『カービー・デローター、カービー・デローター、カービー・デローター』(フレデリック・ニュースポスト紙社説)

[共和党のカービー・デローター議員が、地元紙フレデリック・ニュースポストの記事に腹を立て、自分の名前を許可なく載せれば訴訟を起こすと発言。フレデリック紙は、デローター議員の名前が30回近く登場する社説を載せ、これに反論した。議員はこの後、「不適切であった」として謝罪した。]

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カービー・デローター議員のことは知っていたから、彼がフレドリック・ニュースポストを訴えると言ってきても驚かなかった。カービー・デローターの許可なしに、カービー・デローターの名前を本紙に載せた――これについて謝る気はないよ――のがいけないというのだ。弁護士を呼ぶぞ、とカービー・デローターは言った。

実際、これは僕らの間で大ウケだった。カービー・デローターは選挙によってえらばれた議員で、公人じゃないか。まさかカービー・デローターは本気じゃないだろ? カービー・デローターはジョークを言っているんだよな?

逆に、これがジョークじゃなかったとしたら、僕らはどうやって彼の名前(カービー・デローター)を使わずにカービー・デローターに言及すればいいんだろう。社説を撤回するなら、「カービー・デローター」と何回も書くしかないだろう。カービー・デローター、カービー・デローター、カービー・デローター、といった具合にだ。オーケー、もし僕らが一時的な錯乱やなにか悪いものでも食べたかして、今後は彼の許可なしには名前を使わないと同意したとしよう。でも、「カービー・デローター」という名前を使うのに彼の許可をとりながら、どうやってジャーナリストとしての役目を果たせるっていうんだ?

空白? たしかに、イケナイ単語を使うときにハイフンを使うことはあるね。「カ――・デ――氏」という具合にやることはできるかもしれない。それか、「[未許可]議員」とか。僕らはひとしきり笑った後、「かつてカービー・デローター長官として知られていた議員」と呼ぶことを思いついた。でもこれは活字にしてみたらそんなに面白くなかったし、なにより彼の名前が入っちゃってる。じゃあイニシャルだけで「KD」と書くとか、それに注をつけるとか(KD*)、彼のやってるキャンペーン、“Govern Like A Taxpayer”の頭文字をとってGLATと呼ぶなんてのもいいかもしれない。ハイフンをつけてG-Latにしたらヒップホップっぽいぞ。いっそK-Delでいいじゃないか。あ、ハリー・ポッター風に「名前を書いてはいけないあのひと」なんてどうだろう(ここで雷が鳴る)。

子供みたいに「カービー・デローター」を発音してみたらどうだろう。「シャーバート・デルーダー」とか、えっと、「ダービー・カローター」とか、「シャーリー・デローター」とか(あ、私はシャルリーじゃない)。アナグラムしてくれるいいサイトを見つけたから、そこでアナグラムをつくって、例の議員について書いたときは、いちいち読者に解読を頼むという手もある。「Rebuked artily」[アートっぽく非難される]。これはなかなかいけてる。「Bakery diluter」[パン屋を薄める人]ってのは馬鹿馬鹿しいけど、いい響きだ。「Keyed rural bit」[語気を強める田舎のかけら]というのも目をひいた。カービー・デローターは語気を強めているからね。「Brutelike Yard」[野蛮人っぽい庭]なんて、ジョークのネタにありそうだ。

でも、カービー・デローターのジャーナリズムをめぐる無理解は、ジョークではすまされない。これは保守派に広くみられる厄介な考えの典型だ。つまり、彼らは、メディアというものはすべて、何か架空の左翼的なアジェンダのためにひざまずいている引き立て役だと思っているのだ。この「事実」は、実際の事実が保守派の意見と違っている場合に、よく言われる泣き言だ。ビリー・シュレーブ議員が、KD* を擁護したときの、ほとんど意味不明な言葉を見てみよう。「メディアのやつらは臆病者で、ジャーナリストという肩書をたてにして、リベラルな考えを広めるために、いじめっ子のような演説をしているのだ」。臆病者だって? それを2014年に殺された60人のジャーナリストの家族に言ってみたらどうだ? ジャーナリスト保護協会によれば、2013年には70人の、2012年には74人のジャーナリストが殺害されている。真実のために、あるいはなるべく信頼に足る真実のために、彼らは世界のもっとも危険な地域に足を踏み入れたのだ。

名前を呼ぶかどうかで、たしかに子供っぽくふざけたりしたけれど、ひとつだけこの議員に、真面目にわかってほしいことがある。僕らは、地元の議員が嘘の脅威に対して文句をつけることで点を稼げると思ったからといって、そんなケチな脅迫に屈したりはしないということだ。

法的に言えば、カービー・デローターの言い分は話にならない。

なぜかって? ワシントン・ポストのブロガーであり、「UCLAロースクールで言論の自由法、信教の自由、教会関連法、権利章典法廷助言人、法不法行為法について教えている」ユージン・ブロックがいい感じにまとめてくれている。

「えっと、議員ということですよね。わが国では、新聞は選挙で選ばれた公人(など)については許可なしに書くことが許されています。たしかに前衛的な試みかもしれませんが、それでうまくやってきているんです」。そう、あの権利章典の話だ。

これが僕らがこの脅しを、疑ってかかっている理由だ。こういった振る舞いは何度も受けてきたし(カービー・デローターからだけじゃなくね)、もう一度言っておく意味があるだろう。カービー・オレノナヲイウナ・デローターが優位にたてる唯一の手段は脅迫だけだ。市民ではなく、ニュース・ポストがターゲットになっているのは今だけだ。投票者が彼に要求する、そして他の議員が理解している仕事を真面目に受け取らずに、メッセンジャーを撃て戦略をとることで彼は騒いでいるが、シェイクスピアに言わせれば、それは「意味などない」[マクベス, V, v, 19]。2015年、フレドリック郡は対処しなければいけない様々な問題を抱えているのに、僕らはカービー・デローターがひとつでも意味のあるアイディアを提案するのを聞いていない。彼はスローガンで「統治する」という言葉を使っているが、まず最初に自分の怒りを統治することを学ぶべきじゃないだろうか。

もう十分だろう。真面目な話、カービー・デローターは何をするだろう? ツイッターで #kirbydelauter ハッシュタグでネタツイをしている人全員を訴えるのか? それともフェイスブックの方か? そんなことしている間に任期が切れるぞ。

理性的な人はフレドリック郡を前進させなければならない。カービー・デローターがまたもしていることは、怒りを抑えられないことをあらわにし、自分だけでなく、彼の選挙区や、この郡、そして彼に投票した人たちに恥をかかせているのだ。もし彼がスローガン通り、納税者のように統治することを望むなら、彼は自分の給料の源である納税者に敬意を払い、馬鹿げた感情的なナンセンスはやめて、仕事にとりかかるべきだろう。

* カービー・デローター

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(2015/1/11)

Frederick News-Post紙2015年1月6日の社説、"Kirby Delauter, Kirby Delauter, Kirby Delauter"を訳出した。