「男ならだれでも経験があるだろう。小学生の頃、生意気な女の子を捕まえて、『しょんべんで「の」の字を書いてみろ。ほら、できねえだろう。』これで、相手は必ず黙ってしまう。中には、『おしっこで「の」の字を書けると、どこが偉いんだ。』と食い下がる子もいたが、まあ、勝負はあった。娘が小学生の頃、息子二人を従えて同じことを言った。娘は、母親に『どうしてできないの。』と泣きついた。勿論、均茶庵は、後でこっぴどく叱られたが、反省の気持ちはない。
女が立ちションベンで「の」を書くのは無理としても、女の立ちションベンはこの世にないのだろうか。実は、均茶庵は昭和30年半ば(1950年代末)に、一度だけ拝見した事がある。どこかのおばあちゃんが、田舎の道端で野良着を下げて、お尻を出していた。ややお腹を突き出した体勢だった。何をしているのかなと思ったら、下の方から水が噴き出した。勿論、男のように放物線を大きく描いて飛ぶわけではなく、斜め下の方に飛んで行った。服が濡れないのかなと、訝しく感じた。
これは、嘘ではない。日本の古来からの習慣として、確かに女の立ションは存在した。その証拠に、寅さんの口上を思い返せば良い。『四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立小便。』四谷・赤坂・麹町は、芸者さんが沢山いる料亭街だ。均茶庵が現役の頃は、お姐さんを乗せた人力車が、未だ走り回っていた。芸者さんが、道端でご用を足す姿を歌っている。今では、「銀座・赤坂・六本木」で、まるで風情が無くなってしまった。
「ちゃらちゃら流れるお茶の水」は、説明するまでもないだろう。解説したくない。
但し、均茶庵は少々疑問を持っている。芸者さんが和服で立小便をしたら、絶対に着物が濡れると思う。何か特別な技があったのだろうか。いずれにせよ、「粋な姐ちゃんの立小便」の技も、景色も、もう消えてしまった。ご参考までに、寅さんの口上は続く。『田へしたもんだよ(てえしたもんだよ)、蛙のしょんべん、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし。』『けっこう毛だらけ猫灰だらけ、お尻の周りはクソだらけ。』詳細な説明は、別の機会に譲るが、寅さんはションベンとウンチが大好きだ。
嘗ては、立小便は「倭男児」の心意気と考えられていた。だから、山の頂上などへ登ると、みんな一列になって、崖の上から立小便をした。時には、逆風に煽られた小便が、霧になって顔に吹きかかる事もあった。山だけではなく、街角の立小便は、当たり前の習慣だった。
この頃、山ガールと称する婆さんを中心に、山での女の立小便が密かに流行っているそうだ。Amazonを見て驚いた。女性用の立小便小道具が、何種類も紹介されていた。お値段も数百円と安い。但し、「粋な姐さん」のような、風情も色気もまるで無い。勿論、「の」の字が書ける技術は、商品化されていない。尚、伊沢正名先生の実証実験によると、事後の水切りには、ヒメシノブゴケ (Thuidium cymbifolium)が、感触と言い、吸水性と言い、手に入りやすさと言い、アウトドアでは一番の優れものだそうだ。
犬は、街中どこでも立小便が許される。どうして人さまだけは駄目なのか、腑に落ちない。今や、「道徳上」禁じられてしまった。一体どんな道徳なのか、均茶庵は説明を聞いたことがない。『いけません。』とただただ禁止されてしまっただけじゃないかと思う。均茶庵は、密かに憤りを持っている。もしかすると、人類の半分以上を占める、技術的に立小便ができなくなってしまった女族の復讐なのだろうか。尤も、お陰様で道路の暗がりの特有なにおいは一掃された。その分、老人は常にトイレがある場所を気にするようになった。