苫米地英人のトンデモ論文、「「空」を定義する」批判

このページでは、苫米地英人の(自称)論文「空」を定義する ~現代分析哲学とメタ数理的アプローチを批判する。論文自体は著者本人がサイトにアップしているので、ググればすぐ読むことができる。ちなみに、「釈迦の悟った「空」 を、西洋の現代分析哲学を用いて定義」する論文だということである。

「西洋の現代分析哲学では、概念および存在を部分関数(Partial Function)で定義します。」(p.2)

いったいどのような文献を読んで、このような考えに至ったのだろうか(そもそもこの論文には、参考文献が一切付けられていない)。そもそも「西洋の現代分析哲学では」という区分が曖昧すぎる。また、概念や存在の定義が、すべての哲学者に共有されているというような事実はない。

この文は、いわば、「西洋の現代球技では、頭でボールを扱います」と言っているようなものである。ぜひこのような定義を行っている文献を提示してほしいものである。

「さらに、概念だけでなく、物理的な存在も部分関数で定義できます。(ここでは物理空間における「概念」のことを「存在」と呼びます。)ある特定の個人の存在を定義する場合なら、宇宙をその個人と、その個人以外のものとに分けます。そうして、その個人を完璧に定義することができれば、その個人を除く全宇宙を定義できたことになります。」(p.3)

この議論の真偽はめんどくさいから措くが、とりあえずここでは、物理空間における「概念」を「存在」と定義した(それがどんな意味であるにせよ)。また、存在の定義の一節から、宇宙は存在によって構成されていることがわかる。ところが、

「ここでまず、宇宙を概念と存在の集合として定義します」(p.3)

矛盾している。前述のような定義をするならば、宇宙という集合内に概念が内含されるはずがない。1ページの中に矛盾が見つかるとは。

「このように、任意の二つで必ず順序が決められる集合のことを、包摂順序集合(subsumption ordered set)といいます。」(p.4)

こんな言葉遣いはしない。疑うなら、googleで""付検索してみるといい。苫米地の論文しかヒットしない θ-subsumption ordered setという語を用いている文献はあるが、これは θ-subsumptionで一語なので、θを取ってしまうと意味が通じない。

「任意の二つで必ずしも順序を決められない集合のことを、包摂半順序集合(subsumption partialordered set)といいます」(p.4)

同じく、苫米地の論文しかヒットしない。

「宇宙と空に関するこのような見方は、数学でいうと不完全性定理が成功した後、物理学でいうと量子力学が成功した後の、現代の数学や物理学、哲学においては、まったく違和感のない見方となっています。」(p.5-6)

仏教、不完全性定理、量子力学。三大トンデモ頻出領域をひとつの文章で網羅した苫米地氏に、トンデモ猛打賞を差し上げたい。しかし当然ながら、まったく意味不明の文章である。ここまでトンデモ理論を展開しておきながら、突然現代の数学や物理学、哲学の話をするとは……。

総論:分析哲学というわりに分析哲学の議論ではなく、言葉を適当に借用したトンデモ理論が展開されている。1ページの中でさえ矛盾が見つかるのだから、全体の整合性はお察しである。また、参考文献も一切提示されていない。認知科学方面での彼のトンデモっぷりは有名だが、哲学や数学について語ったからといってマシになるわけではなく、やはりトンデモさんはトンデモさんなのであった。別にトンデモ理論を展開するのは勝手だが、哲学や数学を騙って権威付けをするのはやめてほしいものだ。