都市伝説:「上を向いて歩こう」の本当の作曲者は武満徹だった!?

ネット上でまことしやかに囁かれる都市伝説がある。

【都市伝説】

中村八大作曲、永六輔作詞、そして坂本九によって歌われた『上を向いて歩こう』は、世界的なヒット曲となった。しかし、この曲は本当は中村ではなく、ゴーストライターによって作曲されたものである。しかも、そのゴーストライターは、後に邦楽を取り入れた前衛的なクラシックで世界的に有名になる武満徹。下積み時代の武満は中村八大のゴーストライターを引き受けていた。

音楽批評家の野々村禎彦は、「武満氏は『上を向いて歩こう』を始めとする戦後を代表する曲を数多く書きながら、妻子を養うために、それが中村八大作品として流通する事を甘受しなければならなかった」と書いている……。

【検証】

誰もが知るヒット曲である『上を向いて歩こう』。この曲が実はゴーストライター、それも武満徹による作曲だったとしたら、日本の音楽史をゆるがす一大事である。

まず、野々村禎彦の書いたという記述についてだが、「音楽雑記帳ログ2」というサイト(http://www2a.biglobe.ne.jp/~moyse/cgi-bin/dispbbs2.cgi)に、「ミュージック・フォーラムのほうで,野々村禎彦さんが、(…)とお書きになられてましたよね?(96/07/23)これってどこから得た情報なのでしょうか?初耳だったので驚いています」という疑問が提示されている。

また、この記述は2ちゃんねるにも引用されており、そこでは全体が引用されている。曰く、

「レコ芸8月号の吉松隆の無内容な戯言は、絶対に許せない。

現代音楽 に対する彼のワンパターンな罵詈雑言は聞き飽きたが

(戦後も素晴ら しい調性音楽を書き続けたプーランクが、ウェーベルン

やブーレーズ の音楽も愛していたのとは大違いだ)、死者を利用して

妄言を垂れ流 そうとするモラルの低さには、呆れる他ない。彼も

現代音楽関係者の 端くれなら、武満氏は「上を向いて歩こう」を始めとする

戦後を代表 する曲を数多く書きながら、妻子を養うために、それが中村八大作品

として流通する事を甘受しなければならなかった悲劇のメロディスト

であったことを知らないはずはない。これこそ奢りというものだろう。 」

色々と探してみたら、おおもとの出典らしきサイトが見つかった。ここ(http://www2a.biglobe.ne.jp/~moyse/cgi-bin/visit.cgi)の74.だろうか。「以上いただいたメールから、許可を得て中野が代理登録しました。吉松記事への皆さんのご意見をお待ちしています」と書かれている。とすると、この発言はもともとはメール上の文章であり、それがネット上に転載されたものだということになる。正直、情報ソースとしての信頼度はかなり低く見積もらねばならない(ただし野々村氏自身は、『黛敏郎の電子音楽

』に寄稿しており、まったくネット上だけで活動している人物ではないようだ)。

この都市伝説について、ネット上では、他にも次のような情報が出ている。

「武満が演歌(?)何かのゴーストライターをしたという話は本人も生前親しい人にもらしてたらしいけど、どの曲かは誰にも言わなかったかと。「日本人なら誰でも知ってる曲」ということらしい 」(2ちゃんねる, http://www.logsoku.com/r/classical/1082889307/)

「若い頃、服部良一や浜口庫之助の「代筆」をしていたことは、酔ったときなどに武満自身がよく口にしていたそ

うです」(音楽雑記帳ログ2)

武満曲を演奏するコンサートに行ったら、「小さな空」の演奏中、小さな声で別の歌がうたわれた。歌詞は聞き取れなかったが、「あれはコード進行が似ていてオフレコですが(公には武満さん作曲ということになっていない歌)」という説明がされた。(個人ブログ, http://blog.goo.ne.jp/be-toven/e/f8dd9654da38c690258492afb5237a17)

以上の情報を総合すると、武満は確かに下積み時代、ゴーストライターとして曲をいくつか書いており、日本人なら誰もが知っているような有名曲のゴーストライターもやった。その曲の中には、「小さな空」にコード進行が似ている曲もある。

しかし、武満が代筆した曲が『上を向いて歩こう』であるという情報源は、上記の野々村氏による文章以外どこにもない。その文章も、公的に雑誌や書籍で発表されたものではなく、メールに書かれた文章を受け取り手がネット上に転載しただけという、ソースとしての信頼度は高くない。

また、「小さな空」と「上を向いて歩こう」のコード進行は、(ちゃんと検証していないからわからないが)似ていないように思われる。

一方の公式の作曲者とされる中村は、曲想を得たエピソードを次のように語っている。あるとき、年上の知人に、売れなかった時代の話をした。すると、「人前ではやめなさい。みん な苦労をしているのだ。誰もが話はじめたら世の中が暗くなってしまう」とたしなめられ、以降、彼は明るい話だけをするようになった。こうしてあの曲が生まれたのだと。(このエピソードは、星新一が『きまぐれ学問所

』で書いている。もとは新聞の記事だったようだ)

このエピソード、少し奇妙な感じがしないでもない。『上を向いて歩こう』という詞を書いたのは、中村八大ではなく作詞の永六輔のはずだ。ならばなぜ、作曲家のエピソードが歌詞の中身とこんなにも上手く一致しているのか。普通に考えれば、作曲家がイメージを作詞家に伝え、作詞家がそのイメージに沿って詞を書いたといったところだろうか。ただ、ゴースト説を取る人ならば、中村は後づけでエピソードを考えたから、出来すぎる話になってしまったのだ、というかもしれない。

しかし、個人的に武満の曲を聴く限り、どうも『上を向いて歩こう』のポップなイメージとは合わない。後に武満は歌のある曲もいくつか書いているが、どれもかなり格調高いのである(『○と△の歌』などは割とポップだが)。武満が『上を向いて歩こう』のような曲を書くのか、私としてはかなり疑わしく思う。

【結論】

たしかに武満徹はゴーストライターをしたことがあり、代筆した曲の中にはかなり有名な曲もある。

しかし、『上を向いて歩こう』が代筆した曲であるかどうかは、情報ソースがひとつしかなく、しかもある音楽評論家がメール上に書いた文章だけであり、かなり信頼度は低い。

よって、

この都市伝説は 嘘 !

と結論づけて、この記事を終わりにしたい。

↓ ご感想、情報など、ぜひこちらからお寄せ下さい。