超人になったポール・マッカートニー ~アウト・ゼアーツアー11/18東京ドーム公演を終えて~
ポール・マッカートニーが音楽の歴史に残る人物であることを疑う者はいないだろう。
今回の日本公演にあたって各誌がこぞって書き立てたアオリ文句は「最後の日本公演」。「歴史に残るポール御大を生で見られる最後のチャンス」といったところだ。
しかし、ポールは、そんなチャチなくくりにはおさまらなかった。
たとえば、チャック・ベリーが日本にやってきて、コンサートを開いたとしよう。私たちはきっと観にいくだろう。
「いまチャックを見ておかなければ、二度と見れないぞ」といった気持ちで、だ。
そしてチャックが「ジョニー・B・グッド」を演奏してくれて、一瞬でもダック・ウォークを見せてくれれば私たちは満足するだろう。いやあ、生ダック・ウォーク見ちゃったよ。
正直、今回のポール公演も、行ってみるまではそのような感覚だった。
いままでさんざん聴いてきたポールの曲を生で聴こう。生でポールを見よう。ヘフナーを弾くポールが見れればそれで満足。感動。
しかし、この期待は良い意味で裏切られた。
しょっぱなから仕舞いまで、名曲がてんこもり。「レット・イット・ビー」も「オール・マイ・ラヴィング」も「バンド・オン・ザ・ラン」も「メイビー・アイム・アメイズド」も「ゲット・バック」も……etc. etc.
ちょっと待ってくれ。一回のライブでこれだけの曲をやるのか。惜しげもなく次から次へと大ヒット曲を披露するポール。そして最新のアルバム、「NEW」からの楽曲も、負けず劣らず観客を盛り上げる。
バンドの演奏はいつでも全力、ポールのシャウトも健在だ。これほどの声が出せる71歳が世界中のどこにいるだろう。
私は客席で熱狂し、ときに歌い、ときに踊り、ときに涙し、ときに叫んだ。
年齢を追うごとにますます先鋭化し、ディストーテッドされていくポールのサウンド。
そう、ポールは決して歴史上の人物ではない。今なお現役で、東京ドームを埋めつくす観客を熱狂の渦に陥れるスーパーミュージシャンであり、スーパーショーマン、スーパーマン、超人なのだ。
たとえば、チャック・ベリーを全く知らない人がチャック・ベリーのコンサートに行ったら楽しめるだろうか? おそらく、楽しめないのではないかと思う。しかし、ポール・マッカートニーを全く知らない人が今回のアウトゼアツアーに行ったとしたら楽しめたか、という問いへの答えは100%イエスなのだ。
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さて、ここからは細かい感想を書いていこう。多少マニアックな話も含まれる。ネタバレも、含まれる。
私が感動したのは、ポールが「ヒア・トゥデイ」をギター一本で弾き語ったときだ。ポールがジョンを悼んで作った歌。
これまで私は、この曲をあまり名曲だと思ってはいなかった。ジョージのつくった追悼曲「オール・ゾーズ・イヤーズ・アゴー」の方がはるかに曲としての完成度は高いと思っていた。
ところが、今回、ポールがこの曲を歌うのを聴いて、心の中にある感傷が込み上げてきた。
「もしも君がここにいたら、どうなっていただろうね」
とポールは歌う。
私はこのポールの言葉をはじめて素直にとらえ、そしてポールが背負っているものの大きさを理解した。
もしもジョンが生きていたら、どうなっていただろう。そう、文字通り、ジョンも今、この東京ドームにいたらどうなっていただろう。
今回、ポールはビートルズ時代の曲をフンダンに演奏した。「ミスター・カイト」のようなジョンの曲までも演奏した。
「元ビートルズ」という肩書は、ジョンが死に、ジョージも他界してからというもの、実質的にポール一人の肩にのしかかってきたといえる。
ビートルズの二枚看板であったジョンがもしも生きていたら、ポールの負担はずっと軽くなっただろう。
ジョンが死んだことを、ジョージは心から追悼している。ポールも心から追悼している、しかし、ただ追悼するだけでなく、困惑し、嘆き、そして責任を引き受けたのだ。リヴァプール生まれのミュージシャン、ジェームズ・ポール・マッカートニーが疲れ知らずに音楽業界を疾走しつづける超人になったのは、まさに、一人でビートルズの看板を背負っていくことを決意したこのときだったといえよう。私はそんなポールの悲哀と強さを感じ、決して名曲と感じることのなかったこの曲を聴き、胸にこみ上げてくるものがあった。
(そしてポールは今回、「サムシング」も演奏した。ウクレレではじまるバージョン。しかもうれしいことに、最後までウクレレの従来のツアーバージョンではなく、途中からバンドのフル演奏に切り替わる「コンサート・フォー・ジョージ」バージョンだった。)
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( ↓ この節はオマケ。読み飛ばしてくださっても構わない。ポールのバンドメンバーについて書いてある。)
さて、ポールは今回のライブで、ほとんどヘフナーを弾いていない。
大半はピアノとギター、それもアコギだ。
元来作曲家であるポールがコード楽器を多用するのにはなんの不思議もない。しかし、このような目まぐるしく変化する編成を可能にしているのは、ポールのバンド編成だ。
ここでポールのバンドについても、少し述べておきたい。
私はこれまで、主にポールバンドではブライアン・レイ(金髪の方のギター)に注目してきた。ときにギターを、ときにベースを弾き、自身のソロ作もリリースしている器用なスーパーサブ。
以前はベースはギブソンのSGリイシューを用いていたが、最近はエピフォンのジャック・キャサディシグネチュアに持ち替えている。今回も大半の曲でこのベースを使用していた。
しかし、今回のライブで目をひかれたはラスティ・アンダーソン(黒髪の方のギター)だった。
ポールのライブでは、主役のポール・マッカートニーは歌わなければならないので、マイクのそばをはなれることができず、自然と動きが乏しくなる。かててくわえて、ポールのライブ会場はいつでも、これでもかというほど大きい。
このままでは、観客から見たステージの動きが乏しくなってしまう。
そこでラスティがひたすら派手に動き回るのだ。
もちろんブライアンが動いてもいいのだが、このバンドではなんとなくブライアンがリズム、ラスティがリードというような雰囲気がある(もちろん、かなりツインリードに近い組み合わせではあるのだが)。そうすると自由度が高いのはラスティの方だ。
「USSR」の最後のトレモロピッキングのときに、ラスティが大きく股を開いて姿勢を低くするのはポールのライブでは一種の名物となっているが、それ以外の曲でも飛び跳ねたり、ストロークの動きを大きくしたり、果てはダック・ウォークをしてみたりと、ステージを左右に駆け回り、華を添えている。彼がいることで、ステージの見栄えはだいぶよくなっているだろう。
彼はもともと、リッキー・マーティンの"Livin' La Vida Loca"のギターを弾いたことで有名だったギタリストだ。
ダンサブルで派手なミュージックへの指向性は、ステージの盛り上げ役として適任だといえよう。
むろんエイブ・ラボリエル・ジュニアも(ちなみに彼の父親は有名なジャズ・ベーシストだ)、ポール・”ウィックス”・ウィッケンスもそれぞれが器用なミュージシャンだ。
このような多芸なメンバーを集めて初めて、ポールの多才さが生かされているのである。
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なにやら興奮冷めやらぬままに、書き散らしてしまったような感がある。
ひたすら楽しいライブだった。横にいた、ヒップホップのような動きをしながら「ポールもっとやれい゛!」と叫んでいた、彼女連れの齢の行ったギャル男は香水の匂いが不快だったが、それを帳消しにして多額のお釣りがくるほど素晴らしいライブだった。
三時間近くに及ぶステージ。立って観ているだけでも、疲れてしまう。その時間を叫び、演奏し続けるポールは超人としか言いようがない(使う楽器のほとんどがホロウ構造であることも、負担を大きく減らしていると私は見ている)。
元気の秘密はベジタリアン・フードだろうか。私もベジタリアンになろうか。そう思いつつ、コンサート会場を離れた私は、夕食にチキン・ナゲットをパクついた。
そうそう、それから、観客席には内田裕也の姿もあった。彼はあの武道館で、前座をやっていた。そう思うと、こちらもなんとも感慨深い。
(2013/11/18)