GARNET CROW解散の報に接して

2013年3月30日、四人組音楽グループGARNET CROWは、東京ドームで行われたコンサートの場で解散を発表した。

ショックだった。然し、驚かなかった。

ああ、解散か。

呆然とはした。然し、心のどこかで予期していた。

最新のアルバムのタイトルはTerminus。ターミナル、つまり、その意味するところは、終点。

解散はずっと前から決まっていたのだろう。

解散を発表するとき、「GARNET CROWとしてすべての事を出し切りました」と、中村由利は言ったという。

この言葉は、非常に中村らしい。以前、彼女のインタビューを読み、感銘を受けて書き留め、以後座右に置いている言葉がある。

「主体は楽曲なので、楽曲が良いか悪いか、良くするためにはどうすべきか、その意見をきっちりと言える関係であり続けることが大事だと思うんです。そこが崩れて、ナァナァになって来ると、まいっかという曖昧さが出てくると思うんですけど、そういう曖昧さというのは、何かを作り出す職業、クリエイトする職業には致命的なロスだと思う…」

ここから窺われるのは、あくまで曲としてどれだけのものを完成させられるかにこだわる、「音楽制作集団」GARNET CROWの名に恥じぬプロ意識だ。

「GARNET CROWとしてすべての事を出し切りました」と中村は言う。

これは熱心なガネクロのファンならば、頷く言葉ではないだろうか。

違和感は、"parallel universe"を聴いたときからだ。一曲目の「アオゾラカナタ」と三曲目の「Over Drive」、どことなく曲の雰囲気が似ていないだろうか。

ゆっくりとしたイントロから、断続的に盛り上がるAメロ。そして、浮遊するような曲全体の雰囲気。

むろん、両曲とも素晴らしい。然しだからこそ、この類似が気にかかった。

その違和感は、"メモリーズ"を聴いたとき、確信へと変わる。

あなたは、"メモリーズ"の収録曲と言われてなにを思い出すだろうか。

Smily Nation、JUDY、そして……。あれ、思い出せない。曲のタイトルは思い出せても、どんな曲だったのか。

ここで例えば、"THE TWILIGHT VALLEY"を思い出してみよう。

「まぼろし」ではじまり、ライブの定番である「今宵エデンの片隅で」が続き、「夢・花火」という目立たぬ良曲を経て、キャッチーな「晴れ時計」「マージナル・マン」が続き、クリーンアップには「籟・來・也」が控える。

比べてみると差は歴然である。"メモリーズ"は、GARNET CROWっぽさは残しつつも、どこか印象に残らない、言ってしまえば新鮮さがないアルバムになってしまっていた。

「マンネリ」、そんな言葉が私の脳裏をよぎった。

私ですらそうだったのだから、中村をはじめとする、楽曲のクオリティに絶対的にこだわるメンバーたちはなおさらだろう。

以前、ラジオで聴いたこんな会話が思い出される。古井が「この程度でいいかなあ、って曲」というような言葉を口にした途端、AZUKIが「そんな曲あった? 妥協した曲なんて一曲もない」と噛みついたのである。古井は、「いや、一般論の話」と返していたように記憶している。

このように楽曲を重視する彼らが、自分たちの置かれた状況を冷静に分析できないはずがない。

分析し、考え、出した結論が、先の「GARNET CROWとしてすべての事を出し切りました」という言葉だったのだと思う。

元来、GARNET CROWはバンドというよりも音楽制作ユニットという色が強い。

もともとスタジオミュージシャンや作曲家、作詞家といった裏方を集めて結成されたグループである。

ここでガネクロの曲の制作過程をおさらいしてみよう。

まず、中村がピアノで曲を書き、適当な英語歌詞で歌ったデモテープをAZUKIと古井に送る。

AZUKIが作詞を、古井が編曲の作業を行う。

編曲の過程で、岡本がギターを入れる。

最後にAZUKIの書いた歌詞で中村が歌を吹き込み、完成。

このように、ガネクロのプロダクションは分業であり、独立している。

(ところで、AZUKIは音源の演奏にはどの程度参加しているのだろうか。あるインタビューでは、古井が「シンセは僕。ピアノは七さん」と述べているが……?)

また、ガネクロが、ヴォーカル、キーボード×2、ギターという不思議な構成であることからも、このバンドが音楽制作を目的としており、ライブでの演奏は主目的ではないことがわかる。

いわば職人肌を四人集めたこのユニットが、自分たち四人という組み合わせでつくれるものを全てつくったという結論に達したとしたら、解散は必然である。

ローリング・ストーンズが今でも活動をつづけているのは、彼らが本質的にはイコンであるからだ。

人々はライブに来て、彼らの姿を見たがる。だからミック・ジャガーは、70に手が届こうとする今も「サティスファクション」を歌い続ける。

しかしガネクロはそうではない。

楽曲を生みだしきったのなら、ライブを続ける意味などないのだ。

だから、ガネクロの解散は、決して後ろ向きなものではない。

それはさっぱりとした、すがすがしいものだ。

「GARNET CROWとしてすべてのことを出し切りました」という言葉からは、そういった爽快感、達成感といったものが感じられる。

「立ち止まれば 歩いてきた軌跡

振り返れば 見える程度の足跡

見渡せる程度の道のりしか歩いてない」

と、かつて彼らは歌った。

今、彼らは振り返ってどう思うだろうか。結成の日まで、まだ、視線は届くだろうか。

メンバーたちが新しいどこかに歩きだそうとしているのかは、わからない。

そろそろ腰を落ち着けようと思っているかもしれない。

しかし、ひとつだけ明らかなことがある。

私たちは、解散を悲しむべきではないということだ。

彼ら四人がGARNET CROWとしてつくることのできた全ての楽曲を、大切に抱きしめて歩いてゆきたい。

そして、彼ら四人にお礼を言いたい。

ゆりっぺ、七さん、古井さん、おかもっち。

本当にありがとう。

お疲れ様でした。

(2013.3.30)