も教育もひたすら子どもたちの主体性(自己中心性,わがままさ)を尊重し,社会に適合する市民(国民)を形成するというよりは,子どもたちが好きなように自己拡大する方向を目指してきました。子どもたちも,商品経済や情報メディアに操作される消費社会的人間になるしかなかったのではないでしょうか。(中略)できるだけ社会の規制が子どもに及ばないようにという教育方針を学校でも家庭でもとったわけです。」

この本は,2007年に出版されました。この16年間で子どもたちの様相は良くなったのでしょうか。少しは明るい兆しが見えているのでしょうか。

退職後は,学校の外から教育について考えてみたいと思っています。

26 現場で研究ができるのか(2021年2月記) 

研究主任をしていますから,年度末に報告書を作成し市教委に提出することになっています。

この報告書を書く時に,いつも違和感を持ちます。それは,「研究」という言葉です。

普通の中学校現場で,全職員による「研究」は本当にできるのか疑問に思っているのです。

何も考えずに「研究授業」という言葉を使っています。

しかし,実際に現場でやっていることは,単なる「公開授業」,「提案授業」程度です。

その後の,「授業研究」も内容から考えると「意見交流」程度です。

同じように「研究テーマ」という言葉もハードルが高すぎます。

忙しい現場で,やれそうなことは,せいぜい「共通実践テーマ」程度です。

ですから,あえて「研究」という言葉を使わないようにしています。

道徳部会の副部長をしていた時も「研究協議」ではなく,「交流会」としていました。

このほうが,参加者が意見を言いやすくなり,学びの空気が柔らかくなると思っています。

27 形(2022年3月記)

3月3日の読売新聞に「落語家の姿と形」という記事に目が留まりました。

50年近く演芸写真を撮り続けてきた写真家の横井洋司さんと演芸評論家の保田武宏さんの対談です。

その中でメモした部分がこれです。

〇横井

落語がうまい人はオーラがある。どう撮っても大丈夫。誰でも撮れます。

〇保田

私は前座を見ている時はしゃべりよりも高座の「形」を見ている。

それで早くからできている人はやっぱり,伸びますよね。

我々教師にも通ずる話だと思いました。

28 養老孟司さんの子ども観(2023年3月記)

読売新聞に連載されている,養老孟司さんの「なるようになる。」はとても興味深い話が多いです。

3月6日の話です。

「体を動かし,理屈通りにならない自然に接し,入力する感覚を広げることが大切です。

小さなお子さんに保育ビデオを見せるぐらいなら,外で思いきって遊ばせたらいい。

そうすれば,おのずと身につくことがある。野球教本ばかり読んでいてもダメで,バットを振らなきゃボールに当たらない,それと同じです。

頭だけで考えていても,鼻につくやつになるだけです。」

頭でっかちの教師ではダメだと思うのです。

29 学年通心とは(2022年3月記)

 来週の月曜日に発行する学年通心40号が完成しました。

 週に1回,毎月曜に発行してきましたが,これが最終号となります。

 学年通心を発行する目的は,保護者や生徒との関係づくりです。

 コロナの影響で学校と保護者の距離が遠くなってしまいました。

 顔が見えない先生とは良好な関係がつくりづらいです。

 どんなことを考えている先生なのか,どんなことを考えて教育を進めているのかを知らせることで少しは安心感が生まれると考えます。

 最終号には,先日の卒業式学年練習で行ったミニ道徳授業の様子と3年間の思いを書きました。

 月曜日は,卒業式総練習とアルバム配布です。

 月曜日は雨予報ですが,卒業式当日は晴れです。穏やかな日になることを祈っています。

30 読解力(2020年3月記)

 今朝の読売新聞に「AIに負けない子供を育てる」の新井紀子さんの記事が掲載されていました。

 これを読んで,学力向上のカギは「読解力」にあることを再確認しました。

 特に印象に残ったのは,この部分です。


「語彙の量,書く速さ,ノートの取り方といった基礎基本がクラスの中である程度そろっていないとALを有効に使うのは難しい。各学年で縦断的に読解力を調査し,学ぶスキルを上げることで,学力の伸びしろをつくっていくことが重要なのです。」


その通りだと思いました。4月からの授業システムづくりのヒントになります。

31 校務分掌を変える(2023年3月記)

今日の午前中は,今年度最後の職員会議がありました。

学年,教科,分掌からの反省と次年度への確認をしました。

その中で分掌について意見を言いました。

こんな内容です。


①各学年に分担された分掌の数は36個,一人当たり7個の分掌を担当している。

➁これでは,負担が大きすぎる。

③分掌を整理する必要あがる。

④各学年から1人ずつではなく,分掌によっては一人で大丈夫のものもある。

⑤仕事が多い(重い)分掌を掛け持ちしている先生の負担が大きい。

⑥今後,職員数が増える可能性は低いので,今のうちから分掌の数を減らしておく必要がある。

言い続けてきたことですが,学校というところは,なかなか変わらないところですね。

32 語彙力について(2020年3月記)

今日の読売新聞の「国語力が危ない~語彙力の今~」という特集で取り上げられていた,3人の話を紹介します。

1人目は,ライターの寺口浩大さん。

「何でもエモいで片づけられると,こちらは相手の考えをつかめない。

若者にとっても本当に言いたいことが伝わらず,困る場面が増えるのでは」


2人目は,国立国語研究所の黒石圭さん。

「人は言葉を頼りにして,物を考える。自分の気持ちにふさわしい言葉,その場の文脈にあった言葉を精度を高めて使う語彙力を持てば,より深く考え,伝えられる。社会で生きていくために語彙の力は有効だ」


最後に,学習塾経営者の矢野耕平さん。

「様々な表現を知った上であえて使うなら良いが,小さい頃から細かいニュアンスを無視した単語ばかり使っていては語彙が不足し,コミュニケーションが下手になる。言葉が貧しいと単純な思考回路になってしまう」

以前に書きましたが,知識は思考ツールだと思います。語彙も知識の一つですから,語彙が豊富だと思考が深まるのだと思います。

33 学習意欲(2023年4月記)

ベネッセが発行している教育情報雑誌「ビューネクスト」で,いつも参考にしている連載があります。

それは,「データで教育を読む」です。

今回は,コロナ化禍とデジタル化で子どもの学習意欲と学習方法はどのように変わったかというものでした。その結果の一部を紹介します。


「勉強する気持ちがわかない」と思う

〇中学生

2019年は48.5%→2022年は62.1%

〇小学4年から6年生

2019年は33.7%→2022年は53.7%


どちらも大幅に学習意欲が低下したことがわかります。

その理由として,ベネッセは,コロナによる一斉臨時休業が原因だとしています。

簡単にいうと,勉強の休み癖がついたということでしょうか。

このような生徒たちの学習意欲を高めるために何が必要なのかを現場教師は,真剣に考えるべきです。

ICT活用さえしておけば,意欲は高まるとは言えないようです。

タブレットや電子黒板やデジタル教科書などの道具を使う教師の哲学が求められているのだと思います。


34 部活動観(2023年4月記)

今日の読売新聞に部活動の地域移行に関する特集が掲載されていました。

その中で,気になった部分を紹介します。


中澤篤史氏(早稲田大学教授)

〇部活動がいかに教員の「ただ働き」に依存し,いびつな形で続いてきたか,保護者にも理解してもらう必要がある。

民間の習い事に比べたら非常に廉価で,学校施設も手軽に使える恩恵を受けてきた。

今後,ある程度の受益者負担は仕方がないだろう。


内田良氏(名古屋大学教授)

〇人もお金も十分にない中,活動量を減らさずに地域に移行するのは極めて難しい。

部活動を公的な教育システムとして残すには,根本から考え直さないといけない。

保護者の意識を変えさせることも大切ですが,管理職の意識も根本から変える必要があると思います。(管理職によって差があります。)

新年度の校内人事を決める時,個人面談で決定するだけでなく,全体の中で様々な意見を聞く必要があります。

前任者が異動で空いた部活動にあてがわれることが通例となっている現状を変えてほしいと思います。(私自身も女子バスケ部を7年間やっていました。)

結果,専門でもない部活動の顧問となり,指導も難しく,ただついているだけ見ているだけ,公式戦では丸1日がなくなり,残業手当も十分に出ないという理不尽なことが続かないことを願っています。

35 学年通信とは(2021年4月記)

学年主任をして10年間,学年通心を発行しています。

週に1回発行していますから,400号は軽くこえています。

週に1回とは言え,ネタがなくてなかなか書けないことが度々ありました。

しかし,週に1回発行すると決めたことなので,1回でも休んでしまうと次の発行をしなくなると思ったので,何とか振り絞って書いてきました。

苦しくなった時に,思い出すのは保護者からの温かいメッセージです。

例えば,

〇「毎週楽しみです」

〇「通信全部ファイルしています」

〇「通信に書いてあった〇〇の話は,とてもよかったです」

〇「毎週,冷蔵庫に貼っています」

〇「娘が卒業してしまうと,通心が読めないことがとても残念です」(この保護者には,弟を通じて通信を渡していました)

授業参観の時や卒業式などでこんな温かいメッセージをもらいました。

そして,今回,学校評価の自由記述として,こんなメッセージがありました。

〇「毎週発行されている学年通信は,私の教育書です」

こんなうれしいメッセージはありません。

毎週100名以上に配布していますが,すべての生徒が保護者に渡しているとは思っていません。

 また,受け取った保護者がすべて読んでいるとは思っていません。

 しかし,学年通心を読んで心が動いた保護者が一人でもいれば10年間発行し続けた甲斐があるというものです。

そんな保護者に向けて,学年通心を書き続けます。

36 校内研究テーマについて(2021年4月記)

今年度最初の研究主任研修会に参加しました。

市教委からの学力向上に関する講義が1時間ほどあり,その後,グループごとに悩みや情報交換となりました。その中で,それぞれの学校の研究テーマの確認をしました。例えば,

〇「主体的,対話的で深い学びの構築~指導と評価の一体化を踏まえた評価計画の作成~」

〇「21世紀型スキルをもった生徒の育成~コミュニケーション能力と読解力を高める工夫を通して~」

です。

立派な研究テーマですが,全職員が学びたくなるテーマとは言えないと思います。また,多忙を極める現場で,どれぐらいの研修時間が確保できるか疑問が残ります。

学力向上を図るためには,やらされる研修からやりたくなる研修へと変換させる必要があると思います。

ということで,私が考えた研究テーマは,

「よりよい集団づくりを基盤とした学力の向上~学年・学級経営の具体的方策の共有化~」です。

学年・学級集団が安心・安定している場所であれば,学習面で以下のような効果がでると予想されます。

①授業中の空気が柔らかくなる。

②学習意欲が高まる。

③人の意見を聞く姿勢ができ上がる。

④発言が活発になる。

⑤班学習やペア学習などの交流学習が活発になる。

赤坂真二先生も「内発的学習意欲は,学習へのやる気と言い換えることができる。

教師や仲間から受け入れられている感覚が,学習意欲を底辺で支えているのである。

受容的な雰囲気を醸成することは,やる気ある子どもを育てることに寄与するはずである。」と言っています。

学力向上のためには,まずは学ぶ環境を整え,生徒の学ぶモチベーションを高めることが大切だと思うのです。

37 情熱こそが(2023年4月記)

随分昔の話ですみません。

「教育長崎」という冊子が月に1回発行されていました。

現在は,廃刊となっています。

この冊子に「教育随想」という連載があり,これがとても気に入っていてコピーを保管していました。

しかし,今読み返すと年月日を書いていないことに気づきました。

いつの記事かわかりませんが紹介します。

1986年ぐらいかもしれません。

県立佐世保北高校の中里武彦先生が書かれたものから一部を抜粋します。

➀青年は眼が大切である。青年は眼が輝いていなければならない。

➁「あなたが率先して,生徒の何倍も苦労ばせろ。自分が変わればよか。」

③「長の一念」によって,厳しい教育環境も変わる。教師自身の変革こそが最も求められている。

④「因果具時」「未来の果を知らんと欲せば現在の因を見よ」という言葉がある。(大学受験の)君たちの3月の結果は今の姿の中に見えるという意味だ。

⑤「それがお前の限界か?本物は続く,続けると本物になる」

昭和の匂いがプンプンする教師ですが,この熱意が生徒を惹きつけたと思います。

この記事は,こんな一文で締めくくられています。

「気力のある限り,退職後も私は,遠い中国山東省の青島海洋大学で激励の言葉を学生にかけているはずだ。」

38 部活動について思うこと(2020年4月記)

「内外教育」(令和2年4月7日)より,内田良先生(名古屋大学大学院准教授)の記事を紹介します。


〈引用はじまり〉

今回の臨時休業は少しばかり,多忙な日常から教師を解放した。児童の受け入れを行った小学校教師が「学校に来ている子どもが,本当にかわいくって。心のゆとりがあると,子どもの見え方が変わってくるというのは,大発見でした」と目を輝かせていた。業務にゆとりがあるからこそ,子どもにじっくりと向き合える。何とすてきな発見だろうか。これまで,教育界に住まう私たちは「子どものため」ばかりを考えてきた。だが,あえて「教師のため」を考えることが,子どもに質の高い教育活動を保障することにつながっていく。」

〈引用終わり〉


実際,この臨時休業になったことで私は部活動から解放されました。

部活動に熱心ではない私のような教師にとっては,本当の意味で授業と向き合う時間が増えたと実感していると同時に喜びを感じています。

部活動の存在意義は十分に理解しています。

部活動が好きな教師は,それを通して教育を進めていけばいいのです。

問題は,部活動が得意ではない,好きではない教師,そのスポーツに対して無知な教師にも半強制的に顧問を押し付けてしまう現状にいら立ちを感じているのです。

事実,うちの学校長は,大学を卒業したばかりの初任者(女性)にサッカー部の顧問を任せました。

ちなみに彼女は,大学時代は茶道部だったそうです。職員会議で私も部活動の在り方について意見をいいましたが,結局,教頭がサポートするということで収まりました。

まだ部活動は本格的に始まっていませんが,彼女が20名近いサッカー部員を平日,土日の練習,練習試合,公式戦などでまとめていくことができるか心配です。

初めて教壇に立つ彼女が,学級をうまくまとめ,日常授業において生徒を統率していくための十分な時間を確保できるかどうか心配です。

学校や生徒のことを全く考えないで,心身共にリフレッシュできる時間が持てるのかどうか心配です。

授業や学級経営と部活動を切り離し,本来の意味での教師として育てることの大切さについて考えていくべきです。

この臨時休業中に,今後の部活動の在り方について本音で議論する時間を設けてほしいと思った記事でした。

39 教師≒監督論(2023年4月記)

201年11月の佐世保教育サークルでもらった朝長先生のレポートから紹介します。

教師と監督は類似点が多いという内容でした。

そこで,朝長先生は,野村克也監督の本を参考にしていました。

「監督の器」≒「教師の器」

監督として必要な資質は,以下の8つです。

➀信頼

➁人望

③度量

④貫禄

⑤威厳

⑥表現力

⑦判断力

⑧決断力


④貫禄 ⑤威厳について,野村監督は,

「精神的にも選手と同じレベルで一喜一憂している。監督たるものは選手と同じレベルで喜怒哀楽を表現するものではないと思う。」

⑥表現力

「表現力とは言葉の問題であり,説得力も大いに重要な条件である。経験上で思うのだか監督はやはり話ができなければならない。」

⑧決断力

「判断と決断は違う。コーチは判断を求められても,決断はしなくても構わない。というより決断を迫られることがない。」

最後に,野村監督は,「監督は気づかせ屋」と言っています。

「監督は,ヒントを与え,選手が自分自身で気づくように仕向けなければならない。

そうすることで,「何が悪いのか」選手は考える。

「どうすればよくなるだろう」と試行錯誤する。

その過程で技術が進歩し,人間として成長していくのである。

まさしく「人はプロセスで作られる」のだ。

このレポート読んで,

「監督」≒「校長」とも言えると考えました。

さすが,朝長先生,切り口が面白いです。

40 読書観(2023年5月記)

中学生の頃に夢中になったものが読書です。

お年玉のほとんど全部を本代として使うほどでした。

高校生になると図書館(中学校は図書室)があり,その蔵書数に驚き,そして大いに喜びました。

毎日,昼休みと放課後に図書館に行き,様々な本と出会うことができました。

図書館で過ごす時間は,自分が知らない作家やジャンルと出会うワクワク感と素晴らしい本と出合った喜びを感じる時間でした。

同時に,自分が一生かけて読める本の冊数には限りがあり,一生出会わない素晴らしい本があるんだと思い,悲しくなった記憶もあります。

こんな読書経験で得た結論は,

「読書は,時空を越える」

ということです。

自分が行けない,過去や未来,宇宙や海底も行けます。

出合うことができない,歴史上の人物に出合うこともできるのです。

読書は,今でも続いていますが,読みたい時期と全く読まない時期があります。

退職した今,時間的に余裕がありますので,コーヒーを飲みながら,ゆっくりと味わって読むことが喜びとなっています。

41 建築家,隈研吾さんの観(2020年5月記)

読売新聞に掲載されていた建築家の隈研吾さんの話に興味を持ち,「ひとの住処」(新潮新書)を読んでみました。

1964年と2020年の東京五輪をベースにして彼の人生を書いているのですが,同時に建築に対する哲学の変遷も書かれています。

新国立競技場を見たときに,単純に「和風」を感じましたが,実はそうではない深い考えがあったことに驚きました。

建造物には建築家の哲学が反映されているのです。

例えば,文明論であり環境論であり国家論であり歴史論であり科学論でありもあるのです。

それらが集約され表現したものが新国立競技場なのです。

〈引用始まり〉

徹底して細い木を使うことにこだわった。(中略)庶民的な材木を使うことが,21世紀の国立と呼ばれる競技場には,最もふさわしいと感じられた。特別な材料を使った,特別な形態の建築が,国の象徴となる時代ではない。庶民的な材料,見慣れた,安い材料を使ったものこそが,「国立」に名にふさわしく,少子高齢化の地味で渋い日本にはふさわしいと,考えたのである。

〈引用終わり〉

また,デザイン界には,「縄文」対「弥生」という議論があったことも知り,うなってしまいました。

建築には興味があまりありませんでしたが,隈研吾さんを知ってから,少しずつ調べている最中です。なかなかおもしそうです。

予算オーバーでボツになった宇宙船のような競技場にならなくて本当によかったと思います。

是非,新国立競技場に行き,「風の大庇(おおひさし)」と「空の杜(そらのもり)」を体感したいと思います。

来年,この競技場で世界のアスリートたちが何を感じ,どんなコメントをするか楽しみです。

最近の読んだ本で一番興奮を感じた1冊でした。

調べてみると,長崎県美術館も隈研吾氏が手掛けたものでした。今度は美術品だけでなく,美術館を細かく見学しようと思います。

42 学校のコンビニ化(2022年5月記)

今日で5月の非常勤講師としての勤務は終了です。

1日3時間の週4日勤務でした。

常勤教員と比べて授業だけの仕事ですから,肉体的及び精神的に楽でした。

常勤教員時代は,授業以外の仕事がいかに多かったかが分かります。

欠席,遅刻,早退対応,生徒指導,不登校生徒対応,校務分掌の仕事,提案文書作成,会議,部活関係,環境整備,公的研修,提出物集約,保護者対応,行事準備,コロナ対応,アンケートなどなどです。

これを「学校のコンビニ化」と呼んできました。

今後,教員が授業だけに集中できる体制ができあがれば,仕事量が減り,教員志望者は増えるのではないかと思います。

残業代を増やせばいいという安易な発想では,現状はなかなか変わらないのです。

教師は「授業で勝負」という言葉は,化石化しています。

6月からも,時給分は頑張ります。

ドラマ「ハケンの品格」ではありませんが,「お時給の分はしっかり働かせていただきます。」

43 教員の定年延長(2021年6月記) 

国家公務員の定年延長に関する法案が可決されました。地方公務員もこれに準じるとありますから,教員の定年も延長されることになります。これに従えば,私の定年は61歳となりそうです。このニュースを聞いた時に,複雑な気持ちになりました。生徒と一緒に生活ができるうれしさもありますが,果たして体力が持続するのかという心配もあります。今以上に教員の高齢化が進むと,体力が必要とされる仕事が,学校現場でこなせなくなる場面が増えると思います。1日に5時間の授業がこなせるのか,放課後,部活指導に行けるのか,土曜日も部活指導にいけるのか,なかなか厳しい状況になりそうです。59歳になる今でも,1日5時間授業は正直きついです。部活動はいかずに帰宅して横になりたいと思っています。土日ぐらいは,のんびりして,心身を休めたいです。

61歳まで大丈夫かと言われたら,大丈夫と言える自信がありません。65歳まで自信をもって働ける教員は,どれぐらいいるのでしょうか。ブラックと言われる中学校教師になりたいと思う若者がどれぐらいいるのでしょうか。これでは,ますます高齢化が進みます。年齢に関係なく,次々と新しいことを取り入れていかなければいけません。(コロナ対策,タブレット活用,デジタル教科書,スマホ持ち込み指導,多様な指導法など)。65歳の定年を待たずに,退職する教師が増えるのではないかと思っています。教育現場には,若い教師のエネルギーとパワーが絶対に必要なのです。

因みに,このニュースを聞いた妻は,横で喜んでいました。(笑)



追記:この後,私の定年年齢は61歳ではなく60歳ということが分かりました。令和5年3月末で無事に定年退職しました。

44 現場の部活動論(2019年6月記) 

市中体会の2日目が終わりました。

個人戦の結果は,8人中6人が一回戦敗退,2人が2回戦敗退でした。

部活に対する思いが教師と生徒と大きく違い,個々の生徒でも大きく違うことで悩んだ一年間でした。

学校で行う部活動の限界が見えてきたように思います。

教師の超過勤務の問題やブラック部活動の問題などを考えると運動部で強く好成績を挙げようとするならば,クラブチームなどでお金を出して育ててもらう時代になっていくのではないでしょうか。

教師によって部活動に対する意識も違います。専門外で指導に悩む教師もいます。それでも部活動指導を続けているのは,生徒が部活動をしたいと思っているからでしょう。生徒がその部活動で勝利する姿を見たいからでしょう。負けて悔しがり敗北から何を学んで欲しいからでしょう。部活動を通して何かを学んで欲しいからでしょう。

しかし,部員全員がこのような意識で活動している訳ではありません。モチベーションがとても低い生徒もいます。

実際,私もこのような生徒の指導に悩んでいます。そういった意味でも,部活動は大きな転換期にさしかかっているのではないでしょうか。

45 研修論(2015年7月)

今日から7月です。
さっそく,夏休みの研修講座一覧表が回ってきました。
教育センター主催の30を超える公的研修会が紹介されていました。
例えば,
モンスターペアレントの対応」
「教科研修」
「校務支援システムの活用」
「生徒指導」
「教職員のメンタルヘルス」など実に様々です。

これらの講座から希望する研修を選び,受講することになります。
これらの研修講座はすべて無料です。
一見,無料であることがよさそうに思えますが,実は無料の弊害があるのです。
例えば,こんな風景を見る事があります。
①後ろのほうの席に座り,居眠りをしている。
②メモをとらない。
③質問をしない。

せっかくの学びのチャンスを無駄にしている教師が多いのです。

例えば,研修参加費としてワンコイン程度を支払うようにすればどうなるでしょうか。
おそらく,参加費の元をとろうということで,メモをとり真剣に聴く教師が出てくるのではないでしょうか。

何よりの弊害は,研修にお金をかけないことが当たり前と考える教師が増えるということです。
自腹で旅費と参加費を払うようなセミナーや研修会に参加しない教師が増えるということです。
もっと言えば教育書や教育雑誌を自腹で買う教師も少なくなってしまう恐れがあるということです。

教師は学びに,もっとお金をかけなければいけません。
そうすれば,学ぶ意欲が高まるのではないかと思いますが,どうでしょうか。

ということで,今夏,公的研修会3つと私的な研修会2つに参加する予定です。
もちろん,私的な研修会は旅費と参加費は自腹です。
かかったお金の分だけ学ぼうという意欲はあります。


46 スマホ論(2020年6月記)

今朝の読売新聞に「中学スマホ持ち込み容認」という見出しが1面に掲載されていました。これを見たときに「また仕事が増えるなあ」と思いました。実際,市教委から降りてきた時にこんな仕事が増えるだろうと予想してみました。

①保護者向けのプリント作成(生徒指導部または教頭)

②プリント回収と集約(担任)

③持ち込み生徒一覧表作成(学年職員)

④持ち込みに関する注意事項作成(生徒指導部)

⑤全校集会での説明(生徒指導部)

⑥毎日のスマホの預かりと電源チェックなど(担任または学年職員)

⑦各学級のスマホ預かり棚製作(学校管理人)

⑧スマホの返却(担任または学年職員)

⑨緊急事態が発生した時の返却(担任または学年職員)など

では,どんな問題が発生するかを考えてみました。

A 遅刻生徒のスマホは誰が受け取るか(だまって持ち込む可能性あり)

B 電源を切り忘れたスマホが突然鳴り始める

C スマホが壊れたり,無くなったりした時の弁償はどうするのか

D 早退する生徒への返却は誰がするのか

E 緊急事態が発生した時は,いつでも返却するのか

F 許可しない生徒がスマホを持ち込んだ時の指導

G 返却はいつするのか。部活前だと部活中に使用する可能性がある

H 部活後だと顧問が返却することになるが,顧問が不在の時は誰が返却するのか。

I 部活後に返却することになれば,時間外勤務となる。

J 部活後にスマホが紛失した場合,誰の責任となるのか。

K 土日の部活では,預かり返却は顧問となれば,更に不要な仕事が増える。

L 校内に設置されている公衆電話が撤去され,スマホがない生徒の連絡方法がなくなる。

M この際,うちの子供にも買ってあげようとする保護者が増える。

新型コロナで,仕事が多くなっている現場です。

※体温チェックカード回収

※忘れた生徒に体温を測らせる

※放課後,生徒がいない時の消毒作業

※フッ化物

※時間外の部活移動など。

文部科学省の方々,どうかこれ以上仕事を増やさないでください。「働き方改革」という言葉は中学校現場ではもはや死語になっています。

47 テレビ局の取材(2014年9月記)


昨日,某テレビ局のディレクターが来校し取材を受けました。

その前日に電話で取材の内容を確認したところ,答えられそうなものだったので受けることにしたのです。

取材で答えた内容はおおよそこんな感じでした。

(ここで書ける分だけです)

・道徳授業を自分で創り始めたきっかけ

・命の尊さを教える道徳授業の具体例

・人の死を扱う道徳授業について

・教師の多忙感について

・道徳の時間とはどんな時間か

・サークルについて

 

1時間ほどの取材でしたが,最後にお願いをして終わりました。

この取材をもとにして番組をつくられるのであれば,教師が元気になるような番組にしてください。現場の教師が元気じゃないと生徒は元気になりません。

 

今後,どうなるか全くわかりませんが,次回の取材があればまた報告します。 

48 研究テーマ論(2019年6月記)

今日の放課後に,研究主任である私と校長,教頭で市教委の訪問を受けました。内容は,今年度の研究の方向性についての打ち合わせでした。例えば,このような研究テーマを掲げている中学校があります。

「主体的な活動から学力向上を目指す生徒の育成」

確かに,立派でキレイな研究テーマだと思います。

しかし,具体的に何を目指しているのかかわかりません。

そこで,今年度の研究テーマを「日常授業の工夫と改善」としました。年に一回程度の研究授業にチカラを注ぐのではなく,100時間近く実践している日常授業の改善に力点を置きました。

もちろん,これは野中信行先生が提唱されているものです。

私の考えを市教委に説明し,この方向性でいくことが承認されましたので,あとは全職員が同じ方向を向いて学ぶようになればいいと思います。

49 通知表の所見(2012年6月記)

職員会議で通知表が議題に上がると必ず出てくる意見は,以下の3つです。

①所見を書く回数を減らしてほしい。

②所見を書く欄を小さくしてほしい。

③道徳科の評価文を書く回数を減らしてほしい。

つまり,生徒を評価する文章をできるだけ書きたくないということです。

これらの意見が出る理由は,文章を書くことが大変だからです。

現在,本市は前期と後期の2学期制をとっています。学級担任の仕事を減らすために所見を前期は書かずに,後期(つまり3月)だけ書く学校があります。

たった1回の評価文で生徒は勉強をがんばろうと思うのでしょうか。

たった1回の評価文で生徒と教師の関係は良好になるのでしょうか。

たった1回の評価文で保護者は学校や教師とのより良い関係を作ろうと思うのでしょうか。

生徒を成長させるためには,できるだけ評価の回数が多い方がいいと考えています。

それを仕事の効率や多忙を理由に,回数を減らしてもいいのでしょうか。

働き方改革では,効率を優先させる仕事と時間がかかってもやるべき仕事をしっかりと見極めて,削減していくことが大切だと考えています。

現在,本校では道徳科の評価文を2回にするか1回にするか,もめています。

みなさんの学校は,どうですか?

50「お友達病」(2016年9月記)

先日,姪の幼稚園の運動会を見に行きました。

雨天のため,体育館で行われていましたが,どの園児も一生懸命に取り組んでいました。

そんな運動会で,ちょっぴり違和感を覚えたことを書きます。

それは,主任と思われる先生が,放送で随時,演技の紹介や応援をしていました。

その中で,園児のことを常に「おともだち」と言っていたことです。

例えば,「すみれ組のおともだちは,入場門に集まりましょう」とか

「たんぽぽ組のおともだち,よくがんばりましたね」とかです。


どうして,園児のことを「おともだち」というのでしょうか。

確かに「園児」という言葉は,難しいかもしれません。あるいは,堅苦しい感じがするのかもしれません。

では,「みなさん」とか「なかま」ではダメなのでしょうか。


現在の子供は「お友だち病」にかかっていると思います。

この病気は,「友だち」は絶対に大切,「友達」をたくさんつくることが大切,「みんな仲良くすること」が大切にしなければいけないと思い込むような症状が出ます。

幼い頃から,親や先生から「友達」を大切にしなさいと教えられますが,果たしてそうでしょうか。

はたして,クラス全員と友だちになることはできるでしょうか。

現実的に無理でしょう。

どうしても合わない人もいます。どうしても合わせられない人もいます。

そんな人とは,友だちづきあいはできません。

できることは,クラスの一員としてうまくつきあっていくことです。

つまり,「仲間」としてつきあうのです。

 

しかし,小さい頃から,「友だち」病にかかっているので,どんな人とも仲良くしなければいけないと思い込んでいる子供がいると思います。

それが,大きな悩みになる場合もあるのです。心の負担になる場合もあるのです。

「友だち」はいたほうがいいに決まっています。

しかし,クラス全員が「友だち」とか「みんな友だち」とかを子供に教えることは,正しいこととは思いません。

「友だち」という言葉を疑わずに使うことを止めて,「仲間」という言葉としっかりと使い分けをして教えることが大切だと思います。

「友だち」と「仲間」の違いを知ることで,人との付き合いが負担にならなくてもすむと思うのです。

あの人とは「仲間」として付き合えばいいんだ。という意識を持たせるのです。

幼稚園でも「すみれ組のなかま,入場門に集まりましょう」という放送を流すようにしてはどうでしょうか。

51 弟子論(2022年7月記)

 昨晩は,ZOOMによる佐世保教育サークルの例会がありました。

 特にうれしかったのでは,私の「弟子」3人全員が参加したことです。

 この3人とは彼らが大学生の頃に出会い,私の授業を2年間ほど参観し,いろいろなセミナーや研究大会に一緒に参加した熱い青年たちです。

 私は彼らを「弟子」と呼んでいます。彼らとは本気で付き合い,授業(教科や道徳)やプレゼンに対して本音で批判をしてきました。それに対して,彼らは本気で学ぼうとしています。

 もし,これを現場の若手教師にやったならば,パワハラと言われそうです。

 実際,パワハラという言葉が,若手教師を本気で育てる意欲を削いでいると感じています。

 もちろん,理不尽なパワハラは許されないものです。

 しかし,若手教師に,本気の指導ができにくい状況があることは事実です。

 そんなことを考えた時に,「弟子」と「師匠」という関係であれば,しっかりと育てることができると考えました。

 もちろん,「弟子」を育てるのは,「師匠」である私の責任です。弟子を育てるためには,師匠である私も学び続けなければいけません。そのような心構えで3人と付き合ってきました。

 退職後も「弟子」3人と付き合い,一人前の教師となるように本気で育てます。

「弟子」のMくん,Kくん,Iくんこれからもよろしくお願いします。

できれば,来月のサークルも3人そろって参加してほしいものです。


〈追記〉教師は,職人だと考えています。

 ですから,弟子は師匠から哲学を学び,技を盗みながら一人前となっていくのです。

 職人気質の教師が少なくなり,理論や形式ばかりにこだわる頭でっかちの教師が増えていることが残念でなりません。 

52 学期の反省(2019年7月)

月曜日は,4ヶ月間の教育実践を振り返る様々な部会が開かれます。

学年部会,教科部会,分掌部会などです。

これらの部会の共通点は,様々な項目ごとに意見を出し合うという点です。ここで出た意見を座長が職員会議で発表することになります。

これをすべて終えるためには,ほぼ1日かかります。

時間をかけた割には,次への改善へ結びつかないことが多いと感じることが多いです。

その理由は,どんな生徒に育てたいかという具体的な像がないからです。

その具体像に結びつくような評価項目を設定すれば,改善すべき点が明確になると思います。そういったことを意識して,学年部会資料を作成しました。毎年使い回している反省用紙は使わずに,この資料を使い前期の生徒の成長を振り返ろうと思います。

53 全国学力調査の結果(2022年7月記)

全国学力学習状況調査の結果が出ました。

毎年思うことですが,正答率を都道府県別に発表することにどんな意味があるのでしょうか。また,市教委から分析資料づくりや授業改善の校内研修を進めるように指示がくるのでしょうね。私の若い頃より,上からの指示に素直に従って頑張る教師が多いのです。そんなに頑張っている教師が大勢いるにも関わらず,なかなかポイントが上がらないのは,別の理由があるように思います。教材研究が楽しい,授業をするのが楽しいと感じている教師はどれぐらいいるのでしょうか。何よりも教育について学ぶことが楽しい,もっといろいろなことを学びたいと感じている教師はどれぐらいいるのでしょうか。こんなところに理由があるのかもしれません。

54 全国学力調査の目的(2021年7月)

文部科学省のホームページに全国学力学習状況調査 の目的が書かれています。調査の結果が違う方向で利用されていると思いましたので,改めて読んでみました。

その目的は大きく3つありました。

〇義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、全国的な児童生徒の学力や学習状況を把握・分析し、教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図る。

〇 学校における児童生徒への教育指導の充実や学習状況の改善等に役立てる。

〇そのような取組を通じて、教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立する。

正答率を比較することにこだわり過ぎるとこの大きな目的を見失ってしまう可能性もあります。

大阪市立大空小学校初代校長の木村泰子先生は,こんなことを言っています。

「学力をつけることは,学習の目的ではなく,学習した結果です。学力は高い方が良いですし,子どもが知識を身につけ,できないことをできるようにするために,授業を工夫することは重要です。しかし,公教育の最上位の目的は,どのような状況にある子どもも学習できることだと考え,学習権の保障を最も重要視したのです。」(「VIEW21 2020.vol3」Benesse)

全員参加の授業づくりこそが大切だと言うことを再確認しました。


55 平和学習(2020年8月記)

今日の職員会議で「8・9平和集会」についての提案がありました。長崎原爆投下の日を登校日として,生徒と共に平和について考えることを目的としたものです。この平和集会を迎えるたびに,「平和」や「戦争」や「命」や「死」について深く考え,生徒にどうやって教えればいいのか悩むのです。

しかし,もっともっと深く考えるべきだと思います。

教える立場である我々教師が「平和観」「戦争観」「死生観」を持つことが大切なのです。

昨日紹介した浅田次郎さんの「終わらざる夏」の中にこんな一文がありました。

〈引用始まり〉

「戦争とは,生と死との,ありうべからず親和だった。ただ生きるか死ぬかではなく,本来は死と対峙しなければならぬ生が,あろうことか握手を交わしてしまう異常な事態が戦争というものだ。」

〈引用終わり〉

重い言葉です。

56 赤坂真二先生の講座(2018年7月)


今日は,朝から高校のオープンスクールの引率でした。

集合時刻よりも早く全員集まったのでバタバタとすることもなくよかったです。

今年3月にA中を卒業した生徒たちが駆け寄ってきてあいさつをしてくれました。

3年間持ち上がった生徒たちですから,懐かしさもひとしおでした。

顔つきがすっかり高校生になっていて,ちょっぴり驚きました。

月日の経過を実感しました。


そして,午後は教育センターに行き,赤坂真二先生の講座に参加しました。

講座名は「勇気づけの学級づくり」でした。

とにかくあっという間の2時間でマシンガントークが炸裂していました。

いろいろなことを学びましたが,そのメモからいくつかを紹介します。

 

①若手教師は名人芸を盗む余裕もない。

②学級経営とは学習環境の最適化

③2027年に,(人口減少のため)輸血する血液が不足する

④いつもいる教師,身体のケアができる教師,感情のケアができる教師

⑤大人ポジションにいるか

⑥「どうやるか」ではなく「どういるか」

⑦(生徒と)一緒にいる達人

⑧教師の人柄(明朗さ,親しみやすさ,感情的成熟,誠実さ,精神的な健康)

⑨「しゃべっているけど,聞いてない」

⑩「叱っているけど,ほめてない」

⑪「ほめているけれど,的外れ」

⑫子供の情報を集める(子供ひとり一人の話題を持っている)

⑬協同的問題解決力

⑭「授業法の転換」ではなく,「学習者像の転換」

⑮ルールとリレーション

57 人工知能(2019年8月)

 人工知能(AI)についての道徳授業を創っています。

AIについて調べていけばいくほど,急速に科学技術が進歩していることに驚かされます。

今後,加速度的に工業,農業,商業,文学,医学,教育などあらゆる分野でAIが活躍するのでしょう。

10年後,人工知能の発達で多くの職業がなくなってしまうという話も話題になりました。

マンガでも手塚治虫先生が,科学の進歩が本当に人類に幸福をもたらすのかということを描いていました。

また,手塚先生の「鉄腕アトム~地上最大のロボット~」を壮大なスケールでリメイクした浦沢直樹先生の「プルートゥ」も高度な人工知能をもったロボットたちが登場します。

この「プルートゥ」をヒントにして,AIを違った角度から捉えてみたいと思いつくりはじめました。

うまくできるかどうか分かりませんが,夏休み中には何とかかたちになればいいと思います。

58 野口芳宏先生からの学び(2023年8月記)

昨日のモラロジー主催の道徳教育研究会で野口芳宏先生から学んだことをまとめてみました。

〇教師主体=教師次第

〇(私の道徳授業に対して)冷静に組み立てられた授業

〇「口閉ざして思い始まる」

〇教育は制度だけはよくならない,教師が変わることが大切

〇「人(動物としてのヒト)は人(教育)によって人(人間)となる」

〇現在の教育風潮では,大切なことがきれいごとで隠されている。

〇修養は,価値観を耕すこと

〇教師の背後の哲学(人柄,見識,教養)で子どもとの接し方に深みが生まれる。

59 道徳授業ごっこ(2023年8月記)

20年以上も前の話です。

道徳授業を自分で作り実践しているサークル「まるどう」(現在の道徳のチカラ)に入会しました。

「まるどう」の先生たちから刺激をもらい,自分で道徳授業を作り始めました。

いくつかの道徳授業を作り,自分としては,少しはうまくなったと思っていました。

2001年佐世保セミナーに野口先生をお呼びした時に,ある道徳授業の実践記録を手渡しました。

テーマは「いじめ」でした。

その後すぐに葉書が届きました。

「道徳の授業は,多く「授業ごっこ」になっていると思います。実効よりも理屈が優先し,ああだ,こうだと言い合い過ぎます。」

そして,最後に

「授業案を検討して「手ぬるい」と感じたのが正直なところです。」

この文を読んだ時に,愕然としました。と同時に自分の未熟さ,不勉強さを痛感しました。

さて,17日の道徳教育研究会で平和についての道徳授業記録を紹介しました。

野口先生の前で,発表するのは,おそらく15年ぶりぐらいでしょうか。

さすがに,緊張しました。

1時間の講座を終えて,さあ野口先生はどんなふうに思われたのか,気になっていました。

すると,お褒めの言葉をいただきました。

望外の喜びでした。

20年前の野口先生からいただいた「授業ごっこ」「手ぬるい」という厳しい批判があったからこそ,一生懸命に学び,道徳授業を作り,実践し,公開し,多くの講座を担当してきたのです。

あの批判がなかったら,今の私はいません。

20年以上かかりましたが,ようやく一人前になった感じがしました。

野口先生のおかげです。ただただ感謝しかありません。

これからも学んでいこうという決意もできました。

ありがとうございました。野口先生,これからもどうぞよろしくお願いいたします。

60 言葉論(2019年8月)

生徒に語る時に一番気を付けていることは、使い古された言葉やどこかで聞いたことがある言葉をできるだけ使わないということです。

意外性の高い言葉や例え話などを使ったほうが、生徒の心に引っかかるのではないかと思っています。

そのために、

小説を読みます。

脚本を読みます。

映画を見ます。

音楽を聴きます。

特に、今は、小説で使われている言葉に魅力を感じています。

小説を読みながら、気に入った言葉はノートにメモをとります。

こうすることで、言葉の泉が深くなるのだと思っています。

61 研究指定とは(2019年8月記)

「内外教育」(8月27日)からの引用です。

〈引用始まり〉

研究指定校になった学校では,計画段階では校長以下,学校を上げて準備に取りかかるが,実践段階ではだんだん「タマの当たった教師」の責任がクローズアップされ,最終的には,例外なく,念入りな報告書をまとめて終わる。結果として担当の教師は疲労困憊し,出来上がった報告書は分厚くて,他の学校・教師は参考にするだけの余裕を持てない。

〈引用終わり〉

研究指定校に勤務したことが数回ありますが,その研究が果たしてその後の授業に生かされたかどうかは甚だ疑問です。

研究発表が終われば,それで終わりという感じでした。

2年間もかけて準備してもこんな感じです。

こんな経験があるので,普通の現場では本来の研究はできにくいという考えを持っているのです。

普通の現場でできることは,研究発表ではなく実践発表なのです。

研究指定という場の設定は,これからもなくならないのでしょうね。 

62 デジタル教科書(2022年9月記)

今朝の読売新聞(こんな台風の日にも早朝,新聞が届くことに感動しました)に,アメリカの精神科医,ビクトリア・ダンクリー氏が,学校のICT化やデジタル教科書について発言した記事がありましたので一部を紹介します。

〈引用始まり〉

教科書のデジタル化について

「米国ではうまくいかず紙の教科書に戻した学校が多い。通信環境のトラブルや機器の故障への対応などで費用が高くなっている。紙の方がスクリーンより速く読め,理解が深まり定着も良いなど,紙の良さを示す研究はたくさんある。仮に学習効果が同じでも,スクリーンを見過ぎると子供に睡眠不足や過覚醒など様々な問題を引き起こす。パソコンは使いやすいように設計されており,障害のある子供も読み書きよりはるかに簡単に習得できる。高校や大学に進学してから学べば十分に間に合う。親はスクリーンが脳に与える影響について正しい知識を持つと同時に,小さい頃からICTに触れなくても,我が子が人生で取り残されることはないと信じることだ。」

〈引用終わり〉

2024年度から小中の英語科でデジタル教科書と紙の教科書の併用が始まります。

2025年度からは,算数と数学でもデジタル教科書の使用が始まるかもしれません。

子供の精神や身体的な影響も心配ですが,教師の指導上でも問題が起こると予想しています。その1つとして,教師が生徒の目や表情を見ながら授業を進めることが難しくなるということです。

つまり,自分のパソコン,生徒のパソコン,スクリーン,黒板など見るべき点が増え,生徒の目や表情から個々の生徒の理解度が把握することが難しいのではないかと思っています。

現場で働く人を増やすのではなく,生徒一人一人にタブレットを持たせることが本当に良かったのでしょうか。

お金の使い方は間違っていないのでしょうか。

63「踊る大走査線」に見る組織論(2020年7月記)

 先週は1週間ずっと「踊る大捜査線」(テレビ版10話)を観ていました。

刑事ものとしても面白いのですが,本庁と所轄の関係,湾岸署の組織にとても興味がわきました。

つまり,このドラマで市教委と職員室を重ねて見たわけです。職員室も組織ですから,青島刑事(織田裕二)のような自分勝手な行動をとることはできません。

しかし,すべてを本庁の命令どおりに動かなければいけないとなれば,所轄の警察官の反対は大きくなり,捜査意欲が高まることはないのです。

逆にすべての事件を所轄に任せてしまっては,動きがバラバラになり統率がとれません。

そこで警視庁キャリアである室井管理官(柳葉敏郎)の存在が大きくなるのです。

彼は,本庁と所轄を有機的につなげる努力をしようとして,悩み苦しみます。(心情的には所轄派)

ちなみに,本庁と所轄の調整役(サーバントリーダー)として,鵜飼管理補佐官(小栗旬)が登場しますが,室井管理官と違って,情ではなく論で働くような立ち位置でした。(これは映画版に登場)

このドラマで,学校という組織はどうあるべきかを考えるきっかけをもらったのです。

今の職員室には,湾岸署刑事課のような組織があっているように思います。

笑いがありミスがあり一見ゆるそうな職場の雰囲気ですが,1つの目標が定まれば,仲間を思い仲間と協力して動く組織です。

ガチガチのトップダウンで動く組織を作ろうとしたら,個々の先生たちのキャラや良さが失われてしまうのです。

青島刑事のような熱く行動的な教師も必要ですし,退職間近の和久刑事(いかりや長介)みたいな教師も必要なのです。

最後に室井管理官の名言です。

「現場の君たちを信じる」

こんなことを考えなくても,面白いドラマです。

64 例年通り(2022年9月記)

学校現場では,「例年通り」とか「昨年と同じように」で提案する教師がいます。毎年,生徒も教師も社会も変化しているにも関わらず,同じ目的で同じ要領で行う行事にどんな意味があるのでしょうか。

先日も合唱コンクールに向けて昨年と同じように各学級で寄せ書きを作成してほしいという提案がありました。

しかも,作成時間は朝と昼休み,放課後という話です。

この提案は,あきらかにおかしいです。この寄せ書きに明確な目的があれば,きちんとその意図を生徒に伝えて,生徒一人一人に真剣に取り組ませる必要があるのです。それをするためには,十分な時間が必要です。しかし,それもないとなれば,やっつけ仕事と同じです。時間の無駄です。学級担任の負担になるだけです。

このような理由から,職員会議で,この提案に反対したのは言うまでもありません。

何のためにするのか,どんな生徒に育てたいのか,生徒をどのように変容させたいのか具体的に考えて欲しいものです。

変化が激しい学校現場では,例年通りは通用しません。

65 授業論(2022年9月記)

36年の教師人生を振り返り、授業というものは、教師と生徒とのやり取りで作るものだと再認識しています。

生徒に問いを投げかける。

生徒の言葉を受け取る。

生徒の言葉を集め、まとめる。

生徒をほめる。しかる。励ます。

生徒のつぶやきに耳をすます。

生徒の表情を読みとる。

教室中で笑いがおきる。

教室中が静まりかえる。

つまり、授業と言うものは体温を感じるものだということです。

久しぶりに生徒全員がそろった授業でどうしてタブレットを使うのでしょうか。画面ばかりを見つめる授業ではなく仲間の顔を見ながら心を合わせる授業をしたほうがいいのです。

おとなしくて、なかなか発表ができない生徒のためにタブレットを使って参加させるよりも、発表ができる空気を生徒と一緒につくるほうがいのです。

自分の声で意見を言う時は、相手や仲間の気持ちも考え、言葉を選びます。スピードや間の取り方も考えます。仲間のことを思いやるのです。

タブレットは、単なる道具にすぎません。コンパスや定規と同じです。使わないと困るから使うのです。

今の学校は、はじめからタブレットを使うような空気があります。

利便性や効率を優先させる授業ばかりしていては、人を育てるという大切なことが次第に忘れられていくのです。

教育基本法第一条「教育の目的」を再確認すべきです。

そういった理由で、今でも教師と生徒の体温が感じられる授業をしています。


66 友近さんの恩師の言葉(2023年9月記)

9月27日の読売新聞の「恩師の言葉」にお笑い芸人の友近さんの話が掲載されていました。小5・6年の担任の先生がいつもいっていた言葉が「思いやり」でした。

これに対して,友近さんはこう言っています。

〇仕事では毒舌キャラなど一定の役割を求められる時もありますが,常に思いやりを持って行動することを心がけています。自分のことだけ考えていると,仕事も長続きしない。「思いやり」が全てにつながる基本なのだと大人になって理解しました。シンプルな言葉ですが,幼かった私たちに繰り返し話し,諭してくれた先生はすごいなと今でも感じます。

情熱持って生徒を思ってがんばる先生には,影響力があるのです。

友近さんの記事を読んで,先生は生徒の未来に関わる素敵な仕事だということを再確認しました。


67 野口芳宏先生の言葉(2021年10月記)

毎年度初め,週案の表紙に野口芳宏先生の言葉を書いています。

今年度は,コロナの現状をふまえて「与えられた世界でベストに生きる」と書きました。

さて,先週からはじめた卒業式までのカウントダウンカードに,ある女子生徒がこの言葉を書いていました。

正直驚きました。いったいどこで,この言葉を知ったのでしょうか。

この生徒の父親は,知り合いの教師ですから,この言葉をどこで知ったのかを確認してもらいました。

理由が分かりました。

3年生に進級した最初の学年集会の時,私が言ったということでした。

その言葉を言ったのは,おそらくその1回だけです。

ということは,その女子生徒は,私がたった1回だけ言った言葉を覚えたことになります。

うれしく思いましたが,同時に言葉を発する責任を感じました。

教師が発する言葉を生徒は,意外と覚えているということを意識したいと思います。

68 気になった3つのこと(2023年10月)

1つめ。

今日は,欠席者のためにタブレットをつかった授業をしました。教卓にタブレットを置き,黒板とモニターを交互に見せながら進めました。

時には,その生徒の意見を聞きくこともありました。

2つめ。

ホームページに毎週の時間割を掲載している学校があります。

生徒の忘れ物を減らしたり,保護者の確認の意味でも助かることだと思います。

3つめ。

合唱コンクールの様子をYouTube配信している学校があります。

学校の授業参観になかなか行けない保護者にとって,学校の様子を知る機会となります。また,学校へなかなか足が向かない生徒にとってもいいことです。

これらは,すべていいことです。決して,悪いことではありません。

しかし,こんな問題が起きないでしょうか。

1つめ。

タブレットで授業に参加できるのなら,わざわざ学校へ行く必要がないと考える生徒や保護者が出てくるかもしれません。

2つめ。

毎日,連絡帳などを使い,忘れ物がないように確認しなくなる可能性があります。(忘れても保護者がすぐに届けてくれることも問題です。)

3つめ。

学校がYouTubeで行事を配信してくれるのであれば,授業参観などは行かなくてもよいと考える保護者が出てくる可能性があります。

また,こういったサービスをすると,次の新たなサービスを求める保護者が出てくる可能性あります。

また,他の学校がやっているから,うちの学校でもやってほしいと言ってくる保護者も出てきそうです。

つまり,学校へ過剰なサービスを求めるようになるかもしれないということです。

学校教育がうまくいくためには,信頼関係が必要です。このような取り組みを続けることで,本当の信頼関係が築けるのでしょうか。

信頼関係は,直接会い,お互いの顔を見てしっかりと話をすることで,ある程度心が通じ,生まれるものだと思います。

親切すぎる学校が本当の信頼関係が築けるのか,疑問に思った3つのことでした。