『マルジナリア』(ポー)

デモクラティック・レビュー誌、1844年11月

本を買うとき、私はいつでも余白を気にする。別に余白そのものが好きなわけではない。同意を得られないかもしれないが、思いうかんだ考えや意見の相違、短い批判的な意見などを書きつけることができるからである。書きとめなければならない事柄が狭い余白には多すぎるときは、私はそれを紙切れにかきつけ、頁の間に挟み込むことにしている。小さいタラカントガムの塊を用いて、どこかにいってしまわないように貼りつけるのだ。

単なる酔狂にすぎない、と片づけられてしまうかもしれない。陳腐なだけでなく、くだらない行為かもしれない。しかし、私はそれでもノートをとることを続けている。それは私にとって喜びであり、ミルを従えたベンサムが何と言ってこようと、私にとっては利益なのである。

しかしながら、これらのノートは、決してた単なるメモ書きというわけではない。メモ書きには、明らかに欠点がある。「紙の上に」、とベルナール・ド・サンピエールは書いた、「記憶を書きつけることで、私自身はそれを忘れてしまう」。実際、すぐに何かを忘れてしまいたいなら、その内容をメモに書きつければいいのだ。